学位論文要旨



No 125939
著者(漢字) 菅原,健之
著者(英字)
著者(カナ) スガワラ,タケユキ
標題(和) 小脳プルキンエ細胞樹状突起スパイン形態形成に果たす1型IP3受容体の役割の解明
標題(洋)
報告番号 125939
報告番号 甲25939
学位授与日 2010.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第3418号
研究科 医学系研究科
専攻 脳神経医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 廣瀬,謙造
 東京大学 教授 岩倉,洋一郎
 東京大学 教授 吉田,進昭
 東京大学 特任教授 渡邊,すみ子
 東京大学 准教授 尾藤,晴彦
内容要旨 要旨を表示する

[序論]

イノシトール3リン酸受容体 (IP3R) は細胞外の刺激に応じて産生されるIP3をリガンドとするCa2+チャネルである。小胞体膜上に局在するIP3Rは、細胞外の刺激に応じて小胞体からCa2+を放出し細胞内Ca2+濃度を制御している。IP3Rには3つのサブタイプが同定されており、1型IP3R (IP3R1) は中枢神経系の神経細胞に広く分布しており、特に小脳プルキンエ細胞に豊富に存在する。これまでに、IP3R1ノックアウトマウスがてんかん様発作や小脳失調を示すことや、小脳における長期抑圧現象が消失していること、プルキンエ細胞樹状突起の形態異常を示すことが報告されており、IP3R1が小脳の神経機能に重要な役割を果たしていることが分かる。しかし、IP3R1ノックアウトマウスは生後20日前後で死亡してしまうことから、成熟後の脳においてIP3R1が果たす役割は明らかにされていない。また、IP3R1は小脳においてプルキンエ細胞以外に顆粒細胞などにも発現しており、IP3R1ノックアウトマウスで観察された異常がプルキンエ細胞以外の細胞のIP3R1欠損に起因することも考えられることから、プルキンエ細胞のIP3R1が小脳の生理機能に果たす役割についても明らかにされていない。

そこで本研究では、プルキンエ細胞特異的にIP3R1を欠損するマウスを用いて、プルキンエ細胞のIP3R1が果たす役割を明らかにすることを目的とした。

[結果]

1)プルキンエ細胞特異的IP3R1欠損 (IP3R1flox/flox; L7Cre) マウスの小脳失調症状

プルキンエ細胞のIP3R1が果たす生理的役割を明らかにするために、IP3R1タンパク質の翻訳開始メチオニンを含むエクソン3の両端にCre組換酵素の認識配列loxPを挿入したアレルをもつIP3R1floxマウスと、プルキンエ細胞特異的にCre組換酵素を発現するL7Creトランスジェニックマウスを交配することにより、プルキンエ細胞特異的IP3R1欠損 (IP3R1flox/flox; L7Cre) マウスを作成した。まず、ウェスタンブロット法及び免疫染色法を用いた解析により、IP3R1flox/flox; L7Creマウスではプルキンエ細胞特異的にIP3R1発現が消失していることが確認された。次に発達段階におけるIP3R1の発現について解析したところ、3週齢のIP3R1flox/flox; L7Creマウスでは、IP3R1の発現がほとんど減少していなかったが、6週齢以降になると大部分のプルキンエ細胞においてIP3R1の発現が消失することがわかった。

これまでに、全身でIP3R1が欠損するTotal IP3R1ノックアウトマウスがてんかん様発作と小脳失調を示すことが報告されているが、IP3R1flox/flox; L7Creマウスはてんかん様発作を示さず、重篤な小脳失調のみが観察された。この小脳失調はIP3R1の発現が消失する6週齢より観察され、週齢が進みIP3R1の発現が減少するにしたがって重篤化していった。このことから、プルキンエ細胞のIP3R1 は、成熟動物において小脳の生理機能である協調運動の制御に必須であることがはじめて明らかになった。

2) IP3R1flox/flox; L7Creマウスのプルキンエ細胞樹状突起スパインの形態形成異常

小脳失調を示すミュータントマウスでは、小脳の萎縮やプルキンエ細胞の脱落を伴うものが多く知られている。そこで、重篤な小脳失調を示すIP3R1flox/flox; L7Creマウスの小脳皮質の形態について解析を行った。その結果、IP3R1flox/flox; L7Creマウスでは小脳の萎縮やプルキンエ細胞の脱落は観察されなかった。次に、プルキンエ細胞のIP3R1欠損がプルキンエ細胞の形態に与える影響を検討するために、プルキンエ細胞をGolgi染色法により可視化した。その結果、10週齢のコントロールマウス (IP3R1flox/flox) のプルキンエ細胞は良く発達した樹状突起を形成しているのに対し、IP3R1flox/flox; L7Creマウスのプルキンエ細胞では、樹状突起の分岐が著しく減少していた。さらに、非常に興味深いことに10週齢のIP3R1flox/flox; L7Creマウスのプルキンエ細胞樹状突起スパインの密度がIP3R1flox/floxマウスに比べて2倍以上に増加していることを明らかにした (Fig. 1) 。一方、IP3R1がほとんど減少していない3週齢のマウスでは、IP3R1flox/floxマウスとIP3R1flox/flox; L7Creマウスのプルキンエ細胞樹状突起スパインの密度に有意な差は見られなかった。これらの結果から、プルキンエ細胞のIP3R1は樹状突起スパインの正常な密度を維持するのに働いていることが示唆された。

3) プルキンエ細胞の樹状突起スパイン形態形成制御へのCaMKII活性の影響

カルシウム/カルモジュリン依存性タンパク質リン酸化酵素 (CaMK) は、シナプスにおけるCa2+シグナルの重要なエフェクター分子である。海馬の神経細胞においてCaMKファミリーの一つであるCaMKIIが樹状突起スパインの形態形成の制御に重要な役割を果たしていることが知られている。一方プルキンエ細胞では、CaMKIIが樹状突起スパインの形態形成の制御に関わっているかは未だ不明である。そこで、CaMKIIの阻害剤であるKN-93を用いてCaMKII活性の阻害がプルキンエ細胞樹状突起スパインの形態形成に与える影響を小脳培養細胞レベルで検討した。その結果、KN-93処理によりプルキンエ細胞樹状突起スパインの密度がコントロールに比べて有意に減少することを明らかにした。また、形成されている突起の多くはフィロポディア様の細長い突起であった。これらの結果から、プルキンエ細胞においてもCaMKIIの活性が樹状突起スパインの形態形成の制御に重要な役割を果たしていることが示唆された。

4) IP3R1flox/flox; L7Creマウスのプルキンエ細胞におけるCaMKII活性の亢進

CaMKIIのサブタイプ (α、β、γ、δ) のうち、特にCaMKIIαは小脳においてプルキンエ細胞特異的に発現している。そこで、IP3R1flox/flox; L7Creプルキンエ細胞のCaMKIIαの活性化状態をT286の自己リン酸化レベルを指標として、小脳のlysateを用いたウェスタンブロット法により解析した。その結果、IP3R1flox/flox; L7Creマウスの小脳において、CaMKIIαの自己リン酸化レベルが有意に亢進していることを明らかにした。また、免疫組織染色による検討においても、IP3R1flox/flox; L7Creマウスのプルキンエ細胞では、CaMKIIの自己リン酸化シグナルが強くなっていることが確認された。さらに、このCaMKII活性の亢進を確認するために、プルキンエ細胞におけるCaMKIIの基質であるHomer3のリン酸化状態について検討したところ、IP3R1flox/flox; L7Creマウスのプルキンエ細胞樹状突起スパインにおいてHomer3のリン酸化レベルが上昇していることが明らかになった。以上の結果から、IP3R1flox/flox; L7Creマウスのプルキンエ細胞では、IP3R1欠損によりCaMKII活性が亢進しており、プルキンエ細胞においてIP3R1を介したシグナルがCaMKIIの活性を抑制性に制御する機構に関与していることが示唆された。

5) プルキンエ細胞におけるCaMKII活性の制御機構の解明

プルキンエ細胞におけるIP3R1を介したCaMKII活性の制御機構を明らかにするために、小脳培養細胞を用いた検討を行った。そのために、IP3-IP3R1シグナルの上流に位置し、グルタミン酸で活性化されるmGluR1の阻害剤であるMCPG存在下・非存在下でグルタミン酸刺激を行い、その後のCaMKIIの自己リン酸化レベルを解析した。まず、コントロールとして小脳培養細胞をグルタミン酸で刺激したところ、CaMKIIの自己リン酸化レベルの上昇が見られた。このCaMKIIの自己リン酸化レベルの上昇は、MCPG存在下でグルタミン酸刺激を行うことにより、さらに増強されることを明らかにした。このことから、プルキンエ細胞においてmGluR1-IP3-IP3R1シグナルが神経活動依存的なCaMKIIの活性を抑制的に制御していることが示唆された (Fig. 2) 。

[結論]

本研究において、プルキンエ細胞特異的IP3R1欠損マウスが重篤な小脳失調を示すこと及びプルキンエ細胞の樹状突起スパイン密度の増加を示すことを明らかにした。また、プルキンエ細胞の正常な樹状突起スパインの形態制御にCaMKIIの活性が重要な働きをすることを明らかにした。さらに、プルキンエ細胞においてIP3R1を介した細胞内シグナルがCaMKIIの活性を抑制性に制御する機構に関与していることを明らかにした。これらの結果から、IP3R1によるCaMKIIの活性制御がプルキンエ細胞樹状突起スパインの形態形成の制御に重要な役割を果たしていることが示唆された。

Fig.1IP3R1flox/flox; L7Creマウスプルキンエ細胞樹状突起スパイン密度の増加10週齢のIP3R1flox/flox及びIP3R1flox/flox;L7Creマウスのプルキンエ細胞樹状突起スパインの形態(スケールバー:10μm)

Fig.2プルキンエ細胞におけるIP3R1シグナルを介したCaMKII活性の抑制性制御の模式図

審査要旨 要旨を表示する

本研究は、中枢神経系に広く分布し、脳機能に重要な役割を果たしていると考えられる1型イノシトール3リン酸受容体 (Type1 inositol 1, 4, 5-trisphosphate receptor: IP3R1) の機能を明らかにするために、IP3R1が特に豊富に発現している小脳プルキンエ細胞特異的にIP3R1を欠損するマウスを作成、解析したものであり、以下の結果を得ている。

1. IP3R1タンパク質の翻訳開始メチオニンを含むエクソン3の両端にCre組換酵素の認識配列loxPを挿入したアレルをもつIP3R1floxマウスと、プルキンエ細胞特異的にCre組換酵素を発現するL7Creトランスジェニックマウスを交配することにより、目的のプルキンエ細胞特異的IP3R1欠損マウスを作成した。このマウスのIP3R1の発現について解析したところ、プルキンエ細胞特異的にIP3R1の発現が消失していることが確認できた。さらに、プルキンエ細胞特異的IP3R1欠損マウスの発達段階におけるIP3R1発現について検討したところ、6週齢以降に大部分のプルキンエ細胞でIP3R1の発現が消失することがわかった。

2. これまでに、全身でIP3R1を欠損するIP3R1ノックアウトマウスがてんかん様発作や小脳失調を示すことが報告されているが、プルキンエ細胞特異的IP3R1欠損マウスは、6週齢より小脳失調のみを示すことがわかった。IP3R1ノックアウトマウスが生後20日前後で死亡することから、成熟脳においてIP3R1が果たす生理的役割はこれまで明らかにされていなかったが、本研究により、プルキンエ細胞のIP3R1が成熟小脳において、協調運動の制御に必須な分子であることがはじめて明らかにされた。

3. プルキンエ細胞特異的IP3R1欠損マウスでは小脳の萎縮やプルキンエ細胞の脱落は観察されなかったが、プルキンエ細胞樹状突起形態に異常が観察され、樹状突起の分岐が著しく減少していることがわかった。さらに驚くべきことに、プルキンエ細胞の樹状突起スパイン密度がコントロールマウスに比べて2倍異常に増えていることが明らかになった。このことから、プルキンエ細胞のIP3R1がプルキンエ細胞樹状突起スパインの形態形成の制御に重要な働きをしていることが明らかになった。

4. カルシウム/カルモジュリン依存性タンパク質リン酸化酵素II (CaMKII) は、シナプスにおける重要なエフェクター分子であり、海馬の神経細胞では樹状突起スパインの形態形成制御に重要な分子であることが知られている。本研究では、小脳培養細胞をCaMKII阻害剤で処理することにより、プルキンエ細胞の樹状突起スパイン密度が減少することを示した。このことから、プルキンエ細胞においてもCaMKIIを介した樹状突起スパインの形態形成制御機構が存在することが示唆された。

5. プルキンエ細胞特異的IP3R1欠損マウスのプルキンエ細胞におけるCaMKIIの活性状態について、CaMKIIのT286/287残基の自己リン酸化を指標として解析を行った。その結果、プルキンエ細胞特異的IP3R1ノックアウトマウスのプルキンエ細胞ではカルシウムチャネルであるIP3R1が欠損しているにもかかわらず、予想に反してCaMKIIの自己リン酸化レベルが亢進していることを明らかにした。さらに、プルキンエ細胞におけるCaMKIIの基質であるHomer3タンパク質のリン酸化レベルがプルキンエ細胞特異的IP3R1ノックアウトマウスのプルキンエ細胞樹状突起スパインにおいて上昇していることを明らかにした。これらの結果から、プルキンエ細胞ではIP3R1を介したシグナルがCaMKII活性を抑制的に制御する機構に関与していることが示唆された。

6. 小脳培養細胞を用いた検討により、1型代謝型グルタミン酸受容体 (mGluR1) -IP3-IP3R1シグナルが神経活動依存的なCaMKIIの活性化に対して抑制的に働くことを示した。

以上、本論文はプルキンエ細胞のIP3R1が小脳の生理機能である協調運動の制御に必須であること、また、プルキンエ細胞樹状突起スパインの形態形成制御に重要な役割を果たしていることを明らかにした。さらに、IP3R1を介したシグナルがCaMKII活性の抑制性制御に関与していることを示し、IP3R1がCaMKII活性の制御を介してプルキンエ細胞樹状突起スパインの形態形成の制御に働いているという全く新しい機構が存在する可能性を示した。本研究は、今後の脳研究の発展に貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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