学位論文要旨



No 125950
著者(漢字) 鵜沼,香奈
著者(英字)
著者(カナ) ウヌマ,カナ
標題(和) ラット拘束ストレスによる心臓性突然死におけるギャップジャンクションの役割
標題(洋) Inhibition of gap junctional intercellular communication causes lethal arrhythmia in forced restrained rat
報告番号 125950
報告番号 甲25950
学位授与日 2010.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第3429号
研究科 医学系研究科
専攻 社会医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 矢作,直樹
 東京大学 特任准教授 平田,恭信
 東京大学 教授 松島,綱治
 東京大学 教授 木内,貴弘
 東京大学 准教授 石川,昌
内容要旨 要旨を表示する

【背景・目的】

精神病院・拘置所内で興奮している人の身体を拘束した際、突然死することがある。このような事例の法医解剖では、特異的な所見を認めないため診断に苦慮する。心肥大、肥満など心血管リスクを認める人々が多いことから、心臓性突然死、とくに不整脈の関与による死亡が疑われるが確証を得られない場合が多い。

身体拘束と死の因果関係の判断が拘束者の責任の有無を決めることがあるが、判断の根拠は得難い。ハンス・セリエは、ラットの身体拘束による情動ストレスが、心血管系に"fight or fright"反応を誘発することを提唱した。実際、地震などの自然災害による情動ストレスが、交感神経系の過緊張を介して心臓性突然死の発症率・死亡率を増すことが知られている。

心拍動の協調には細胞間結合の一つであるgap junction (GJ)が重要な役割を担っており、GJをイオンや分子量1 kDa以下の小分子が受動的に伝達することで、心筋の協調拍動や恒常性が保たれている。このようなGJを介した細胞間情報伝達はGJ intercellular communication (GJIC) と呼ばれる。

GJを構成する半チャネルをコネクソンといい、コネクソンはコネキシン(Cx)タンパクによって構成され、心臓ではCx43が主体である。正常状態の心筋ではGJ-Cx43は介在板に多く発現し、興奮伝導の等方性を司っているが、心肥大、心不全などの病態ではGJ-Cx43量が減少し、細胞膜全体に渡って広く分布するように発現が変化することが報告されている。一方、Cx43の代謝回転速度は1-2時間程度と速いため、かかる環境変化に対して速やかに適応すべく制御されていると考えられている。最近では、培養心筋細胞に周期的伸展刺激を加えた1時間後、あるいはβ-アドレナリン受容体刺激剤投与5分後に、GJ-Cx43量が増加しGJIC活性が上昇することが報告された。我々も、ラット左冠状動脈結紮モデルにおいて、30分という早期には介在板上のCx43タンパク量が一過性に増加しGJIC活性が上昇する結果、再灌流時心筋収縮帯が急激に細胞間に伝播することを見出し報告した。

【仮説および目的】

本研究では、身体拘束というストレスは、心筋GJ-Cx43の量的変化を引き起こすのではないか、そして特にGJIC活性が低下している状況において、不整脈発生や突然死を引き起こすのではないかという仮説をたてた。これらの仮説を検証するために、ラット身体拘束モデルを用いて、GJ阻害剤投与下での拘束中の心電図変化、およびCx43発現量の変化を調べることにした。

【材料と方法】

拘束ストレス (IMO) を負荷するため、無麻酔下、6週齢のSprague-Dawley系雄性ラットの四肢を、背臥位で粘着テープにて固定した。同じ時間、ケージ内を水・餌なしで自由に活動させた "非拘束 (F) " を対照とした。GJ阻害剤であるcarbenoxolone (CBX) (0.12 or 0.25 mg/kg/hr)を頸静脈から持続投与しながら、テレメトリ法により心電図をモニターした。ラットをランダムに5つの群、非拘束・リン酸緩衝液 (PBS) 投与群 (F+PBS)、非拘束・高濃度CBX投与群[F+CBX (0.25 mg/kg/hr)]、拘束・PBS投与群 (IMO+PBS)、拘束・高濃度CBX投与群[IMO+CBX (0.25 mg/kg/hr)]、拘束・低濃度CBX投与群[IMO+CBX (0.12 mg/kg/hr)]に振り分けて心電図を測定し、心室性期外収縮 (PVCs)、心室頻拍 (VT)と心室細動 (VF) をカウントした。さらに、F+PBS、F+CBX (0.25 mg/kg/hr)、IMO+PBS、IMO+CBX (0.25 mg/kg/hr) の4群を対象に、身体拘束60分の左室心筋を用いて、dye transfer assayによるGJIC 活性の測定、血液生化学検査を行った。また、身体拘束240分まで経時的に採取した左室心筋を、細胞分画を行う前のホモジェネート液、1,000×g沈殿物、細胞膜・マイクロオルガネラ・ミトコンドリアを含むP2分画に分け、Cx43タンパク量をWestern blottingで検討した。さらに、拘束・非拘束の2群を対象にCx43の免疫組織染色、real-time RT-PCRによるmRNAの定量を行った。

【結果】

GJ阻害剤投与下で身体拘束されたラットの一部で致死的不整脈が発生する

身体拘束のみではPVCsは増加したが致死性不整脈は認められず、GJ阻害剤投与のみでは約半数にQRS幅の延長を認めるものの有意な不整脈を認めなかった。しかし、GJ阻害剤投与下で身体拘束を行うと、55~95分の間で約21%のラットに致死性不整脈が誘発された。

身体拘束により、左室心筋のP2分画においてCx43タンパク量が一過性に上昇する

身体拘束60分をピークに一過性にP2分画でのCx43タンパク量が約2倍上昇した。分画前のホモジェネート液中のCx43タンパク量は拘束による変化を認めず、Cx43 mRNAレベルでも増加を認めなかったことから、細胞内全体のCx43発現量が増加したのではなく、P2分画への分配率が高まったためであることが分かった。

身体拘束60分でリン酸化Cx43発現が介在板上で増加し、GJIC活性が上昇する

拘束・非拘束にかかわらずP2分画のCx43は殆どが44-46 kDaのリン酸化型であったことから、介在板で増加したCx43はリン酸化Cx43であることが示唆された。介在板上のリン酸化Cx43の増加はGJチャンネルの増加とGJ開口率の上昇を引き起こすため、拘束60分の心筋におけるGJIC活性を検討した結果、約2.5倍上昇しており、拘束ストレスに反応してリン酸化Cx43が介在板上に増加した結果、GJIC活性が促進されたと考えられた。

CBX投与によって身体拘束によるGJIC活性上昇がキャンセルされると致死性不整脈が惹起され得る

身体拘束に加えてGJ阻害剤を投与すると、一部のラットで致死性不整脈が惹起された。またこのとき、身体拘束によってもたらされたGJIC活性の上昇がキャンセルされる群が存在した。さらに、このキャンセルされた群において特にQRS幅が有意に延長していた。

GJ阻害剤の副作用の検討

CBXはGJに特異性の高い阻害剤として広く用いられているが、高い濃度では電解質ホメオスターシスに影響を与えるという報告があるため、これらに影響を与えたか否かを検討した。その結果、本研究で使用した濃度ではいずれの群でも影響は認められなかった。また、CBX投与によるCx43タンパク量への影響も認めなかった。一方、心電図ではCBX投与により、拘束・非拘束群ともQRS幅延長が見られ、これらは濃度依存性に変化する傾向があったことから、CBX投与による心電図変化はGJIC活性阻害作用によるものであると考えられた。

【考察】

本研究では、身体拘束ラット心筋細胞の介在板において、心筋の協調拍動やホメオスターシスを司る細胞生物学的因子とされるGJ-Cx43量が一過性に上昇し、かつGJIC活性も増加するという新しい知見が得られた。さらに、このGJIC活性の増加を、特異的なGJ阻害剤の一つであるCBXによって抑制した時に、身体拘束によって致死性不整脈が惹起され得ることが明らかになった。身体拘束におけるGJ-Cx43量の増加やGJIC活性の上昇は、不整脈易発生な状態に対する代償反応として機能している可能性が考えられる。また、GJIC活性上昇が抑制された状況で身体拘束を加えると致死性不整脈が発生しやすいことが示された。本研究結果は、身体拘束が心臓性突然死を起こし得るという1つの可能性を示したといえる。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は、心筋の協調拍動やホメオスターシスを司るgap junction (GJ)における興奮伝導の変化が、興奮者の身体拘束下における不整脈発生や突然死に関与しているのではないかという仮説を証明するため、ラット身体拘束下での心筋GJ主要構成タンパクであるconnexin43(Cx43)の発現量やリン酸化状態、GJ分布を明らかにすることを試みたものであり、以下の結果を得ている。

1.GJ阻害剤投与下で身体拘束されたラットの一部で致死的不整脈が発生する

身体拘束のみでは心室性期外収縮(PVC)が増加したが、致死性不整脈は認められず、GJ阻害剤投与のみでは約半数にQRS幅の延長を認めるものの、有意な不整脈を認めなかった。しかし、GJ阻害剤投与下で身体拘束を行うと、55分から95分の間で約21%のラットに、致死性不整脈(VT/VF)が誘発された。

2.身体拘束により、左室心筋のP2分画においてCx43タンパク量が一過性に上昇する

身体拘束240分まで経時的に採取した左室心筋を、細胞分画を行う前のホモジェネート液、1,000×g沈殿物、細胞膜・マイクロオルガネラ・ミトコンドリアを含む分画(P2分画)に分け、GJを豊富に含むP2分画におけるCx43のタンパク量とリン酸化状態をWestern blottingで検討した。その結果、身体拘束60分をピークに一過性にCx43タンパク量が非拘束群の約2倍上昇し、120分でベースラインに戻ることが明らかになった。

同様にして、細胞分画前のホモジェネートおよび1,000×g沈殿物のCx43タンパク量の経時的変化を検討したところ、ホモジェネート液においては群間に有意な変化を認めなかったが、1,000×g沈殿物では身体拘束群で60分においてCx43タンパク量が低下していることが分かった。一方、Cx43 mRNAレベルに変化は認めなかった。また、刺激伝導系に多く発現しているCx40やCx45のタンパク量やリン酸化状態は身体拘束中変化しなかった。

3.身体拘束60分でCx43発現が介在板上で増加し細胞間情報伝達 (GJIC) 活性が上昇する

拘束・非拘束にかかわらずP2分画のCx43は殆どが44-46 kDaのリン酸化型であったことから、身体拘束により介在板で増加したCx43はリン酸化Cx43であることが示唆された。介在板上のリン酸化Cx43の増加はGJチャンネルの増加とGJ開口率の上昇を引き起こすため、身体拘束60分の心筋におけるGJIC活性をdye transfer assayにより検討した結果、約2.5倍上昇していたことから、身体拘束というストレスに反応してリン酸化Cx43が介在板上に増加した結果、GJIC活性が促進されたと考えられた。

4.CBX投与によって身体拘束によるGJIC活性上昇がキャンセルされると致死性不整脈が惹起され得る

1.で述べたように、身体拘束に加えてGJ阻害剤であるcarbenoxolone (CBX)を投与すると、約21%のラットで致死性不整脈が惹起された。またこのときGJIC活性を調べると、身体拘束によってもたらされたGJIC活性の上昇がキャンセルされる群が存在することが示された。さらに、このキャンセルされた群において特にQRS幅が有意に延長していた。

以上、本論文は、身体拘束ラット心筋細胞の介在板において、心筋の協調拍動やホメオスターシスを司る細胞生物学的因子とされるGJ-Cx43量が一過性に上昇し、かつGJIC活性も増加するという新しい知見を得ている。さらに、このGJIC活性の増加を、特異的なGJ阻害剤の一つであるCBXによって抑制した時に、身体拘束によって致死性不整脈が惹起され得ることを明らかした。また、身体拘束時に不整脈による心臓性突然死が惹起され得るという1つの可能性を示した。本研究は、これまで未知に等しかった興奮者の身体拘束時の突然死の機序の解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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