学位論文要旨



No 125976
著者(漢字) 上浦,望
著者(英字)
著者(カナ) カミウラ,ノゾム
標題(和) 急性腎不全モデルにおけるBasic Helix-Loop-Helix型転写因子MyoRによる再生制御機構の検討
標題(洋)
報告番号 125976
報告番号 甲25976
学位授与日 2010.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第3455号
研究科 医学系研究科
専攻 内科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 五十嵐,隆
 東京大学 准教授 久米,春喜
 東京大学 特任准教授 長瀬,美樹
 東京大学 講師 関,常司
 東京大学 講師 花房,規男
内容要旨 要旨を表示する

MyoRは新規に発見されたbasic helix-loop-helix型転写因子で、筋発生を抑制する機能阻害因子である。MyoRのmRNAは胎生9.8日のマウス胎芽で発現を認め、胎生14-15日にピークを迎えた後に減少する。以前はMyoRが筋組織に限定した発現であると考えられていたが、Liming Yuらは成体のマウスではMyoRは筋以外にも様々な組織に発現していると報告した。LuらはホモのMyoR欠失マウスが、メンデルの法則に従って生まれ、MyoR単独の欠損では肉眼でわかる範囲で特に異常を認めないが、Capsulinとのダブルノックアウトマウスで顔面の咀嚼筋が欠損することを報告した。しかしながら、成体でのMyoRの機能はまだ明らかにされていない。

1996年にGoodellらはHoechst 33342色素とフローサイトメトリーを使用して幹細胞集団を分取する新たな手法を報告した。採取された細胞はSide population(SP)細胞と呼ばれ、SP解析は各臓器の組織幹細胞を得る手段として利用されてきた。腎臓のSP細胞は自己複製能や多分化能という組織幹細胞としての性質をもつことが報告されている。腎臓のSP細胞ではHGF(Hepatocyte Growth Factor)、VEGF(Vascular Endothelial Growth Factor)、BMP-7(Bone Morphogenetic Protein-7)などの腎保護因子の発現が高いことが知られており、Challenらは腎臓再生において腎SP細胞が重要であることを示している。興味深いことに、MyoRはその腎SP細胞に強く発現しており、腎SP細胞の機能を制御している可能性がある。

急性腎不全では障害の後に再生過程が働くという特徴があり、BMP-7などの腎保護因子が重要な役割を担っている。また腎SP細胞を投与することにより急性腎障害の再生過程を増強させることができ、SP細胞が腎臓再生に重要であることが報告されている。

本研究では、basic helix-loop-helix型の転写因子であるMyoRの腎再生における新規の機能を明らかにするため、MyoR遺伝子のホモ欠失マウスを使用した。また腎臓の再生過程をみるために急性腎不全モデルを用いて、MyoR欠失マウスと野生型マウスでの腎保護・腎再生因子について解析した。急性腎不全モデルとしてはシスプラチン腎症モデルを使用した。シスプラチンは複雑なシグナル伝達経路を活性化して尿細管細胞障害あるいはアポトーシスやネクローシスをきたすが、最近では特にシスプラチンによるアポトーシスとその分子機構が注目されている。ミトコンドリア障害は、シスプラチンによるアポトーシス誘導の主要なメカニズムとして、その分子機構が明らかにされてきた。シスプラチンによるDNA傷害は、ATM(ataxia telangiectasia mutated)、ATR(ataxia telangiectasia and Rad-3-related)を介してp53を誘導・活性化させる。p53の活性化により、p21、PUMA(Bcl-2 binding component 3)などの転写が亢進する。DNA傷害が軽度の場合はp21による細胞周期の停止や、E2F1を介するアポトーシス促進因子Cdk2(cyclin dependent kinase 2)をp21が抑制することでDNA修復に働くが、DNA傷害が高度になると、PUMA、PIDD(p53-induced protein with death domain)、Bax/Bakの活性化などによりミトコンドリア障害が惹起され、カスパーゼの活性化を経てアポトーシスが生じると考えられている。また最近の報告では、p53欠損細胞でもシスプラチンによるアポトーシスが生じることから、尿細管細胞におけるシスプラチンによるアポトーシスには、p53非依存性の経路も重要である。

MyoRは発生過程では多彩な機能をもつことが最近報告されているが、本研究では腎臓の再生・修復機構におけるMyoRの機能解明を試みた。

野生型マウスと比べMyoR欠失マウスでは、シスプラチン投与により著明な腎機能低下が起こり、腎組織では尿細管壊死が増悪し、生存率も低下した。MyoR欠失マウスでシスプラチン腎症が増悪する原因を調べるため、フローサイトメトリーを用いた腎のSP細胞の定量や、リアルタイムPCRによるBMP-7のmRNA発現解析を試みた。Zeisbergらはヒト合成BMP-7を投与すると慢性腎障害が回復することを報告した。BMP-7はまた腎虚血や腎毒性物質による急性腎障害からの再生にも重要であることが報告されている。BMP-7は成体では限られた組織でしか発現を認めず、腎臓での発現が最も顕著であるが、BMP-7遺伝子の腎での発現調節機構は不明である。本研究では野生型マウスの急性腎不全モデルにおいてBMP-7の発現が有意に増加することを確認した。しかしながらMyoR欠失マウスの急性腎不全モデルでは、BMP-7の発現亢進は認めなかった。最近Ebaraらにより、E-box領域(CATCTG)がBMP-4の制御に重要な役割をもつことが報告された。E-box領域はbHLH型転写因子に共通したDNA結合部位であり、bHLH型因子とそのE-box領域は発達段階の多彩な細胞分化に重要な役割を果たしている。MyoRが腎臓SP細胞で強く発現していることが報告され、また本研究ではMyoR欠失マウスのSP細胞上ではBMP-7の発現が有意に低いことがわかり、bHLH型因子MyoRはBMP-4の転写調節と同様にE-box領域に作用することで、腎臓でのBMP-7の発現を制御している可能性がある。

IgA腎症モデルマウスやネフローゼ症候群モデルマウスのような慢性腎不全モデルにおいても腎SP細胞の数が減少することが報告されているが、本研究では、急性腎不全モデルで腎SP細胞が著明に減少することを確認した。また腎SP細胞の減少がMyoR欠失マウスでは有意に増悪することがわかった。腎SP細胞はBMP-7などの液性因子を発現することで腎再生過程を促進させると考えられており、腎SP細胞の投与によりアドリアマイシン腎症による急性腎不全からの回復が促進されたとも報告されている。MyoR欠失マウスの急性腎不全モデルでは、腎SP細胞が減少するため腎再生能自体が減弱していると推測された。またMyoR欠失マウスの腎SP細胞でBMP-7の発現が減少していることより、腎SP細胞の組織幹細胞としての機能が一部失われていると考えることができ、これはMyoR欠損によりSP細胞がnon-SP細胞へと変化する、すなわちSP細胞の未分化性の維持が障害されている可能性もある。特に急性の組織障害では組織幹細胞は分化しやすい状況にあるため、野生型マウスではSP細胞の腎構成細胞への分化は否定的ではあるが、MyoR欠失マウスではシスプラチン腎症においてSP細胞が分化して失われた可能性も考えられた。

次に、MyoR欠失マウスの腎尿細管細胞に対してシスプラチンが直接作用するかどうかを検証した。MyoRは腎SP細胞では高い発現を示すが、腎のnon-SP細胞においてもSP細胞に比較して非常に低いレベルではあるがMyoRの発現を認めることが報告されている。腎尿細管上皮細胞(RTECs: renal tubular epithelial cells)もnon-SP分画を構成する主要な細胞であるため、MyoRがRTECsのアポトーシスを制御する可能性が考えられた。そこで腎組織からRTECsを単離して、シスプラチンのRTECsに対する直接作用を検証した結果、シスプラチンの投与によりMyoR欠失マウス由来のRTECsではアポトーシスが有意に増加し、MyoRが抗アポトーシス作用を持つことが考えられた。また、シスプラチン処置前後の各アポトーシス因子の蛋白発現レベルを検討した結果、MyoR欠損RTECsではp53とリン酸化p53のシスプラチンによる発現誘導が減少し、p53の標的遺伝子であるp21の発現も減少する一方で、Baxの蛋白発現は保たれていた。このため、MyoR欠損細胞ではBax/p21比が増大し、アポトーシスが増加すると考えられる。前述のとおり、MyoR欠失マウスのシスプラチン腎症モデルでは腎臓のSP細胞が減少し、また腎全体でのBMP-7の発現が低下するが、これらも腎SP細胞のアポトーシス、あるいはBMP-7の産生細胞である尿細管細胞の細胞死が大きく関与すると考えられる。詳細な機構は今後解明する必要があるが、本研究によりアポトーシスの制御にbHLH型因子が新たな機能をもつ可能性が示された。

MyoR欠失マウスの急性腎不全モデルでの解析により、MyoR欠失マウスではBMP-7の発現調節や腎SP細胞の生存・維持機構、アポトーシスに異常がある可能性が示唆され、basic helix-loop-helix型転写因子MyoRが新たな腎保護作用をもつことが示された。MyoRは哺乳類の発生初期における強力な発生制御因子と考えられているが、本研究によりMyoRはアポトーシスや成体の腎局所の組織再生システムにおいても重要な役割をもつことが示唆された。

審査要旨 要旨を表示する

本研究はbasic helix-loop-helix型の転写因子であるMyoRの腎再生における新規の機能を明らかにするため、MyoR遺伝子のホモ欠失マウスにシスプラチンを腹腔内投与して急性腎不全を惹起する系にて、腎保護・腎再生因子の解析を試みたものであり、下記の結果を得ている。

1.MyoR欠失マウスと野生型マウスのベースラインの血液・腎組織の解析により、MyoR欠失マウスはベースラインでは異常を認めないことを示した。また既報とは異なり、野生型マウスの腎臓でMyoRの発現をRT-PCR法で検出した。シスプラチン投与による急性腎不全モデルを作成することにより、野生型マウスに比べMyoR欠失マウスでは、シスプラチン投与後に著明な腎機能低下が起こり、腎組織では尿細管壊死が増悪して生存率が低下することが示された。

2.BMP-7特異的なプライマーを用い、リアルタイムPCR法を行ったところ、野生型マウスではBMP-7の発現レベルがシスプラチン投与後に有意に上昇するが、MyoR欠失マウスではシスプラチン投与後のBMP-7の発現亢進を認めないことが示された。また腎組織のフローサイトメトリー解析を行ったところ、MyoR欠失マウスにおいては腎の組織幹細胞であるSide population細胞のシスプラチン投与による減少率が野生型マウスより増加することが示された。

3.TUNEL法により腎組織のアポトーシスを評価したところ、MyoR欠失マウスでは野生型マウスよりも顕著なアポトーシス細胞の増加を認めた。また、初代培養尿細管細胞にシスプラチンを投与してアポトーシスを核染色とELISA法で評価した。MyoR欠失マウス由来の尿細管細胞では、野生型由来の細胞に比べてアポトーシスの増加を認めた。ウエスタンブロット法により各アポトーシス因子の挙動を比較したところ、MyoR欠損細胞ではシスプラチン投与後のp53, リン酸化p53, p21の蛋白発現が野生型よりも減少するが、Baxの発現は保たれており、尿細管細胞のシスプラチンによるアポトーシスにおいて、MyoRが欠損することで、p53が抑制されると同時にp53非依存性のアポトーシスが増加しうることが示された。

以上、本論文はMyoR遺伝子のホモ欠失マウスにおける、アポトーシスを中心とした腎再生機構の解析から、basic helix-loop-helix型転写因子MyoRがアポトーシスの制御に新たな機能をもつ可能性があり、またMyoRの欠損によりBMP-7の発現や腎臓の組織幹細胞の生存・維持機構が障害されることを明らかにした。本研究はこれまで未知に等しかった、成体腎組織でのMyoRの機能の解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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