No | 125952 | |
著者(漢字) | 奥津,康祐 | |
著者(英字) | ||
著者(カナ) | オクツ,コウスケ | |
標題(和) | 看護過誤事例での業務上過失致死傷罪適用における問題の検証 | |
標題(洋) | ||
報告番号 | 125952 | |
報告番号 | 甲25952 | |
学位授与日 | 2010.03.24 | |
学位種別 | 課程博士 | |
学位種類 | 博士(医学) | |
学位記番号 | 博医第3431号 | |
研究科 | 医学系研究科 | |
専攻 | 社会医学専攻 | |
論文審査委員 | ||
内容要旨 | ■目的 近年の看護過誤事例の刑事訴訟(業務上過失致死傷罪)裁判例をみてみると、初歩的・基本的な安全確認行為を怠ったことをもって看護師個人に尽く有罪判決が下されている。結果として、初歩的・基本的な確認作業を怠っていると、もれなく医療(看護)水準以下という非常に厳しい構図になっている。看護過誤は医療提供システムや医療機関の組織的な問題が大きく関与して起こるといわれる中、その判断は正しい(適正)といえるのであろうか。当事者の置かれた立場に立って責任を考えるという法律上当然の前提がとられていないように感じられる。よって、看護過誤事例に対する業務上過失致死傷罪の適用の問題について検証してみる必要がある。その問題は、まず第1に、業務上過失致死傷罪の適用が適正になされているか、という問題([問題A]とする)である。 そこで、[問題A]を検討するため、看護過誤刑事訴訟となった事例について、事故に関して過失と評価されるかもしれない行為を整理するとともに、裁判(判決・決定)での言及の仕方を明らかにすることとした。よって、看護過誤刑事訴訟事例をヒューマンファクタ工学の分析手法に準拠した裁判例分析を行った(【研究1】)。 また、業務上過失致死傷罪の適用の基準としての医療(看護)水準を把握することが、適正になされているかの判断で重要なポイントとなる。従って、実際の医療(看護)水準はどのようなものか明らかにすることとした。まず、看護業務の代表的なものである注射に関し、看護現場を再現した実験を行った(【研究2】)。次に、与薬の際の確認作業に関し、看護師管理職者を対象としたアンケート調査を行った(【研究4】)。 ところで、業務上過失致死傷罪の適用が適正になされるためには、被告人は主張すべきことを主張しなければならない。そのためには自らの意見が必要であり、かつ、主張するのだという意識も必要となる。また、法廷で争う(戦う)ためには多大なエネルギーを必要とする。周囲のサポートも不可欠である。事故当事者が追い詰められてしまって、主張すべきことを主張することが期待できない状況であれば、業務上過失致死傷罪の適用が適正になされることも期待できない。業務上過失致死傷罪の適用における第2の問題は、適正になされることが期待できる状況にあるかの問題([問題B]とする)である。 そこで、[問題B]を検討するため、すなわち、適正になされるために支障となり得ること・課題となることを明らかにするため、まず、業務上過失致死傷罪および刑事責任についての看護師の意識の特徴を明らかにすることとした。よって、看護師自体の意識を収集するとともに、医師・弁護士の意識と対比することで、看護師の意識の特徴を明らかにするべく、看護師・医師・弁護士を対象としたアンケートを行った(【研究3】)。また、事故当事者看護師へのサポート体制について、全国の病院における実施状況を明らかにするために、看護師管理職者を対象としたアンケートを行った(【研究4】)。 ■【研究1】 [方法] 看護過誤事例の刑事裁判例を鉄道総研式ヒューマンファクタ事故の分析手法を用いて分析するとともに、その判決・決定文の論旨を抽出した。分析・抽出は、医学博士または医学系・看護学系の大学・大学院の准教授以上の教官2名とともに合議をして行った。3名の意見が一致したもののみを結果として採用した。 [結果] 7事例でエラーを合計42抽出し、判決・決定でそれに対応する管理の要因や医療(看護)水準、予見可能性・結果可能性について言及している部分および言及していない事実を複数見出した。エラーや管理の要因について判決文で言及されなかったものが多いことが明らかとなった。 ■【研究2】 [方法] A県内の10施設に勤務する看護師計27名を対象に、病室と看護室を再現した実験室で実験を実施した。10施設は、病床数が100床~400床で、かつ、外科系・内科系を含む複数の診療科があり、看護配置基準が10:1~15:1で、安全管理のための職員研修を年2回程度行っている病院である。実験作業は被験者毎に2回実施とし、それぞれの1回目では、通常の注射業務を一通り行ってもらった。同様に2回目では、夜勤の2人勤務で、被験者以外の看護師は他の患者に対応しているという設定で行ってもらった。なお、2回目では、同僚看護師が他の処置で不在という前提の下、確認作業の実施を妨げるような状況(多重課題)が用意されている。 [結果] テキスト等にある注射業務のスタンダードな業務および安全確認の項目(テキスト的実施事項)の実施率平均は2回とも50%台であった。2回目でアクシデントが9例発生した。この結果は、多重課題が非日常的といえる程の極悪なタイミングで加わってしまうと、簡単にアクシデントが発生してしまうということを示している。 ■【研究3】 [方法] 看護師・医師・弁護士へのアンケート調査を実施した。調査票は、看護師と医師それぞれ、全日本民主医療連合会(以下、民医連)加盟病院153箇所・診療所524箇所に合計1289部(病院に5部ずつ、診療所に1部ずつ)、日本医療機能評価機構認定病院の中から民医連加盟病院および国立病院機構病院を除いた病院のうち、都道府県毎にその人口50万人あたり1病院(平成17年国勢調査における都道府県人口を50万で除し、小数点以下を切り捨てた数)を無作為抽出した計232病院に3部ずつ合計696部配布した。また、医師には別途、国立病院機構災害医療センター所属医師150名に配布した。弁護士には、民医連から紹介を受けた55名に対し郵送で配布し、かつ、他の特定の弁護士を通じ、電子メール及び手渡しにより不特定多数に配布した。 [結果] 刑事処罰を受けた医療者についての設問における、「何であれ廃業すべき」の選択率は、看護師・医師・弁護士各群は各15.9%、1.9%、5.9%であった。看護師は、刑事処罰を受けた者に対し、医師・弁護士より厳しい見方をする。看護過誤事例の被告人看護師の刑事責任を尋ねる設問では、有罪無罪の明らかさの指標(高くなると有罪が明らか)である有罪無罪度数平均値は、看護師・医師両群で各7.99、7.40であり、両群間に有意差が認められた。看護師は刑事責任について医師より明確に有罪だと考える傾向がある。事故当事者看護師にレポートの書き方をどうアドバイスするかという設問では、「内容物を自らチェックすべきでした」「取り違えに気づくべきでした」とする選択肢の選択率は看護師群で各83.3%、49.3%、弁護士群で各42.1%、31.6%であり両群間にそれぞれ有意差が認められた。看護師は弁護士の多くが使用を避けるような誤解を招きやすい抽象的な記載に違和感が強くないことも窺われる。 ■【研究4】 [方法] 病棟での看護師管理職者へのアンケート調査を実施した。調査票は、国立病院機構病院144施設、国立大学病院45施設、日本医療機能評価機構認定病院の中から国立病院機構病院および国立大学病院を除いた病院のうち、都道府県毎にその人口60万人あたり1病院を無作為抽出した計191病院に4部ずつ合計1520部配布した。 [結果] 複数人による与薬チェック確保策の実施についての回答では、医療機関により安全体制の整備への取り組みに差があった。与薬の際の複数人での確認が手順として定められていてもそれが実際にはできていない病院も少なくない。事故当事者のケアについて病棟として予定されている手順を尋ねる問では、それがない旨の回答は465中65あった。また、その65を含めケアに関して予定されている具体的手順があげられていない回答は465中220あった。事故当事者へのサポートは、全国の膨大な数の病棟において組織的対応が不十分であり、手が回っていない現状がある。 ■総合考察 [問題A]について 判決・決定の中で指摘されなかった管理の要因も多くあり、医療(看護)水準、予見可能性・結果回避可能性について詳細に認定していない判決・決定が多かった。多少詳細なものであっても、いずれも行為者として同じような立場の人を置いて責任を考えるといった視点を欠いていた。 看護過誤は管理の不備といった組織の問題で事故が発生している場合が少なくない。裁判所は同じような立場の看護師であればまず事故を起こさない、予見できるし結果回避できる、という業務上過失致死傷罪の適用の本来の手順に則って論示すべきである。 [問題B]について 看護師は自分が事故当事者となると、ショックを受け、反省し、思いつめ、場合により事故報告書や責任追及の場で自らに責任を背負い込むような表現をしてしまい、追い詰められてしまう傾向がある、というのがその性格の一つのパターンといえる。 いざ、事故当事者となったとき、責任を背負い込んだり、背負わされたりしては、その後の捜査・訴訟で不利な状況に追い込まれる可能性が増える。また、被告人として主張をしっかり行っていけるかというと、あまり期待できないように思われる。こういった看護師の性格(思考・行動パターン)の傾向や事故当事者へのサポート状況の弱さが、業務上過失致死傷罪の適用が適正になされるための課題である。 不当判決が生み出されないために、医療安全のために、その職責と能力に見合った社会的地位を確立するために、看護界は事故当事者看護師をサポートする体制を構築するとともに、看護師は知識を増やし正しい主張ができるよう強くならなければならない。 | |
審査要旨 | 本研究は、看護過誤刑事訴訟事例において、業務上過失致死傷罪の適用が適正になされているか、適正になされることが期待できる状況にあるかという2つの問題について検証するため、ヒューマンファクタ工学の分析手法に準拠した看護過誤裁判例の分析【研究1】、看護師を対象とした注射手技の実験【研究2】、看護師・医師・弁護士を対象としたアンケート調査【研究3】、看護師管理職者を対象としたアンケート調査【研究4】を行ったものであり、下記の成果を得ている。 1.【研究1】に関し、7事例でエラーを合計42抽出し、判決・決定でそれに対応する管理の要因や医療(看護)水準、予見可能性・結果可能性について言及している部分および言及していない事実を複数見出した。 2.【研究2】に関し、27名の看護師を被験者として、1回目は通常の業務、2回目は多重課題を課された状況下での業務という実験を行った結果、テキスト等にある注射業務のスタンダードな業務および安全確認の項目(テキスト的実施事項)の実施率平均は2回とも50%台であった。2回目でアクシデントが9例発生した。 3.【研究3】に関し、刑事処罰を受けた医療者についての設問における、「何であれ廃業すべき」の選択率は、看護師・医師・弁護士各群は各15.9%、1.9%、5.9%であった。看護師は、刑事処罰を受けた者に対し、医師・弁護士より厳しい見方をする。看護過誤事例の被告人看護師の刑事責任を尋ねる設問では、有罪無罪の明らかさの指標(高くなると有罪が明らか)である有罪無罪度数平均値は、看護師・医師両群で各7.99、7.40であり、両群間に有意差が認められた。看護師は刑事責任について医師より明確に有罪だと考える傾向が明らかとなった。事故当事者看護師にレポートの書き方をどうアドバイスするかという設問では、「内容物を自らチェックすべきでした」「取り違えに気づくべきでした」とする選択肢の選択率は看護師群で各83.3%、49.3%、弁護士群で各42.1%、31.6%であり両群間にそれぞれ有意差が認められた。看護師は弁護士の多くが使用を避けるような誤解を招きやすい抽象的な記載に違和感が強くないことも明らかとなった。 4.【研究4】に関し、実施している複数人による与薬チェック確保策についての回答では、医療機関により安全体制の整備への取り組みに差があった。与薬の際の複数人での確認が手順として定められていてもそれが実際にはできていない病院も少なくなかった。事故当事者のケアについて病棟として予定されている手順を尋ねる問では、それがない旨の回答は465中65あった。また、その65を含めケアに関して予定されている具体的手順があげられていない回答は465中220あった。事故当事者へのサポートは、全国の膨大な数の病棟において組織的対応が不十分であり、手が回っていない現状がある。 5.以上を総合すると、次のことが明らかとなった。 看護現場では、安全確認作業の実施のための体制が整っているわけではないこと、および、安全確認作業も十分実施できているわけではないこと、事故も容易に起こり得ることが分かった。マニュアルやテキストのスタンダードな業務および安全確認の項目の記載は安全のために実施が求められることであるが、現段階では多くの病院で必ずしもその通り実施できているわけではない。判決・決定の中で指摘されなかった管理の要因も多くあり、医療(看護)水準、予見可能性・結果回避可能性について詳細に認定していない判決・決定が多かった。多少詳細なものであっても、いずれも行為者として同じような立場の人を置いて責任を考えるといった視点を欠いていた。 看護師は自分が事故当事者となると、ショックを受け、反省し、思いつめ、場合により事故報告書や責任追及の場で自らに責任を背負い込むような表現をしてしまい、追い詰められてしまう傾向がある、というのがその性格の一つのパターンといえる。 いざ、事故当事者となったとき、責任を背負い込んだり、背負わされたりしては、その後の捜査・訴訟で不利な状況に追い込まれる可能性が増える。また、被告人として主張をしっかり行っていけるかというと、あまり期待できないように思われる。こういった看護師の性格(思考・行動パターン)の傾向や事故当事者へのサポート状況の弱さが、業務上過失致死傷罪の適用が適正になされるための課題である。 以上、本論文は、これまでの看護過誤刑事訴訟事例において業務上過失致死傷罪の適用が適正になされていないこと、および、適正になされるための課題があることを明らかにした。本研究は、これまでほとんど検証がなされていなかった看護過誤の刑事訴訟上の問題の解消のために重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。 | |
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