学位論文要旨



No 125925
著者(漢字) 前田,大地
著者(英字)
著者(カナ) マエダ,ダイチ
標題(和) 日本人の卵巣癌の発生と進展に関する病理組織学的研究
標題(洋)
報告番号 125925
報告番号 甲25925
学位授与日 2010.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第3404号
研究科 医学系研究科
専攻 病因・病理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 上妻,志郎
 東京大学 教授 村上,善則
 東京大学 准教授 大西,真
 東京大学 准教授 宇於崎,宏
 東京大学 講師 鯉沼,代造
内容要旨 要旨を表示する

卵巣癌は卵巣表層上皮性・間質性腫瘍に分類される悪性腫瘍で、主に明細胞腺癌、漿液性腺癌、粘液性腺癌、類内膜腺癌という4つの組織型からなる。現在、卵巣癌に対する手術術式や術後化学療法の種類は、その組織型とは関係なく一定のものが選択されることがほとんどである。しかしながら、近年、卵巣癌の各組織型は組織像が異なるだけではなく、その発生母地や腫瘍化に関わる遺伝子変異にも大きな違いがあることが分かってきた。今後卵巣癌研究を行っていくにあたっては、組織型ごとの特性を明らかにしていくことが重要になってくるだろう。また、将来的には卵巣癌の治療戦略も組織型ごとに特化したものになっていく可能性がある。

私は、東京大学医学部附属病院で過去24年間に切除された卵巣癌症例の組織像の見直しを行う過程で、明細胞腺癌の特異性、卵巣癌が卵巣表層上皮以外に由来する可能性、粘液性腫瘍における良性腫瘍→境界悪性腫瘍→腺癌という段階的な発癌過程、といった点に興味を持つに至った。そして、大学院博士課程ではこれらのテーマに関して病理組織学的、分子生物学的手法を用いた研究を行った。

本研究は以下の三部から構成されている。

(1)卵巣明細胞腺癌におけるGlypican-3発現

(2)卵巣癌に併存する卵管上皮内癌の意義

(3)卵巣粘液性腫瘍の悪性化とribonucleotide reductase subunit M2 (RRM2) 発現との関連

それぞれの内容に関して以下に概説する。

(1)卵巣明細胞腺癌におけるGlypican-3発現

卵巣明細胞腺癌は欧米に比べて日本における発生頻度が高い卵巣癌である。また、明細胞腺癌は卵巣癌の中でも特に化学療法抵抗性で予後不良であることが知られている。明細胞腺癌の病態を解明し、新しい治療戦略につなげることは日本の婦人科腫瘍研究者にとって重要な課題とされてきた。本研究で我々は、卵巣癌の中で明細胞腺癌特異的にGlypican-3(GPC3)というoncofetal proteinの発現亢進が起きていることを免疫組織化学的に示した。GPC3陽性症例の割合は明細胞腺癌:41例/94例 (44%)、漿液性腺癌:6例/56例 (11%)、粘液性腺癌:1例/25例 (4%)、類内膜腺癌:2例/38例 (5%) となっていた。び慢性のGPC3陽性像が見られたのは明細胞腺癌のみであった。また、明細胞腺癌のbenign counterpartと考えられる婦人科領域の非腫瘍性上皮 (卵巣表層上皮封入嚢胞、卵管上皮、子宮内膜腺、子宮頚管腺、子宮内膜症性病変)のGPC3発現を検討したところ、妊娠期の内膜腺以外はGPC3を発現していなかった。このことから明細胞腺癌のGPC3発現は癌化に伴って亢進したものと考えられた。続いて我々は明細胞腺癌とGPC3の関係について臨床病理学的検討を行い、Stage III/IVの明細胞腺癌症例ではGPC3陽性例の予後がGPC3陰性例の予後に比べて有意に悪いことを示した (P=0.019)。さらに、GPC3を発現している明細胞腺癌細胞株RMG-Iに対してRNAiによるGPC3発現抑制を行ったところ細胞増殖が抑制されたことから、GPC3発現が明細胞腺癌細胞の増殖促進に寄与していると考えられた。近年、GPC3を標的とした抗体治療や免疫療法に関しては目覚ましいペースで研究が進んでおり、その中には臨床試験の段階に入っているものもある。我々の知見は、GPC3を標的とした治療が、予後不良とされる卵巣明細胞腺癌の一群に対して有効である可能性を示唆した点においても重要だと思われる。

(2)卵巣癌に併存する卵管上皮内癌の意義

従来、卵巣漿液性腺癌の大部分を占めるhigh-grade serous adenocarciomaは卵巣表層上皮にTP53変異が起きてde novoに生じてくると考えられていた。しかし、近年、卵管采を含む卵管全長の詳細な検討によって、卵巣漿液性腺癌と腹膜漿液性腺癌(特にhigh-grade serous adenocarcinoma)に高頻度に卵管上皮内癌 (tubal intraepithelial carcinoma: TIC) が併存することが報告された。これらの報告に基づき、「卵管上皮内癌 (TIC) が卵巣・腹膜のhigh-grade serous adenocarcinomaの前駆病変である」という新仮説が唱えられ、広い支持を集めつつある。しかし、TICと卵巣癌の関連を検討した研究は欧米の少数施設でなされたものに限られており、それらは主にhigh-grade serous adenocarcinoma症例を対象としている。また、TICの特徴として、免疫組織化学的にp53蛋白の過剰発現が見られることを挙げているものが多い。明細胞腺癌を含む非漿液性腺癌とTICの関係やp53蛋白の過剰発現を伴わないTICが存在する可能性に関してはほとんど検討されていない。

我々は、日本人の卵巣癌・腹膜癌症例を対象として卵管全割全包埋法によるTIC検索を行い、上記の新仮説の検証を行った。本研究は明細胞腺癌を含む幅広い卵巣癌・腹膜癌症例を対象とした。また、TICが存在していた症例に関してはTICと卵巣・腹膜の主腫瘍の両者に対してp53の免疫染色を施行し、p53蛋白過剰発現の有無を調べた。

我々が卵管全割全包埋法を遂行できた症例は卵巣癌53例 (漿液性腺癌 12例、明細胞腺癌 23例、類内膜腺癌 9例、粘液性腺癌 4例、その他の癌 4例) と腹膜漿液性腺癌 3例であった。このうちTICの併存を認めたのは7例であった。これら7例では、いずれも卵巣・腹膜の主腫瘍の組織型が漿液性腺癌であった。TICと卵巣・腹膜主腫瘤のp53に対する染色態度は一致しており、p53陽性を示したのは7例中3例であった。一方、非漿液性腺癌症例 (n=41) にはTICの併存は見られなかった。この結果からは、TICが非漿液性腺癌の発癌には関与していないことが示唆される。なお、本研究で検出されたTICのほとんどは卵管采に局在していた。卵管病変を探索するにあたっては卵管采を含む卵管全長を切り出すことが重要だと言えよう。

本研究における漿液性腺癌のTIC併存率 (7例/15例) は、既報のデータとほぼ同等であった。この結果は、卵巣・腹膜の漿液性腺癌とされてきた腫瘍の一部がTICを前駆病変とする卵管上皮由来の腫瘍であることを支持するものである。ただし、本研究でp53陰性のTICが半数以上存在したことは、既報とは異なる知見であり、注目に値する。今までTICから卵巣癌・腹膜癌に至る過程はTP53遺伝子の異常が関与する経路として説明される傾向にあったが、TICの中にはその発生、進展にTP53遺伝子異常が関与していないものも存在すると考えられる。今後TICの意義を掘り下げていく際には他の因子が関与している可能性も考慮していくべきである。

(3)卵巣粘液性腫瘍の悪性化とribonucleotide reductase subunit M2 (RRM2) 発現との関連

卵巣粘液性腺癌は良性粘液性腫瘍、境界悪性粘液性腫瘍を経て生じてくると考えられている。我々はribonucleotide reductase subunit M2 (RRM2)という蛋白に注目し、RRM2が卵巣粘液性腫瘍の悪性化に関わっている可能性を探った。Ribonucleotide reductase (RR)はDNA合成の重要なステップであるribonucleotide 5'-diphosphatesから2'-deoxyribonucleotidesへの変換に働く酵素であり、RRの酵素活性はそのM2 subunit (RRM2)のレベルに依存していると考えられている。今までにいくつかの癌において、主にmRNAレベルでのRRM2発現の検討が行われており、mRRM2の発現亢進が化学療法に対する抵抗性、腫瘍細胞の浸潤能上昇、不良な患者予後につながることが示されてきた。ただし、蛋白レベルでのRRM2発現を検討した研究は少なく、卵巣癌に関しては報告がない。

我々は卵巣粘液性腫瘍(良性、境界悪性、癌)の蛋白レベルでのRRM2発現を免疫組織化学的に検討し、各腫瘍におけるRRM2陽性細胞の割合をRRM2 indexとして計算した。良性粘液性腫瘍 (n=30)、境界悪性粘液性腫瘍 (n=23)、粘液性腺癌 (n=15)を対象として検討した結果、各腫瘍群のRRM2 indexの平均は良性粘液性腫瘍:0.88%、境界悪性粘液性腫瘍:9.37%、粘液性腺癌:21.11%となった。良性粘液性腫瘍と境界悪性粘液性腫瘍の間、境界悪性粘液性腫瘍と粘液性腺癌の間にはRRM2 indexの値に統計学的有意差 (いずれもP<0.0001) を認めた。また、粘液性腺癌をStage I/II症例とStage III/IV症例に分けて、両者のRRM2 indexを比較したところ、Stage III/IV症例のRRM2 indexの方が有意に高いことが分かった(P=0.0264)。粘液性腺癌症例に関して生存曲線解析を行ったところ、統計学的に有意とは言えないものの、RRM2 index>20%以上の症例の方がRRM2 index<20%の症例に比べて予後が悪い傾向にあった (P=0.0957)。以上の結果より、我々は、RRM2が粘液性腺癌の発癌の過程で発現が亢進してくる重要な遺伝子であり、かつ、RRM2発現は粘液性腺癌のmalignant behaviorの指標になりうると考えた。

続いて我々は3種類の粘液性腺癌細胞株 (MCAS、RMUG-S、OMC-3) に対してsiRNAによるRRM2発現抑制を行い、いずれの細胞においても増殖抑制が起きることを示した。この結果はRRM2が粘液性腺癌細胞において増殖促進に働いていることを示すものである。また、RRM2を特異的に阻害するような薬剤が卵巣粘液性腺癌に対する有効な治療オプションになりうることを示唆している。

最後に、RRM2が粘液性腺癌の化学療法抵抗性に関与している可能性に着目し、検討を行った。具体的には粘液性腺癌細胞株 (MCAS) に対してsiRNAを用いたRRM2のknockdownを行い、cisplatin、paclitaxel、gemcitabineという3種類の抗癌剤に対する感受性の変化を見た。その結果、RRM2の発現抑制によってMCAS細胞のcisplatin感受性が増加することが判明した。このことから、RRM2発現は粘液性腺癌細胞のcisplatin抵抗性に寄与していると考えられた。逆に、paclitaxel、gemcitabineに対する感受性はRRM2の発現抑制によって低下した。卵巣粘液性腺癌ではRRM2の発現がpaclitaxel、gemcitabineに対する感受性を増す方向に働いている可能性が考えられた。RRM2がどのようにして化学療法感受性に変化を及ぼしているかに関しては今後さらに検討を加えて明らかにしていきたいと考えている。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は病理組織学的見地から日本人の卵巣癌の成因、病態を明らかにする目的で行われている。卵巣癌は各組織型ごとに、組織像のみならず、その分子生物学的特徴が大きく異なることが分かってきている。このような背景をふまえ、本研究では(1)卵巣明細胞腺癌におけるGlypican-3発現、(2)卵巣癌 (特に漿液性腺癌) に併存する卵管上皮内癌の意義、(3)卵巣粘液性腫瘍の悪性化とribonucleotide reductase subunit M2 (RRM2) 発現との関連、の三つのテーマに関して病理組織学的、あるいは分子生物学的手法を用いた検討が行われており、それぞれに関して、下記の知見を得ている。

(1)卵巣明細胞腺癌におけるGlypican-3発現

1. Glypican-3は卵巣癌の中でも明細胞腺癌において特異的に発現が亢進していることが免疫組織化学的に示された。

2. 明細胞腺癌の母地と想定される非腫瘍性組織ではGlypican-3発現が認められなかった。従って、明細胞腺癌の癌化の過程でGPC3の発現が亢進するものと考えられた。

3. 細胞株を用いた実験により、Glypican-3発現が明細胞腺癌の増殖を促進している可能性が示唆された。

4. Glypican-3を標的とした抗体治療や免疫療法が明細胞腺癌に対する新たな治療オプションになりうることが示された。

5. 卵巣卵黄嚢腫瘍の全例がGlypican-3を高発現していることが明らかになった。従って、卵巣腫瘍の病理診断に際して明細胞腺癌と卵黄嚢腫瘍の鑑別が問題となった場合には、Glypican-3を単独の免疫染色マーカーとして用いるのではなく、他のマーカーと併用して慎重に判断を行うべきである。

(2)卵巣癌 (特に漿液性腺癌) に併存する卵管上皮内癌の意義

1. 卵管上皮内癌 (TIC) が様々な卵巣癌・腹膜癌の中で漿液性腺癌のみに併存することがわかった。漿液性腺癌症例15例中7例にTICが存在していた。この結果から、TICが一部の卵巣漿液性腺癌、腹膜漿液性腺癌の前駆病変である可能性が示唆された。

2. 明細胞腺癌を含む非漿液性の卵巣癌にはTICが併存してなかったことから、これらの癌の発生に卵管病変は関与していないことが示唆された。

3. 今回の検討においては、TICの半数以上が免疫組織化学的にp53陰性であった。TICの発生やその後の進展に、必ずしもTP53遺伝子の異常が関わっていない可能性があると考えられた。

(3)卵巣粘液性腫瘍の悪性化とribonucleotide reductase subunit M2 (RRM2) 発現との関連

1. 卵巣粘液性腫瘍 (良性粘液性腺腫、境界悪性粘液性腫瘍、粘液性腺癌) におけるRRM2発現を免疫組織化学的に評価したところ、RRM2の発現が卵巣粘液性腫瘍の悪性化に伴って亢進していることが明らかになった。

2. Stage I/IIの粘液性腺癌に比べてStage III/IVの粘液性腺癌の方がRRM2を高発現していたことから、RRM2発現が粘液性腺癌のmalignant behaviorの指標になりうると考えられた。

3. 卵巣粘液性腺癌細胞株を用いた実験により、RRM2発現が粘液性腺癌の増殖を促進していることが示唆された。この結果から、RRM2の発現を抑制する薬剤が卵巣粘液性腺癌に対する新しい治療オプションになりうると考えられた。

4. 卵巣粘液性腺癌細胞株を用いた実験の結果から、RRM2発現が卵巣粘液性腺癌のcisplatin抵抗性に寄与している可能性が示された。

以上、本論文は卵巣癌の重要な組織型である明細胞腺癌、漿液性腺癌、粘液性腺癌の成因、及び病理の解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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