学位論文要旨



No 126015
著者(漢字) 飯嶋,正広
著者(英字)
著者(カナ) イイジマ,マサヒロ
標題(和) 先天性無痛無汗症の末梢神経機能に関する研究
標題(洋)
報告番号 126015
報告番号 甲26015
学位授与日 2010.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第3494号
研究科 医学系研究科
専攻 外科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 水口,雅
 東京大学 准教授 馬淵,昭彦
 東京大学 講師 多田,弥生
 東京大学 講師 竹下,克志
 東京大学 准教授 天野,史郎
内容要旨 要旨を表示する

先天性無痛無汗症(以下CIPAと略す)は、痛覚消失、発汗減少、体温調節障害および精神遅滞を特徴とする希少な疾患で、常染色体劣性遺伝の形式をとる。先天性無痛症に関する最初の症例が1932年に報告されて以来、痛覚消失関連の諸症候、例えば気付かれない骨折と変形治癒、Charcot関節、自傷による舌や指の損傷、が認識されるようになった。CIPAはかつて無汗症を伴う先天性感覚神経症 (CSNA)と呼ばれ、Dyckらの新たな遺伝性感覚自律神経性ニューロパチー(HSAN)分類ではCIPAはHSAN-IVに相当する。CIPAの感覚神経および自律神経の障害は神経成長因子の受容体の一つであるチロシンキナーゼであるTrkA遺伝子の細胞内ドメインの変異により生じる。この遺伝子は神経栄養性チロシン受容体キナーゼ1をコードする遺伝子(NTRK1)による。NTRK1の変異が神経成長因子の信号の欠如となって胎生期に神経成長因子依存性の様々な神経(侵害刺激感覚神経および自律神経のうち交感神経群)をアポトーシスに至らしめる。CIPAの臨床症状のうち、全身の温・痛覚の欠如はAδ線維およびC線維の障害、全身の発汗減少は汗腺を支配する交感神経線維の減少による。Aβなど太い有髄感覚神経の支配を受ける触覚等の感覚は正常とされるが綿密な検討はなされていない。

CIPAはこれまで半世紀にわたって報告されてきたが、比較的少数例の臨床報告もしくはそれらをまとめた若干の総説があるに過ぎず、多数例を対象とし末梢感覚神経機能を調査し健常対照群と比較した報告はない。本研究では、CIPAの末梢感覚障害を基本的な臨床神経学的検査および電流知覚閾値検査装置により評価し健常者との違いを明らかにすることを目的とし、触、深部および複合感覚に対して日常診療的な簡便な手法により、定量的な方法を中心に検査しCIPA患者の末梢神経障害について新しい知見を得ることができた。

第一研究:非侵害性感覚機能検査

CIPAの感覚について、これまで触覚、深部感覚、二点識別覚等の非侵害性感覚については格別に注目されてこなかった。また、CIPAでは減発汗のため皮膚が乾燥傾向にあることが知られ、このことが特に触覚や二点識別覚の感受性に影響を与える可能性があるが、詳細な検討はない。そこで、われわれはCIPAにおいては、減発汗との関連で興味深い表皮角層の所見として「表皮角層中の水分含有率が低下している」ことを検証したうえで、さらに末梢の非侵害感覚のうち触覚の感覚閾値、深部感覚の感覚閾値、二点識別覚の感覚閾値の検討を行った。本研究では、まず、CIPAの診断が確定し、本研究に関して同意が得られた12名(男6名:女6名)の患者群と、患者群のそれぞれの患者の性別・年齢に合致する12名の一般健常者を対象とした。皮膚角質水分量、触覚、深部感覚(母趾受動運動覚、振動覚)、二点識別覚を検査した。角質水分量には皮膚角質水分量測定器(Moisture CheckerR)、触覚にはモノフィラメント圧触覚計(Sensory Evaluator Semmes-Weinstein MonofilamentR)、振動覚には周波数特性C128Hzの音叉、二点識別覚にはツベルクリン反応判定用キャリパスを用いた

皮膚角質水分量測定器を用いた発汗機能検査で、CIPA群では皮膚角質水分量は有意に低下していた。また触覚および二点識別覚の感覚閾値は有意 (P<0.05) に上昇していた。深部感覚である振動覚および母趾受動運動覚についてもすべての計測部位において有意(P<0.05) な末梢感覚機能の低下が認められた。この結果は、CIPAにおいては、広範な非侵害性感覚の有意な閾値上昇が認められるが、CIPAでは何らかの非侵害性感覚障害が存在する可能性を示唆するものであると考えた。この研究で得られた結果から導かれる仮説は、従来指摘されていた「CIPAの末梢感覚神経障害がAδおよびC線維の侵害性感覚に限定したものではなく、非侵害感覚を司るAβ線維にも及んでいる」ということである。

第二研究:電流知覚閾値検査装置による感覚神経伝導閾値検査

CIPAでは広範な感覚障害が認められ、これらは末梢性感覚障害として認識さてきた。また、CIPAの感覚障害は侵害性感覚障害が臨床上顕著な特徴であり、その病態としては小径有髄のAδ線維および無髄のC線維の障害に起因するとされてきた。しかし、われわれの行った第一研究の結果から新しい仮説が得られた。すなわち「CIPAの感覚障害が、大径有髄のAβ線維にも障害が及んでいる」ことである。そこで、電流知覚閾値検査装置による知覚線維選択的侵害受容評価により、特異的周波数電流刺激により末梢感覚神経種別の選択的検討を行うことにより仮説の検証を行った。

電流知覚閾値検査装置(NeurometerR)を用いて、CIPA患者の三種の末梢感覚神経(Aβ、Aδ、C)に対応する特異的周波数による電気的刺激による感覚神経伝導閾値を測定した。第一研究と同様に、いずれも年齢・性別をマッチさせた対照群をおいて調査したところ各種末梢感覚神経機能の評価結果からCIPAの末梢感覚刺激による感覚閾値に関して新知見が得られた。すなわち、電気刺激の強度を徐々に増やしていくときに、最初に何らかの感覚が感じられてくるときの刺激閾値(検知閾値:DTs)に関して、CIPA群では健常対照群との間で5Hzおよび2,000Hzにおいて有意(P<0.05)な閾値の上昇を認め、また何らかの刺激感覚が最初に痛みとして感じられてくるときの刺激閾値(認知閾値:RTs)に関してCIPA群のみではいずれも認められなかった。

これは従来指摘されてこなかった、末梢神経Aβ線維(2,000Hz刺激に対応)の機能に関して、非侵害性刺激感覚を含めた感覚閾値の上昇をのみならず、刺激強度を高めても侵害刺激として感受されないという事実を示すことができ、仮説を支持する結果である。ただし、この結果はCIPAの感覚障害が末梢感覚神経の障害を前提とするものであり、中枢神経系の関与を考慮していないという点、電流知覚閾値検査装置が厳密に神経選択的に分析できているかどうかという点で限界がある。

まとめ

本研究の結果は、従来指摘されていなかったCIPA患者の大径有髄神経(Aβ線維)の機能を評価するうえでいずれも重要な手がかりを与えている。とりわけ皮膚角質水分量測定器を用いた角質水分量検査で、CIPA群では皮膚角質水分量が有意に低下していた。大変意義深いことに、検査の結果CIPA患者群においてこれらの諸検査のすべての計測部位において有意(P<0.05) な末梢感覚機能の低下が認められた(第一研究)。これは、CIPA患者の感覚障害は、従来指摘されてきたAδ、Cの末梢感覚神障害の他に多様なモダリティの感覚障害が存在することを示唆できた点で、重要な結果が得られたと考えられる。

次に、電流知覚閾値検査装置を用いて、先天性無痛無汗症(CIPA)患者の三種の末梢感覚神経(Aβ、Aδ、C)に対応する特異的周波数による電気的刺激による感覚神経伝導閾値を測定し、その末梢感覚神経機能を評価した結果、CIPAの末梢感覚刺激による感覚閾値に関して新知見が得られた。すなわち、最初に何らかの感覚が感じられてくるときの検知閾値(DTs)に関して、CIPA群では健常対照群との間で5Hzおよび2,000Hzにおいて有意(P<0.05)な閾値の上昇を認め、また何らかの刺激感覚が最初に痛みとして感じられてくるときの認知閾値(RTs)に関してCIPA群のみではいずれも認められなかった。また250Hzでは検知閾値の有意な上昇を認めなかったことは、CIPAのAδ線維に関しては検知閾値と認知閾値とにおいて障害の及び方に解離があることを示し、また末梢における痛覚刺激を中枢に伝える末梢神経に残存機能が認められることを示す(第二研究)。

これは、第一研究の結果の妥当性を、電気生理学的な側面から補強するにとどまらず、従来指摘されてこなかった、末梢神経Aβ線維(2,000Hz刺激に対応)の機能に関して、非侵害性刺激感覚を含めた感覚閾値の上昇をのみならず、刺激強度を高めても侵害刺激として感受されないという事実を示すことができた。このような新知見が得られ、CIPAの末梢感覚神経に関する病態の一環を発見できたことは、臨床上有意義であると考えられる。

さらにわれわれはCIPAの病理が何らかの中枢神経系の障害に起因しているのではないかと考えている。その理由は、CIPAの感覚障害が侵害性のみならず非侵害性刺激にもとづく広範にわたっているからであり、その一つである複合感覚は、一般に中枢性および/あるいは末梢性の神経系の疾患によるからである。

以上、本研究では、皮膚角質水分量測定器、日常診療的な簡便な手法および電流知覚閾値検査装置による検査を組み合わせて従来十分に検討されていなかったCIPA患者の新たな末梢神経障害の存在を、特に非侵害性感覚障害の存在に関して臨床的に貴重な新知見が得られたことを示した。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は先天性無痛無汗症(congenital insensitivity to pain with anhidrosis、以下、CIPA)の病態において従来、特別な注意を向けられていなかった非侵害性感覚障害の有無とその程度を明らかにするため、年齢・性別をマッチさせた対照研究により、主として定量的な分析方法によってCIPAの非侵害性末梢神経機能の分析を試みたものであり、下記の結果を得ている。

第一研究:

皮膚角層水分量測定器(Moisture CheckerR)を用いた角質水分量検査で、3箇所の身体部位で計測したところ、CIPA群ではすべての計測部位において有意(P<0.05) な末梢感覚機能の低下が認められた。触圧覚にはモノフィラメント圧触覚計(Sensory Evaluator Semmes-Weinstein MonofilamentR)を用いて4箇所の身体部位で計測したところ、触圧覚の感覚閾値はすべての計測部位において有意 (P<0.05) に高い結果を得た。振動覚には周波数特性C128Hzの音叉を用いて3箇所の身体部位で計測したところ、すべての計測部位において有意(P<0.05) な振動感覚持続時間の短縮が認められた。関節覚には第一趾関節に対して徒手的な方法で受動運動させて調査したところ、CIPA群の12例中4例のみで障害を認めたが、対照群との間で統計学的に有意 (P<0.05) な差が見られた。二点識別覚にはツベルクリン反応判定用キャリパスを用いたて計測したところ、二点識別閾値はすべての計測部位において有意 (P<0.05) に高い結果を得た。

第二研究:

電流知覚閾値検査装置(NeurometerR)を用いて、先天性無痛無汗症(CIPA)患者の三種の末梢感覚神経(Aβ、Aδ、C)に対応する特異的周波数による電気的刺激による感覚神経伝導閾値を3箇所の身体部位で測定し、その末梢感覚神経機能を評価した結果、最初に何らかの感覚が感じられてくるときの検知閾値(DTs)に関して、CIPA群では健常対照群との間で5Hzおよび2,000Hzにおいて有意(P<0.05)に高い閾値が示されまた何らかの刺激感覚が最初に痛みとして感じられてくるときの認知閾値(RTs)に関してCIPA群のみではいずれも認められなかった。末梢神経Aβ線維(2,000Hz刺激に対応)の機能に関して、非侵害性刺激感覚を含めた感覚閾値の上昇をのみならず、刺激強度を高めても侵害刺激として感受されないという事実が示された。

以上、本研究では、皮膚角質水分量測定器、日常診療的な簡便な手法および電流知覚閾値検査装置による検査手法を巧みに組み合わせて従来十分に検討されていなかったCIPA患者の新たな感覚障害、特に非侵害性感覚障害の存在に関して新知見を得た。CIPAの非侵害性感覚障害の存在を年齢・性別をマッチさせた対照研究デザインを用いて、CIPA患者の新たな末梢神経障害の存在とその程度を示したことによりCIPAの病態の解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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