学位論文要旨



No 126006
著者(漢字) 加藤,元博
著者(英字)
著者(カナ) カトウ,モトヒロ
標題(和) 網羅的ゲノム解析による悪性リンパ腫の標的遺伝子A20の同定
標題(洋)
報告番号 126006
報告番号 甲26006
学位授与日 2010.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第3485号
研究科 医学系研究科
専攻 生殖・発達・加齢医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 宮川,清
 東京大学 教授 矢富,裕
 東京大学 准教授 辻,浩一郎
 東京大学 講師 大須賀,穰
 東京大学 講師 高橋,強志
内容要旨 要旨を表示する

悪性リンパ腫はリンパ系組織に由来する悪性腫瘍であり、主に病理学的な所見を基にして様々な組織型に分類される。悪性リンパ腫はホジキンリンパ腫と非ホジキンリンパ腫に大別され、特徴的な所見よりさらにそれぞれにおいて細分類が行われる。これらの病理分類はリンパ球の分化・成熟の各段階に対応しており、この分類により臨床像や治療反応性、予後が異なる。さらに近年では、病態研究の進歩により得られた分子異常についての知見を加え、複合的な観点から症例の評価を行い、より適切な治療方針を選択することが予後の改善へとつながっている。しかし、本邦では年間1万3千人が悪性リンパ腫を発症する一方で、年間の死亡数は8千人を超えており、病態のさらなる解明が望まれている。

他のがん腫と同様に、悪性リンパ腫細胞のゲノムにも様々な異常が生じており、細胞増殖の抑制やアポトーシスの抑制などをきたしている。これらの中で、悪性リンパ腫の病態に広くかかわる重要な分子異常として、NF-κB経路が恒常的に活性化していることがよく知られている。NF-κBはリンパ球の増殖や活性化を制御する転写因子であり、その活性化経路は炎症反応や免疫反応において中心的な役割を果たしている。悪性リンパ腫に観察されるゲノム異常にはNF-κB経路を制御する遺伝子の活性化や不活性化が多く報告され、制御因子の異常によるこの経路の亢進がリンパ球の増殖・腫瘍化を引き起こしていると考えられている。

また、慢性的な炎症環境において悪性リンパ腫が好発することがよく知られており、これらの慢性炎症に関連して発症したリンパ腫はその炎症環境の改善により寛解することが経験され、このような慢性炎症を背景としたリンパ腫の発症においてもNF-κB経路の活性化が関与していると考えられる。しかし、悪性リンパ腫の発症の基盤となるゲノム異常についてはまだ不明な点が多く、炎症と発症との関連における分子機序についても明らかになっていない。

一方、近年のゲノム解析技術の進歩により、がん細胞に生じているゲノム異常を網羅的かつ高速に検出することが可能となった。特に一塩基多型(SNP)プローブをアレイ上に高密度に配置したSNPアレイは、プローブのそれぞれから得られるハイブリダイゼーションシグナルが持つ定量的特性を利用して、ゲノムコピー数異常の網羅的な解析が可能である。SNPアレイによるコピー数解析は高い解像度を持ち、従来の手法では検出できなかった微細なゲノムコピー数の異常を検出することができる。さらに、独自に開発したCNAG/AsCNARアルゴリズムで解析を行うことにより、SNPアレイによるゲノム解析結果の解像度が改善するだけでなく、2本のアレルを区別してそれぞれについてゲノムコピー数解析を行うことができ、増幅や欠失と同様にがんの発症に関与する片親性ダイソミー(UPD)も網羅的に検出することが可能である。CNAG/AsCNARによるアレル特異的なコピー数解析はゲノム異常の検出において高い感受性を持ち、正常細胞が70-80%混入した検体においても鋭敏にコピー数変化やアレル不均衡を検出することができ、がんゲノムに生じている構造異常を詳細に明らかにし、がん関連遺伝子の同定に有用であることが示されている。

そこで本研究では、悪性リンパ腫に生じているゲノム異常を詳細に明らかにし、発症に関与する新たな遺伝子を探索することを目的として、悪性リンパ腫の臨床検体238例(び慢性大細胞型リンパ腫(DLBCL)64例、濾胞性リンパ腫(FL)52例、マルトリンパ腫(MALT)87例、マントル細胞リンパ腫(MCL)35例)およびホジキンリンパ腫由来の細胞株6例について、高密度SNPアレイおよびCNAG/AsCNARアルゴリズムを用いた網羅的ゲノム解析を行い、検出されたゲノム異常から抽出された標的遺伝子の候補について詳細な検討を行った。

ゲノム解析の結果、多数の増幅・欠失およびUPDが検出された。これらのゲノム異常はいくつかの領域において複数の症例で集積してみられ、その集積の頻度や分布は悪性リンパ腫の組織型によって異なっていた。異常の集積した領域には既知のがん関連遺伝子が存在している箇所が多くみられた。また、cRELやTRAF6の高度増幅など、NF-κB経路を制御する遺伝子の位置する領域にもゲノム異常が高頻度に見られ、全症例の約40%にNF-κB経路に関与する遺伝子を含む異常が観察された。

これらのゲノム異常が集積した領域の中で、本研究で最も注目されたのは6q23.3に集積したヘテロ接合性の消失(LOH)であった。238例中50例に欠失またはUPDによるLOHが認められ、うち12例はホモ欠失であった。このLOHとホモ欠失の共通領域は143kbであり、この範囲にはNF-κB経路のnegative regulatorであるA20遺伝子のみが存在していた。さらに、A20に対して変異解析を施行した結果、LOHを有していた12例に変異が検出された。合計すると238例中24例(10.1%)に両アレルの異常を認め、DLBCL(7.8%)とMALT(21.8%)に比較的多くみられた。また、ホジキンリンパ腫由来の細胞株6検体中3検体(KMH2、HDLM2、L1236)にもA20の両アレル異常がみられたことから、ホジキンリンパ腫の臨床検体について、ホジキンリンパ腫の本体であるHodgkin/Reed-Steinberg細胞をマイクロダイセクションで特異的に回収し、A20の変異解析を施行したところ、24例中5例(20.8%)に変異がみられた。この変異は周辺に浸潤している正常リンパ球には検出されなかった。変異のほとんどはナンセンス変異または挿入/欠失変異であり、A20のpremature stopを引き起こすことが想定された。ホモ欠失が多数見られたことも合わせ、A20が悪性リンパ腫においてがん抑制遺伝子として働いていることが示唆された。

細胞株におけるA20欠失の効果、すなわちA20のがん抑制遺伝子として機能を検証するために、A20を欠いた細胞株KMH2にテトラサイクリン誘導的にA20を発現させた。テトラサイクリンを付加することでA20が誘導され、その結果NF-κBの活性が抑制されるとともに、細胞にはアポトーシスが誘導され、細胞増殖の抑制がみられた。しかし、これらの効果は変異A20の発現では観察されず、変異A20はNF-κB経路の制御機能を失っていることが示された。さらに、in vivoでの腫瘍造成能においてA20の発現が与える影響を検討するために、NOD/SCID/γcnullマウス(NOGマウス)の背左右にA20を誘導的に発現するKMH2(A20+KMH2)と発現するフレームを持たないKMH2(mock+KMH2)を皮下注射した。その結果、テトラサイクリンを付加しない個体では5週後には両側から腫瘍の発生がみられたが、テトラサイクリンを付加した個体では、mock+KMH2側からは腫瘍が発生したが、A20+KMH2を注射した側からは腫瘍が発生しなかった。すなわち、A20の発現はin vivoでの腫瘍造成能も抑制し、A20の欠失がKMH2の悪性形質において重要な役割を果たしていることが示された。

また、正常なA20を発現する細胞に比べ、A20欠失細胞が競合的な環境でも増殖に有利であることを確認するために、A20+KMH2およびmock+KMH2を未処理のKMH2と等量で混合し、混合割合の変化を経時的に観察した。mock+KMH2では混合割合の変化は観察されなかったのに対し、A20+KMH2と未処理KMH2を混合させ、テトラサイクリンを付加した場合にはA20+KMH2の割合は有意に減少した。さらに、A20+KMH2とmock+KMH2を等量で混合したものをNOGマウスに注射し、発生した腫瘍中の混合割合を検討したところ、テトラサイクリンを付加した場合は有意にA20+KMH2の割合が少なく、A20欠失細胞が競合的な環境でもgrowth advantageをとることがin vivoでも確認された。

A20の主な機能は細胞外からの刺激によるNF-κB経路の活性化を抑制的に制御することであるため、A20欠失細胞の培養環境についても検討を行った。KMH2の培養液を新鮮な培養液に置換することによりNF-κB活性は低下し、NF-κBを活性化させるTNFαやLTαの濃度が培養開始後に上昇することも確認された。そこで、TNFαやLTαを中和抗体で除去したところKMH2の細胞増殖は抑制され、TNFαやLTαを付加することにより細胞増殖は促進された。A20欠失細胞株であるKMH2はNF-κBを活性化させるこれらのサイトカインに高感受性であり、自己分泌を行うことにより自らの増殖により有利な環境を作り出していることが示された。

A20はTNFAIP3とも呼ばれ、TNFα刺激によって誘導されるタンパク質として同定された。細胞外刺激などによるNF-κBの活性化によって速やかに発現が誘導され、経路を抑制的に制御することによりNF-κBの活性を適切に保っている。A20欠失マウスはNF-κB経路を制御することができず、全身の臓器に炎症をきたして生後数日で死亡することが報告されている。また、A20の近傍に発現量に関連する多型があり、この多型と自己免疫性疾患との発症に関連があることが報告されていることから、A20は免疫反応や炎症反応の制御において重要な役割を果たしている分子として注目されているが、後天的な異常と疾患との関連については報告されていなかった。

本研究では、マイクロアレイ技術を用いた網羅的ゲノムコピー数解析から、A20が悪性リンパ腫における標的遺伝子として同定され、機能解析によりがん抑制遺伝子として発症に関与することを同定した。A20の機能は細胞外刺激によるNF-κB経路の制御であることから、A20の欠失は慢性炎症に関連する悪性リンパ腫の発症の分子機序のひとつであると考えられる。悪性リンパ腫の他に、大腸癌や前立腺癌、肝臓癌など慢性炎症と発症との関連が知られているがんは多く、その発症機序は細胞増殖性サイトカインの亢進や血管新生の誘導などによって説明が試みられてきたが、クローン性の腫瘍増殖をきたす分子機序については十分な説明がなされていなかった。本研究で明らかになったA20の欠失によるがん発症の分子機構の解明は、学術的な観点から重要なだけでなく、炎症を制御することによってがんの予防および治療が有用であることを支持する成果である。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は、悪性リンパ腫に生じているゲノム異常を詳細に明らかにし、発症に関与する新たな遺伝子を探索することを目的として、高密度SNPアレイおよびCNAG/AsCNARアルゴリズムを用いて悪性リンパ腫細胞に対して網羅的なゲノム解析を行い、検出されたゲノム異常から抽出された標的遺伝子の候補について検討を行ったものであり、下記の結果を得ている。

1. 非ホジキン性悪性リンパ腫の臨床検体238例に対して網羅的ゲノム解析を行った結果、悪性リンパ腫に生じているゲノム異常は複数の領域において集積してみられ、その集積の頻度や分布は悪性リンパ腫の組織型によって異なっていることが確認された。また、cRELやTRAF6の高度増幅など、NF-κB経路を制御する遺伝子の位置する領域にもゲノム異常が高頻度に見られ、全症例の約40%にNF-κB経路に関与する遺伝子を含む異常が観察された。

2. 6q23.3にはヘテロ接合性の消失(LOH)が集積しており、238例中50例にみられたLOHの共通領域にはNF-κB経路のnegative regulatorであるA20遺伝子が唯一存在し、うち12例はホモ欠失を伴っていた。変異解析により、LOH例のうち12例に変異が検出され、これらの変異はA20蛋白のpremature stopを引き起こすミスセンス変異またはframe shift変異であった。変異は特にび慢性大細胞型リンパ腫とMALTリンパ腫に高頻度に観察された。

3. ホジキンリンパ腫由来の細胞株6検体中3検体にもA20の異常が検出された。レーザーマイクロダイセクションを用いてホジキンリンパ腫の臨床検体についてもDNAを回収し、変異解析を施行したところ、24例中5例に変異がみられた。

4. A20を欠いた細胞株KMH2にLenti virusを用いてA20を導入し、テトラサイクリン誘導的に発現させたところ、NF-κBの活性が抑制されるとともに、細胞にはアポトーシスが誘導され、細胞増殖の抑制がみられた。これらの効果は悪性リンパ腫で検出された変異A20では観察されなかった。A20の発現は、A20欠失細胞株を免疫不全マウス(NOD/SCID/γcnullマウス)に接種した場合の腫瘍造性能を抑制した。

5. KMH2の培養上清を経時的に測定したところ、TNFαやLTαが検出され、KMH2はサイトカインを自己分泌していることが示された。これらのサイトカインの中和抗体での除去により細胞の増殖は抑制され、付加により細胞の増殖は促進された。

6. A20を発現するKMH2と発現しないKMH2を混合して培養し、混合割合の変化を観察したところ、A20を発現するKMH2は徐々に減少し、競合的な環境でもA20欠失細胞は増殖に有利であることが示された。

以上、本研究は悪性リンパ腫の網羅的ゲノム解析から、A20遺伝子の欠失および変異を同定し、機能解析からA20ががん抑制遺伝子として病態に関与していることを示した。本研究は悪性リンパ腫の発症における新たな分子機構を明らかにしただけでなく、慢性炎症と発がんとの関連の解明においても重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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