学位論文要旨



No 125991
著者(漢字) 中尾,倫子
著者(英字)
著者(カナ) ナカオ,トモコ
標題(和) メラトニンの血管内皮保護作用に関する検討
標題(洋) The Protective Effects of Melatonin on Vascular Endothelial Function
報告番号 125991
報告番号 甲25991
学位授与日 2010.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第3470号
研究科 医学系研究科
専攻 内科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 大内,尉義
 東京大学 教授 藤田,敏郎
 東京大学 特任准教授 後藤田,貴也
 東京大学 講師 竹中,克
 東京大学 准教授 宮田,哲郎
内容要旨 要旨を表示する

1.背景

松果体から分泌されるメラトニンは血中濃度に日内変動があり、夜間高値となる。血中濃度は加齢に伴い徐々に低下する。また、加齢に伴い増加する心血管疾患患者ではメラトニンの血中濃度が低下している。

体内時計の調節作用、催眠作用などの中枢に対するメラトニンの作用が広く知られているが、近年、ラジカルスカベンジャー作用および抗酸化酵素誘導によるメラトニンの抗酸化作用が注目されている。メラトニンは親水性でもあり、親脂性でもあるために、細胞膜を容易に通過する。その結果、末梢組織にひろく行きわたり、抗酸化作用を発揮する可能性がある。また、中枢のみでなく心血管系を含む末梢組織にもメラトニン受容体が存在することが知られている。以上のことより、そもそも酸化ストレスによって惹起される心血管疾患に対し、メラトニンが直接末梢組織に抗酸化物質として作用し、その予防・治療に貢献することが期待できる。

事実、心筋の虚血再潅流モデル動物で、メラトニン投与は虚血心筋を縮小させることが報告されており、急性心筋梗塞患者を対象とした臨床試験も現在進行中である。

血管機能に対するメラトニンの作用としては、高血圧モデルラット、健常成人、non-dipper 高血圧患者での自律神経を介した降圧効果が知られているが、血管細胞、特に血管内皮細胞に対する直接効果およびその機序は知られていない。

2.目的

in vivo、in vitroの2つの系を用いて、メラトニンの抗酸化作用および血管内皮に対する保護作用に関して検討した。

3.方法

活性酸素(ROS)発生、内皮型NO合成酵素 (eNOS)の活性化およびNO産生を指標にメラトニンと血管内皮機能との関連について検討した。

1) ヒト大動脈血管内皮培養細胞(HAEC)を用いたin vitro実験で、a) メラトニン単独投与がeNOS活性化およびNO産生にいかなる影響を与えるのか、b) アンギオテンシンII(Ang II 200 nmol/L)負荷で惹起されるROS産生亢進およびeNOS不活性化をメラトニンが回復させるか、について検討した。

2) Ang II持続負荷ラットを用いたin vivo実験でAng II負荷で惹起される血管壁でのROS産生亢進および血管内皮機能障害を、メラトニンが回復させるかを検討した。

4.結果

最初にHAECを用いたin vitro実験で、mRNAレベルでメラトニン受容体の発現を確認した (本文Fig 6)。

次にメラトニン単独投与が血管内皮細胞に与える効果を検討した。NO蛍光指示薬であるDAF-FM DAを用いて、各濃度のメラトニンを単独投与した際のHAEC内でのNO産生亢進を確認した。1 × 10-5 mo/Lのメラトニン投与時に有意にNO産生の亢進を認め (本文Fig7,8)、以後この濃度のメラトニンの効果を検討することとした。また、メラトニン単独投与によりeNOSのリン酸化が亢進することをウエスタンブロッティング法で確認した (本文Fig 9)。以上より、メラトニン単独投与が、HAECでのeNOS活性化を惹起し、NO産生を亢進することが確認された。

以上のことをふまえ、血管内皮細胞でのROS産生が亢進し、血管内皮機能が著しく障害されている病的状態においても、メラトニン投与が血管内皮機能を改善することができるか検討を加えた。

血管内皮細胞での主なROSの発生源として、細胞膜上のNADPHオキシダーゼが知られている。Ang IIはtype1レセプター(AT1R)とtype2レセプター(AT2R)の二種類のレセプターを介し、血管内皮細胞に作用する。成人の血管内皮細胞では、AT1Rの発現が多いが、このAT1Rを介したパスウェイはNADPHオキシダーゼを活性化し、ROS産生を亢進、そしてNO産生を低下させることが知られている。一方、AT2RパスウェイはeNOSのリン酸化亢進を介して、NOを産生させることで、AT1Rパスウェイに拮抗する作用を有し、血管内皮細胞に対して保護的に作用することが知られている。

ROSの蛍光指示薬であるCM-H2DCFDAを用いてAng II負荷によるROS産生亢進をメラトニン同時投与が軽減できるか検討した。Ang II (200 nmol/L)をHAECに添加するとROS産生が亢進し、メラトニン前投与で抑制された (本文Fig 10)。次に、Ang II負荷はROS発生の結果eNOSの活性化を低下させるかどうかの検討を行った。Ang II単独刺激によるeNOS活性化の低下は軽度であることも多く、場合によってはeNOSの活性亢進を引き起こすことさえ観察されたことから、メラトニンの効果を検討するには決して好ましい実験系ではないと思われた。Ang IIのAT1Rを介するパスウェイと、AT2Rを介するパスウェイとのバランスが安定せず、eNOSリン酸化のレベルが一定しなかったことによると考えられた。

細胞膜にはコレステロールに富んだ膜ドメインがあり、Ang IIがAT1Rを介し、NADPHオキシダーゼを活性化するシグナル伝達にとって重要であることが知られている。このため、Ang IIをコレステロールと併用して血管内皮細胞に負荷したところ、Ang II単独投与よりもさらに安定したROS産生亢進およびeNOS活性低下を観察できた (本文Fig 11)。そこで、このAng IIとコレステロールを併用した実験系を用いて、メラトニンの血管内皮保護効果を引き続き検討することとした。

ROS検出色素CM-H2DCFDAを用い、Ang IIおよびコレステロールの併用負荷により、HAECにおけるROS発生が亢進することを確認し、このROS発生亢進はメラトニン前処置により抑制されることを観察した (本文Fig 12)。さらに、Ang IIおよびコレステロール併用負荷により、eNOSのリン酸化は強く阻害されるが、メラトニン前処置により改善した(本文Fig 13)。

また、p47(phox)の細胞膜分画への移行はNADPHオキシダーゼを活性化し、それがROS発生亢進を招来すると報告されている。私は上述の事実がNADPHオキシダーゼ活性を介している可能性を念頭にp47(phox)の膜分画への移行を検討した。Ang IIおよびコレステロール刺激により、膜分画でのp47(phox)が増加したのを確認した。メラトニンを前処置することにより、Ang IIおよびコレステロール刺激によるp47(phox)の膜分画への移行は抑えられた (本文Fig 14)。

以上のことから、培養血管内皮細胞において、メラトニンはNADPHオキシダーゼ活性化を抑えることにより、Ang IIによるROS産生亢進を抑え、さらにeNOS活性化障害を抑制することが明らかになった。

次にin vivoの実験でメラトニンの血管内皮機能に対する効果を検討した。

Ang IIを浸透圧ポンプにより1週間持続負荷し高血圧(収縮期血圧 200 mmHg前後)を惹起したラットでは、血管壁のROS産生が亢進し、内皮依存性血管拡張反応が低下することが知られている。今回の実験でも、血管壁のROS産生亢進を確認できたが、メラトニンを同時投与したラットでは、血管壁の全層にわたり、Ang IIにより惹起されるROS産生亢進が抑えられた(本文Fig 16)。また、Ang II持続投与により低下した内皮依存性血管拡張反応は、メラトニン同時投与で回復することが示された (本文Fig 18)。

このように、in vitro実験と、in vivo実験において、Ang IIにより惹起される酸化ストレス亢進状態そして血管内皮に対する障害作用をメラトニンが改善しうるという事実を初めて明らかにした。

5.結論

メラトニンは単独でもNO合成酵素の活性化を引き起こし、NOを発生させることで血管内皮保護作用を示す可能性がある。さらにアンギオテンシンIIおよびコレステロール併用負荷によりNADPHオキシダーゼが活性化し活性酸素発生を介して血管内皮機能が障害された状態に対してでもメラトニンは治療効果を有する。アンギオテンシンII持続負荷により惹起される高血圧ラットにおいても、血管壁での活性酸素亢進および内皮依存性血管拡張反応障害をメラトニンが回復させる。本研究は、生体へのアンギオテンシン負荷により惹起された血管内皮機能障害を、生体に投与したメラトニンが回復させることを示した最初の研究である。これまでにも生体外に取り出したラットの大動脈標本を、高濃度グルコース処理し、惹起される血管内皮依存性拡張障害をメラトニン同時処理が改善したという報告はなされていたが、その機序に関しては明らかでなかった。本研究では、メラトニンが血管内皮細胞に直接作用し、eNOSのリン酸化、そしてNO産生を改善させることを示し、またメラトニンが血管内皮依存性拡張反応を改善する機序を解明した。メラトニンは、単に日内変動を調整する機能を有するだけではなく、血管への直接の保護作用を有することが明示された。既にメラトニンは睡眠導入剤として安全に使用されている。特に内因性のメラトニンが低い患者においては心血管疾患に対する予防・治療効果が期待され、そのメカニズムのひとつを明らかにした研究として、本研究はきわめて重要であると考える。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は、松果体から分泌されるホルモンであるメラトニンの血管内皮に対する保護作用を明らかにするため、in vitroおよびin vivo実験で、活性酸素 (ROS) 発生、内皮型NO合成酵素 (eNOS) の活性化およびNO産生を指標にメラトニンと血管内皮機能との関連について検討したものであり、以下の結果を得ている。

1. ヒト大動脈血管内皮培養細胞 (HAEC) を用いたin vitro実験

1-1. メラトニン受容体の血管内皮細胞での発現をmRNAレベルで確認した。

1-2. NO蛍光指示薬であるDAF-FM DAを用いて、各濃度のメラトニンを単独投与した際のHAEC内でのNO産生亢進を確認したところ、1 × 10-5 mo/Lのメラトニン投与時に有意にNO産生の亢進を認め、以後この濃度のメラトニンの効果を検討することとした。また、メラトニン単独投与によりeNOSのリン酸化が亢進していることをウエスタンブロッティング法で確認した。以上より、メラトニン単独投与が、HAECでのeNOS活性化を惹起し、NO産生を亢進することが確認された。

1-3. 血管内皮細胞でのROS産生が亢進し、血管内皮機能が著しく障害されている病的状態においても、メラトニン投与が血管内皮機能を改善することができるか検討を加えた。ROSの蛍光指示薬であるCM-H2DCFDAを用いてアンギオテンシンII (Ang II) 200 nmol/L負荷で惹起されるROS産生亢進をメラトニンが抑制することが示された。

1-4. 細胞膜にはコレステロールに富んだ膜ドメインがあり、Ang IIがtype1レセプターを介し、NADPHオキシダーゼを活性化するシグナル伝達にとって重要であることが知られている。このため、コレステロールを血管内皮細胞に負荷した状態で、Ang IIを負荷したところ、Ang II単独投与よりもさらに安定したROS産生亢進およびeNOS活性低下がおこることが示された。

1-5. Ang IIとコレステロールを併用した実験系を用いて、メラトニンの血管内皮保護効果を引き続き検討することとした。ROS検出色素CM-H2DCFDAを用いて、Ang IIおよびコレステロールの併用負荷により、HAECにおけるROS発生が亢進することを確認し、このROS発生亢進はメラトニン前処置により抑制されることを観察した。さらに、Ang IIおよびコレステロール併用負荷により、eNOSのリン酸化は強く阻害されるが、メラトニン前処置により改善がみられた。

1-6. p47(phox)の細胞膜分画への移行はNADPHオキシダーゼを活性化し、それがROS発生亢進を招来すると報告されており、本研究でもAng IIおよびコレステロール刺激により、膜分画でのp47(phox)が増加したのを確認した。メラトニンを前処置することにより、Ang IIおよびコレステロール刺激によるp47(phox)の膜分画への移行は抑えられた。以上のことから、培養血管内皮細胞において、メラトニンは、NADPHオキシダーゼ活性化を抑えることにより、Ang IIによるROS産生亢進を抑え、さらにeNOS活性化障害を抑制することが明らかになった。

2.Ang II持続負荷ラットを用いたin vivo実験でAng II負荷で惹起される血管壁でのROS産生亢進および血管内皮機能障害を、メラトニンが回復させるかを検討した。Ang IIを浸透圧ポンプにより1週間持続負荷し高血圧 (収縮期血圧 200 mmHg前後) を惹起したラットでは、血管壁のROS産生が亢進し、内皮依存性血管拡張反応が低下することが知られている。今回の実験でも、血管壁のROS産生亢進を確認できたが、メラトニンを同時投与したラットでは、血管壁の全層にわたり、Ang IIにより惹起されるROS産生亢進が抑えられた。また、Ang II持続投与により低下した内皮依存性血管拡張反応は、メラトニン同時投与で回復することが示された。

以上、本論文はメラトニンが血管内皮細胞に直接作用し、アンギオテンシンII単独負荷(in vivo実験)またはコレステロール併用負荷(in vitro実験)により惹起される酸化ストレス亢進状態そして血管内皮機能障害を改善することを初めて明らかにした。内因性のメラトニンが低い患者においてメラトニンには心血管疾患に対する予防・治療効果が期待され、本研究はそのメカニズムの解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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