学位論文要旨



No 125935
著者(漢字) 繁田,悦宏
著者(英字)
著者(カナ) シゲタ,ヨシヒロ
標題(和) 近交系マウス10系統におけるミューオピオイド受容体遺伝子の5'フランキング領域と3'非翻訳領域での塩基配列差異とモルヒネによる鎮痛効果との関連
標題(洋)
報告番号 125935
報告番号 甲25935
学位授与日 2010.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第3414号
研究科 医学系研究科
専攻 脳神経医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 辻,省次
 東京大学 教授 水口,雅
 東京大学 准教授 尾藤,晴彦
 東京大学 准教授 武井,陽介
 東京大学 准教授 鎮西,美栄子
内容要旨 要旨を表示する

1. 要約

1.1. 目的

オピオイド感受性の個人差の生じるメカニズムを解明することは、個々の患者にモルヒネなどオピオイド類の最適な投与量の調整や副作用を最小限に抑えたテーラーメイド疼痛緩和治療法の確立に重要である。また、オピオイド感受性の個人差には遺伝子的要因が含まれていることが仮説となっている。近交系マウスは、それぞれの系統間では遺伝子的に異なるが、同一の系統内では、遺伝子の塩基配列が一致しているとされる。そのため、「オピオイド感受性の近交系マウス系統差」は「オピオイド感受性のヒト個人差」のモデルと考えられ、オピオイド感受性の個人差を引き起こす遺伝子メカニズムを解明する上で有用である。そこで本研究では、「オピオイド感受性個人差を引き起こす分子メカニズム」を明らかにすること、及び、「野生由来の近交系マウスを用いてヒトのオピオイド感受性個人差の動物モデルを構築する」ことを目的とした。

1.2. 方法

本研究では、遺伝的に多様で広範囲から収集された野生由来マウス系統を含む 10 系統の近交系マウス群 (Mishima battery of inbred mouse strains) における、マウスのミューオピオイド受容体遺伝子 (Oprm1) の 5' フランキング領域とエキソンの全領域に関して、塩基配列差異をシークエンスにより決定した。また、 dendrogram を作成し、 DNA 配列データの分子進化・系統学的解析を行った。さらに、 Mishima battery of inbred mouse strains において、モルヒネ感受性の系統差を解析した。 Open-field test により移所運動量を測定し、 Hot-plate test, Tail-flick test により痛覚感受性を測定して、近交系マウスの行動薬理解析を行った。さらに、各系統のマウスの whole brain における Oprm1 の主要な転写産物 (MOR-1 mRNA) の発現量を測定した。その上で、各マウス系統群のモルヒネ感受性と Oprm1 の塩基配列差異 (遺伝子多型) と各系統のマウスの whole brain における MOR-1 の発現量との間で相関解析を行った。

1.3. 結果

野生由来近交系マウスを含む近交系マウス 10 系統のマウス Oprm1 の配列解析を行ったが、アミノ酸置換を引き起こすヌクレオチドの相違は、本研究で分析したマウス系統の Oprm1 には見つからなかった。しかし、 Oprm1 の 5' フランキング領域と 3' 非翻訳領域 (UTR) に、 4 ヵ所の変異の高い領域が存在し、系統間における塩基配列差異 (遺伝子多型) が多数存在した。これらの塩基配列差異の高い 4 ヵ所の領域には、 5 つの新しい Short Tandem Repeat (STR) である GA repeat, T repeat, TA repeat, CA repeat, CT repeat が含まれていた。 Mus musculus domesticus では、 repeat 数や 3' UTR における塩基配列の差異は小さく、特に、 PGN 系統では、 3' UTR の塩基配列は B6 系統と完全に一致していた。 Mus musculus musculus においても、塩基配列の差異が小さいなど、 Oprm1 の塩基配列は亜種内で類似し、 dendrogram を用いて、亜種がさらに 4 つに分類された。

一方、移所運動量と鎮痛に対するモルヒネ感受性は、マウス系統ごとに非常に多様であったが、亜種内ではモルヒネ感受性が類似しており、亜種間差を認めた。 Tail-flick test における %MPE は、 GA repeat 数多型との間に負の相関が認められ、 T repeat 数多型と TA repeat 数多型と 3' Others (3' UTR に存在した Region 2-4 以外の領域におけるヌクレオチド差異の合計数) との間にはそれぞれ正の相関が認められた。しかし、各多型とモルヒネ感受性との相関解析の結果では、モルヒネ感受性との有意な相関関係を認めたが、 Bonferroni 補正を行うと、有意ではなかった。また、行動解析の結果と各多型と各マウス系統の whole brain における MOR-1 発現量との間に相関関係は認められなかった。

GA-T haplotype では、 SL type (GA repeat 数が少なく T repeat 数が多いタイプ) のマウス系統の方が、 LS type (GA repeat 数が多く T repeat 数が少ないタイプ) のマウス系統より、モルヒネによる鎮痛効果が有意に高かった。また、 GA-3' Others haplotype においては、 SM type (GA repeat 数が少なく 3' Others の塩基配列差異が多いタイプ) のマウス系統の方が、 LF type (GA repeat 数が多く 3' Others の塩基配列差異が少ないタイプ) のマウス系統より、モルヒネによる鎮痛効果が有意に高かった。 T-3' Others haplotype では、 LM type (T repeat 数が多く 3' Others の塩基配列差異が多いタイプ) のマウス系統の方が、 SF type (TA repeat 数が少なく 3' Others の塩基配列差異が少ないタイプ) のマウス系統より、モルヒネによる鎮痛効果が有意に高かった。 TA-3' Others haplotype では、 LM type (TA repeat 数が多く 3' Others の塩基配列差異が多いタイプ) および SM type (TA repeat 数が少なく 3' Others の塩基配列差異が多いタイプ) のマウス系統の方が、 SF type (T repeat 数が少なく 3' Others の塩基配列差異が少ないタイプ) のマウス系統よりモルヒネによる鎮痛効果が有意に高かった。

1.4. 考察

GA repeat 数多型の周囲には、転写因子となるシス作用エレメントが幾つか見つかったが、その中に抑制性の転写因子は認められなかった。 GA repeat 数多型が、 insulator 蛋白質をリクルートして転写を抑制することが報告されていることから、 GA repeat 数多型が insulator 蛋白質などをリクルートすることにより、転写を抑制している可能性が考えられる。 3' UTR は、 mRNA の細胞内局在、安定性などに関与することが知られ、 T repeat 数多型, TA repeat 数多型, 3' Others の周囲には AU-rich elements (AREs) と呼ばれる、 mRNA の安定性に関与する蛋白質結合領域が存在することから、 T repeat数多型, TA repeat数多型, 3' Others は、この AREs に影響を及ぼすことで mRNA の安定化に寄与している可能性が考えられる。

ただし、本研究では、 Tail-flick test における %MPE と GA repeat 数多型, T repeat 数多型, TA repeat 数多型, 3' Others の間に相関関係を示したのみである。また、 Bonferroni 補正を行うと有意ではなかったため、 Tail-flick test における %MPE がこれらの多型と関連のある可能性に関して、確定的な結論付けを行わなかった。

一般的に、 repeat 数多型や塩基配列差異は、 mRNA の発現量に影響を与えることがあるので、本研究においても因果関係が推察された。このため、本研究で発見された repeat 数多型, 3' Others とモルヒネによる鎮痛効果の因果関係を示すための 1 つの方法として、各系統のマウスの whole brain における MOR-1 mRNA の発現量との関連を調べたが関連が認められなかった。この理由として、 MOR-1 の発現量を whole brain で測定しているためモルヒネによる鎮痛効果に関与しない mRNA も含めて測定したこと、脳・脊髄の部位による MOR-1 発現量の差があること、もともと MOR-1 の発現量が少ないために正確な定量が困難であること、 3' UTR における差異が翻訳にも影響を与えている可能性があることに加え、行動解析の結果は Oprm1 以外の他の遺伝子や蛋白質の影響も受けている可能性がある。今後、 Oprm1 の STR 多型, 3' Others と行動解析の結果との因果関係を証明するために、部位特異的に MOR-1 の発現量を測定すること、 Oprm1 以外の遺伝子についてその多型や蛋白質などの影響を Biological な方法で解析を行うこと、あるいは、コンジェニックマウスを用いた QTL (Quantitative Trait Locus) 解析などの Genetics な方法を用いて研究を進める必要があると考えられる。

これまでの近交系マウスの系統差の報告は、ほとんどが Mus musculus domesticus に属する実験用マウス系統しか用いられていないが、本研究で用いた Mishima battery of inbred mouse strains には、 Mus musculus musculus に属するマウス系統も含まれていたことから、オピオイド感受性の亜種間差が初めて見出された。 Mishima battery of inbred mouse strains は、オピオイド感受性だけでなく、様々な薬物感受性や疾患脆弱性の個人差を引き起こす分子メカニズムを明らかにする上でモデルになると考えられた。

さらに、ヒト OPRM1 には多数の一塩基多型 (single nucleotide polymorphisms; SNPs) が見出され、幾つかの SNPs は受容体機能に影響を与えることや、オピオイド依存脆弱性や鎮痛作用と関連することが報告されているが、 repeat 数多型が関連するとの報告はない。ヒト OPRM1 はマウス Oprm1 と高い相同性を有し、 3' UTR などに repeat 配列が存在することから、本研究結果は、ヒト OPRM1 の repeat 数多型解析が必要となる可能性も示唆することになった。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は、野生由来近交系マウスを含む近交系マウス 10 系統 (Mishima battery of inbred mouse strains) を用いて、マウス Oprm1 の一塩基多型 (SNP) や Short Tandem Repeat (STR) のような多型が、モルヒネ感受性の系統差に寄与する可能性を示し、「オピオイド感受性個人差を引き起こす分子メカニズム」を明らかにすること、及び、「野生由来の近交系マウスを用いて、ヒトのオピオイド感受性個人差の動物モデルを構築する」ことを目的としてなされたものであり、下記の結果及び示唆を得ている。

1. 野生由来近交系マウスを含む近交系マウス 10 系統のマウス Oprm1 の配列解析及び、 dendrogram を作成し、DNA 配列データの分子進化・系統学的解析を行い、系統間における塩基配列差異 (遺伝子多型) が多数存在することが示された。

2. これらの塩基配列差異のうち、 5' フランキング領域と 3' UTR に 4 ヵ所の塩基配列差異の特に著しい領域を認め、同領域に 5 つの新しい repeat 数多型 (GA repeat, T repeat, TA repeat, CA repeat, CT repeat) が存在することが示された。

3. Mus musculus domesticus では、 repeat 数や 3' UTR における塩基配列の差異は小さく、特に、 PGN 系統では、 3' UTR の塩基配列は B6 系統と完全に一致していることが示された。 Mus musculus musculus においても、塩基配列の差異が小さいなど、 Oprm1 の塩基配列は亜種内で類似していることが示された。

4. 野生由来近交系マウスの系統間において、モルヒネ感受性は、マウス系統ごとに非常に多様であることが示された。これまでに、海外の研究グループにより近交系マウスの系統差が報告されているが、ほとんどのグループが Mus musculus domesticus に属する実験用マウス系統しか用いていない。本研究で用いた Mishima battery of inbred mouse strains には、 Mus musculus musculus に属するマウス系統も含まれていたことから、オピオイド感受性の亜種間差が初めて見出された。

5. 5' フランキング領域に存在した GA repeat 数多型は、オピオイド感受性と負の相関関係を認めた。この周囲には、転写因子となるシス作用エレメントが幾つか見つかったが、その中に抑制性の転写因子は認めなかった。 GA repeat が insulator 蛋白質をリクルートして転写を抑制することが報告されていることから、 GA repeat 数多型が insulator 蛋白質などをリクルートすることにより、転写を抑制している可能性が示された。

6. GA-T haplotype では、 SL type (GA repeat 数が少なく T repeat 数が多いタイプ) のマウス系統の方が、 LS type (GA repeat 数が多く T repeat 数が少ないタイプ) のマウス系統より、モルヒネによる鎮痛効果が有意に高いことが示された。また、 GA-3' Others haplotype においては、 SM type (GA repeat 数が少なく 3' Others の塩基配列差異が多いタイプ) のマウス系統の方が、 LF type (GA repeat 数が多く 3' Others の塩基配列差異が少ないタイプ) のマウス系統より、モルヒネによる鎮痛効果が有意に高かった。 T-3' Others haplotype では、 LM type (T repeat 数が多く 3' Others の塩基配列差異が多いタイプ) のマウス系統の方が、 SF type (T repeat 数が少なく 3' Others の塩基配列差異が少ないタイプ) のマウス系統より、モルヒネによる鎮痛効果が有意に高かった。 TA-3' Others haplotype では、 LM type (TA repeat 数が多く 3' Others の塩基配列差異が多いタイプ) および SM type (TA repeat 数が少なく 3' Others の塩基配列差異が多いタイプ) のマウス系統の方が、 SF type (TA repeat 数が少なく 3' Others の塩基配列差異が少ないタイプ) のマウス系統よりモルヒネによる鎮痛効果が有意に高かった。

7. 3' UTR に存在する T repeat数多型, TA repeat数多型, 3' Others はオピオイド感受性と正の相関関係を認めた。 3' UTR は、 mRNA の細胞内局在、安定性などに関与することが知られ、 T repeat 数多型, TA repeat 数多型, 3' Others の周囲には AU-rich elements (AREs) と呼ばれる、 mRNA の安定性に関与する蛋白質結合領域が存在することから、 T repeat 数多型, TA repeat 数多型は、この AREs に影響を及ぼすことで mRNA の安定化に寄与している可能性が示された。

8. 本研究では、 Tail-flick test における %MPE と GA repeat 数多型, T repeat 数多型, TA repeat 数多型の間に相関関係を示した。一般的に、 repeat 数多型や塩基配列差異は、 mRNA の発現量に影響を与えることがあるので、本研究においても因果関係が推察された。このため、本研究で発見された repeat 数多型, 3' Others とモルヒネによる鎮痛効果の因果関係を示すための 1 つの方法として、各系統のマウスの whole brain における MOR-1 mRNA の発現量との関連を調べたが関連が認められなかった。この理由として、 MOR-1 の発現量を whole brain で測定しているためモルヒネによる鎮痛効果に関与しない mRNA も含めて測定したこと、脳・脊髄の部位による MOR-1 発現量の差があること、もともと MOR-1 の発現量が少ないために正確な定量が困難であること、 3' UTR における差異が翻訳にも影響を与えている可能性があることに加え、行動解析の結果は Oprm1 以外の他の遺伝子や蛋白質の影響も受けている可能性も考えられた。今後、 Oprm1 の STR 多型, 3' Others と行動解析の結果との因果関係を証明するために、部位特異的に MOR-1 の発現量を測定すること、 Oprm1 以外の遺伝子についてその多型や蛋白質などの影響を Biological な方法で解析を行うこと、あるいは、コンジェニックマウスを用いた QTL (Quantitative Trait Locus) 解析などの Genetics な方法を用いて研究を進める必要があることが示された。

9. ヒト OPRM1 には多数の一塩基多型 (single nucleotide polymorphisms; SNPs) が見出され、幾つかの SNPs は受容体機能に影響を与えることや、オピオイド依存脆弱性や鎮痛作用と関連することが報告されているが、 repeat 数多型が関連するとの報告はない。ヒト OPRM1 はマウス Oprm1 と高い相同性を有し、 3' UTR などに repeat 配列が存在することから、本研究結果は、ヒト OPRM1 の repeat 数多型解析が必要となる可能性も示唆することになった。

10. このため、 Mishima battery of inbred mouse strains は、オピオイド感受性だけでなく、様々な薬物感受性や疾患脆弱性の個人差を引き起こす分子メカニズムを明らかにする上でモデルになると考えられる。

以上、本論文は、野生由来の近交系マウスを含む Mishima battery of inbred mouse strains を用いた解析から、マウス Oprm1の遺伝子多型とモルヒネ感受性が関連のある可能性を示唆した。本研究はこれまで未知に等しかった、オピオイド感受性個人差を引き起こす分子メカニズムの解明、及び、ヒトのオピオイド感受性個人差の動物モデルの構築に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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