学位論文要旨



No 125963
著者(漢字) 周,宇ハン
著者(英字) Zhou,YuFan
著者(カナ) シュウ,ウハン
標題(和) 高血圧自然発症ラット(SHR)におけるインスリン抵抗性遺伝子KAT-1(kynurenine aminotransferase 1)欠損マウスの作製および解析
標題(洋)
報告番号 125963
報告番号 甲25963
学位授与日 2010.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第3442号
研究科 医学系研究科
専攻 内科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 大内,尉義
 東京大学 教授 永井,良三
 東京大学 特任準教授 安東,克之
 東京大学 講師 塚本,和久
 東京大学 特任講師 高橋,倫子
内容要旨 要旨を表示する

高血圧自然発症ラット(Spontaneously Hypertensive Rat:SHR)は、高血圧を指標とした選択交配の繰り返しにより確立された本態性高血圧症のモデル動物であり、同時に糖・脂質代謝異常等を呈する、いわゆるmetabolic syndromeの良いモデル動物である。SHRにおけるこれらの異常は、複数の遺伝因子と環境因子によって生じている複合遺伝形質 (complex trait)であり、その原因遺伝子自体はまだほとんど明らかにされていない。

SHRにおけるインスリン抵抗性原因遺伝子の染色体上での局在は、いわゆるQTL (quantitative trait locus) 解析によって同定されつつある。本研究室では、脳卒中を起こしやすいSHRであるSHRSPとWistar Kyoto rats(WKY)の交配によるF2を用いたQTL解析の結果、ラット3番染色体上のD3Mgh16の近傍に血圧上昇、体重減少と有意な連鎖を示すQTLの存在を認め、当研究室ではQTL法を用いて、その近傍に原因候補遺伝子として、kynurenine aminotransferase 1 (KAT-1) 遺伝子を同定した。

KAT-1遺伝子は、456アミノ酸よりなる蛋白質をコードし、そのmRNAは神経や腎臓、脂肪組織などに幅広く発現し、トリプトファンの代謝産物であるキヌレニンをキヌレン酸に変換する酵素として知られている。また、キヌレン酸はグルタミン酸などの興奮性アミノ酸の内因性拮抗物質として、興奮性アミノ酸受容体、特にグルタミン酸のNMDA受容体等を介して神経保護的に働くものと考えられている。さらに、SHRの脳や、延髄、腎臓では、正常血圧コントロールであるWKYに比べ、KAT-1活性が有意に低下していること、免疫組織染色でKAT-1が延髄の腹外側核などの血圧関連部位で発現していることなどより、KAT-1遺伝子がSHRの高血圧原因候補遺伝子として、注目されてきた。本研究室では、これまでに、Glu61Glyミスセンス変異を同定した

一方、血圧調節領域である延髄吻側腹外側野(rostral ventrolateral medulla :RVLM)では、グルタミン酸に代表される興奮性アミノ酸が作用し、血圧や心拍数を低下することが報告されている。本研究室では、KAT-1アデノウイルスベクターを用い、SHRのRVLMにmicroinjectionし、コントロールであるLacZに比べ、KAT-1導入SHRでは、血圧も心拍数も有意に低下し、交感神経活動のマーカーである24時間尿中カテコラミン分泌が有意に低下したことを示した。逆に、KAT-1をknockdownするsiRNAアデノウィルスベクターをRVLMに選択的に導入したWKYでは、血圧と心拍数が有意に上昇し、24時間尿中カテコラミン分泌の有意な増加したことにより、鏡像関係的にあることを確認した。

本研究では、KAT-1の果たす役割を明らかにするため、ジーンターゲティング法を用い、KAT-1ノックアウトマウスを作製、樹立した。野生型(WT)、Hetero、Homoマウスがほぼ通常の割合(1:2:1)で生まれ、これらのマウスの各組織において、northern-blot解析やreal-time PCR解析によるmRNAレベルの解析でも、western-blot解析による蛋白質レベルの解析でも、KAT-1のmRNAと蛋白質の発現は、Homoマウスで消失していることを確認した。

表現型の解析は現段階でまだバッククロスが終了していないhybridbackgroundのF3を用い行った。tail-cuff法とテレメトリー法により、血圧と脈拍を測定した。tail-cuff法にて12週齢の雄のマウスを用い、血圧と心拍数を評価した。KAT-1ノックアウトマウスはWTマウスに比べ、普通食下において収縮期血圧(SBP)が有意な上昇を示した(p<0.0001)。雌のマウスにおいても、普通食下においてHomoマウスはWTマウスに比べ、収縮期血圧が有意な上昇を示した(p<0.0001)。また、tail-cuff法にて6週齢から血圧と心拍数の経時変化を評価した。普通食下におけるHomoマウスはWTマウスに比べ、収縮期血圧が雄のマウスにおいて7週齢から、雌のマウスにおいて8週齢から有意な上昇を示した。

さらに、8週齢の雄マウスを用い、テレメトリー法による血圧と心拍数、および活動度を無拘束状態で連続監視した。WTマウスに比べ、Homoマウスは収縮期血圧の平均が約20mmHg高く、拡張期血圧の平均が約15mmHg高く、心拍数の平均が約100bpm多いことが確認された。

次に、12週齢の雄のマウスを用い、血糖値とインスリン感受性について検討した。普通食においてHomoマウスはWTマウスに比べ、有意な血糖値の上昇(p<0.05)を示した。一方、インスリン感受性に関しては、4時間絶食後、普通食下でのITTを行い、HomoマウスはWTマウスに比べ、いずれの時点でも血糖値が高く、KAT-1ノックアウトマウスではインスリン抵抗性が存在する可能性が示唆された。

また、12週齢の雄マウスを用い、24時間尿蛋白を評価した。普通食下においてHomoマウスはWTマウスに比べ、尿中蛋白の有意な増加を示した(p<0.02)。8週齢の雄マウスを用い、12週間高塩食下において、24時間尿カテコラミンを調べ、雄、雌の両方において、WTマウスに比べ、Homoマウスでは尿中アドレナリン、ノルアドレナリンおよびドパミンが高い傾向が見られ、KAT-1ノックアウトマウスの交感神経活動が亢進している可能性が示唆された。

さらに、高塩食、高脂肪食負荷はKAT-1ノックアウトマウスに与える影響についても検討した。12週間高塩食下でtail-cuff法にて血圧、心拍数を測定した。雄と雌の両方において、高塩食負荷により、3群のマウスの血圧がすべて上昇したが、Homoマウスの血圧が最も高いことが確認された。また、テレミトリー法にて高塩食下ではWTマウスに比べ、Homoマウスは収縮期平均血圧で約30 mmHg高いことが確認できた。同時にマウスの活動度も評価したが、HomoマウスはWTマウスに比べ、普通食下でも、高塩食下でも共に活動度が高いことが判明した。

一方、雄のマウスを用い、12週間高脂肪食下でtail-cuff法にて血圧、心拍数を測定し、雄と雌の両方において、3群とも血圧が上昇したが、Homoマウスの収縮期血圧が最も高いことが確認された。

12週間高脂肪食下で体重と組織重量、糖・脂質も評価した。高脂肪食下により、3群ともで脂肪組織重量が有意に増加した。Homoマウスの脂肪組織重量の増加はWTマウスに比べて軽度となる傾向が認められ、KAT-1の欠損が肥満の発症を抑制的に働く可能性が示唆された。

さらに、KAT-1のヒト相同遺伝子CCBL1は9番染色体の長腕(9q34)に存在しており、この領域は高血圧や2型糖尿病、内臓肥満と連鎖することが報告されており、ヒトにおいても、CCBL1の異常が高血圧、糖尿病、肥満の原因の一部となっている可能性が考えられる。

以上より、現時点においてhybrid backgroundの段階で、KAT-1ノックアウトマウスでは、1)血圧の上昇、2)血糖値の上昇、インスリン抵抗性の亢進、3)尿蛋白の増加、4) 高塩食負荷における血圧の更なる上昇、カテコラミン分泌の亢進、5)高脂肪食負荷において、血圧の更なる上昇、脂肪組織重量の低下、血糖値の更なる上昇、総コレステロール値の上昇抑制が認められた。今後、戻し交配を終了してから、上記表現型を再確認する予定である。

また、血圧、糖・脂質代謝、肥満に与える影響を明らかにするため、各肥満モデルマウス、動脈硬化モデル動物であるLDL受容体ノックアウトマウス、あるいはアポEノックアウトマウスとの交配による解析、アデノウイルスを用いたレスキュー実験、ヒトにおける解析等をさらに進めていく予定である。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は、SHR(Spontaneously Hypertensive Rat)の高血圧原因候補遺伝子としてのKAT-1(kynurenine aminotransferase 1)遺伝子の果たす役割を明らかにするため、KAT-1のノックアウトマウスを作製し、血圧、糖・脂質代謝、肥満、インスリン抵抗性等含めた解析および高塩食、高脂肪食等食餌負荷による影響に関する解析を試みたものであり、下記の結果を得ている。

1.ジーンターゲティング法を用い、KAT-1遺伝子の開始コドンを含むエクソン1~2にかけての領域(2165bp)を欠損させ、KAT-1ノックアウトマウスを作製、樹立した。

2. tail-cuff法とテレメトリー法により、血圧と心拍数を評価した。tail-cuff法にて12週齢の雄と雌の両方のマウスにおいて、Homoマウスは野生型(WT)マウスに比べ、普通食下において収縮期血圧が有意な上昇を示した。また、6週齢から血圧と心拍数の経時変化も評価した。普通食下におけるHomoマウスはWTマウスに比べ、収縮期血圧が雄のマウスにおいて7週齢から、雌のマウスにおいて8週齢から有意な上昇を示した。一方、テレメトリー法による血圧と心拍数、および活動度を無拘束状態で連続監視すると、WTマウスに比べ、Homoマウスは収縮期血圧の平均が約20mmHg高く、拡張期血圧の平均が約15mmHg高く、心拍数の平均が約100bpm多いことが確認された。高塩食下ではWTマウスに比べ、Homoマウスは収縮期平均血圧で約30 mmHg高いことが確認できた。高脂肪食負荷においても、3群マウスの血圧がすべて上昇したが、Homoマウスの血圧が最も高いことが確認された。

3. 12週齢の雄のマウスを用い、血糖値とインスリン感受性について検討した。普通食下においてHomoマウスはWTマウスに比べ、有意な血糖値の上昇を示した。一方、インスリン感受性に関しては、4時間絶食後、普通食下でのインスリン・トレランス・テストを行った結果、KAT-1ノックアウトマウスではインスリン抵抗性の存在が示唆された。高脂肪食下において、血糖値は、Homoマウスで高い傾向が認められた。

4. 12週齢の雄マウスを用い、24時間尿中の蛋白およびカテコラミン分泌を評価した。普通食下においてHomoマウスはWTマウスに比べ、尿蛋白の有意な増加を示した。12週間高塩食下において、雄、雌の両方において、WTマウスに比べ、Homoマウスでは24時間尿中カテコラミン3分画が高い傾向が見られ、KAT-1ノックアウトマウスの交感神経活動性が亢進している可能性が示唆された。

5. 高脂肪食負荷において、Homoマウスの脂肪組織重量の増加はWTマウスに比べて軽度となる傾向が認められ、KAT-1の欠損が肥満の発症に抑制的に働く可能性が示唆された。

6. Homoマウスでは高脂肪食下での血清総コレステロール値の上昇が有意に軽度となることが確認された。高脂肪食下において、KAT-1の欠損は総コレステロール値上昇に対する抵抗性に関与する可能性が示唆された。

以上、本論文はKAT-1ノックアウトマウスにおける血圧、心拍数、交感神経活動性および血糖・脂質の解析から、KAT-1遺伝子が高血圧発症や糖および脂質代謝と強く関連することを明らかにした。本研究はSHRにおける高血圧などの異常の発症機序を明らかにし、ひいてはヒトにおける高血圧やmetabolic syndrome発症機序を明らかにする上で重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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