学位論文要旨



No 125982
著者(漢字) 熊谷,真義
著者(英字)
著者(カナ) クマガイ,マサヨシ
標題(和) 2型糖尿病合併症のマーカーとしてのN-terminal pro-brain natriuretic peptideの有用性に関する検討
標題(洋)
報告番号 125982
報告番号 甲25982
学位授与日 2010.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第3461号
研究科 医学系研究科
専攻 内科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 山下,直秀
 東京大学 教授 永井,良三
 東京大学 准教授 宇於崎,宏
 東京大学 講師 江頭,正人
 東京大学 講師 原,一雄
内容要旨 要旨を表示する

〔背景〕

2型糖尿病患者は虚血性心疾患や糖尿病性心筋症といった心血管疾患発症の高危険群であり、これらが糖尿病患者の死因の多くを占める。無症候性心筋虚血を含む虚血性心疾患や糖尿病性心筋症といった心血管疾患の早期診断が簡便な指標により可能となれば、これら疾患への早期介入によって糖尿病患者の予後改善につながると思われるが、そのためにも日常診療での早期診断を可能にする生化学的指標の確立が望まれる。このような背景から、近年測定可能となったN-terminal pro-brain natriuretic peptide (NTproBNP)に注目した。NTproBNPは左心不全のスクリーニングにおいて有用であると同時に、心血管疾患の発生や予後の予知因子として近年注目を集めており、心臓の構造的・機能的異常の把握のみならず、将来の心血管疾患発症の高危険群のスクリーニングに際してもその有効性が認められている。しかしながら、現在までのところ、2型糖尿病患者での心血管合併症のスクリーニングや予測因子としてのNTproBNPの評価は確立していない。

〔目的〕

血清NTproBNP値と2型糖尿病患者の臨床背景、合併症、心機能との関連を検討し、2型糖尿病患者において血清NTproBNP値と合併症との間に何らかの相関関係があるか、NTproBNPが2型糖尿病患者の虚血性心疾患のスクリーニング指標となりうるか、また、2型糖尿病患者の初期の心機能障害のスクリーニングにおいてNTproBNPが有用であるかどうか、更には、2型糖尿病患者においてNTproBNPが無症候性心筋虚血のスクリーニング指標となりうるかを考察することを目的とした。その目的のため、以下の3通りの試験を行った。

試験1:虚血性心疾患非合併2型糖尿病患者における血清NTproBNP値と糖尿病合併症に関する検討

試験2:無作為抽出2型糖尿病患者における血清NTproBNP値と糖尿病合併症及び心機能との関連に関する検討

試験3:2型糖尿病患者における血清NTproBNP値と無症候性心筋虚血との関連に関するMSCTを用いた検討

〔対象及び方法〕

試験1:虚血性心疾患を合併しない2型糖尿病患者90名を対象として、血清NTproBNP値と各臨床的指標との関連を検討した。また、大血管障害及び細小血管障害の合併と血清NTproBNP値との関連についても評価した。試験参加時の血清を即座に-80℃に凍結保存し、ECLusys pro BNP (Roche diagnostics)によってNTproBNPの測定を行った。同時に臨床背景、理学所見、各種生化学的指標も評価した。

試験2:虚血性心疾患合併患者を含む2型糖尿病患者101名を対象として、試験1と同様に血清NTproBNP値と各種臨床的指標との関連を検討し、合併症との関係も考察した。更に、全例にMモードおよび二次元心臓超音波検査を施行し、心機能の与える影響を補正し、かつ心機能ないし構造障害の形式と血清NTproBNP値との関連を検討した。NTproBNP測定及び臨床背景、理学所見、各種生化学的指標の評価を試験1と同様に行った。

試験3:試験1及び2の2型糖尿病患者のうち、明らかな虚血性心疾患の既往の無い40例を対象として、multislice CTを施行し、冠動脈有意狭窄の有無を評価した。有意狭窄の有無とNTproBNP値及び臨床所見との関連を比較し、ROC解析によりNTproBNPの診断価値を評価した。NTproBNP測定及び臨床背景、理学所見、各種生化学的指標の評価を試験1と同様に行った。

〔結果〕

試験1:参加者は62.1±11.4歳(平均±SD)で、67.8%は男性であった。糖尿病の平均罹病期間は9.0±9.7年で、HbA1c値は8.4±2.4%であった。血清NTproBNP値は118.9±231.1 pg/mLであり、NTproBNPの対数変換値(log(NTproBNP))がほぼ正規分布を示した。log(NTproBNP)は年齢(p<0.0001)、血清クレアチニン(p=0.0049)と正の相関を示し、eGFR (modified MDRD式) (p=0.0006)と負の相関を示した。また、log(NTproBNP)は尿中アルブミン/クレアチニン比の対数変換値(log(alb/Cre))とも正の相関を示した(p=0.026)。また、log(NTproBNP)値は大血管合併症(脳血管障害及び末梢動脈疾患)の保有数に応じて上昇する傾向が見られた。

試験2:参加者は64.5±10.2 (平均±SD)歳で、71.3%は男性であった。糖尿病の平均罹病期間は10.2±8.8年で、HbA1c値は8.1±1.8%であった。血清NTproBNP値は238.5±387.9 pg/mLで、NTproBNPの対数変換値(log(NTproBNP))がほぼ正規分布を示した。log(NTproBNP)は年齢、血清クレアチニン値と正の相関を示し(共にp<0.0001)、eGFRと負の相関を示した(p<0.0001)。また、log(NTproBNP)値は虚血性心疾患を合併する39例で著明に高値を示し(p<0.0001)、合併症を持たない群に比べ、合併症保有数が1ないし2つの群で有意に高値を示した。心臓超音波検査結果との関連では、log(NTproBNP)値は左室心筋重量(p=0.0005)及び左室心筋重量係数(p=0.0011)と正の相関を示した。また、log(NTproBNP)値は左房径及び左室拡張期径、左室収縮期径と正の相関を示した(各p<0.0001, =0.0001, <0.0001)。一方で、log(NTproBNP)値は左室駆出率と負の相関を示した(p=0.0006)。相対的壁厚との間には有意な相関は見られなかった。左室駆出率>40%で定義された明らかな心不全のない群についての検討でも、全ての解析結果において同様の結果が得られた。また虚血性心疾患の無い群(n=62)についての検討でも、左室駆出率を除く全ての心臓超音波検査結果とNTproBNP値との間に同様の結果が得られた。更に、ロジスティック回帰分析により、eGFR及び年齢、HbA1c値による補正を加えたのちも、log(NTproBNP)は虚血性心疾患合併の独立した指標となった(オッズ比(log(NTproBNP): +1) = 3.111、95%信頼区間:1.096-8.831、p=0.0329)。男女別の解析では、男性患者(n=72)に関しては全ての解析において同様の結果が得られた。一方で、女性患者(n=29)においては虚血性心疾患合併とともにNTproBNP値が上昇する傾向が見られなかった。

試験3:参加者の年齢は64.9±10.8 (平均±SD)歳であり、糖尿病の平均罹病期間は10.3±10.1年であった。全体の65%(26例)は男性で、HbA1c値は8.36±2.34%であった。MSCTから得られた冠動脈のCT血管造影像より主要血管における有意狭窄の有無を評価した結果、14例(35%)に有意な冠動脈狭窄が認められ、これらを無症候性心筋虚血(SMI)群と定義した。SMI群と、有意狭窄の無い群(非SMI群)との比較では、SMI群は高齢(p=0.005)で、有意に糖尿病罹病期間が長かった(p=0.001)。また、非SMI群に比べ、SMI群で血清NTproBNP値は有意に高値を示した(p=0.005)。更に、log(NTproBNP)を独立変数、SMIの有無を従属変数としてROC解析を行った結果、AUCは0.853と比較的高値を示し、ROC曲線から求めたNTproBNPのカットオフ値は56.02 pg/mLであり、その際の感度は0.928、特異度は0.690であった。

〔結論〕

2型糖尿病患者において、心血管疾患は主要な致死的合併症の一つであり、これらの早期発見及び治療的介入が糖尿病患者の予後改善に大きく寄与することは明らかであるが、日常糖尿病臨床において簡便なスクリーニング手法が確立していないことから、本試験ではNTproBNPの可能性に着目し、その有用性を検討した。

まず、血清NTproBNP値は血清クレアチニン及びeGFRと、更には尿中アルブミン/クレアチニン比の対数変換値とも強い相関を示し、NTproBNPが心腎連関の一つの指標となる可能性が示唆された。また、血清NTproBNP値は虚血性心疾患合併群で著明に高値を示し、2型糖尿病患者においてNTproBNPが虚血性心疾患の独立した指標となることが示唆された。更には血清NTproBNP値が大血管合併症の保有数に応じて上昇し、合併症リスクの評価に有用な指標となり得ることが示された。一方で心臓超音波検査の結果からは、2型糖尿病患者において血清NTproBNP値は遠心性肥大に伴って上昇する可能性が示唆され、潜在的な糖尿病性心筋症のスクリーニング指標となる可能性が考えられた。更にMSCTを用いた検討では、無症候性心筋虚血が指摘された群ではNTproBNP値は有意に高値を示し、ROC解析では高いAUC値をもって、NTproBNPの無症候性心筋虚血に対するスクリーニングマーカーとしての有用性が示唆された。

これらの結果から、NTproBNPは2型糖尿病患者において有用な、かつ簡便な合併症マーカーとなる可能性が示された。今後更に検討を重ね、潜在的な心血管合併症のスクリーニング手段として確立することが期待される。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は2型糖尿病患者において、N-terminal pro-brain natriuretic peptide (NTproBNP)と臨床背景、合併症、心機能との関連を検討し、2型糖尿病患者において血清NTproBNP値と合併症との相関関係を考察し、NTproBNPが2型糖尿病患者の無症候性心筋虚血を含む虚血性心疾患のスクリーニング指標となりうるか、また、2型糖尿病患者の初期の心機能障害のスクリーニングにおいてNTproBNPが有用であるかどうかを考察したものであり、下記の結果を得ている。

1.虚血性心疾患を合併しない2型糖尿病患者90名を対象として、血清NTproBNP値と各臨床的指標、大血管障害及び細小血管障害の合併との関連について評価した結果、血清NTproBNPの対数変換値(log(NTproBNP))が血清クレアチニン及び尿中アルブミン/クレアチニン比の対数変換値(log(alb/Cre))と正の相関を、eGFRと負の相関を呈することが示され、NTproBNPが心腎連関の一つの指標となる可能性が示唆された。また、log(NTproBNP)値は大血管合併症(脳血管障害及び末梢動脈疾患)の保有数に応じて上昇する傾向が見られ、合併症リスクの評価に有用な指標となり得ることが示された。

2.虚血性心疾患合併患者を含む2型糖尿病患者101名を対象とした検討において、log(NTproBNP)は虚血性心疾患合併群で著明に高値を示し、大血管合併症の保有数により更に上昇する傾向が示された。このことから、2型糖尿病患者においてNTproBNPが虚血性心疾患の独立した指標となることが示唆された。

3.心臓超音波検査結果との関連では、log(NTproBNP)値は左室心筋重量及び左室心筋重量係数と正の相関を示したが、相対的壁厚との間には有意な相関は見られなかった。このことより、2型糖尿病患者において血清NTproBNP値は遠心性肥大に伴って上昇することが示唆され、潜在的な糖尿病性心筋症のスクリーニング指標となる可能性が考えられた。

4.明らかな虚血性心疾患の既往の無い40例の患者を対象として、multislice CTを施行し、冠動脈有意狭窄の有無を評価した結果、14例(35%)に有意な冠動脈狭窄が認められた。これら無症候性心筋虚血(SMI)群と、有意狭窄の無い群(非SMI群)との比較では、SMI群で血清NTproBNP値は有意に高値を示した。更に、log(NTproBNP)を独立変数、SMIの有無を従属変数としたROC解析では、0.853と高いAUC値をもって、NTproBNPの無症候性心筋虚血に対するスクリーニングマーカーとしての有用性が示唆された。

以上、本論文は、これまで確立していなかった2型糖尿病患者における大血管合併症の生化学的マーカーによるスクリーニングの可能性に着目し、NTproBNPと2型糖尿病患者における合併症との関連を示したものである。無症候性の心筋虚血を含む心血管合併症のスクリーニングマーカーとしてのNTproNBPの有用性を示した本論文は、糖尿病診療の在り方に重要な貢献をするものと思われ、学位の授与に値するものと考えられる。

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