学位論文要旨



No 125953
著者(漢字) 可知,悠子
著者(英字)
著者(カナ) カチ,ユウコ
標題(和) 睡眠時間が糖尿病の発症に及ぼす影響 : 労働者の追跡研究
標題(洋)
報告番号 125953
報告番号 甲25953
学位授与日 2010.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第3432号
研究科 医学系研究科
専攻 社会医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 橋本,英樹
 東京大学 准教授 島津,明人
 東京大学 准教授 石川,昌
 東京大学 教授 門脇,孝
 東京大学 教授 赤林,朗
内容要旨 要旨を表示する

【背景と目的】

我が国の糖尿病有病者数は増加傾向にあり,早急な予防対策が求められている.近年,糖尿病の一次予防対策として身体活動の増加,質量ともにバランスの取れた食事,禁煙に加え,適度な睡眠時間の確保の重要性が注目されている.生理学的研究から,短時間睡眠が糖尿病の発症に影響を与えることが示唆されており,疫学研究において,その一般化可能性が検討されている.これまで,成人を対象としたコホート研究に関して8件の報告があるが,睡眠時間と糖尿病発症との間に関連があるとする報告もあれば,関連がないとする報告もあり,一定した結論が得られていない.この8件のうち2件が日本からの報告であるが,いずれも男性を対象としており,女性を対象とした報告は見当たらないため,さらなる検討が必要であると考えられた.

目的 本研究では,19~64歳の男女労働者を対象とした3年間の追跡調査から,睡眠時間が糖尿病の発症に影響を与えるかどうかを検討した.

【方法】

調査方法と対象者 本研究は現在も進行中の「MYヘルスアップ研究」の一環として行われた.同研究は,公衆衛生学教室と金融保険系企業・健康開発室の共同研究であり,職員の健康管理を目的として行われている.同研究の対象者は,2004年4月1日時点で金融保険系企業の健康保険組合被保険者かつ健診対象者(43,064名)であった.ベースライン調査として,2004年10月に自己記入式アンケート調査を実施し,睡眠時間を含む生活習慣や健康状態などに関する情報を収集した.また,同年の健診データを収集した.追跡調査として,2005~2007年の健診データを収集した.分析対象者は,ベースラインでアンケート調査と健診の両方を受けた非糖尿病の職員(19~64歳)のうち,2005~2007年の健診をすべて受診した者とした.ベースラインまたは追跡期間中に,妊娠及び妊娠の疑いのあった者,睡眠時無呼吸症候群に罹患していた者,分析項目データに欠損があった者は除外した.

変数 糖尿病の発症は,2005~2007年のいずれかの健診で,糖尿病と自己報告した場合,あるいは空腹時血糖126 mg/dl以上となった場合と定義した.睡眠時間は,アンケート調査の質問項目「睡眠時間はどれくらいですか(平均的な状態をお書き下さい)」に対し,8つの選択肢(「4時間未満」から「10時間以上」まで1時間単位)から回答させ,回答の少ない8時間以上の選択肢を統合した.交絡変数として,年齢,職区分,喫煙,飲酒,コーヒー摂取,運動習慣,抑うつ感,降圧薬の使用,糖尿病家族歴,Body Mass Index(BMI; kg/m2)を取り上げた.

統計解析 分析はすべて男女別に行った.ロジスティック回帰分析により,ベースラインの睡眠時間の糖尿病発症に対するオッズ比(OR)とその95%信頼区間(95%CI)を算出した.

【結果】

分析対象者は,ベースラインで非糖尿病の24,806名のうち,2005~2007年の健診をすべて受診した14,607名(男性3,163名,女性11,444名)であった.ベースラインの睡眠時間の分布は,男性では,4時間未満は0.8%,4~5時間未満は8.9%,5~6時間未満は36.6%,6~7時間未満は38.9%,7~8時間未満は12.8%,8時間以上は2.1%であった.女性では,4時間未満は1.9%,4~5時間未満は12.9%,5~6時間未満は36.5%,6~7時間未満は34.3%,7~8時間未満は12.2%,8時間以上は2.2%であった.追跡期間中に新規に糖尿病を発症したのは,男性で211名(6.7%),女性で441名(3.9%)であった.ロジスティック回帰分析の結果,男性では短時間睡眠と長時間睡眠の両方が糖尿病の発症と関連する傾向はみられたが,有意な関連は示されなかった.女性では睡眠時間6~7時間未満を参照群とした場合の,糖尿病発症に対する年齢調整OR(95%CI)は4時間未満で2.90 (1.56-5.39),4~5時間未満で1.72 (1.27-2.33),8時間以上で2.64 (1.59-4.37)であり,短時間睡眠と長時間睡眠の両方が糖尿病の発症と有意に関連した.この関連は他のすべての交絡変数を調整後も維持された.

【考察】

睡眠時間と糖尿病発症との関連 分析結果から,女性では睡眠時間と糖尿病発症との間にU字型の関連が示された.この結果は,いくつかの米国の研究結果とも一致する.一方,男性では短時間睡眠と長時間睡眠の両方が糖尿病の発症と関連する傾向はみられたが,有意な関連は示されなかった.その理由として,男性のサンプルサイズが女性の約3分の1であったため,十分な検出力を確保できなかった可能性が考えられる.男性における関連についてはさらなる検討が必要である.

限界と長所 研究の限界として,(1)対象が労働者であり,結果の一般化に限界があること,(2)多くの追跡不能者によるバイアスの可能性があること,(3)睡眠時間や糖尿病の評価の精度が高くない可能性があること,(4)未測定の変数(特に不眠)による交絡の可能性があることが挙げられる.こうした限界はあるものの,本研究は大規模な職域集団の追跡調査により,女性において睡眠時間と糖尿病発症との関連を示したという点で,これまでの知見を推し進めたといえる.

政策への示唆 本研究の結果から,糖尿病の一次予防対策として,適切な睡眠時間の確保の重要性が示された.睡眠時間をコントロールするのは基本的には個人の裁量によるところが大きいため,労働者に対し適切な睡眠の確保の重要性を理解し実践してもらうための,啓発や教育を行う必要がある.

審査要旨 要旨を表示する

本研究は,生理学的研究によって明らかになりつつある短時間睡眠と糖尿病発症との関連の一般化可能性を検討するために,19~64歳の男女労働者を対象とした3年間の追跡調査のデータを用いて,睡眠時間と糖尿病発症との関連を分析したものであり,下記の結果を得ている.

1.ベースラインにおける睡眠時間と追跡期間中の糖尿病発症との関連を,年齢,職区分,喫煙,飲酒,コーヒー摂取,運動習慣,抑うつ感,降圧薬の使用,糖尿病家族歴,BMIの影響を統計的に調整して分析した.その結果,女性では,ベースラインの睡眠時間が6~7時間未満であった者と比較して,4時間未満の者では2.4倍,4~5時間未満の者では1.6倍,8時間以上の者では2.4倍,糖尿病の発症リスクが高いことが示された.

2.男性では,睡眠時間と糖尿病発症との間に有意な関連は示されなかった.これは,男性のサンプルサイズが十分でなかったためと考えられる.

以上,本論文は女性において,睡眠時間が短くても長くても糖尿病の発症リスクが高くなることを明らかにした.本研究の結果は日本人女性では初めて明らかになったものであり,また,糖尿病の一次予防対策に貢献しうるものであり,学位の授与に値するものと考えられる.

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