学位論文要旨



No 125990
著者(漢字) 永井,純正
著者(英字)
著者(カナ) ナガイ,スミマサ
標題(和) BAALCの胎生期における組織形成および造血に与える影響
標題(洋)
報告番号 125990
報告番号 甲25990
学位授与日 2010.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第3469号
研究科 医学系研究科
専攻 内科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 宮川,清
 東京大学 准教授 高橋,聡
 東京大学 准教授 植木,浩二郎
 東京大学 講師 井田,孔明
 東京大学 講師 滝田,順子
内容要旨 要旨を表示する

BAALC (brain and acute leukemia, cytoplasmic)は急性骨髄性白血病(acute myeloid leukemia, AML)症例で高発現している遺伝子として2001年に同定された。その後、AMLの約4割を占める正常核型AML症例をBAALC高発現群と低発現群に分けた場合に、高発現群において完全寛解率の低下、生存率の低下が認められることが報告された。すなわち、BAALC高発現のAML細胞は化学療法抵抗性であると考えられる。BAALCはexon 1から8までで構成され、哺乳類間での相同性は非常に高く、ヒトでもマウスでも正常組織ではexon 1-6-8、exon 1-8の2つのtranscriptional variantが存在する。ヒト白血病細胞ではexon 1-5-6-8、exon 1-4-5-6-8、exon 1-5-6-7-8のvariantも存在する。ヒトの造血系ではCD34陽性細胞など未分化な細胞での発現が高く、分化とともに発現が低下していくことが知られている。しかしながら、BAALCにおける基礎データとしてこれまでに知られている事実はこの程度であり、BAALCがどのような機能を持っているかは未知のままである。そこで私は、BAALCの遺伝子改変マウスならびにレトロウイルスによる過剰発現の系を作成し、その生体内での役割について解析した。

まず、wild C57BL/6マウスにおけるBAALC cDNA発現量をreal-time RT-PCR法により測定したところ、脳と比較すると造血組織での発現量は低い傾向にあるものの、造血系においてはマウスでも未分化なKSL分画でBAALCの発現が高いことが明らかとなった。

次に、BAALCの全てのtranscriptional variantが欠損するように、exon1をloxpではさむ形のtargeting vectorをC57BL/6マウスのES細胞に導入して遺伝子改変マウスを作成した。BAALCへテロ(+/-)マウス同士の交配によりBAALC conventionalノックアウトマウス(-/-)を作成し、表現型解析を施行した。胎生12.5日まではオス、メスいずれもメンデル遺伝の法則にほぼ従っていたが、胎生13.5日以降ではメスのノックアウトマウスは観察されなかった。胎生11.5日におけるメスのノックアウトマウスの形態については、wild、ヘテロマウスと比較して明らかに小さく、一部では循環不全により水腫を認める胎児も見受けられた。最も顕著な外見上の異常は胎盤に存在し、ノックアウトマウスの胎盤は薄く、単離する際にもろく崩れてしまうものが大半であった。胎生12.5日のメスのノックアウトマウスでも胎児の大きさが小さく、胎盤が薄く赤みに欠けるという傾向は同様であった。しかし、胎児の異常はより顕著であり、眼を含む頭部が欠損しているものや明らかな死骸が観察された。以上から、メスのノックアウトマウスでは、胎盤の形成不全により胎生11.5-12.5日で胎生致死となることが分かった。一方で、オスのノックアウトマウスについては、メスで観察されたような明らかな異常は胎生11.5、12.5日で認められないものの、産仔の頻度はwildのオスの約半分であり、一部がすり抜けて生存するものと考えられた。すり抜けたオスのノックアウトマウスの外見は胎生13.5日、14.5日、産仔いずれにおいてもwildマウスと比較して明らかな相違はなかった。このオスとメスの表現型の差異における原因を探るため、胎生11.5日におけるwild、ヘテロ、ノックアウトマウスの性別毎の胎盤の重量を測定した。Wildマウスにおいてもオスで有意に胎盤重量が重く、その性差はノックアウトマウスで顕著であった。従って、胎盤重量の性差がノックアウトマウスの表現型を説明する要因と考えられた。さらに、メスのノックアウトマウスの胎盤の異常について詳細を解析するために、胎生11.5日における胎盤のHE(Hematoxilin-Eosin)染色による病理組織像を調べた。ノックアウトマウスでは海綿状栄養膜細胞の胎盤迷路への侵入がほぼ認められず、また、迷路細胞の成熟度合いを示す、迷路細胞の癒合傾向もノックアウトマウスでは阻害されていた。以上から、メスのノックアウトマウスでは海綿状栄養膜細胞、迷路細胞の成熟がwildマウスと比較して遅れていることが明らかとなった。

次に、胎生11.5日におけるyolk sacを用いてBAALCの胎生期造血に与える影響を解析した。Yolk sacの細胞をメチルセルロース半固形培地で培養したところ、ノックアウトマウスでwildマウスより有意にGMコロニー(colony-forming unit-granulocyte macrophage :CFU-GM、myeloidコロニー)の形成能が亢進していた。そのyolk sacの構成細胞の表面マーカーを解析したところ、ノックアウトマウスにおいて、造血細胞ならびに造血幹細胞の数に変化はないことが示唆された。また、アポトーシスを起こしている細胞数にも相違は認められなかった。しかし、細胞周期を解析したところ、ノックアウトマウスで有意にG0/G1の静止期にある細胞数が少なく、G2/M期にある細胞数が有意に多かった。以上から、ノックアウトマウスのyolk sacの造血細胞では細胞周期の回転亢進によりコロニー形成能が亢進していると考えられた。

次に、BAALC過剰発現が造血に与える影響を解析した。レトロウイルスによりBAALCを導入した骨髄細胞のメチルセルロース半固形培地におけるコロニー形成能をまず解析した。その結果、全てのBAALCのtranscriptional variantについて、各々過剰発現させた骨髄細胞はmockと比較してコロニー形成能の有意な低下を認めた。以上から、BAALC過剰発現は造血細胞のin vitroでの増殖能を抑制することが明らかとなった。

次に、BAALC過剰発現のin vivoでの増殖能に与える影響を調べるために、マウス骨髄移植モデルで解析を行った。レトロウイルスでBAALCを過剰発現させた骨髄細胞1×105 個をGFPでマーキングし、wildマウスから回収した骨髄細胞2×105個と同時に、9Gy放射線照射したマウスに移植を施行した。移植後のレシピエントマウスの末梢血におけるGFP陽性細胞の割合によりキメリズムを解析した。BAALC過剰発現細胞を移植したマウスは移植後1年間の観察期間で白血病を発症せず、そのGFP陽性細胞の割合はmockを移植したマウスと比較して、生着後から一貫して有意に低いことが分かった。以上から、in vivoにおいてもBAALCを過剰発現した造血細胞の増殖能は抑制されることが明らかとなった。次に、BAALC過剰発現による増殖能の抑制が何に起因するものかを調べた。レトロウイルスでBAALCを過剰発現させた骨髄細胞からRNAを回収し、microarrayによりmockとの比較を行った。GSEA (Gene Set Enrichment Analysis)を用いた解析により、BAALCを過剰発現させた骨髄細胞ではp53の経路が有意に活性化していることが明らかとなった。そこで、p53ノックアウトマウスの骨髄細胞にレトロウイルスでBAALCを過剰発現させてコロニー形成能の解析を施行した。すると、BAALC過剰発現によるコロニー形成能の抑制はp53非存在下では認められず、mockと同等の増殖能を持つことが分かった。このことから、BAALC過剰発現による増殖能の抑制はp53依存性であることが明らかとなった。

以上まとめると、私は今回の研究により、以下の事実を初めて明らかとした。

・BAALCは胎生期における胎盤の組織形成、詳しくは海綿状栄養膜細胞と迷路細胞の成熟に必須である。

・胎盤が原因となる胎生致死の表現型を示すノックアウトマウスにおいて性別が重要な役割を果たす場合がある。

・BAALC欠失は胎生期造血において細胞周期を回転させ増殖能を亢進させる。

・BAALCはwildマウスの骨髄において未分化なKSL分画で高発現している。

・BAALC過剰発現はp53経路の活性化を介して骨髄細胞の増殖を抑制する。

前半の2つについては、胎生期の胎盤の組織形成における性別とBAALCの影響を各々明らかにしたことで、発生学や不妊、流産などの産科領域での今後の発展に寄与するものと考えられる。後半の3つからは、BAALCは白血病幹細胞をはじめとする未分化な細胞分画において、細胞周期の回転抑制による静止期の維持に関与し、それが抗がん剤抵抗性となり、予後不良につながるという仮説が想定される。BAALCの過剰発現がp53経路を活性化することも、BAALC高発現のAMLが予後不良であるという臨床データと一見矛盾する結果であるが、この仮説に従えば、p53はKSL細胞において発現が高く、p53を欠失させると静止期の細胞が減少することが報告されていることから説明可能である。今回、造血幹細胞分画で高発現しているBAALCが細胞周期を負に制御し静止期の維持に関与していることを明らかにしたことにより、静止期にある一部の未分化な白血病幹細胞により白血病が構築されるという、現在提唱されているモデルにおいて、BAALCがその中心的役割を担っている可能性があることを示唆する重要な結果と考えられる。(3944字)

審査要旨 要旨を表示する

本研究は、その高発現が正常核型の急性骨髄性白血病(acute myeloid leukemia, AML)症例の予後不良因子として認識されながら、機能が未知のBAALC (brain and acute leukemia, cytoplasmic)について、ノックアウトマウスの作成ならびにレトロウイルスによる過剰発現の系を通じて、下記の結果を得ている。

1.real-time PCR法により、BAALCはwildマウスの骨髄において未分化なKSL分画で高発現していた。

2.conventionalノックアウトマウスを作成し、その表現型を解析したところ、BAALCは胎生期における胎盤の組織形成、詳しくは海綿状栄養膜細胞と迷路細胞の成熟に必須であり、メスのノックアウトマウスでは胎生11.5-12.5日で胎盤の形成不全により致死となった。一方で、オスのノックアウトマウスは一部がすり抜け、正常に産まれた。

3.conventionalノックアウトマウスの胎生11.5日におけるYolk sacを用いた、半固形培地でのcolony assayならびにフローサイトメトリーにより、BAALC欠失が胎生期造血において細胞周期を回転させ増殖能を亢進させることが明らかとなった。

4.レトロウイルスにより骨髄細胞にBAALCを過剰発現させた系を用いたところ、半固形培地でのcolony assayによるin vitro、骨髄移植によるin vivoのいずれにおいてもBAALC過剰発現細胞の増殖抑制が認められた。マイクロアレイならびにp53 ノックアウトマウスを用いた解析により、このBAALCによる増殖抑制の効果はp53経路依存性であることが明らかになった。

まず前半の2つから、本研究により、胎生期の胎盤の組織形成における性別とBAALCの役割が明らかとなった。胎盤においてBAALCが発現していることは以前から知られていたが、BAALCの胎盤形成における役割は初めて解明された。また、性別との関連を明確にしたことは、胎盤の形成に重要な役割を担う他の遺伝子においても性別との関連が重要である可能性を示唆する重要な結果である。

また、後半の2つにより、BAALCが造血細胞における未分化のマーカーであるのみならず、実際に胎生期において細胞周期を負に制御する役割を担っていること、骨髄においてp53の経路を介して増殖を抑制する働きを持っていることが初めて明らかとなった。

以上より、本研究はBAALCの新たな役割を発見したことにより、今後の発生学ならびに正常造血における研究の進展に大きく寄与するものと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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