学位論文要旨



No 125969
著者(漢字) 石井,智子
著者(英字)
著者(カナ) イシイ,トモコ
標題(和) 急性腎障害に伴う急性肺障害(AKI-induced ALI)における好中球エラスターゼの関与の検討
標題(洋)
報告番号 125969
報告番号 甲25969
学位授与日 2010.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第3448号
研究科 医学系研究科
専攻 内科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 矢作,直樹
 東京大学 教授 五十嵐,隆
 東京大学 特任准教授 安東,克之
 東京大学 講師 下澤,達雄
 東京大学 講師 榎本,裕
内容要旨 要旨を表示する

背景および目的

急性腎不全(Acute Renal Failure :ARF)とは、急速な腎機能低下により体液の恒常性が維持できなくなり、高窒素血症、体液過剰、水電解質異常、その他腎不全症状をきたす症候群である。保存的治療しかなかった1940年代では、ARFによる死亡率は80~90%以上であったが、血液浄化療法の発達により死亡率は30~50%へと劇的に改善した。しかし、その後数十年間は治療成績の改善がなく、ICU患者においても約6%がARFを呈していることから、いまだ克服されていない疾患の一つと認識されている。また、血清クレアチニン値がわずか0.3mg/dlほど上昇しただけで死亡のリスクは4.1倍にも上昇するという大規模観察研究での報告があり、わずかな腎機能低下が予後不良因子となるため、早期より治療介入して予後改善に努めることが強調されるようになり、急性腎不全を形態的かつ機能的な腎障害と捉え、急性腎障害(Acute Kidney Injury:AKI)という概念が最近提唱されるに至った。

AKIは単に腎臓のみの障害だけではなく、AKIにより遠隔臓器である肺・心臓・脳などさまざまな臓器に影響を及ぼすことが知られている。AKIに合併する他臓器障害と生命予後を検討した報告では、AKIに急性肺障害(Acute Lung Injury:ALI)を合併した場合は特に予後不良となり、その死亡率は80%以上に及ぶ。近年、動物モデルにおいて急性腎障害に伴う急性肺障害(AKI-inducd ALI)の研究が進められ新たなメカニズムが判明し注目されている。AKI-inducd ALIとしては、古くは1950年代より "尿毒症肺"が知られており、"volume overloadによるうっ血した肺毛細血管の透過性亢進"状態を反映しているものと考えられていた。しかし、最近ではvolume overload以外のメカニズムがあり、Kidney-Lung Crosstalkとして炎症・自然免疫・酸化ストレス・アポトーシスなどの関与が指摘されている。げっ歯類でAKI-induced ALIの発症機序に関する研究が散見されるが、AKIのモデルとしては腎虚血再灌流あるいは両腎摘出(bilateral nephrectomy: BNx)モデルを用いた報告が主流であり、どちらのモデルにおいても肺障害の特徴として好中球浸潤が挙げられている。

ALIにおいて、好中球はプロテアーゼや活性酸素種(reactive oxygen species:ROS)の放出など病因に関する中心的な役割を果たしているが、その中でも特に好中球エラスターゼ(neutrophil elastase: NE)はALIの病態改善のため治療介入できるターゲットと考えられている。NEは分子量約30 kDaの中性のセリンプロテアーゼであり、好中球のアズール顆粒(ライソゾーム)に存在する糖蛋白である。正常では、a1-アンチトリプシンなどの内因性プロテアーゼインヒビターが大量に存在し、NE活性は厳密に制御されている。しかし、炎症局所や感染病巣では、NEと内因性プロテアーゼインヒビターとの量的、あるいは質的な不均衡が生じることによりNEが組織傷害を引き起こすと考えられている。重要な問題点として、NEはバクテリアのみならず宿主組織も破壊することである。

NE特異的阻害剤であるシベレスタットナトリウム水和物(sivelestat sodium hydrate: ONO-5046、エラスポール(R))は日本で認可・販売されている薬剤である。日常臨床においては、"全身性炎症反応症候群(systemic inflammatory response syndrome:SIRS)に伴うALI "において保険適応となっており、ONO-5046の保護的効果が報告されている。

これまで、過去の報告ではAKI-induced ALIについてのONO-5046の効果を証明した研究は存在しない。本研究ではAKI-induced ALIの特徴として好中球浸潤が挙げられる点に注目し、マウスBNxモデルを用いてAKI-induced ALIにおけるNEの関与および炎症性サイトカインの変化についてONO-5046を用いて検討することとした。また、ONO-5046の生命予後延長効果についても検討を行った。

方法

8~10週齢のC57BL/6マウス(雄)を使用し、BNxによりAKIモデルを作成した。BNxマウスにONO-5046を投与した群(BNx+ONO-5046群)、BNxマウスに生理食塩水を投与した群(BNx+saline群)、コントロールとして疑似手術の群(Sham群)を用意し、BNx+ONO-5046群は両腎摘手術の11時間前から11時間おきにONO-5046 50mg/kgを、BNx+saline群とSham群に対しては生理食塩水を腹腔内投与した。両腎摘手術後から6時間あるいは24時間の時点で血液や肺組織を採取し各種解析を行った。なお、生存解析については同様の投薬・両腎摘手術のプロトコールであるが、ONO-5046あるいは生理食塩水の投与は11時間ごとに継続してゆき、自然死を観察した。

結果

BNxにより時間の経過とともにBUNは著明な上昇を認め、AKIモデルが作成できていることを確認した。

BNx 24h時点での体重変化率(%)と肺の湿乾重量比(lung wet/dry ratios: W/D比)はBNx+saline群、BNx+ONO-5046群、Sham群の各群間には有意差は認めなかったことから、今回のAKIモデルでは明らかなvolume overloadの関与はないことが示された。

病理組織学的検討において、HE染色ではBNx+saline群あるいはBNx+ONO-5046群のいずれにおいても肺組織における間質の浮腫は認めなかった。抗好中球抗体(anti-neutrophil antibody)による免疫染色ではBNx+saline群でBNx 6h, 24hとも好中球浸潤を認めたが、BNx 24hに比較するとBNx後早期である6hの方が顕著であった。また、好中球浸潤はONO-5046の投与によりBNx 6h, 24hとも改善が見られることが示された。

肺における血管透過性亢進の指標となるBALF(bronchoalveolar lavage fluid)蛋白は、BNx 6hでは上昇を認めず、各群間でも有意差は認めなかった。一方、BNx 24hではBNx+saline群ではBALF蛋白の上昇を認め、BNx+ONO-5046群では低下を認めた。

BALF沈渣の細胞数カウントでは、いずれの群も細胞数は正常範囲内であり有意差を認めなかった。それゆえ、塗抹標本においても、いずれの群でも好中球数の増加は認められなかった。

血漿NE活性はBNx+saline群においてBNx 6hの時点で上昇を認めたが、BNx 24hでは低下していた。また、BNx 6hに関しては、ONO-5046の投与によって血漿NE活性の有意な低下が認められた。BALFでのNE活性測定も行ったが、いずれの群でも測定感度以下であった。

抗NE抗体(anti-NE antibody)によるWestern blot解析結果では、BNx 6h と24hにおいてBNx+saline群での肺組織でのNE蛋白発現の増加を認めた。またBNx 6hと 24hともONO-5046の投与によりNE蛋白発現が抑制されていた。これらの結果はデンシトメトリー法による解析で有意差を認めた。

肺組織での炎症性サイトカインの関与を検討するため定量的リアルタイムPCRにてIL-6、 KC、TNF-aのmRNAの発現量について解析した。これらのサイトカインの発現量はいずれもBNx+saline群で上昇し、BNx+ONO-5046群では低下していた。サイトカインの発現についてはBNx 24hに比較し、BNx 6hの方が顕著であった。

ELISA法による血漿KC(keratinocyte-derived chemokine)測定はBNx 6hの時点でBNx+saline群は顕著に上昇し、BNx+ONO-5046群で低下していた。BNx 24hに関してはBNx+saline群で低下をしていたためBNx+ONO-5046群との有意差を認めなかった。血漿KCの上昇についてもBNx 24hと比較し、BNx 6hの方が顕著であった。

生存期間についての検討では、本研究におけるAKIモデルは両腎摘(BNx)であるため自然経過において死亡は避けられない状態であるが、BNx+saline群とBNx+ONO-5046群を比較するとBNx+ONO-5046群の方が死亡までの生存期間に有意な延長がみられた。

最後に血中の肝酵素測定を行った。過去の報告と同様に、BNxマウスは有意な肝酵素(AST, ALT)の上昇を認めた。また、ONO-5046の投与により肝酵素の低下は認められなかった。

考察および結論

NE特異的阻害剤であるONO-5046は、本邦においてSIRSに伴うALIに対しての治療薬として使用されているが、本研究はマウスBNxによるAKI-induced ALIにおいても、その病態を改善することを示した。また、NEがAKI-induced ALIの発症機序において重要な役割を果たしていることが判明した。

BNxによるAKI-induced ALIモデルでは、体重変化率あるいは肺W/D比がSham群と比較し変化がなかったことより体液過剰状態は認めず、これは過去の報告とも一致した。また本研究におけるBNxモデルでは、病理組織所見における好中球浸潤像、血漿NE活性・肺組織のNE蛋白・BALF蛋白・肺組織の炎症性サイトカイン・血漿KCの上昇などを認め、これらの所見はONO-5046の投与により改善を認めた。またONO-5046による生命予後延長効果も認めた。

本研究におけるNEに関しては、BNx後早期の6hではBNx+saline群の血漿NE活性が上昇した。これは、BNxによる急速な腎機能低下によるAKIが、内因性NEプロテアーゼインヒビター不活性化のtriggerになっている可能性がある。また、内因性NEプロテアーゼインヒビターであるa1-アンチトリプシンやa2-マクログロブリンは肝臓で産生されているが、BNxによる肝障害や肝機能低下による内因性プロテアーゼインヒビターの産生低下もNE活性化のtriggerになっている可能性も挙げられる。血漿NE活性は24時間後にはSham 群とほぼ同程度まで低下したが、これは過去の報告で血清IL-6や血清KCがBNx 24hでSham群のレベルまで低下していた結果と同様であった。また、Western blot における肺組織でのNE蛋白の解析では、BNxでNE蛋白の発現上昇とONO-5046の投与による発現低下を認めたが、これはNE蛋白が肺組織における好中球浸潤や好中球活性化を示唆する所見と思われる。

ONO-5046は、いくつかの動物モデルを用いたリポ多糖類(LPS)誘発性肺障害における炎症、血管透過性亢進や好中球浸潤を改善することが報告されているが、本研究で用いたBNxモデルは、LPS投与等の他のALIモデルと比較すると、ALIとしての変化はかなり軽度である。日常臨床におけるONO-5046の効果に関しては、有効性を証明できなかった報告(ALI患者492症例を対象としたSTRIVE study)もあるが、STRIVE studyでは高齢者あるいは重症例が多かったのではないかという問題点も一方では指摘されている。これらの議論より、肺障害が高度に進行した重症例に対してはONO-5046の効果は期待できないかもしれないが、本研究結果も踏まえるとALIでの早期使用や軽症例に対してONO-5046は有効である可能性は十分にあることを示唆している。

これまで、AKI合併のALI症例に対してONO-5046を評価した臨床研究の報告はなく、またAKI発症というエピソードのみでALIが既に生じている可能性があるという認識は広くは浸透していなかったものと考えられる。本研究では、AKI発症のみでALIが生じるという過去の報告に一致した所見を認め、AKI-induced ALIには好中球とNEが重要な役割を果たしており、AKI発症早期よりONO-5046を投与することによりALIのみならず生命予後まで改善していることを示しており、日常臨床においてAKI合併のALI症例は死亡率が非常に高い状況を考慮すると今後注目すべき点と思われる。またONO-5046のみならず、AKI-induced ALIにおいてNE不活性化をターゲットにした治療戦略は新しい治療方法及び薬剤に発展してゆく可能性がある。今後はヒトのAKI症例を対象に、早期の段階でONO-5046を投薬することで、その後のALIの合併率減少や生命予後改善効果について臨床的な検討も望まれる。

結論であるが、BNxによるAKI-induced ALIは好中球浸潤が特徴であり、今回の研究により肺への好中球浸潤と同時に、NEの活性化も関与していることが初めて示された。また、NE特異的阻害剤であるONO-5046は、AKI-induced ALIにおいて血漿NE活性・血漿KC、肺組織での好中球浸潤・NE蛋白、血管透過性亢進や炎症性サイトカインを改善し、かつONO-5046の生命予後改善効果を初めて明らかにした。これらの所見から、本研究はAKI-induced ALIにおいてNEが重要な役割を果たしており、ONO-5046の保護的な効果を初めて報告したものである。また、AKI-induced ALIにおいてNE不活化をターゲットにした新たな治療法の創造は、今後の治療戦略の一つになる可能性が示唆される。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は急性腎障害に伴う急性肺障害(Acute Kidney Injury-induced Acute Lung Injury: AKI-inducd ALI)では肺への好中球浸潤が特徴とされている点に着目し、AKI-inducd ALIにおける好中球エラスターゼ(neutrophil elastase: NE)の関与についてNE特異的阻害薬であるシベレスタットナトリウム水和物(ONO-5046)を用いて検討を試みたもので、下記の結果を得ている。

1. マウス両腎摘(bilateral nephrectomy: BNx)にて急性腎障害(acute kidney injury: AKI)モデルを作成しているが、本モデルでは体重変化率や肺の湿乾重量比(W/D比)および肺病理組織所見より明らかなvolume overloadおよび肺水腫の関与はないことを示した。

2. 肺病理組織所見における抗好中球抗体(anti-neutrophil antibody)による免疫染色ではBNx+saline群でBNx 6h, 24hとも好中球浸潤を認め、BNx後早期である6hの方がより好中球浸潤が顕著であった。また、好中球浸潤はONO-5046の投与よりBNx 6h, 24hとも改善を認めた。

3. 血漿NE活性はBNx+saline群においてBNx 6hの時点で上昇を認め、ONO-5046投与によって血漿NE活性の有意な低下が認められた。抗NE抗体(anti-NE antibody)によるWestern blot解析結果では、BNx 6h と24hにおいてBNx+saline群でのNE蛋白発現の増加を認めた。またBNx 6hと 24hともONO-5046投与によりNE蛋白発現が抑制されていた。これらの結果はデンシトメトリー法による解析で有意差を認めた。

4. 肺における血管透過性亢進の指標となるBALF(bronchoalveolar lavage fluid)蛋白は、BNx 24hでBNx+saline群ではBALF蛋白の上昇を認め、BNx+ONO-5046群では低下を認めた。

5. 肺組織における炎症性サイトカイン(IL-6、KC、TNF-a)の関与についての検討を定量的リアルタイムPCRにて行い、これらのサイトカインのmRNA発現量はいずれもBNx+saline群で上昇し、BNx+ONO-5046群では低下していた。サイトカインの発現についてはBNx 24hに比較し、BNx 6hの方が顕著であった。また、ELISA法による血漿KC(keratinocyte-derived chemokine)測定はBNx 6hの時点でBNx+saline群は顕著に上昇し、BNx+ONO-5046群で低下していた。

6. 本研究におけるAKIモデルは両腎摘(BNx)であるため自然経過において死亡は避けられない状態ではあるが、生存期間についての検討を行ったところ、BNx+saline群とBNx+ONO-5046群を比較するとBNx+ONO-5046群の方が死亡までの生存期間に有意な延長がみられた。

以上より本研究はAKI-induced ALIにおけるNEの関与を初めて示したものであり、NE特異的阻害剤であるONO-5046は、AKI-induced ALIにおける病態改善と生命予後延長効果を示すことを明らかにした。本研究はAKI-induced ALIにおける新たな知見を示したものであり、NEをターゲットとしたAKIおよびAKI-induced ALIの新規治療方法の開発に重要な役割を果たすと考えられるため、学位の授与に値するものと思われる。

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