学位論文要旨



No 125974
著者(漢字) 梶原,晴香
著者(英字)
著者(カナ) カジワラ,ハルカ
標題(和) ヘリコバクター・ピロリ除菌後の胃食道逆流症の発症および経過に関する検討
標題(洋)
報告番号 125974
報告番号 甲25974
学位授与日 2010.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第3453号
研究科 医学系研究科
専攻 内科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 名川,弘一
 東京大学 教授 瀬戸,泰之
 東京大学 教授 長瀬,隆英
 東京大学 准教授 四柳,宏
 東京大学 准教授 藤城,光弘
内容要旨 要旨を表示する

[背景・目的]

胃食道逆流症(以下、GERD)という概念が形成されたのは、最近10-20年のことであるが、GERDの診断は逆流性食道炎を含む身体的合併症や胸やけなどの逆流関連症状の2つの側面から行われる。

一方、ヘリコバクター・ピロリ(以下、H. pylori)感染の多くは生涯に渡って持続し、胃・十二指腸潰瘍、胃MALTリンパ腫、胃癌、萎縮性胃炎など様々な上部消化管疾患の併発を惹起する。

H. pylori除菌に成功すると、組織学的胃炎が改善して、胃・十二指腸潰瘍は予防されることが立証されている。また、胃癌などの予防に結びつくことが期待される。しかしながら、日本では除菌後酸分泌が増加し、逆流症状の出現や悪化、あるいは逆流性食道炎の増加が一過性に見られると言われており、長期的な影響については未だに充分な検討がなされていない。

以上のことをふまえ、H. pylori除菌療法後患者におけるGERDに着目し、除菌療法が内視鏡所見(内視鏡的GERD)および自覚症状(逆流関連症状)に及ぼす短期的・長期的影響を明らかにする。

A. 除菌後の内視鏡的 GERDの発生頻度と発生に関わる因子に関する検討

1) 方法

1. 対象

1996年から2008年までに、H. pylori除菌療法を施行した307人を対象とした。服薬歴に関しては、H. pylori除菌前の上部消化管内視鏡検査施行時より1ヶ月以内の酸分泌抑制薬の内服の有無を記録した。内視鏡検査結果は、胃癌(GC)、胃潰瘍(GU)、十二指腸潰瘍(DU)、胃十二指腸潰瘍(GU・DU)、萎縮性胃炎(AG)、その他の6群に分類した。

二次除菌、三次除菌を施行されたものは一次除菌の結果のみを検討対象とした。

2. 内視鏡的GERDの評価

1名の内視鏡医により上部消化管内視鏡検査施行時に撮影された内視鏡写真を判定した。判定は、改変ロサンゼルス分類を用い、Grade N~Grade Dのいずれかに分類した。

3. 検討項目

以下の3つの項目に関して検討した。

(1)除菌前後の内視鏡的GERDの発生頻度

H. pylori除菌療法前(以下、除菌前)、除菌療法1年後(以下、除菌1年後)、除菌療法2年後(以下、除菌2年後)、除菌療法5年後(以下、除菌5年後)それぞれについて、内視鏡的GERDの発生数と発生頻度を改変ロサンゼルス分類に従って分類した。

(2)除菌療法の成否と内視鏡的GERDとの関係

除菌療法成功群と除菌療法失敗群に分け、内視鏡的GERDの発生数と発生頻度について検討した。

(3)除菌療法による内視鏡的GERDの発生に関わる因子

除菌1年後の内視鏡所見が除菌前より1段階悪化した場合を除菌後内視鏡的GERD1段階悪化あり、2段階悪化した場合を除菌後内視鏡的GERD2段階悪化ありとして、年齢、性別、除菌の成否、除菌前GERDの有無、除菌前酸分泌抑制薬内服の有無、除菌1年後酸分泌抑制薬内服の有無、疾患について比較した。

2) 結果

1. 患者背景

当科で除菌療法を施行する際、除菌前に自覚症状に関するアンケートを実施した例は307例であった。これら307例について、性別は、男性195例、女性112例。平均年齢は55.3歳。除菌前の基礎疾患は、GCが3例、GUが37例、DUが32例、GU・DUが2例、AGが210例、その他が23例であった。除菌前の服薬状況は、PPI内服が49例、H2RA内服が93例、酸分泌抑制薬の内服がない者が165例であった。307例のうち、一次除菌は294例、二次除菌は12例、三次除菌は1例に施行された。

2. 除菌療法前後の内視鏡的 GERDの頻度 (短期・長期)

Grade M以上の内視鏡的 GERDは除菌後の年数経過とともに増加傾向にあった(P=0.00050)。

除菌前・除菌1年後のGrade M以上の内視鏡的GERDの割合は、除菌前が8.7%(N=11)、 除菌1年後が16.5%(N=21)と、統計学的な有意差に達しないが(p=0.059)、除菌1年後で増える傾向にあった。

除菌前と除菌1年後のいずれも内視鏡を施行した127例について、前後の内視鏡所見を比較したところ、除菌前と1年後の間で有意な増悪を認めた(P=0.0083)。また除菌1年後と2年後のいずれも内視鏡を施行した89例については、除菌1年後に有意にGradeの進行を認めたが(P=0.0058)、1年後から2年後にかけては変化なかった(P=0.94)。しかしながら、そのうち5年後にも内視鏡を施行した45例については、2年後よりさらに有意なGradeの進行を認めた(P=0.0072)。

3. 除菌療法の成否と内視鏡的GERDとの関係

除菌前と除菌1年後のいずれも内視鏡を施行した127例のうち、除Grade M以上の内視鏡的GERDの割合は、除菌成功例では除菌前が6.5%(N=7)、 除菌1年後が15.9%(N=17)と、除菌1年後で有意に増える傾向にあった(p=0.030)。除菌失敗例では除菌前後で変化は見られなかった。

除菌成功例107例について、除菌前と除菌1年後の内視鏡所見を比較したところ、有意なGradeの進行を認めた(P=0.012)。また除菌1年後と2年後のいずれも内視鏡を施行した78例については、1年後から2年後にかけては変化なかった(P=1.0)。しかしながら、そのうち5年後にも内視鏡を施行した40例については、2年後よりさらに有意なGradeの進行を認めた(P=0.0044)。同様に、除菌失敗例20例については除菌前と除菌1年後で有意なGradeの進行は認めなかった(P=0.16)。また除菌1年後と2年後のいずれも内視鏡を施行した11例については、1年後から2年後にかけては変化なかった(P=1.0)。5年後にも内視鏡を施行したのは5例であったため検討からは除外した。

4. 除菌療法によるGERDの発生に関わる因子

除菌1年後 Gradeで1段階以上の内視鏡的GERDの増悪を認めたのは127例中18例(14.2%)、 Gradeで2段階以上内視鏡的GERDの増悪を認めたのは127例中9例(7.1%)で、いずれの因子に関しても統計学的な有意差はみられなかった。

B. 除菌後の逆流関連症状の変化と変化に関わる因子に関する検討

1) 方法

1. 対象

東京大学消化器内科において初回のH. pylori除菌療法を施行し、除菌前、および3ヵ月後に質問票を実施した154名を対象とした。質問票はGSRS、スコアの採点方法は日本語版GSRS採点表を用いた。

2. 検討項目

以下の4つの項目に関して検討した。

(1)除菌療法前後の逆流関連症状の変化

除菌療法前および除菌療法3ヵ月後にGSRSを施行した症例について、除菌前、除菌3ヵ月後、除菌療法7年後の酸逆流の尺度スコアを調べた。

(2)除菌療法の成否と逆流関連症状との関係

除菌成功群と除菌失敗群に分け、除菌前および除菌3ヵ月後にGSRSを施行した症例について、除菌前、除菌3ヵ月後、除菌7年後の酸逆流の尺度スコアを調べた。

(3)除菌による逆流関連症状の悪化に関わる因子

酸逆流の尺度スコアが前値より0.5点以上増加したものを、0.5p以上増悪あり、前値より1.5点以上増加したものを、1.5p以上増悪ありと定義した。除菌3か月後、除菌7年後をそれぞれ短期予後および長期予後とした。年齢、性別、除菌の成否、疾患、酸分泌抑制薬内服の有無、除菌前内視鏡的GERDの有無、除菌前の酸逆流症状の有無について0.5p以上増悪あり群と増悪なし群、および1.5p以上増悪あり群と増悪なし群とで、短期予後、長期予後のそれぞれについて比較した。

(4) 逆流関連症状の長期的な変化

除菌3ヶ月後、7年後がともに0.5p以上増悪したものを持続増悪群、ともに増悪ないものを不変・改善群、除菌3ヶ月後0.5p以上増悪し、除菌7年後増悪なしのものを一過性増悪群、除菌3ヶ月後0.5p以上増悪し、除菌7年後増悪なしのものを後期増悪群とし、年齢、性別、疾患、酸分泌抑制薬内服の有無、除菌前内視鏡的GERDの有無、除菌前の酸逆流症状の有無のそれぞれについて4群で比較した。

2) 結果

1. 除菌前後の逆流関連症状

除菌前、除菌3ヶ月後で154例、除菌7年後には96例のGSRSが回収された。GSRSの集計期間は、除菌前、除菌3ヶ月後が2001年1月~2003年3月、除菌7年後が2009年9月~10月である。GSRSの回収率は62.3% (96/154)であった。 酸逆流スコアの平均は、除菌前が1.95点、除菌3ヶ月後が1.55点、除菌7年後が1.62点であった。除菌3ヶ月後、除菌7年後の逆流関連症状は、除菌前と比べて改善する傾向が見られた(P=0.0078)。除菌3ヶ月後と除菌7年後の逆流関連症状は明らかな有意差を認めなかった(P=0.66)。

2. 除菌療法の成否と逆流関連症状の変化

除菌成功群では、酸逆流スコアの平均点は、除菌前が1.82点、除菌3ヶ月後が1.58点、除菌7年後が1.64点であった。除菌3ヶ月後、除菌7年後の酸逆流スコアは、除菌前後で統計学的な有意差を認めなかった(P=0. 28)。一方、除菌失敗群では、平均点は、除菌前が2.26点、除菌3ヶ月後が1.48点、除菌7年後が1.57点であった。逆流関連症状は、除菌前と比べて、除菌3ヶ月後、除菌7年後は改善する傾向が見られた(P=0.0061)が、除菌3ヶ月後と除菌7年後では明らかな有意差を認めなかった(P=0.62)。

3. 除菌による逆流関連症状の増悪に関わる因子に関する検討

短期予後0.5p以上増悪あり群と、年齢、性別、除菌の成否、除菌前内視鏡的GERDの有無、除菌前酸逆流症状の有無、除菌前酸分泌抑制薬内服の有無、疾患について、除菌成功例では108例中24例22.2%、除菌失敗例では46例中3例6.5%で、除菌成功例で逆流症状が有意に悪化していた(P=0.020)。また、除菌前酸逆流症状を有するのは27例中1例3.7%、除菌前酸逆流症状を認めないものは127例中28例22.1%で、増悪なし群で有意に除菌前酸逆流症状を認めなかった(p=0.029)。

多変量解析では、除菌成功のみが逆流関連症状の増悪に関わる因子として相関を示した。その他の群に関しては、いずれの因子に関しても統計学的な有意差を認めなかった。

4. 逆流関連症状の長期的な変化に関する検討

除菌に成功し、除菌3ヶ月後および7年後の症状調査が可能であったのは68例で、それぞれ持続増悪群8例(12%)、一過性増悪群10例(15%)、後期増悪群10例(15%)、不変・改善群40例(59%) であった。症状変化の違いによる患者背景は、年齢、背景疾患、内服及び除菌前酸逆流症状および内視鏡的GERDに関しては、4群で明らかな有意差を認めなかったが、性別について、男性が少なく女性に多い傾向がみられた。症状変化の違いによる3ヶ月後および7年後のパターンとしては、除菌前と比較して増悪の見られた群は、3ヶ月後18例、7年後18例と同数だが、 7年後において、一過性増悪群10例は改善し、新たに後期増悪群10例の増悪を認めた。

[考察]

内視鏡的GERDに関する今回の検討では、除菌5年後については2年後よりも有意にGradeの進行を認め、長期的に内視鏡的GERDが増悪している可能性が示唆された。本研究において、除菌後長期に症状の定量評価が可能であったのは対象群の35.4%(45/127)であった。このことはより症状の強いものだけが長期にわたり経過観察されている可能性も考えられたが、もし今回の長期経過観察群が有症状者を多く含んでいたと考えた場合、症候性GERDの増悪の頻度は更に低いと思われる。但し、除菌前と7年後の酸逆流スコアの平均点を比較すると有意差を認めず、実際には必ずしも有症状例のみが経過観察されているわけではないと思われる。

逆流関連症状については、今回の検討では、除菌成功例は、除菌失敗例と比較し、有意に酸逆流スコアの増悪を認め、多変量解析の結果からは、除菌のみが短期的な逆流症状の増悪に関与することが示唆された。除菌成功例において、除菌7年後は、除菌3ヶ月後と比較して、逆流関連症状が増悪している例の頻度は同じであった。しかし、その内訳は、逆流関連症状が持続して増悪している群の他に、新たに増悪した群があり、今後の経過によっては、経年的に増悪群が増加していく可能性も考えられ、注意が必要と思われた。本研究において、除菌療法後の逆流関連症状の持続像悪群には女性が多く含まれていた。そのメカニズムは不明であるが、女性は男性よりもGERDに伴うQOL低下が強いという報告もあり、このことは女性においてGERDがより進行しやすい可能性も考えられる。

[結論]

内視鏡的 GERD は除菌により、短期のみならず長期的にも悪化する可能性が示唆されたが、臨床上問題となる重症の内視鏡的 GERD はほとんど認めなかった。逆流関連症状は、除菌により、短期的にも長期的にも平均スコアとしては改善傾向であるが、除菌成功例で短期的に逆流症状が有意に悪化していた。短期的な悪化症例は、長期的にも除菌前より逆流症状が悪かった。除菌療法の施行において、これらの限られた症例についてはその適応を慎重に考慮すべきであると思われるが、全体としては本来の適応である潰瘍症及び胃癌の有無により、施行の是非を決定すべきである。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は、ヘリコバクター・ピロリ除菌後の胃食道逆流症の発症および経過に関する臨床的特徴を明らかにするため、H. pylori除菌療法が内視鏡的GERDに及ぼす短期的・長期的検討およびH. pylori除菌療法が逆流関連症状に及ぼす短期的・長期的検討を行っており、下記の結果を得ている。

1.除菌療法成功例でGrade M以上の内視鏡的GERDは、除菌療法前6.5%に対し除菌療法1年後15.9%と、統計学的に有意な増加を認めたが、除菌療法失敗例ではこの傾向はなく、除菌療法成功例で短期的に内視鏡的GERDが増悪する可能性が示唆された。

2.除菌療法5年後までの検討では、除菌療法成功例で内視鏡的GERDは経年的に増悪する傾向にあったが、除菌療法失敗例ではこの傾向は見られず、除菌療法成功例で長期的に内視鏡的GERDが増悪する可能性が示唆された。

3.除菌療法後の内視鏡的 GERDの発生に関わる因子に関する検討では、除菌療法1年後にGradeが1段階以上進行する症例は127例中18例14.2%、2段階以上進行する症例は127例中9例7.1%であり、増悪に関し、統計学的に明らかな因子は認めなかったが、Gradeが2段階以上進行する症例はいずれも除菌成功例であり、9例全例で肥満・喫煙など、逆流性食道炎の何らかの危険因子を有することが示唆された。

4.3ヶ月後の逆流関連症状は、除菌療法成功例で22.2%、除菌療法失敗例で6.5%と、除菌療法成功例で悪化することが示され、多変量解析の結果からも、除菌療法のみが短期的な逆流関連症状の増悪に関与することが示唆された。

5.3か月後に逆流関連症状の増悪を認めた例については、7年後も3ヶ月後とスコアの有意差がなく、除菌療法前より逆流関連症状が悪いことが示された。

6.除菌療法成功例において、除菌7年後は、逆流関連症状が持続して増悪している群と、新たに増悪した群とがあり、経年的に増悪群が増加していく可能性が示唆された。

7.除菌療法により内視鏡的GERDと逆流関連症状はそれぞれ、13.6%、10.2%の悪化を認めたが、逆流関連症状調査の平均約9ヵ月後に内視鏡検査を行なっており、直接の比較は困難であるものの、内視鏡増悪8例中症状増悪1例、症状増悪6例中内視鏡増悪1例であり、相関関係は示されなかった。

以上、本研究は、国によって異なり、はっきりした意見の一致が得られていない除菌療法後の胃食道逆流症の発生に関して、内視鏡所見 (内視鏡的GERD)と自覚症状(逆流関連症状)の2つの側面から検討し、その結果、除菌療法の成功が、ヘリコバクター・ピロリ除菌後の胃食道逆流症の短期および長期の増悪に寄与することが示唆された。本研究はヘリコバクター・ピロリ除菌後の胃食道逆流症における病態の解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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