学位論文要旨



No 125932
著者(漢字) 佐々木,弘喜
著者(英字)
著者(カナ) ササキ,ヒロキ
標題(和) 常用量アルコール摂取が健常者脳形態および脳内拡散能に与える影響に関する検討
標題(洋)
報告番号 125932
報告番号 甲25932
学位授与日 2010.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第3411号
研究科 医学系研究科
専攻 生体物理医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 水口,雅
 東京大学 教授 山岨,達也
 東京大学 准教授 百瀬,敏光
 東京大学 准教授 林,直人
 東京大学 講師 國松,聡
内容要旨 要旨を表示する

要旨

背景:長期的なアルコール多飲がアルコール関連脳障害を惹起することに疑問の余地はない。これまでにも多くの先行論文で、アルコール中毒患者や大酒家におけるアルコール摂取に関連した全脳体積や局所脳体積の減少や脳内拡散能の異常が報告されている。一方で、常用量(少量~中等量)アルコール摂取が脳容積や脳内拡散能に与える影響は良く知られていない。

検討1

目的:MRIの構造画像および拡散テンソル画像を用いて、日本人健常者を対象として、生涯アルコール蓄積量と相関する全脳・局所脳の白質・灰白質容積の変化および局所脳内拡散能の変化を検索し、常用量アルコール摂取に関連した脳容積および脳内拡散能の変化の機序・性差を検討する。

方法:211人(男性114人, 女性97人)の日本人健常ボランティアを対象として、自己回答式の質問紙より得られた情報から、生涯アルコール蓄積量(life time alcohol consumption: LAC)を算出した。全対象に対し、高分解能3次元MRI画像および拡散テンソル画像を撮像した。SPM(Statistical Parametric Mapping) 5を用いて形態画像を空間的標準化・分画化・平滑化した。拡散テンソル画像の撮像データを基にfractional anisotropy(FA) mapおよびmean diffusivity(MD) mapを作成し、SPM 5を用いて空間的標準化・平滑化した。各々の灰白質容積と白質容積を各々の総頭蓋内容積で標準化し、灰白質分画(gray matter fraction: GMF)および白質分画(white matter fraction: WMF)とした。GMFおよびWMFとLACについて年齢を考慮した偏相関係数を算出した。LACに相関した局所灰白質容積(regional gray matter volume: rGMV)および局所白質容積(regional gray matter volume: rWMV)の変化を検索するため、年齢および頭蓋内容量を共変量としてrGMVまたはrWMVとLACについて多変量解析を施行した。LACに相関した局所の微細構造異常を検出するため、年齢を共変量として脳内局所のFA値またはMD値とLACについて多変量解析を施行した。

結果:対象の年齢の範囲は21-72歳(男性対象, 21-72歳; 女性対象, 22-71歳)で、平均値は37.4±13.5歳(男性対象,21-72歳; 女性対象, 22-71歳)であった。LACの範囲は0-1551 Kg(男性対象, 0-1551 Kg; 女性対象, 0-397 Kg)で、平均値は91.7±187.1 Kg(男性対象, 142.8±236.6 Kg; 女性対象, 32.2±61.3 Kg)であった。総頭蓋内容積の範囲は1204.4-1975.9 ml(男性対象, 1319.3-1975.9 ml; 女性対象, 1204.4-1634 ml)で、平均値は1504.5±151.3 ml(男性対象, 1595.8±129.6 ml; 女性対象, 1397.3±93.93 ml)であった。灰白質容積の範囲は491.6-892.9 ml(男性対象, 576.6-892.9 ml; 女性対象, 491.6-771.1 ml)で、平均値は682.3±72.0 ml(男性対象, 713.0±67.4 ml; 女性対象, 646.2±59.6 ml)であった。白質容積の範囲は334.0-663.4 ml(男性対象, 390.0-663.4 ml; 女性対象, 334.0-596.1 ml)で、平均値は490.8±59.2 ml(男性対象, 517.1±58.4 ml; 女性対象, 458.8±43.1 ml)であった。GMFの範囲は0.380-0.527 (男性対象, 0.380-0.523; 女性対象, 0.382-0.527)で、平均値は0.454±0.031 (男性対象, 0.447±0.030; 女性対象, 0.462±0.031)であった。WMFの範囲は0.265-0.380(男性対象, 0.265-0.380; 女性対象, 0.277-0.380)で、平均値は0,326±0.021 (男性対象, 0.324±0.022; 女性対象, 0.329±0.020)であった。関連のない2群間のt-検定では、年齢およびWMFに性差を認めなかったが、他の項目では有意な性差が認められた(p<0.05)。

全脳容積解析では、年齢を考慮したとき、男女ともにGMF, WMFとLACとの有意な相関は認められなかった(両側検定でp>0.05)。

SPMを用いた解析では、男女いずれの対象においてもLACに相関した全脳・局所脳容積の変化は認められなかった。LACに相関したMD値の上昇が女性対象の右扁桃体のみで認められた(p<0.05, false discovery rate (FDR) corrected)が、同部でのFA値の有意な変化は認められなかった。

両側扁桃体の関心領域(region of interest: ROI)を作成し、ROI内のMD値とLACおよび年齢の関係をより詳細に評価した。男性対照群では右扁桃体のMD値とLACの相関係数は0.0035 (p=0.97), 左扁桃体のMD値とLACの相関係数は0.014 (p=0.88), 右扁桃体のMD値と年齢の相関係数は0.25 (p=0.0077), 左扁桃体のMD値と年齢の相関係数は0.23 (p=0.014)であった。一方、女性対照群では右扁桃体のMD値とLACの相関係数は0.39 (p<0.0001), 左扁桃体のMD値とLACの相関係数は0.026 (p=0.80), 右扁桃体のMD値と年齢の相関係数は0.29 (p=0.0039), 左扁桃体のMD値と年齢の相関係数は0.17 (p=0.083)であった。

検討2

目的:扁桃体の構造異常がアルコール摂取の増量に関連すると仮定し、先天要素のみで説明可能であるか、あるいは後天要素の関与があるかについて推測する。あわせて、最近のアルコール蓄積量や生涯アルコール蓄積量の各年平均と脳容積・脳内拡散能の相関を検討する。

方法:質問紙の情報から、各年アルコール蓄積量(LAC per duration: LAC/d)および最近1年間のアルコール蓄積量(recent one year alcohol consumption: R1YAC)を算出した。上記検討1.の結果を受け、アルコール蓄積量の増加と扁桃体での拡散能異常に関連があると仮定し、SPM 5を用いてLAC/d, R1YACの増加と相関する扁桃体の拡散能異常の有無を検討した。また、脳容積との相関についても、検討1.と同手法を用いて検討した。

結果:LAC/dの範囲は0-33.715 Kg/year (男性対象, 0-33.715 Kg/year; 女性対象, 0-13.938 Kg/year)で、平均値は4.932±5.635 Kg/year(男性対象, 6.017±6.772 Kg/year; 女性対象, 2.072±2.506 Kg/year)であった。R1YACの範囲は0-54.9 Kg (男性対象, 0-54.9 Kg; 女性対象, 0-18.9 Kg)で、平均値は5.201±7.652 Kg (男性対象, 7.280±9.329 Kg; 女性対象, 2.757±3.803 Kg)であった。LAC/d, R1YAC共に有意な男女差が認められた(p<0.05)。

全脳容積解析では、年齢を考慮したとき、男女ともにGMF, WMFとLAC/dおよびR1YACとの有意な相関は認められなかった(両側検定でp>0.05)。

SPM解析ではLAC/d, R1YACの両者に関連した局所・全脳の容積変化は認められなかった。脳内拡散能については、女性対象で右扁桃体にR1YACのみに関連したMD値の上昇が認められた(p<0.05, FDR corrected)。

ROIを用いた解析では、右扁桃体ROIの平均MD値とR1ACの相関係数は0.33 (p = 0.0011), 左扁桃体ROIの平均MD値とR1YACの相関係数は0.035 (p = 0.74), 右扁桃体ROIの平均MD値と年齢の相関係数は0.29 (p = 0.0037), 左扁桃体ROIの平均MD値と年齢の相関係数は0.18 (p = 0.084)であった。

考察:今回の検討では、先行研究に示される加齢に伴う脳容積・脳内拡散能の変化は検出されず、共変量に年齢を入れることで、解析結果からは加齢に伴う変化を良く排除できていると考えられる。

我々の知る限り、常用量アルコール摂取者を対象とし、局所脳容積と同時に局所脳内拡散能の異常を同時にボクセルレベルで検討した先行研究はない。今回の検討では、男女いずれの対象でもアルコール蓄積に関連した脳容積の変化は認められなかった。今回結果は中等量アルコール摂取対象を検討した大半の先行研究に一致するが、日本人男性を対象としたTakiらの報告には矛盾するようにも見える。この乖離は今回の対象がより若年でLACも約1/3程度に少ないことによると思われる。このことは、アルコールに関連する脳萎縮が用量依存的であることを示唆する数々の先行文献に矛盾しない。

また、先行研究からは、右大脳半球がアルコール性脳障害に対し、より脆弱である可能性が示唆されているが、今回の検討結果はこれを支持する。

扁桃体は情動のコントロールを司っており、自己防衛に必須の危険認知の中枢であるといわれている。functional MRI(fMRI)を用いた先行研究では、表情刺激で左側よりも右側の扁桃体でより強い反応が認められたと報告されている。さらに、動物モデルやヒトを対象とした様々な研究からは扁桃体が脳のstress and reward systemに重要な役割を果たしていることも示唆されている。扁桃体の微細な障害は危険回避の障害およびstress and reward systemの障害を介して、アルコール摂取の増大に寄与しうる。

アルコール中毒者を対象とした、いくつかの先行研究では女性が男性よりもよりアルコール性脳障害により脆弱であることが示唆されており、今回の検討結果はこれを支持する。

今回、女性対象の右扁桃体でより高いLACに有意に関連してMD値の上昇が認められたが、FA値の有意な低下は認められなかった。仮に常用量アルコール摂取に関連して局所の水拡散を阻害する大分子量蛋白の減少が起きると仮定すると今回の結果は説明可能である。一部、先行研究ではアルコール中毒において扁桃体での大分子蛋白(セロトニントランスポーターの一種)の減少が示されているが、アルコール性脳障害の分子学的な変化は未だ明らかでなく、この変化も未だ定説ではない。

本研究の限界として、一つには、アルコール摂取量を質問紙法で得た情報から算出されている点が挙げられる。しかしながら、比較的詳細な質問紙を用いた情報収集により、実現可能な最大限の信頼性が得られていると考えている。

一方、アルコール依存症には遺伝的な素因も示唆されている。家族歴のあるハイリスク群を対象とした先行研究では、アルコール摂取歴がないにも関わらず、ハイリスク群では両側扁桃体の容積が小さいことが示されている。また、他のfMRIを用いた先行研究では、同様なハイリスク群における両側扁桃体の機能低下が示されている。すなわち、本研究のもう一つの限界としては、対象の家族歴が聴取できていないことが挙げられる。より高いLACと右扁桃体でのMD値上昇の関係は、アルコール摂取の結果ではなく、元来ハイリスク群が持つ微細な構造異常が結果に影響している可能性は残る。しかしながら検討2.では、LAC/dに相関するMD値の変化は認められず、R1YACに相関するMD値の上昇が認められた。すなわち、女性対象でより強い扁桃体の微細構造異常を持つ対象が、必ずしも飲酒期間を通じてアルコール摂取量が多いわけではないことが示されている。一方で、最近1年間でのアルコール摂取量および生涯アルコール蓄積量の増量と相関して有意なMD値の上昇が認められたことからは、扁桃体の微細構造異常とアルコール摂取行動の関連が示唆される。すなわち、アルコール摂取の増大には先天素因の関与も示唆されるものの、アルコール摂取などの後天素因の寄与している可能性も示唆される。

アルコール性脳障害の機序は、未だ明らかでない。今後、拡散強調画像を用いて大量飲酒家を含む健常者の脳内微細構造異常を探ることにより、アルコール性脳障害の標的部位が解明できる可能性がある。また、縦断的な検討を加えることで、アルコール摂取に関連する脳内微細構造異常の広がり方の解明にもつながりうる。しかしながら、脳内拡散能異常の程度は軽微で視覚的評価には適さず、統計学的画像解析法の適応が必須であると考えられる。

結論:今回の検討結果からは、アルコール性脳障害に女性がより感受性が高いこと、および、扁桃体(特に右側)の微細な異常がアルコール摂取量の増大に関連することが示唆される。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は日本人健常者における常用量アルコール摂取が脳に与える影響を検討するため、211人(男性: 114人, 女性: 97人)の日本人健常ボランティアを対象としてアルコール蓄積と脳形態, 脳内拡散能の関係をMRIの形態画像(高分解能3次元MRI), 拡散強調画像(diffusion tensor image(DTI))についての統計学的な画像処理法(SPM 5)を用いて解析したものである。質問紙により得られた情報から、各対象の生涯アルコール蓄積量, 各年のアルコール蓄積量, 最近1年間のアルコール蓄積量を算出している。また、各対象のMRI撮像データを空間的に標準化し、全脳容積, 局所脳容積, 局所脳内拡散能(局所のfractional anisotropy(FA)値, mean diffusivity(MD)値)を算出し、各々と上記3種のアルコール蓄積量との相関を検討し下記の結果を得ている。

1. 男女いずれの対象においても、今回用いた3種のアルコール蓄積量と有意に相関する全脳・局所脳の容積変化は認められなかった。

2. 男性対象では3種のアルコール蓄積量と有意に相関する脳内拡散能の変化を認められなかった。

3. 女性対象では生涯アルコール蓄積量および最近1年間のアルコール蓄積量に相関して右扁桃体でMD値の上昇が認められた。各年のアルコール蓄積量と相関するMD値の変化は認められなかった。

4. 女性対象では3種のアルコール蓄積量と有意に相関する脳内のFA値の変化は認められなかった。

以上、本論文は日本人の健常女性において生涯アルコール蓄積量および最近1年間のアルコール蓄積量に相関した右扁桃体のMD値の上昇を示した。種々の先行研究の結果を加味すると先天素因の関与が大きいと思われるが、アルコール摂取と扁桃体の微細構造異常の関与が示唆される。本研究はこれまで明らかでなかった日本人social drinkerのアルコール蓄積量と脳形態・脳内拡散能の変化を検討しており、今後のアルコール関連脳障害の機序解明に貢献を成すと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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