学位論文要旨



No 125938
著者(漢字) 菅谷,佑樹
著者(英字)
著者(カナ) スガヤ,ユウキ
標題(和) てんかん焦点形成に伴う海馬歯状回顆料細胞新生の異常とそれに対する抗てんかん薬の効果の検討
標題(洋)
報告番号 125938
報告番号 甲25938
学位授与日 2010.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第3417号
研究科 医学系研究科
専攻 脳神経医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 斉藤,延人
 東京大学 教授 狩野,方伸
 東京大学 准教授 川合,謙介
 東京大学 准教授 坂井,克之
 東京大学 講師 山口,正洋
内容要旨 要旨を表示する

内側側頭葉てんかんでは、熱性けいれんや頭部外傷などの脳傷害の既往が認められることが多く、その後数か月から数年間の無発作期間を経て自発発作が出現する。したがって、脳傷害からてんかん発症までの無発作期間にてんかん焦点の形成を阻止しててんかん発症を予防できる可能性が示唆されている。このような、てんかん焦点の形成を阻止しててんかん発症を予防する作用は抗てんかん原性作用と呼ばれ、焦点形成後の発作間欠期から発作状態への移行を抑制する抗けいれん作用と区別される。現在、臨床的に用いられている抗てんかん薬はすべて抗けいれん作用に基づいててんかん発作を抑制している。脳傷害に続く側頭葉てんかんの発症を予防する抗てんかん原性薬の開発は、てんかん治療研究において急務の課題であると考える。

内側側頭葉てんかんの焦点形成過程において、熱性けいれんや頭部外傷などの脳傷害の後に海馬歯状回で異常な顆粒細胞新生が起きることが報告されている。通常、成体の新生神経細胞は海馬歯状回顆粒下層で分裂した後、顆粒細胞層に遊走する。しかしてんかん焦点形成過程では顆粒下層における細胞分裂が異常に増加し、新生した神経細胞が顆粒細胞層とは反対の歯状回門部に遊走する。この異常遊走を起こした新生顆粒細胞は異所性顆粒細胞と呼ばれている。てんかん動物モデルを用いた検討から、顆粒下層における神経細胞新生の異常な増加や異常な遊走を有糸分裂阻害薬によって阻止すると、無発作期間の後の自発発作の出現を抑制できることが報告されている。さらに、異所性顆粒細胞は自発性のてんかん様発射を起こしていることが報告されている。したがって、てんかん焦点形成過程における歯状回顆粒細胞新生の異常、とくに新生顆粒細胞の遊走異常はてんかん焦点の形成を促進する可能性が高いと考えられる。しかし、これらの海馬歯状回の神経新生の異常が焦点形成過程に伴ってどのような時間経過で変化するのかについては、現時点で明らかになっていない。本研究では発作重積状態(Status epilepticus: SE)により誘発される歯状回顆粒下層における細胞新生の増加や新生顆粒細胞の遊走異常がてんかん焦点形成過程にともなってどのように変化するかについて、ラットの内側側頭葉てんかんモデルを用いて電気生理学的および免疫組織学的に明らかにすることを目的とした。また、抗てんかん原性作用が期待される新規抗てんかん薬、レベチラセタムが異常な顆粒細胞新生を抑制して、てんかん焦点の形成を阻止しうるか否か電気生理学的、免疫組織学的に検討した。

実験にはラットのカイニン酸SEてんかんモデルを用いた。カイニン酸SEてんかんモデルにおいて、カイニン酸を脳室内投与すると急性にSEが引き起こされ、数週間の無発作期間を経ててんかん焦点を形成し、自発発作が出現する。電気生理学的研究では、カイニン酸SEによるてんかん焦点形成とそれに対するレベチラセタムの持続投与の効果を脳内電極による脳波記録によって検討した。レベチラセタムの持続脳室内投与は、SE24時間後から開始して無発作期間を含む25日間おこなった。レベチラセタムの抗けいれん作用による自発発作への影響を除外するため、投与中止後32日目に脳波上の自発発作の頻度を計測することで、レベチラセタムの抗てんかん原性作用を検討した。

組織学的研究では、カイニン酸SE後58日目の異所性顆粒細胞数の増加と、それに対するSE後25日間のレベチラセタム投与の効果を、顆粒細胞マーカーであるProx-1に対する免疫染色で検討した。また、異所性顆粒細胞の出現を引き起こす発作後新生神経細胞の分裂および異常遊走の経過と、それに対するレベチラセタムの持続投与の効果を、短期実験と長期実験に分けて、分裂細胞を標識するbromodeoxyuridine (BrdU) と幼若神経細胞のマーカーであるdoublecortin (DCX) の二重免疫染色を用いて検討した。組織学的研究においては、SEの有無×レベチラセタム投与の有無によって4群を設けた。SEを起こさない群ではカイニン酸の代わりに生理食塩水を脳室内投与した。

本研究結果では、SEを起こしたラットで、SE後58日目に行われた2時間の脳波記録において、自発発作脳波が頻回に認められた。したがって、カイニン酸SE後58日目では海馬歯状回においててんかん原性が獲得されていることが確認された。また、SEを起こした群では2匹のラットにおいて2時間の脳波記録中に行動発作が認められた。

SE後の25日間のレベチラセタム投与によって、SE後58日目の自発発作脳波の持続時間が有意に短縮した。SE後のレベチラセタム投与は、SE後58日目の脳波上の自発発作の回数と総発作時間も減らす傾向にあったが、レベチラセタム未投与群と比較して統計的に有意な差は認められなかった。SE後レベチラセタムを投与した群のラットでは2時間の脳波記録中に行動上の発作は認められなかった。

次に、SE後の焦点形成にともなって海馬歯状回門部に異常遊走した新生顆粒細胞の細胞数がどのように変化するかをProx-1に対する免疫染色を用いて検討した。その結果、カイニン酸SEによってSE後58日間に産生された異所性顆粒細胞の細胞数が有意に増加していた。また、SE後25日間のレベチラセタム投与がSE後の歯状回門部Prox-1陽性細胞の著しい増加を有意に抑制した。

海馬歯状回門部に異所性に遊走する新生顆粒細胞の増加は、海馬歯状回顆粒下層における細胞分裂の増加や、分裂した神経細胞の異常遊走が増加することによって引き起こされると考えられる。したがって、SE後13日目、14日目に短期実験群のラットに、52日目、53日目に長期実験群のラットにBrdUを投与し、それぞれBrdU最終投与の5日後にBrdUとDCXの二重免疫蛍光染色を行うことによって、歯状回における細胞分裂の程度と新生神経細胞の異常遊走の程度を検討した。短期実験群のラットの海馬歯状回顆粒下層において分裂した新生神経細胞数は、SEを起こしていないラットの新生神経細胞数と比較して有意に増加していた。また、これらのSE後の新生神経細胞の中で、歯状回門部へ異常遊走した新生神経細胞数もSEを起こしていないラットと比較して有意に増加した。すなわち、SE後13日目から19日目においては、歯状回顆粒下層での分裂も歯状回門部への異常遊走も共に有意に促進されていることが確認された。

カイニン酸SE後のレベチラセタム持続投与は、SE後13日目と14日目の細胞分裂の増加を有意に抑制した。また、SE後のレベチラセタムの投与が、SE後13日目と14日目で分裂した神経細胞の歯状回門部への異常遊走を有意に抑制した。

短期実験群のラットにおける顆粒細胞新生の異常と異なり、長期実験群のラットの海馬歯状回においては、歯状回顆粒下層における細胞分裂の増加は認められなかった。しかし、歯状回顆粒下層から門部に異常遊走する新生神経細胞はSE後52日目から58日目でも有意に増加していた。

SE後25日間のレベチラセタムの投与は、SE後52日目と53日目の歯状回顆粒下層の細胞分裂に影響を与えなかったが、新生神経細胞の門部への異常遊走を有意に抑制した。

本研究結果から、てんかん焦点形成にともなう海馬歯状回の新生顆粒細胞の異常遊走がSE後長期にわたって持続することが初めて明らかになった。また、新規の抗てんかん薬レベチラセタムがSE後のてんかん焦点形成を抑制し、さらに、てんかん焦点形成に伴う細胞分裂の異常な増加や新生細胞の異常な遊走を抑制することによって、異所性顆粒細胞の産生を抑制していることが初めて明らかになった。これらの結果は、異所性顆粒細胞がてんかん焦点形成に長期にわたって影響しうる可能性を示唆している。また、新規抗てんかん薬レベチラセタムが抗てんかん原性作用をもち、てんかん予防薬としての応用が期待できる抗てんかん薬であることが示唆される。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は、内側側頭葉てんかんの焦点形成を促進すると考えられている海馬歯状回顆粒細胞新生の異常がてんかん焦点形成にともなってどのような経過をたどり、また、抗てんかん薬レベチラセタムが海馬歯状回顆粒細胞新生の異常やてんかん焦点形成に対してどのような効果を発揮するのかをラットのカイニン酸モデルを用いて検討したものであり、下記の結果を得ている。

1. ラットにカイニン酸による発作重積状態を引き起こし、発作後58日目にてんかん焦点が形成されていることを無麻酔無拘束動物の脳波測定によって確認した。

2. カイニン酸による発作重積状態を引き起こした24時間後から25日間にわたりレベチラセタムの持続脳室内投与を行ったところ、発作後58日目、すなわちレベチラセタム投与終了後32日目における自発発作脳波の持続時間が有意に短縮されることが明らかとなった。

3. カイニン酸発作後急性期の13、14日目と発作後慢性期の52、53日目にBrdUにより分裂細胞を標識し、それぞれ発作後19日目と58日目にBrdUとdoublecortin (DCX) に対する抗体を用いて新生神経細胞を同定した。発作後急性期においては、海馬歯状回顆粒下層における神経前駆細胞の分裂と分裂後の新生顆粒細胞の異常遊走が共に対照群と比較して著しく増加していた。一方、発作後慢性期においては海馬歯状回顆粒下層における神経前駆細胞の細胞分裂はコントロール水準に回復していたが、新生神経細胞の異常な遊走は持続していた。

4. カイニン酸発作24時間後からレベチラセタムを持続投与したところ、発作後19日目の海馬歯状回顆粒下層における神経前駆細胞の分裂の増加と新生顆粒細胞の異常遊走が共に有意に抑制された。また、カイニン酸発作24時間後から25日間にわたってレベチラセタムを持続投与したところ、発作後58日目における細胞分裂に対しては影響を与えなかったが、新生顆粒細胞の異常遊走を有意に抑制した。

以上、本論文は発作重積状態後の焦点形成に伴う新生顆粒細胞の異常遊走が長期にわたって続いていることを明らかにした。また、脳傷害後に抗てんかん薬レベチラセタムを25日間投与することで、長期にわたって新生顆粒細胞の異常遊走や、てんかん焦点形成を抑制しうることが明らかとなった。本研究はいまだ発見されていないてんかん予防治療の開発に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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