学位論文要旨



No 125941
著者(漢字) 滝沢,龍
著者(英字)
著者(カナ) タキザワ,リュウ
標題(和) 近赤外線スペクトロスコピィを用いた統合失調症の前頭前皮質機能異常と生活機能障害との関連についての研究
標題(洋)
報告番号 125941
報告番号 甲25941
学位授与日 2010.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第3420号
研究科 医学系研究科
専攻 脳神経医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 辻,省次
 東京大学 准教授 坂井,克之
 東京大学 教授 佐々木,司
 東京大学 准教授 上別府,圭子
 東京大学 教授 大友,邦
内容要旨 要旨を表示する

【はじめに】

統合失調症の脳画像研究は、高次認知機能の関与する前頭前皮質の機能障害の存在を明らかにしてきた(Callicot et al., 2000; Curtis et al., 1998)。最近の神経科学の進歩で、前頭前皮質の機能分化が明らかになってきた(Daw et al., 2006; Fox et al., 2006)。腹外側前頭前皮質(ventrolateral prefrontal cortex; VLPFC)は、ある情報の更新・維持に関与し、背外側前頭前皮質(dorsolateral prefrontal cortex; DLPFC)は、続いてその情報を選択・操作・モニタリングする(Fletcher and Henson, 2001)。一方で、前頭極(frontopolar cortex)はヒト進化の過程で特に増大した部位とされており(Semendeferi et al., 2001)、行動を最適化するためにVLPFCとDLPFCの機能を協調させる高次な統御機能を担っている(Koechlin et al., 1999; Braver and Bongiolatti, 2002)。そのため日常生活の高次な実行機能を成し遂げるために不可欠な役割を担うと考えられる(Burgess et al., 2000; 2005)。しかし、こうした前頭前皮質の機能分化と統合失調症の臨床的特徴との関連は、未だ明らかにされていない。

一方で、神経心理検査で測定される統合失調症の認知機能障害は、陽性・陰性症状よりも生活機能障害とより関連することが知られる(Green, 1996)。統合失調症患者は、対人関係、職業、自立生活、セルフケアの技能に障害を示し、この生活機能障害のみが統合失調症に確実に認められる症状である。しかし生活機能障害の評価については、社会で生活するための能力が多岐にわたり網羅的な評価が難しい。そこでこの難しさを乗り越える方法として、生活機能障害を脳機能障害の観点から捉え直すことが考えられる。こうした問題提起は、統合失調症の認知・社会的な生活機能障害に対する客観的な評価検査法と有効な介入方法の開発への重要な一歩となり得る。

多チャンネル近赤外線スペクトロスコピー(NIRS)は、非侵襲的に脳機能の時空間的特徴を検知できる(Strangman et al., 2002)。NIRSは酸素化・脱酸素化ヘモグロビン濃度変化を推定でき、局所脳血液量変化を反映している。fMRIやPETは高い空間分解能があるが、かなり大きな装置を要する一方で、NIRSは簡便でコストが低廉な上、自然な姿勢で、脳機能変化の時間経過に沿った解析ができる特徴があり(Kameyama et al., 2006; Suto et al., 2004)、精神疾患の脳機能の検討に特に適している。これまで統合失調症、双極性障害、うつ病、認知症、PTSD、広汎性発達障害などの脳機能の検討が行われてきた(Fallgatter et al., 1997; Kuwabara et al., 2006; Matsuo et al., 2003)。ただし、これまでの統合失調症の言語流暢性課題を用いた先行研究は2ch以下の検討がほとんどであり、脳部位や機能分化に言及していなかった。また、一部の多チャンネル化した時間経過に沿った検討でも多重比較補正を行っていなかった。さらには、NIRS信号と臨床症状との関連、特に短時間の診療場面では把握しにくい生活機能障害についての関連を統計的に見出したものはなかった。

そこで、我々は多チャンネルNIRSで前頭前皮質機能を広範囲に検討し、NIRS信号の時間経過を指標化しつつ、多重比較補正を適切に統計的解析に導入した上で、前頭前皮質の機能区分と統合失調症の臨床的特徴と生活機能障害の関連を明らかにすることを目的とした。

【方法】

55名の統合失調症患者と年齢と性別をマッチさせた70名の健常者を対象とした。すべての被検者は右利きで、日本語を母国語としていた。本研究は、東京大学医学部倫理委員会が承認し(承認番号:630-(5))、すべての被検者から事前にヘルシンキ宣言に基づいた趣旨説明が行われ、書面による同意を得た。患者群は、東京大学附属病院の外来・入院患者の中から、DSM-IV診断のための構造化臨床面接法(SCID)を用いて統合失調症と診断された。健常群について同様の非患者版(SCID-NP)を用いてスクリーニングした。同日、近赤外線スペクトロスコピー(NIRS)の測定、PANSSを用いた精神症状評価、機能の全般性評価(GAF)を用いた機能評価を行った。計測時に患者はすべて薬物治療(抗精神病薬・抗不安薬・抗パーキンソン病薬)を受けていた。また社会経済状態(Hollingshead, 1965)と日本語版NARTを用いた病前推定IQ (Matsuoka et al., 2006)も計測された。

認知賦活課題は60秒間の言語流暢性課題(文字版)で、前後にベースライン課題(30秒と70秒)を設けた。ベースライン課題では日本語の母音を繰り返し、課題期間では指定された1語で始まる単語をできるだけ多く発語するよう指示された。正答単語数の合計を課題遂行成績とした。

52チャンネルNIRS装置は、695と830nmの二つの波長の近赤外光を用いて酸素化・脱酸素化ヘモグロビン濃度([oxy-Hb]・[deoxy-Hb])の相対的変化を、時間分解能0.1秒で、修正Beer-Lambert則に基づいて計測する。NIRS装置の測定プローブの最下段が、国際10-20法のT3-Fpz-T4上となるように設置した。こうした頭皮上の計測部位の国際10-20法との対応をしておくことで、おおむね脳表の測定部位を予測できることが複数被験者の検討から知られている(Tsuzuki et al, 2007)。

まず課題前のベースライン期間と課題遂行期間の各チャンネルの平均[oxy-Hb]を算出し、対応のあるt検定で言語流暢性課題に伴う統計学的有意な増加があるか検討した。次に、課題遂行期間の平均[oxy-Hb]をt検定で2群間の比較を行った。ここでは確認のため課題遂行成績を合わせた2群と病前推定IQを合わせた2群の各サンプルでも比較検討した。三番目に、[oxy-Hb]変化の時間経過を解析するため課題開始5秒間の傾きについて同様に2群間の比較を行った。いずれの場合も、52チャンネルについて、false discovery rate(FDR)による多重比較補正を行った(Singh and Dan, 2006)。

統合失調症群では、課題遂行期間の平均[oxy-Hb]と臨床指標(PANSSとGAF)とのピアソン相関係数を各チャンネルで算出した。ここでは臨床指標との関連の強い脳領域を探索的に検討するため、5%水準で有意な相関係数のあるチャンネルのp値の漸次的変化を拡がりとして評価し、その後FDR多重比較補正を行った。さらに年齢、罹患年数、服薬量とのピアソン相関係数を求めた。

【結果】

ベースライン区間からの有意なヘモグロビン濃度変化は、健常者では52チャンネルの内43チャンネルで賦活課題による有意な[oxy-Hb]変化を認め(FDR-corrected P: 0.001 to 0.041)、統合失調症では23チャンネルで有意な[oxy-Hb]変化を認めた(FDR-corrected P: 0.001 to 0.022)。

群間差の検討では、統合失調症患者群は健常者群と比較して52チャンネルの内20チャンネルで[oxy-Hb]変化の有意な減衰を認めた(FDR-corrected P: 0.001 to 0.019)。課題遂行成績を合わせた2群と病前推定IQを合わせた2群の各サンプルでも統計学的結果に変化はなかった。

さらに、[oxy-Hb]変化の時間経過パターンを検討し、賦活課題期間の最初5秒間の傾きが、52チャンネルのうち33チャンネルで統合失調症群が健常者群に比べて有意に緩やかであった(FDR-corrected P: 0.001 to 0.031)。前頭極部で健常者群と統合失調症群の平均[oxy-Hb]変化では時間経過パターンとして特徴的な違いがあった。健常者は言語流調性課題の開始時に急激な増加を認め、課題中は賦活レベルを維持し、賦活課題終了と共に徐々にベースラインに戻った。一方、統合失調症では賦活課題が開始しても、より緩やかで減衰した賦活を示し、課題終了後に一旦減少し、非効率的な一時的再上昇を認めた。この時間経過パターンはSuto et al (2004)と同様であった。

最後に、相関解析ではいずれの群でも病前推定IQや課題遂行成績と平均[oxy-Hb]変化との間に有意な相関のあるチャンネルはなかった。統合失調症群において年齢・罹患期間・薬物換算量・PANSSと平均[oxy-Hb]変化との間にFDR多重比較補正を用いて有意な相関のあるチャンネルはなかった。統合失調症患者ではGAF得点と有意な正の相関を認めた。これらの漸次的変化の広がりは前頭極(BA10)と右の背外側前頭前皮質(BA9, 46)にほぼ位置していた。FDR多重比較補正を用いても有意であった3チャンネルは前頭極にほぼ位置していた(FDR-corrected P: 0.001 to 0.007)。なお課題成績とGAF得点との間に有意な相関のあるチャンネルは認めなかった。これらで、すべての変数を独立変数として導入したステップワイズ法による重回帰分析を行ったところ、3つすべてにGAF得点が投入され、そのうち2チャンネルはGAF得点のみが正の影響を及ぼしているとして投入された(e.g. ch36:GAF得点 Beta=.391, P=.006; R=.391, R2=.153, *R2=.134; F(1, 46)=8.165, P=.006)。

【考察】

本研究では、前頭前皮質を広範囲を覆う52チャンネルNIRS装置を用いて、統合失調症患者群の言語流暢課題遂行中の[oxy-Hb]変化が、年齢と性別をマッチした健常者群と比べ、有意に緩やかで減衰することを示した。これは課題遂行成績や病前推定IQによる差異では説明できなかった。さらに、減衰した[oxy-Hb]変化は、統合失調症の生活機能障害の重症度(GAF)と有意な正の相関を認めた。しかし課題遂行成績とGAF得点に有意な相関は認めなかった。FDR多重補正比較を用いてもなお、[oxy-Hb]変化とGAF得点との有意な相関を示したチャンネルは、おおよそ前頭極(BA10)に位置した。このチャンネルで重回帰分析を行った結果、他のすべての変数の影響を考慮しても、前頭極の[oxy-Hb]変化にGAF得点が影響を与えていることを示唆した。これは、認知課題遂行に伴う前頭極賦活と統合失調症の生活機能障害との関連を示唆し、NIRSが統合失調症患者に特徴的な賦活パターンを評価する非侵襲的臨床検査法として有望であることを示した。

本研究では統合失調症患者の生活機能障害と関連する前頭前皮質の独特な領域を特定することができた。Petrides(1994)のモデルによれば、腹外側前頭前皮質(BA44/45)は単純な短期間の作業に関与しており、背外側前頭前皮質(BA9/46) はより高次な実行機能や作業記憶を司っている。一方で、最近の神経科学研究は、前頭極(BA10)のさらに高次統制機能について、その重要な役割を明らかにしつつある(Ramnani and Owen, 2004)、。興味深いことに、BA10野は、ヒト進化の過程で次第に増大し、ヒトで独特に分化してきたとされている(Semendeferi et al., 2001)。前頭極領域は、腹外側と背外側領域の両方の機能を協調させ、遂行成績を最大化して目標を達成するため、より高次な統制機能を司っているようである(Koechlin et al., 1999; Christoff and Gabrieli, 2000)。

本研究では、言語流暢性課題によって前頭前皮質と上側頭皮質の広範囲な賦活を認めたが、これはfMRIとPETの先行研究に沿った結果であった(Elfgren and Risberg, 1998; Cabeza and Nyberg, 2000)。言語流暢性課題は実行機能を反映する複雑な認知課題であり、外側前頭前皮質だけでなく前頭極領域の機能も要する。日常生活に関わる活動も、単純な短期的の作業だけでなく、モニタリング・推論・組織化・選択・計画立案などを含んだ複雑な作業を要する。つまり、Burgessら(2000; 2005)が指摘するように、前頭極の関与する高次な実行機能は日常生活の重要な要素なのである。これらを考え合わせると、本研究で言語流暢性課題遂行中の前頭極領域の賦活減衰の程度が統合失調症の機能障害の重症度と関連していたことは妥当なことと考えられる。

本研究では統合失調症における前頭極の賦活反応性の有意な減衰と、その生活機能障害との有意な関連性を示した。NIRSは統合失調症の機能レベルを客観的に評価する生物学的指標の一つとして、臨床家だけでなく、その当事者や家族に役に立つ可能性を持っていると考えられた。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は統合失調症の臨床において短時間で評価することの困難な生活機能障害を、脳機能障害の観点から捉え直し、生活機能障害を評価する生物学的指標の候補の一つとしての有用性を明らかにするために、多チャンネル近赤外線スペクトロスコピィ(NIRS)を用いて前頭前皮質機能を広範囲に検討し、NIRS信号の時間経過を指標化しつつ、多重比較補正を適切に統計的解析に導入した上で、前頭前皮質の機能区分と統合失調症の臨床的特徴と生活機能障害との関連解析を試みたものであり、下記の結果を得ている。

55名の統合失調症患者と年齢と性別をマッチさせた70名の健常者を対象とした。すべての被検者は右利きで、日本語を母国語としていた。本研究は、東京大学医学部倫理委員会が承認し(承認番号:630-(5))、すべての被検者から事前にヘルシンキ宣言に基づいた趣旨説明が行われ、書面による同意を得た。

患者群は、東京大学附属病院の外来・入院患者の中から、DSM-IV診断のための構造化臨床面接法(SCID)を用いて統合失調症と診断された。健常群について同様の非患者版(SCID-NP)を用いてスクリーニングした。同日、近赤外線スペクトロスコピー(NIRS)の測定、PANSSを用いた精神症状評価、全般的な生活機能評価(GAF)を用いた機能評価を行った。計測時に患者はすべて薬物治療(抗精神病薬・抗不安薬・抗パーキンソン病薬)を受けていた。また社会経済状態と日本語版NARTを用いた病前推定IQも計測された。

52チャンネルNIRS装置を被検者の前頭部を中心に左右対称に設置し、認知賦活課題は60秒間の言語流暢性課題(文字版)で、前後にベースライン課題(30秒と70秒)を設けた。ベースライン課題では日本語の母音を繰り返し、課題期間では指定された1語で始まる単語をできるだけ多く発語するよう指示された。正答単語数の合計を課題遂行成績とした。

ベースライン区間からの有意なヘモグロビン濃度変化は、健常者では52チャンネルの内43チャンネルで賦活課題による有意な[oxy-Hb]変化を認め(FDR-corrected P: 0.001 to 0.041)、統合失調症では23チャンネルで有意な[oxy-Hb]変化を認めた(FDR-corrected P: 0.001 to 0.022)ことで、言語流暢性課題における前頭前皮質の活動をNIRS信号の変化が反映している可能性を示した。

群間差の検討では、統合失調症患者群は健常者群と比較して52チャンネルの内20チャンネルで[oxy-Hb]変化の有意な減衰を認めた(FDR-corrected P: 0.001 to 0.019)。課題遂行成績を合わせた2群と病前推定IQを合わせた2群の各サンプルでも統計学的結果に変化はなかった。健常者に比べて統合失調症で言語流暢性課題遂行中の前頭前皮質のNIRS信号変化が減衰していることを示した。これは課題遂行成績や病前推定IQによる差異では説明できなかった。

[oxy-Hb]変化の時間経過パターンを検討すると、賦活課題期間の最初5秒間の傾きが、52チャンネルのうち33チャンネルで統合失調症群が健常者群に比べて有意に緩やかであった(FDR-corrected P: 0.001 to 0.031)。前頭極部で健常者群と統合失調症群の平均[oxy-Hb]変化では時間経過パターンとして特徴的な違いがあった。健常者は言語流調性課題の開始時に急激な増加を認め、課題中は賦活レベルを維持し、賦活課題終了と共に徐々にベースラインに戻った。一方、統合失調症では賦活課題が開始しても、より緩やかで減衰した賦活を示した。この時間経過パターンはSuto et al (2004)を再現し、多重比較補正を用いて統計学的に初めてその差異を示した。

相関解析では、いずれの群でも病前推定IQや課題遂行成績と[oxy-Hb]変化との間に有意な相関のあるチャンネルはなかった。統合失調症患者群において年齢・罹患期間・薬物換算量・PANSSと[oxy-Hb]変化との間にFDR多重比較補正を用いて有意な相関のあるチャンネルはなかった。

統合失調症患者群の[oxy-Hb]変化は、全般的な生活機能評価(GAF) 得点との有意な正の相関を認めた。これらの漸次的変化の広がりは前頭極(BA10)と右の背外側前頭前皮質(BA9, 46)にほぼ位置していた。FDR多重比較補正を用いても有意であった3チャンネルは前頭極にほぼ位置していた(FDR-corrected P: 0.001 to 0.007)。なお課題成績とGAF得点との間に有意な相関のあるチャンネルは認めなかった。これら3つの関連チャンネルにおいて、すべての変数を独立変数として導入したステップワイズ法による重回帰分析を行ったところ、3つすべてにGAF得点が投入され、そのうち2チャンネルはGAF得点のみが正の影響を及ぼしているとして投入された(e.g. ch36: GAF得点 Beta = .391, P = .006; R = .391, R2 = .153, *R2 = .134; F(1, 46) = 8.165, P = .006)。他のすべての変数の影響を考慮しても、前頭極の[oxy-Hb]変化にGAF得点が影響を与えていることを示唆した。

以上、本論文は、認知課題遂行に伴う前頭極賦活と統合失調症の生活機能障害との関連を、適切な統計学的な手法を用いて初めて明らかにし、NIRSが統合失調症患者に特徴的な賦活パターンを評価する非侵襲的臨床検査法の一つとして有望であることを示した。「目に見えない」精神疾患をNIRSを応用して可視化することで、臨床現場において臨床家だけでなく、その当事者や家族に役に立つ可能性を持つと考えられる。本研究は、とくに重篤な精神疾患である統合失調症の症状のうち、臨床上、短時間で把握することの困難だが、「治療標的」として大切な生活機能レベルを客観的に評価する生物学的指標の確立への第一歩として重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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