学位論文要旨



No 125978
著者(漢字) 河原崎,宏雄
著者(英字)
著者(カナ) カワラザキ,ヒロオ
標題(和) 幼若期における食塩過剰と臓器障害・高血圧
標題(洋)
報告番号 125978
報告番号 甲25978
学位授与日 2010.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第3457号
研究科 医学系研究科
専攻 内科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 山下,直秀
 東京大学 准教授 久米,春喜
 東京大学 特任准教授 石川,晃
 東京大学 講師 福本,誠二
 東京大学 講師 西松,寛明
内容要旨 要旨を表示する

幼若期における過剰な食塩摂取はその後の血圧上昇に関連することが示唆されているが、その病態生理学的機序についての研究は少ない。本研究では、先天性ならびに後天性の食塩感受性ラットを用いて、これが幼若期における腎の食塩過剰状態に対する脆弱性による血圧の食塩感受性亢進に基づく可能性を、検討した。血漿アルドステロン高値が将来的な高血圧発症につながるという観察研究があることから、特にミネラルコルチコイド受容体(MR)の役割に注目した。

先天性の食塩感受性ラットとしてDahl食塩感受性(SS)ラットを用いた。このモデルでは成人期に比べて幼若期からの食塩過剰摂取がより著明な血圧上昇を示すことは以前から報告されている。本研究でもそれをまず確かめるべく、幼若期(6週齢)および成人期(10週齢)のDahl SSラットに高食塩(8%NaCl)食負荷を10週間(それぞれ16週齢および20週齢まで)施したところ、成人期でも血圧は上昇するものの、幼若ラットでより著明な血圧上昇を認めた。また、成人期からの食塩負荷は尿蛋白の増加を認めないが、幼若期では著明な尿蛋白が出現した。腎組織を観察しても確かに幼若期食塩負荷Dahl SSラットの糸球体、尿細管・間質障害は悪化していた。以上の結果から、幼若期食塩負荷Dahl SSラット(HS群)ではより顕著な食塩感受性高血圧と腎障害が出現することが示めされた。幼若期の過剰食塩摂取におけるMR活性亢進の関与について検討するため、幼若期に一過性に(4~10週齢)MR阻害薬エプレレノン(Ep)を食塩負荷Dahl SSラットに追加投与したところ、薬剤投与中のみならず薬剤投与終了後も軽度な降圧効果および著明な尿蛋白抑制効果を認めた。一方、幼若期に一過性に血管拡張性降圧剤ヒドララジン(Hyd)を追加投与した群では、薬剤投与中は著明な降圧ならびに尿蛋白抑制効果を認めたが、薬剤を中止すると降圧及び尿蛋白抑制効果は消失し、HS群と同程度になった。Hyd群では薬剤投与中は終始正常食塩(0.3%NaCl)食を投与した群(NS群)やEp群と比べてもより低い血圧値を認めたにもかかわらず、薬剤中止後は効果が持続しなかったことから、幼若期の食塩負荷は血圧非依存性に高血圧、腎障害を惹起することが推測された。食塩負荷下のMR活性亢進は炎症・酸化ストレスとの関与が報告されていることから、HS群、Ep群およびHyd群での炎症・酸化ストレスについて検証した。HS群では食塩負荷4週後、10週後いずれの時点においても酸化ストレスマーカーである尿中8-hydroxy-2'-deoxyguanosineが増加しており、Hyd群では抑制効果を認めなかったものの、Ep群では有意な抑制を認めた。また腎組織内の炎症細胞浸潤もHS群で増加していたのに対して、Ep群は薬剤投与中のみでなく中止後も抑制していた。Hyd群は薬剤投与中には軽度抑制し、投与中止後はHS群と同程度であった。さらには、薬剤投与中止後のEp群ではHS群で亢進していた腎臓内TGFβ、PAI-1発現に対して抑制もしくは抑制傾向にあったが、Hyd群ではそのような影響はなかった。また、抗酸化薬テンポールを幼若期に一過性に投与したところ、薬剤投与中、中止後ともに軽度な降圧と著明な尿蛋白抑制を認め、腎臓内炎症細胞浸潤、TGFβ、PAI-1発現もEp群同様に抑制された。以上より、先天性食塩感受性モデルを用いた実験では、幼若期の食塩過剰摂取によるMR活性亢進とそれに伴う炎症・酸化ストレス増高によって腎障害をきたし、高血圧が進展することが示唆された。

しかし、この現象が幼若期食塩過剰摂取において普遍的に認めうる現象であるかは先天性食塩感受性モデルを用いた検討のみからでは結論付けられない。そこで、私は後天性の食塩感受性モデルである食塩負荷片腎摘(Nx) Sprauge-Dawley(SD)ラットを用いた実験を行った。すなわち、幼若期(3週齢)に片腎摘して4週間食塩負荷を行うと著明な血圧上昇と尿蛋白が出現した。しかし、成人期(10週齢)食塩負荷Nx SDラットではそのような血圧上昇と尿蛋白増加は認めなかった。幼若期の食塩過剰摂取Nxラットにおいてエプレレノン投与によって軽度の降圧を伴う著明な尿蛋白抑制効果が認められた。この幼若モデル動物においては、食塩過剰摂取で腎組織においてMR活性亢進を示唆するsgk1発現の亢進やTGFβ、PAI-1、connective tissue growth factor (CTGF)、monocyte chemotattractant protein-1(MCP-1) mRNA発現をはじめとした炎症性マーカーの増加もしくは増加傾向、nicotinamide-adenine dinucleotide phosphate (NADPH)由来活性酸素種(ROS)の増高が認められた。MR拮抗薬エプレレノンや抗酸化剤テンポールによりこれらの所見の改善とともに腎障害抑制ならびに血圧上昇抑制作用を認めた。とくに腎障害の改善は劇的であった。さらに、腎臓内のレニン・アンジオテンシン・アルドステロン系(RAAS)因子を検証したところ、興味深いことにこの食塩感受性高血圧モデルでもMR活性を示唆するsgk1に加えてアンジオテンシン変換酵素(ACE)、angiotensinogenといった RAAS因子の発現の亢進ないしはその傾向を認めた。以前から臓器障害時のRAASの悪循環は指摘されており、幼若期食塩負荷Nxモデルにおいてもこの現象が発生していることが示唆された。興味深いことに軽度の血圧上昇のみを認め、尿蛋白の増加を認めなかった成人期食塩負荷Nxラットでは、このような所見は認めず、RAAS亢進が幼若期における血圧ならびに臓器(腎)障害の食塩感受性の鍵となる特異的因子であるものと思われた。さらに、アンジオテンシンII受容体拮抗薬(ARB)のオルメサルタンでも腎障害の改善を認めたが、オルメサルタンの作用はアルドステロン追加投与で消失したこと、また、アルドステロン合成阻害薬でも腎障害の著明な改善を認めることから、とくにRAASのなかでもMR活性亢進が重要な位置を占める可能性が高い。おそらく、RAASの悪循環が生じるキーファクターはアルドステロン(MR活性亢進)ではないかと推測される。さらに、エプレレノン、オルメサルタンといったRAAS抑制薬の投与で、腎臓内NADPH由来ROSの抑制に伴う腎障害改善を認め、抗酸化薬でも腎臓内RAAS因子発現抑制に伴う腎障害改善を認めた。このことから、酸化ストレスはRAASの上流にも下流にも存在しえ、RAASの悪循環に一役かっている可能性が、以前の報告と同様に本研究でも示唆された。

ここで、実験動物やヒトにおいても幼若期では成人期に比べてRAASの亢進が認められており、本研究でも正常食塩群では幼若ラットのほうが血清アルドステロン値は高値を示した。高食塩負荷を行っても血清アルドステロン値は依然高値傾向であり、アルドステロンの不十分な抑制のため生じた相対的なアルドステロン過剰に基づく腎の脆弱性増大がこの幼若期における食塩感受性亢進の引き金になっている可能性がある。実際、アルドステロン合成阻害剤FAD286は顕著な腎障害の改善を認めた。しかし、相対的にアルドステロンが過剰とはいえ、低アルドステロン状態におけるMR活性亢進に寄与する何らかの因子を考える必要がある。酸化ストレスなどによるアルドステロンを介さないMR活性が推測されているが、その根拠には乏しい。一方、最近Shibata, NagaseらはRhoファミリーのRac1によるMR活性亢進に基づく腎機能障害の存在を報告している。Rhoファミリーとは、低分子量G蛋白質の一種で、主に細胞骨格の制御に関わり、代表的なRhoファミリー分子として、RhoA、Rac1などが知られている。その研究では同じRhoファミリーであってもRhoAはMR活性への関与を示さなかった。本研究で用いた幼若期食塩負荷NxラットでもRac1阻害薬特異的に(RhoA阻害薬は無効であった)著明な尿蛋白抑制効果に伴う高血圧抑制が認められた。つまりRac1は幼若期の食塩過剰摂取時のMRを介した腎障害における有望な一因子と推測され、今後研究の集積が期待される。

以上、本研究から先天性並びに後天性の食塩感受性ラットにおいて幼若期の腎障害ならびに血圧の食塩感受性亢進に腎MR活性亢進に基づく炎症・酸化ストレス増高が重要な枠割を果たしている可能性を示唆された。

審査要旨 要旨を表示する

本研究では、先天性ならびに後天性の食塩感受性ラットを用いて、幼若期における腎の食塩過剰状態での血圧の食塩感受性亢進に基づく可能性を検討した。血漿アルドステロン高値が将来的な高血圧発症につながるという観察研究があることから、特にミネラルコルチコイド受容体(MR)の役割に注目した。この研究で下記の結果を得た

1.先天性(DahlSS)ならびに後天性(片腎摘Sprauge-Dawley;SD)の食塩感受性ラットでは、幼若期からの食塩過剰摂取が成人期からの食塩過剰摂取に比べて、より顕著な血圧上昇、腎障害を生じた。

2.Dahl SSラットでは、食塩過剰摂取状態での幼若期の一過性のMR阻害薬が、成人になってからの血圧上昇、腎障害を抑制したこと、また、血管拡張薬ヒドララジンではそのような作用を認めなかったことから、幼若期でのMR阻害は血圧とは独立した腎保護作用を持つことが示された。MR阻害薬による腎保護作用の機序としては炎症(腎臓内PAI1、TGFβ)・酸化ストレス(尿中8OHdG)抑制が示唆された。

3.片腎摘SDラットでは、幼若期からのMR阻害薬が血圧上昇と腎障害を抑制した。その機序として、炎症・酸化ストレスの抑制、レニン・アンギオテンシン・アルドステロン系(RAAS)のvicious cycleの制御が示唆された。実際、抗酸化薬テンポールの投与で同様の血圧上昇、腎障害抑制効果を得た。また、テンポール投与でもRAASが制御されたことから、酸化ストレスとRAASのvicious cycleの形成も示めされた。同じくアンギオテンシン阻害薬オルメサルタンでも同様の腎保護効果を得たが、アルドステロンの追加によって腎保護効果が消失したことから、幼若期片腎摘SDラットの食塩過剰摂取状態での腎障害は主にMRを介したものであることが示唆された。

4.いずれのモデルにおいても幼若期ラットでは、成人期に比べて血清アルドステロン値が高値を示した。幼若期でのMR阻害薬の効果は一部には食塩過剰状態での相対的アルドステロン高値が関与していることが考えられた。実際、高食塩摂取の幼若期片腎摘SDラットではアルドステロン合成阻害薬FAD286が尿蛋白を抑制することが示された。

5.Preliminaryな結果ではあるが、幼若期片腎摘SDラットでは高食塩負荷による腎臓内でのRac1活性の亢進を示唆する結果が得られた。実際、Rac1阻害薬NSC23766の投与は蛋白尿の抑制を認めた。

以上、本論文ではあまり報告されたことが無い、幼若期における、成人期とは異なった食塩感受性血圧上昇および腎障害の機序を明らかにし、MR活性の中心的役割を明らかにした。また、MRと炎症・酸化ストレス、RAASのpositive feedback的クロストークも示唆され、最近報告されたRac1とMRの関与についても一部示唆された。幼若期での食塩過剰摂取の危険性に注目した本研究は、高血圧の予防という観点から貢献する内容のものと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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