学位論文要旨



No 125985
著者(漢字) 近藤,俊輔
著者(英字)
著者(カナ) コンドウ,シュンスケ
標題(和) 肺がんにおけるCrk associated substrate lymphocyte typeの役割
標題(洋)
報告番号 125985
報告番号 甲25985
学位授与日 2010.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第3464号
研究科 医学系研究科
専攻 内科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 黒川,峰夫
 東京大学 教授 東條,有伸
 東京大学 教授 村上,善則
 東京大学 特任教授 渡邉,すみ子
 東京大学 講師 藤井,毅
内容要旨 要旨を表示する

肺癌は世界の悪性腫瘍の死亡原因の第一位である。約135万人が罹患し、約118万人が毎年死亡している。肺癌の大半は非小細胞肺癌(NSCLC:non small cell lung cancer)である。NSCLCの外科切除患者の約40%が再発し、極めて予後不良である。外科切除患者に対しては再発を予測し、その予後を推定することは重要である。

Epidermal growth factor receptor(EGFR)は悪性腫瘍の増殖、アポトーシスの抑制、浸潤に関与する。NSCLCの40~80%でEGFRの過剰発現が報告され、予後因子と相関からEGFRのリン酸化を抑制する阻害剤が開発されている。EGFR阻害薬であるgefitinibの奏効患者から検出されたEGFRの遺伝子変異はNSCLC患者の個別化治療の標的として検証が行われている。

当研究室においてβ1インテグリン刺激でチロシンリン酸化される105kDaの蛋白を発見し、Crk-associated substrate lymphocyte type(Cas-L)と命名した。Cas-Lは、リンパ球のみならず種々のがん細胞においてもその発現が認められ、HEF1やNEDD9と同一遺伝子であることが判明し、p130Cas、Efs/SinやHEPL共にCasファミリーとされる。Cas-Lの機能は多岐にわたり、増殖因子やインテグリンにより活性化され細胞の増殖、遊走・浸潤制御、アポトーシス制御、細胞周期制御にかかわる。

癌細胞でもCas-Lは遊走・浸潤に重要な役割を果たしている。LKB1を欠失したマウスで誘発される肺線癌細胞でCas-L発現が増強し、逆に、LKB1の発現によりCas-Lの発現が抑制される。A549細胞株へのSHP-2の導入により内在するCas-Lのチロシンリン酸化が制御され、fibronectin(FN)刺激による細胞の遊走が低下することが示されている。

本研究ではNSCLCの重要な増殖因子であるEGFRによるCas-Lの制御機構を解明し、ヒト検体を用いてCas-L発現の臨床的意義について検証することを目的とした。

PC-9(EGFR DE746-A750)とA549(EGFR Wt)を用いたEGF刺激により、Cas-Lのチロシンリン酸化が著明に認められ、gefitinib投与ではCas-Lのチロシンリン酸化レベルの低下が認められた。GefitinibによりPC-9のEGFR発現、Cas-L、p-FAK、p130Casが24時間後に強く抑制された。RNAiでCas-Lとp130Casタンパクの発現を抑制したPC-9とA549をEGF刺激し遊走・浸潤能を評価し、いずれの細胞株もCas-L抑制で遊走・浸潤能の低下を認め、FN刺激でも同様の結果であった。Cas-L過剰で遊走・浸潤の亢進が認められ、EGF、FN刺激においても同様であった。Cas-Lドメイン欠損モデルを用いEGF刺激によるA549の遊走能を評価した。SH3、SDとSRを欠損したCas-LではEGF刺激による細胞遊走能の亢進を認めなかった。

PC-14にpGL3-luciferaseとCas-Lを導入したstable transformatを作成し、免疫不全マウスの皮下に注入し、bioluminescence imaging(BLI)を用いて解析したところ、注入後28日目にCas-L過剰発現PC-14を注入したマウス両側の胸部に検出された。

1999年から2001年の間に切除された患者標本とCas-Lポリクローナル抗体を用いて、免疫組織学的に評価した。検体の判定は3人の判定者が行い、30%以上の癌細胞で検出されたものをCas-L陽性とした。Cas-Lの陽性率は46.6%(28/60人)で Cas-L陽性ではリンパ節浸潤(P=0.02)、病理組織学的なリンパ管浸潤(P=0.01)や静脈浸潤(P=0.001)との相関が認められた。切除後の観察期間中央値は58.5カ月(range, 7-91カ月)で60例のうちCas-L群では20/28例、Cas-L陰性群では6/32例で再発を認めた。Recurrence free survival (RFS)の中央値はCas-L群に比較し有意に短く(p<0.001)、OSの中央値もCas-L群で有意に短かった(p<0.001)。 Cox比例ハザードモデルによる多変量解析でも、RFSではCas-L陽性ハザード比は4.11(95%信頼区間、1.64-10.53、p=0.003)、OSでのCas-L陽性ハザード比は4.15(95%信頼区間、1.35-12.82、p=0.01)であった。

我々の研究により、NSCLCにおけるCas-Lの役割が示された。まず、NSCLCでの発現が認められ、その重要な増殖因子であるEGFR刺激によりCas-Lのリン酸化が直接的あるいは間接的に制御されることが示され、NSCLCの遊走・浸潤にCas-Lが関与することが示された。in vivoマウス移植モデルで、Cas-Lの過剰発現によりNSCLCの遊走・浸潤、転移が促進することが証明された。Cas-Lの発現と患者の生命予後との関連をヒトNSCLCの切除検体を用いて検証し、臨床的にCas-Lの発現がリンパ管、静脈やリンパ節への浸潤を示すだけでなく、NSCLCの再発予測因子となり得ることが示唆された。

EGFRやPDGFRなどはさまざまなインテグリンと相補的役割を有し細胞の遊走・浸潤に寄与いる。β1インテグリンの活性によりFAKやSrcファミリーキナーゼがCas-Lをチロシンリン酸化させること、また、EGFRとインテグリンの相互作用の報告と考え合わせると、EGF刺激によるCas-Lのリン酸化が直接的作用以外に、EGFRと相互作用したインテグリンを介した間接的作用も考慮できる。PC-9はEGFRのシグナル経路が優位であり、gefitinibでこのシグナルを遮断したことによりCas-Lのリン酸化が抑制されたことはEGFRシグナルの抑制によるものと考えられる。GefitinibによるPC-9のEGFRシグナル伝達の持続的遮断により、FAK、Cas-Lやp130Casの減少もみられ、Casファミリー蛋白質がEGFRシグナル経路に関与することが見出された。

Cas-Lの過剰発現によりEGF刺激下で遊走能、浸潤能が上昇することが示された。RNAiでCas-Lの発現を抑制しEGF刺激での細胞遊走・浸潤能が低下したことから、Cas-Lの発現がFNによるβ1インテグリン刺激のみならず、EGFRシグナルにおいても生物学的に重要な役割を担うことが示された。Cas-LのSH3、SD、セリンリッチドメイン欠損変異体において、その遊走能の亢進がないことが示された。SH3ドメインはFAKのpoly-prolineモチーフを介した相互作用から、EGF刺激によるCas-LとFAKの相互作用が考えられ、SDドメイン欠損による遊走抑制はリン酸化阻害やSrcファミリーキナーゼとの相互作用の障害が関与したものと思われた。p130CasではCrkとの相互作用が細胞遊走に重要であることからSDドメインへのCrkの相互作用が重要である可能性も考えられる。セリンリッチドメインに認められる、four-helix bundleは、接着斑に局在する蛋白に共通する構造であり、EGF刺激による細胞遊走能亢進においても、重要な役割を担っている可能性が考えられる。

In vivoモデルでは転移巣でのCas-Lの発現レベルの上昇が、種々の腫瘍転移モデルにおいて報告されている。BLIでの腫瘍分布の可視化により、Cas-Lの過剰発現株が転移を誘発されることが明らかとなった。皮下注入部では取り込みと腫瘍径ともにCas-L過剰発現とコントロールでは差がなく、肺癌の増殖シグナル伝達過程でのCas-Lの役割は浸潤・転移シグナルに比べて小さいものと考えられた。

原発性肺腺癌患者検体のCas-L発現とリンパ節への浸潤や病理学的な予後因子として報告されているリンパ管、静脈内浸潤、更に外科切除患者の転移再発性と予後との相関を解析し、Cas-Lの発現はリンパ管や静脈内浸潤やリンパ節浸潤とも相関し、臨床的な浸潤因子であることが示された。Cas-Lの発現は転移・再発の危険性の増大を有意に示し、予後に関与することが示され、再発予測因子として臨床的な意義が示唆された。Cox回帰モデルによる多変量解析においても有意な因子であることが示されたことは、Cas-Lが単独で再発を予測する因子となる可能性を示したものである。NSCLCの治療において外科切除は治癒可能な治療法であるが再発した患者では完全治癒は困難であるため再発の防止は重要であり、外科切除患者に対する術後補助療法の開発が進められてきたが、未だ満足いく治療法ではない。これと並行して、再発に関する遺伝子プロファイルも報告されているが未だ確立したものはない。

これまで、癌の転移過程で挙げられた(1)基底膜や基質への接着、分解・破壊、(2)脈管内への浸潤、(3)遊走、(4)tumorigenesisに基づく『seed and soil』説の分子機構の一端としての、Cas-L分子の役割が当研究により示された。Cas-Lの肺癌における臨床的意義を検証することにより、再発を予測する因子の一つとして提案することが可能となった。

今後、prospectiveな患者集積により、臨床的な意義を検証し、患者の選別による術後補助化学療法の実施あるいはCas-Lを新たな分子標的とする薬剤の開発を行うことにより、NSCLC患者の再発予防と転移抑制が可能になることが将来的に期待される。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は肺癌細胞におけるCrk associated substrate lymphocyte type(Cas-L)の役割を解明するために、非小細胞肺癌の重要な増殖因子であるepidermal growth factor receptor(EGFR)との相互作用を検証し、さらに、in vivoでCas-L発現が非小細胞肺癌の浸潤に関与し、ヒト検体を用いた臨床的意義の検証を試み、下記の結果を得ている。

1.肺癌細胞株であるPC-9とA549を用いてEGF刺激、gefitinibによるEGFRのリン酸化阻害でのCas-Lのチロシンリン酸化を免疫沈降およびウェスタンブロットで検出した。これにより肺癌細胞株ではEGF刺激によりCas-Lのチロシンリン酸化が亢進することが示され、gefitinibの添加によりCas-Lのチロシンリン酸化が抑制され、EGFRシグナルにCas-Lが直接あるいは間接的に制御されることが示された。

2.EGF刺激による肺癌細胞株の遊走・浸潤へのCas-Lの関与を検証するためにBorden chamberを用いたmigration assayとinvasion assayを実施した。PC-9とA549のCas-LをRNAiで抑制したものと、Cas-Lをトランスフェクションした過剰発現株を作成しassayした。Cas-Lの発現抑制はEGF刺激による細胞の遊走・浸潤能を低下させ、過剰発現は亢進させることが示された。このことは肺癌細胞の遊走・浸潤にCas-Lが強く関与することを示したものである。

3.Cas-Lのdeletion mutantをA549に導入しEGF刺激による遊走能を検証した結果、Cas-LのSD、SH3、SRドメインの欠損は細胞遊走の亢進が起こらないことから、これらのドメインがEGF刺激による細胞遊走に重要な役割を果たしている可能性が示唆され、これまでの報告からFAKやSrcなどとの相互作用によるCas-Lのリン酸化が重要である可能性が示された。

4.マウス移植モデルによる肺癌細胞の転移能をBLI法で可視化し、Cas-Lの過剰発現させたPC-14は腰部皮下注射部位から胸部への転移が促進されることが示された。

5.ヒトの原発性肺腺癌の切除検体を用い、免疫組織学的にCas-Lの発現とリンパ節への転移、リンパ管と静脈への浸潤の相関と再発までの期間を解析し臨床的意義を検証した。臨床的にもCas-Lの発現は浸潤を亢進し、さらに、再発までの期間が短いことが示された。Cox比例ハザードモデルによる多変量解析では原発巣でのCas-Lの発現が臨床上重要なN2リンパ節浸潤やリンパ管への浸潤と共に再発予測因子となり得ることが示された。

以上、本論文は非小細胞肺癌におけるCas-Lの役割を示した。非小細胞肺癌の重要な増殖因子であるEGFRを刺激するとCas-Lのリン酸化が直接的あるいは間接的に制御されることが示され、非小細胞肺癌の遊走・浸潤にCas-Lが関与することを示唆された。in vivoマウス移植モデルで、Cas-Lの過剰発現により非小細胞肺癌の遊走・浸潤、転移が促進することを証明し、ヒトの検体を用いてCas-Lの発現が非小細胞肺癌の再発予測因子となり得ることを示し、非小細胞肺癌の臨床に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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