学位論文要旨



No 125973
著者(漢字) 小川,直美
著者(英字)
著者(カナ) オガワ,ナオミ
標題(和) 日本人のマルファン症侯群の臨床像の評価とマイクロアレイ法による遺伝子診断法の確立
標題(洋) Evaluation of Clinical Features and Development of Microarray-Based Resequencing System for Japanese Patients with Marfan Syndrome
報告番号 125973
報告番号 甲25973
学位授与日 2010.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第3452号
研究科 医学系研究科
専攻 内科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 本間,之夫
 東京大学 特任准教授 小川,誠司
 東京大学 特任准教授 後藤田,貴也
 東京大学 講師 竹中,克
 東京大学 講師 本村,昇
内容要旨 要旨を表示する

背景

マルファン症侯群はフィブリリン1遺伝子(FBN1)の異常による常染色体優性遺伝の遺伝病であり、全身の結合組織を障害する。特徴的な症状は、視覚系、骨格系、循環系などに現れ、循環器系では、大動脈基部拡張症や、大動脈瘤、大動脈解離などを来たし、予後に大きな影響を及ぼす。有病率は5,000~10,000人に1人であり、約75%は親からの遺伝であり、約25%は新生突然変異として発症する。マルファン症候群は家族歴や各臓器の特徴的症状の観察に基づく臨床的診断名であり、ゲント基準を用いて診断されることが多い。診断基準の4大基準は上行大動脈の拡張もしくは解離、水晶体亜脱臼、硬膜拡張、8つの骨所見のうち4つを有することである。大基準以外に自然気胸や、皮膚の萎縮線条等の小基準が存在する。家族歴または、FBN1の変異がある場合は、大基準1項目と小基準1項目を満たせば診断が確定するが、家族歴や遺伝子変異がない場合は、大基準2項目と小基準1項目を満たさなくてはならない。FBN1は古典的マルファン症候群に関連することが知られている唯一の遺伝子であるが、近年、TGFβ受容体I型II型(TGFBR1, 2)遺伝子がマルファン症侯群の特徴的症状をいくつか呈する患者にて変異しているという報告が出てきている。FBN1は巨大な遺伝子で、かつ今まで報告された変異が遺伝子全長に渡って万遍なく存在するため、遺伝子解析を行うのに時間と労力がかかるのが難点であり、日常診療では行われることは少ない。そこで本研究では、従来の直接シークエンス法ではなく、高速大量シークエンスを可能としたマイクロアレイによる遺伝子解析法をマルファン症侯群に活用することを試みた。

また、マルファン症侯群の病態生理としては、従来フィブリリン1の異常による細胞外基質の構造的な異常が唱えられていたが、近年フィブリリン1に結合しているサイトカインであるTGFβの異常が指摘されている。FBN1遺伝子改変マウスなどの検討から異常なフィブリリン1はTGFβを結合させておくことが出来ないため、遊離したTGFβが活性化を受け、それ以降のTGFβシグナル伝達経路が亢進してしまうという仮説がある。降圧薬のARB(アンギオテンシン受容体拮抗薬)はTGFβを抑制する作用を持つため、マルファン症侯群の病態進展を抑制する可能性がマウスおよび少数の小児例での検討で示されつつある。本研究では、マルファン症侯群において、血液中のTGFβが上昇しているかどうかを調べ、TGFβがマルファン症侯群の診断マーカーや、レニン・アンギオテンシン系抑制薬による治療の効果判定に活用できうるかを検討した。

方法

マルファン症侯群用のマイクロアレイをデザイン・作成し、当院マルファン外来を受診した58家系70人において遺伝子解析を行った。マイクロアレイには、正中の塩基のみがA,G,C,Tの4種類が用意された、読み取る配列に相補的な配列を持つ25塩基のプローブが並んで配置されており、被験者のDNAが4種類のうちどのプローブに強固にハイブリダイゼーションするかで一つ一つの塩基配列を読み取る原理になっている。DNAは血液から採取し、PCRでFBN1, TGFBR2の領域を増幅し、マイクロアレイにハイブリダイズさせ、得られる蛍光シグナルを検出装置にて取り込み、専用のソフトウエアにて配列解析を行った。同時にゲント基準に基づいて収集した臨床像との関連性についても評価した。

また、14名のマルファン症侯群の患者(未投薬7名、ARBまたはβ遮断薬投薬中7名)と健常人11名において、血漿中のTGFβ1値を、ELISAと電気化学発光法の2つの方法にて測定した。TGFβ1は血小板の活性化により血液中に放出されるため、血小板活性化の影響の有無をみるために、血小板第4因子も測定した。

結果

マイクロアレイ法にて58家系のうち36家系のFBN1の遺伝子変異が見つかった。全ての変異は直接シークエンス法でも確認することができた。18種類がミスセンス変異(2家系が同一変異を保持)、8種類がナンセンス変異、9種類がスプライシングを起こすと思われる変異であった。スプライシング変異を起こすと思われる変異の割合は23.7%であり、既報の13%より高い割合であった。マイクロアレイ法で、変異が認められなかった家系については、直接シークエンス法も行い、さらに2つの家系で2つの欠失変異を認めた。26個の変異が新しい変異であった。

マイクロアレイ法では、12688塩基対のシークエンスを8人分同時に3日以内で高速に行うことが可能であった。また通常直接シーケンス法では、波形を目視確認する必要があり手間と時間がかかるが、マイクロアレイ法では、蛍光を数値化したデータを瞬時に計算して変異部分のみを表示できるため、データの取得から数分以内に変異の判定が可能であった。遺伝型と表現型との関連については、従来唱えられているものとして、重症型の新生児マルファンではFBN1エクソン24-32の領域に変異を持つという説があるが、その領域に変異を持っていた4人の中では新生児マルファンを呈している者はいなかった。また、蛋白質のジスルフィド結合に関与するシステイン残基の変異は、水晶体亜脱臼と関連するとの報告があり、これに関しては、有意な差は認めたものの、症例数が少なく、さらなる検討が必要であった。スプライシング変異の可能性がある変異を持つ人のうち2人では、大動脈からのcDNAを用い、ユニークなスプライシング異常をみつけることができた。また、大動脈組織がない人では、末梢血白血球からフィブリリン1のmRNAを抽出してシーケンスすることに成功し、スプライシング変異を確認することができた。

臨床情報のみによる診断で境界領域であった10名のうち5名はこの遺伝子診断によりマルファン症侯群の診断が確定した。

マルファン症侯群における血中TGFβ1値の検討では、未投薬のマルファン症侯群、投薬中のマルファン症侯群が、健常人より有意に高値をとったが、その差は軽微なもので、日間変動によっても説明できうる程度の差であった。第4因子は各群で有意な差はなかったものの、個人間での変動が大きかった。第4因子とELISAによるTGFβ1の測定は同一検体を用い連続して測定したが、両者の間に有意な正の相関を示し、血小板の活性がTGFβ1値の上昇の一因である可能性も示唆された。

考察

マイクロアレイ法による遺伝子解析は、96%以上のベースコールを持ち、点変異を100%の精度で検出することが可能であった。ゲント基準陽性患者においては、68.9%の変異検出率であり、既報に比較し劣ってはいなかった。また、8人分の遺伝子解析を3日以内に行うといった高速大量シーケンスを可能とし、マルファン症侯群の遺伝子解析に有用であることが示された。マイクロアレイ法は25塩基のプローブへの結合度合により配列を判定しているため、挿入、欠失のような変異がある場合、変異アレルが結合しづらくなり変異が検出しにくくなるという弱点があるが、マルファン症侯群の既報の変異の統計では、点変異が84%と大部分を占めており、マルファン症侯群にマイクロアレイ法は適していると思われる。変異が検出されなかった人においては、直接シーケンス法や、エクソンを丸ごと欠失するような変異の検出のためにMLPA法などの他の方法が必要である。スプラインシング変異が予想より高率で発見されたことは、エクソン・イントロン結合部をきちんとシーケンスする重要性や、DNAのみならず、mRNA由来のcDNA配列の評価も行い、スプライシング様式を確認することの重要性を示唆している。遺伝型と表現型の関連については、システインが関与するミスセンス変異と水晶体亜脱臼の間に有意な相関がみられたが、母集団の数がやや少ないことから、今後人数を増やして更なる検討が必要である。それ以外に、明瞭な遺伝型と表現型の相関は見られなく、FBN1の変異がどのように病態形成に結びついていくのかについては、今後違った切り口での解明が必要である。

血中TGFβ1に関しては、マルファンと健常者の間に有意な差は見られたものの、その差は軽微なものであった。最近マルファン症侯群で健常者に比較して血中TGFβ1が約6倍も高値であったとする報告が出たが、マルファン症侯群の中でも値の個人差が非常に大きく、1回の測定のみで、血小板活性化の程度も測定していない報告であった。彼らの患者の一部や当院の患者にて低値をとっていることは、血中TGFβ1がマルファン症侯群の診断マーカーとしては使えないことを示唆する。彼らは違う患者から構成される未投薬マルファン群と投薬中のマルファン群の血中TGFβ1の平均値に差があったため、それを薬の効果としており、治療マーカーとしての可能性を唱えていたが、値の個人差がもともと大きい以上、異なる患者間での比較をして薬剤の影響を見ること自体が危険である。本研究の結果はマルファン症侯群で血中TGFβ1が高い人が存在することを否定できるものではなく、血中TGFβ1が高いマルファン症侯群患者がいる場合は、高値に影響する因子を吟味していくことが今後の課題である。血中TGFβ1値を日常診療で用いるにはさらなる検討が必要である。TGFβシグナル伝達経路について実際に活性化が生じているか否かについては、主として遺伝子改変マウスでの検討がほとんどであり、実際のヒト組織を用いた検討が必要と思われる。今後それらの検討も踏まえ血中TGFβ1値の臨床的意義が定まるものと考えられる。

結語

・マイクロアレイ法を用いた高速シークエンス法はマルファン症候群の遺伝子診断に非常に有用であり、またこの方法により多数の新規変異の検出が可能であった。

・血中TGFβ1濃度とマルファン症候群との関連性を検討したが、マルファン症候群でやや高値を示すものの、その診療マーカーとしての有用性は乏しく、マルファン症候群の病態形成におけるTGFβ系の病態生理学的意義については今後、病理学的・遺伝学的見地から更に検討が必要と考えられた。

審査要旨 要旨を表示する

本研究はマルファン症候群に関する臨床像の評価およびマイクロアレイを用いた遺伝子解析法による遺伝子解析の実践を通じて下記の結果を得ている。

1. マルファン症侯群は常染色体優性遺伝の遺伝病である。診断にはゲント基準が用いられ、原因遺伝子フィブリリン1の変異の存在は大基準の一つであるにも関わらず、原因遺伝子が大きく、解析に手間と時間がかかることから、遺伝子解析があまり行われていないのが現状であった。そこで、本研究では、高速・大量シーケンスを可能とするマイクロアレイ法を適用し、マルファン症候群での有用性を検討した。マルファン症候群用にマイクロアレイをデザイン・作成し、東京大学医学部附属病院におけるマルファン外来や心臓外科外来を受診した58家系70人において遺伝子解析を行い、36家系に変異を同定し得た。そのうち26個が新規変異であった。変異検出率は約69%と従来法に遜色なく、点変異を100%の精度で同定することが可能であった。また、12688塩基対のシークエンスを8人分同時に3日以内で行うなど、高速大量シーケンスが可能であった。変異の種類としては、特にスプライシング変異を多数同定したことは特筆に値する。また、ボーダーライン4名ならびに診療上の制約から臨床評価を完全に行うことができずに診断が定まっていなかった1名の合計5名において、遺伝子解析で変異が見つかったことにより、マルファン症候群の確定診断をつけることが可能であった。

マルファン症候群患者の臨床所見については、ゲント基準の項目が検討されたが、その内、硬膜拡張や手首・親指サイン、高口蓋、萎縮線条などが高い頻度で見受けられ、これらの項目の検討を漏らさず行うことの重要性を提起したとともに、ほとんど見受けられることがなかった僧帽弁輪石灰化や、反複するヘルニアなどに関しては、診断基準としての再検討を提起する結論となった。

遺伝子変異と表現型との関連性について検討したところ少数例ながらシステイン残基に関わる変異が水晶体亜脱臼に関連することが示された。上記のように高速シークエンス法はマルファン症候群の遺伝子診断に有用であることが示された。

2. 血中TGFβ1濃度とマルファン症候群との関連性を検討したが、マルファン症候群でやや高値を示すものの、その診療マーカーとしての有用性は乏しく、マルファン症候群の病態形成におけるTGFβ系の病態生理学的意義については今後、病理学的・遺伝学的見地から更に検討が必要と考えられた。

以上、本論文は日本人におけるマルファン症候群の臨床像を明らかにするとともに、新しい遺伝子解析手法であるマイクロアレイ法の有用性を示し、それを導入することにより多数の新規遺伝子変異を同定している。またマルファン症候群の病態形成に関わると考えられるTGFβの意義についても検討を行っている。本研究は欧米人とは異なる日本人におけるマルファン症候群の臨床像・遺伝要因を詳細に示し、この領域の診療における大きな進歩をもたらすものと考えられ、その貢献度は非常に大と考えられ学位の授与に値するものと考えられる。

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