学位論文要旨



No 125958
著者(漢字) 本郷,真紀子
著者(英字)
著者(カナ) ホンゴウ,マキコ
標題(和) アンジオテンシンII投与動物モデルにおける脂肪毒性による臓器障害についての検討
標題(洋)
報告番号 125958
報告番号 甲25958
学位授与日 2010.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第3437号
研究科 医学系研究科
専攻 内科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 高橋,孝喜
 東京大学 准教授 宮田,哲郎
 東京大学 特任准教授 小川,誠司
 東京大学 講師 塚本,和久
 東京大学 講師 師田,哲郎
内容要旨 要旨を表示する

序文

肥満の個体では脂肪組織への中性脂肪の貯蔵が飽和状態となり、膵臓、心臓、肝臓、骨格筋など非脂肪組織への脂質集積が認められる。非脂肪組織への過剰な脂質集積は、組織の機能障害を惹起する可能性があり、脂肪毒性(リポトキシシティ)と呼ばれている。

肥満・過栄養状態での非脂肪組織への脂質集積は、過剰に存在する脂肪酸の代謝の障害や、グルコース過剰状態からの脂質産生によって起こる。循環血漿中の遊離脂肪酸は、細胞に取り込まれ中性脂肪として貯蔵されるが、貯蔵の限界を超えると加水分解され酸化経路に入る。しかし脂肪酸酸化の許容量以上では、セラミド形成などの組織障害性の経路を経て、膵臓β細胞や心筋細胞ではアポトーシスを誘導するような結果をもたらす(リポアポトーシス)。

2型糖尿病では、耐糖能障害に先立ち、循環血漿中の遊離脂肪酸の増加がみられることが指摘されている。糖尿病や肥満における高血糖、インスリン抵抗性、膵臓β細胞の減少は、遊離脂肪酸の増加、非脂肪組織への脂質集積によるリポトキシシティとしてとらえることが可能である。

肝臓や骨格筋に比較すると、膵β細胞や心筋における余剰脂質の代償能力には限界があり、糖尿病や肥満にみられる膵β細胞の消失や心血管リスクにつながると考えられている。糖尿病や肥満症例では心臓への脂質集積が認められ、糖尿病患者の心臓では収縮能および拡張能の障害が多く報告されており、脂肪毒性による障害と考えられている。

糖尿病動物モデルの心臓では、アンジオテンシノーゲンやレニンが増加しており、アンジオテンシンII受容体拮抗薬により心筋拡張能障害および心筋線維化が改善されることが報告され、糖尿病の心筋障害に対するレニン・アンジオテンシン系(RAS)の関与が考えられている。

アンジオテンシンIIを持続投与したラットの腎臓には脂質が集積し、活性酸素種のひとつであるスーパーオキサイドの過剰産生部位に脂質集積の局在が一致していること、また糖尿病ラットにみられる腎臓への脂質集積がAT1受容体拮抗薬により抑制されることを共同研究者が以前報告し、脂質集積にはRASの関与があると考えている。本研究では、アンジオテンシンIIを投与したラットの心臓にも腎臓同様に脂質が集積するか、また脂質集積が認められる場合には、肥満や糖尿病例と同様に脂肪毒性による臓器障害が生じるかどうかを検討した。

糖尿病ラットへのPPARγアゴニストの投与により、脂質代謝関連蛋白の発現が亢進し、左室拡張能障害が改善したとの報告があり、アンジオテンシンIIの持続投与によって臓器への脂質が集積する場合、その脂質集積に対するPPARγアゴニストのピオグリタゾン併用の効果と臓器機能に及ぼす影響についても検討した。

方法

ラットの皮下に浸透圧ポンプを埋め込み、アンジオテンシンIIおよびノルエピネフリンの持続投与モデルを作成した。アンジオテンシンII投与モデルにロサルタン、ヒドララジンあるいはピオグリタゾンを経口投与する群を作成した。これらの各群の心・腎組織中脂質含量、脂質代謝遺伝子の発現、臓器機能を検討した。

結果

アンジオテンシンIIの持続投与による心組織中の脂質集積は、ロサルタン投与により完全に抑制されたが、ハイドララジンによる抑制は不完全であった。アンジオテンシンII投与にて脂質代謝関連遺伝子PPARα、PPARγ、SREBP-1c、FAS、HMG-CoAR、 PGC-1α、UCP2、UCP3の発現調節がみられ、これらはロサルタン投与により抑制された。また蛋白レベルでは、アンジオテンシンII投与によりSREBP-1、AMPKの活性が亢進しており、ロサルタン投与にて抑制された。以前の報告によるとacyl CoA synthase、PPARα、PPARγの過剰発現マウスの心筋では脂肪酸酸化関連蛋白の発現亢進と、拡張型心筋症の発症を認めること、これらの現象が脂質集積の減少により改善されることから、過剰な脂質集積が心機能障害の原因となっていると考えられている。本研究で認められた脂質代謝関連遺伝子の発現パターンは脂質が集積することに矛盾しない。培養脂肪細胞ではアンジオテンシンIIにより、SREBP-1cやFASの発現が亢進し、脂質産生が増加することが報告されている。Finckらの報告では、心臓におけるPPARαの過剰発現は脂肪毒性に関連して拡張型心筋症を引き起こしており、今回の実験によりPPARα mRNAの発現亢進が認められることから、アンジオテンシンII投与と心臓への脂質集積にはPPARαの関連が疑われる。

脂肪酸酸化経路は、AMPKの活性化によりACCのリン酸化が起こり、マロニルCoAの減少、 CPT-1の活性化、アップレギュレーションをもたらすことにより活性化される。本研究ではアンジオテンシンII投与により心臓のAMPKが活性化されていたが、CPT-1 mRNA発現は抑制されていた。TianらはAMPKの活性化が長時間に及んだ場合、脂肪酸酸化関連蛋白のダウンレギュレーションが起こる可能性を指摘しており、これをふまえると、アンジオテンシンIIによるAMPKの活性化とCPT-1発現低下は、ロサルタンのみならず、ハイドララジンによっても抑制され、またCPT-1 mRNAの発現の亢進がノルエピネフリンによる高血圧によっても生じることから、これらの現象が高血圧によって惹起されたものである可能性を示唆している。

UCPはスーパーオキサイド産生に関与しているとされており、また、酸化ストレスの増大やスーパーオキサイドの増加がSREBP-1やFASの発現を亢進するとも報告されている。脂質集積部位とスーパーオキサイド産生部位が一致していることからアンジオテンシンIIによる脂質集積と酸化ストレスは関連があるものと考えられる。

アンジオテンシンII投与による心組織中への脂質の集積、心線維化はピオグリタゾンの投与により抑制された。7日間投与群ではランゲンドルフ体外灌流により検討した心機能にピオグリタゾン投与群、非投与群の間に有意差を認めなかった。一方、14日間投与群ではピオグリタゾン投与は心臓の収縮・拡張能を改善した。

アンジオテンシンII刺激が、ラット培養細胞において脂肪酸酸化経路の抑制、PPARαや、γの発現の抑制し、心筋細胞の肥大やコラーゲン合成の抑制に働き、これらの現象はPPARアゴニスト投与により抑制されることが報告されているが、その作用がPPARγ依存性のものであるかは明らかではない。脂質の集積と心筋肥大がみられるモデルでは、脂質代謝関連遺伝子の過剰発現していることが報告されており、全身の肥満とは独立して、心臓における脂質集積が拡張型心筋症を引き起こす可能性がある。PPARγは心臓での発現が非常に少なくPPARγアゴニストは心臓においてはPPARγを介さずに脂質代謝に作用する可能性がある。今回の実験ではアンジオテンシンII投与によるAMPKの活性化、ACCリン酸化の抑制は、ピオグリタゾン投与により減少しているが、これは心筋内の脂質が減少したことを反映している可能性もある。ピオグリタゾンの投与による脂質集積および線維化の抑制は、心臓の収縮・拡張能の改善に寄与すると考えられる。

アンジオテンシンII投与により腎組織への脂質集積が生じるが、PPARγアゴニストのピオグリタゾンの投与はオイルレッドO染色領域および腎組織中脂質含量を低下させた。7日間投与群では尿蛋白排泄量を増加したが、ピオグリタゾンは有意な影響を与えなかった。しかし、14日間投与群において認められる尿蛋白増加に対しては、ピオグリタゾン投与は抑制的に働いた。Shinらは、高血圧ラットに対して高脂肪食を投与すると腎臓に脂質が集積し、この腎臓ではPPARαの発現の低下、RASの活性化、酸化ストレスの増加を認め、腎機能は低下し、これらがPPARαアゴニストのフェノフィブラート投与により抑制されると報告している。またYangらの報告では、ラットの加齢性の糸球体濾過率の低下や腎硬化に対して、ピオグリタゾンが進行を抑制する効果があり、腎におけるPPARγの発現が亢進していた。今回の実験ではPPARγアゴニストにより、アンジオテンシンII投与による腎臓への脂質集積の抑制と腎機能低下の抑制がみられることから、腎臓においてもリポトキシシティが生じていると考えている。また腎においてはPPARγアゴニストの作用はPPARγに依存している可能性がある。

まとめ

アンジオテンシンII投与によりロサルタンによって抑制される心臓への脂質集積と、脂質代謝関連遺伝子の発現の調節がみられた。また脂質集積部位とスーパーオキサイド産生部位は一致しており、同部位に組織障害が生じていると考えられた。糖尿病の動物モデルや心臓への脂質集積や脂質代謝関連遺伝子の発現調節がみられ、アンジオテンシンIIによる脂質集積メカニズムと糖尿病によるメカニズムには関連がある可能性がある。ピオグリタゾンはアンジオテンシンIIによる脂質集積を抑制し、14日間投与群では心収縮・拡張能を改善した。心臓でのPPARγアゴニストの作用はPPARγを介するものではない可能性がある。腎臓にもアンジオテンシンIIにより脂質が集積し、尿中蛋白排泄量が増加しており、ピオグリタゾンはこれらを抑制した。

心臓、腎臓への脂質集積には、アンジオテンシンIIが関与しており、心臓においてPPARγアゴニストは脂質代謝関連遺伝子の発現調節を介してこれを抑制し、脂質集積による臓器障害、リポトキシシティを軽減する可能性を示した。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は、非脂肪組織に脂質が集積し、臓器障害をおこす脂肪毒性の機序を明らかにするため、アンジオテンシンIIを持続投与した動物モデルの心臓、腎臓における脂質集積を検討したものであり、下記の結果を得ている。

1.ラットへのアンジオテンシンII持続投与により、血清中の総コレステロール、遊離脂肪酸、中性脂肪の濃度は増加し、アンジオテンシンII受容体拮抗薬のロサルタンの投与により、これらの血清中脂質濃度の増加は抑制された。またPPARγアゴニストのピオグリタゾンも血清中中性脂肪濃度の増加を抑制した。

2.ラットへのアンジオテンシンII持続投与により、心臓および腎臓の組織中の中性脂肪含有量やオイルレッドO染色にて赤染される脂質集積エリアは増加した。この中性脂肪含有量や脂質集積エリアの増加は、ロサルタンおよびピオグリタゾンの投与により抑制された。

3.ラットへのアンジオテンシンII持続投与により認められる脂質の集積部位と、スーパーオキサイドの過剰産生部位は一致していた。

4.ラットへのアンジオテンシンII持続投与により、脂質代謝に関連する遺伝子である、PPARα、PPARγ、SREBP-1c、FAS、HMG-CoAのmRNAの発現が亢進し、UCP2、UCP3のmRNAの発現が低下した。これらのmRNAの発現調節はロサルタン投与により抑制された。また蛋白レベルでは、アンジオテンシンII 投与により、phosphoAMPK、SREBP-1の発現が亢進した。これらの蛋白の発現調節はロサルタン、ピオグリタゾンの投与により抑制された。

5.ランゲンドルフ体外灌流により、アンジオテンシンII投与ラットの心機能を評価したところ、心収縮・拡張能が低下していたが、ピオグリタゾンを併用した群では、心収縮・拡張能の低下は抑制された。

6.ラットへのアンジオテンシンII持続投与により、尿中蛋白排泄量は増加するが、ピオグリタゾンの投与により、尿中蛋白排泄量の増加は抑制された。

以上、本論文にて、アンジオテンシンII投与が、脂質代謝関連遺伝子の発現を調節し、非脂肪組織である心臓、腎臓に脂質を集積させることにより機能障害を引き起こす可能性を示した。またPPARγアゴニストはアンジオテンシンIIによる脂質集積を抑制し、臓器機能障害を阻止した。本研究により、脂肪毒性とレニン・アンジオテンシン系の関連と、脂肪毒性に対するPPARγアゴニストの臨床応用の可能性を示し、今後の脂肪毒性のメカニズムの解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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