学位論文要旨



No 126018
著者(漢字) 上野,高明
著者(英字)
著者(カナ) ウエノ,タカアキ
標題(和) bHLH型転写因子Ascl1によるオリゴデンドロサイト分化制御機構の解析
標題(洋)
報告番号 126018
報告番号 甲26018
学位授与日 2010.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第3497号
研究科 医学系研究科
専攻 外科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 芳賀,信彦
 東京大学 教授 齊藤,延人
 東京大学 准教授 秋下,雅弘
 東京大学 准教授 川口,浩
 東京大学 特任准教授 位高,啓史
内容要旨 要旨を表示する

オリゴデンドロサイトはニューロン、アストロサイトと共に中枢神経系を構成する主要な細胞種の1つで、中枢神経の髄鞘(ミエリン)を形成する機能を持った細胞である。軸索周囲の髄鞘は軸索を伝わる跳躍伝導に寄与することによって神経細胞における活動電位の伝達速度を飛躍的に向上させている。このため、その障害は多発性硬化症などの脱髄疾患、脳血管障害や脊髄損傷後の脱髄病変として臨床的にも大きな影響を及ぼす。

近年、脊髄損傷治療において、その治療ソースとしてオリゴデンドロサイトの前駆細胞 (oligodendrocyte precursor cell:OPC) が注目されている。このうち多くは移植による臨床応用を念頭に置いたもので、脊髄損傷モデル動物への移植で運動機能・脊髄機能の回復が得られたと報告されている。これらの移植実験では運動機能などの行動学的な評価はなされているものの、損傷脊髄内での各細胞の挙動・変化などについての情報は少なく、移植した細胞が損傷修復にどのように働いているかなどのメカニズムについては未知な点が多い。

さらに損傷脊髄において損傷に反応して増殖する内在性のグリア前駆細胞が存在すること、さらにその多くがOPCであることも明らかにされてきた。しかし、損傷後に生じたこれらの内在性OPCもそのままでは成熟・再髄鞘化には至らず、前駆細胞のまま細胞死へと進むことが明らかとなっている。

このため、移植によって補充された細胞でも反応性に増殖した内在性OPCでも、細胞を組織修復に誘導するためには損傷脊髄内におけるOPCの挙動やそれを制御する因子についての基礎的知見を積み重ねることが必要であり、OPCの増殖・分化のメカニズムを明らかにし、細胞数・局在・分化のタイミングを制御することが、より安全で効果的な脊髄損傷に対する細胞補充療法の実現につながると考えられる。

オリゴデンドロサイトの分化制御については、これまでにbasic Helix-Loop-Helix (bHLH) 型転写因子を中心にした種々の転写因子の関与が報告されており、それらが時間的・空間的に組み合わせを変えることで分化を制御していると考えられている。このうちbHLH型転写因子Ascl1は脳および脊髄に広く分布しNeuron分化を促進するpro-neural 遺伝子として知られていたが、最近の報告ではグリア発生時期 (gliogenesis) の前駆細胞にも発現し、OPCへの運命決定 (commitment) やOPCから成熟オリゴデンドロサイトへの最終分化 (maturation) などいくつかのステップで転写制御に働いていると考えられている。しかし、OPCにおけるAscl1の転写ターゲットについては未だ不明な点が多い。

筆者は、Ascl1をはじめとするこれらの転写因子のターゲットを明らかにすることがオリゴデンドロサイトの分化メカニズム全般の解明につながり、その知見はさらに脊髄損傷への治療応用に向けたOPC制御の基礎となると考え、本研究においてオリゴデンドロサイト分化におけるAscl1の機能解析を試みた。

最初にOPCの株化細胞CG4-16 cellを用いてAscl1過剰発現および発現抑制実験を行い、定量RT-PCRでオリゴデンドロサイトの分化マーカーの発現を調べると、Ascl1がオリゴデンドロサイトの分化に抑制的に働くことが示唆された。しかし、これまでにAscl1がオリゴデンドロサイト分化を抑制するという報告はなく、筆者はそのメカニズムおよび転写ターゲットに注目した。そこでcDNA マイクロアレイによる網羅的遺伝子解析と定量RT-PCR によるOPC関連因子の解析を行い、Ascl1の転写ターゲット候補としてHes5を同定した。Hes5は抑制型bHLH転写因子の1つで、オリゴデンドロサイト分化にも抑制的に働くことが知られているため、Ascl1がHes5を誘導することで、オリゴデンドロサイト分化を抑制していると考えられた。Hes5は神経発生過程における未分化細胞の増殖や分化抑制に重要なNotchシグナルの下流分子としても知られており、マイクロアレイの結果ではHes5とともに、Notchのリガンドとして知られるDll3の発現増加も認めていた。このためAscl1のHes5に対する作用が直接的なものか、Notchシグナルを介した間接的なものか、を調べるためHes5プロモーター解析を行った。プロモーター活性はNotch ICD (Intracellular domain) 過剰発現で著しく活性化され、Ascl1過剰発現においても活性化が確認できた。このAscl1過剰発現時のHes5プロモーター活性はγ-セクレターゼ阻害剤を添加しNotchシグナル系を遮断しても低下しなかったことからAscl1の直接的な作用が示唆された。さらにAscl1によるプロモーター活性に重要な領域を特定するためプロモーターのdeletionを行いその活性変化を調べたところ、5'-側から7個のE-box (E1~E7) を削っても活性は変化しないものの、8個目のE-box(E8) を削ると活性が大きく低下することが示された。一方、Notchシグナルの結合配列であるRBP-Jの前後では活性に変化がなかったことから、Ascl1がNotchシグナルを介さずE-box (E8) に直接結合することでプロモーターの活性を上げ、Hes5の発現を制御していると考えられた。さらにChIPアッセイを行い、Ascl1のE-box (E8)領域への結合を証明した。

これらin vitroの結果から、Ascl1は抑制型bHLH転写因子Hes5のプロモーター領域に結合することでHes5の発現を誘導し、そのHes5がOPCの分化を抑制していることが明らかになった。

さらにin vivoにおいても遺伝子改変マウスを用いて、オリゴデンドロサイト発生におけるAscl1とHes5の解析を行った。オリゴデンドロサイト発生においてAscl1が分化の初期と後期で発現を認めるのに対し、Hes5はオリゴデンドロサイト分化の初期でのみ発現し分化が進むにつれ漸減する。このためHes5の発現がみられる胎生12.5日のマウスで脳および脊髄の組織学的評価を行ったところ、early stage OPCでAscl1とHes5が共発現していること、Ascl1のノックアウトによりOPCにおけるHes5の発現が減少する事を明らかにした。これはin vitroで示したAscl1とHes5の関係を支持する結果で、Ascl1がHes5を細胞自律的(cell autonomous)に誘導していることを示している。

今回明らかとなったAscl1-Hes5のシグナル系は、オリゴデンドロサイト分化の初期に未分化維持の役割を果たしていると考えられる。OPCの脊髄損傷への治療応用を考えたときに、反応性に増殖する内在性OPCを組織修復に誘導するためには損傷部を充填する充分な量の細胞を確保することが課題となる。このためOPCの転写制御としては然るべき時期まで未分化に維持し増殖を促進することが必要と考えられ、今回明らかになったAscl1-Hes5というシグナル経路はOPCの未分化維持機構と捉えることができることから、脊髄損傷治療に向けたOPC分化制御メカニズム解明の一端を担うと期待される。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は、脊髄損傷における有力な治療ソースとして期待されているオリゴデンドロサイト前駆細胞(OPC)の分化制御メカニズムの一端を明らかにするため、in vivo および in vitroでOPC関連転写因子の一つであるbHLH型転写因子 Ascl1の転写ターゲットの解析を試みたもので、以下の結果を得ている。

1. OPCの株化細胞であるCG-4 cellをクローニングして得たCG4-16 cellを用いてAscl1の過剰発現および発現抑制実験を行い、Ascl1がオリゴデンドロサイト分化に抑制的に働くことを示した。さらに、より生理的なマウスOPC初代培養系を用いた実験でも同様な結果を得られた。

2. Ascl1の転写ターゲットを探索するため、CG4-16 cellを用いたAscl1過剰発現で発現上昇を認める遺伝子群をcDNAマイクロアレイで網羅的に解析したところ、コントロール群の8倍以上の発現上昇が見られた13遺伝子の中に、Hes5が含まれていた。Hes5は抑制型bHLH転写因子としてOPCの分化にも抑制的に働くことが知られており、Ascl1の発現抑制実験においてもその発現低下を認めAscl1と一致した発現変化を示したことから、Ascl1の転写ターゲットの候補と考えられた。

3. Ascl1とHes5の関係を調べるためHes5のプロモーター解析を行い、Ascl1によりHes5のプロモーター活性が上がること、さらにdeletion解析でbHLH型転写因子結合配列であるE-boxが転写活性に関与していることを示した。さらにChIPアッセイを行い、Ascl1がHes5のプロモーター領域に結合することでHes5の発現を誘導していることを示した。

4. さらにin vivoでオリゴデンドロサイト発生の場における両者のinteractionを調べるため、遺伝子改変マウスを用いてAscl1とHes5の発現を解析した。オリゴデンドロサイト発生においてHes5の発現が見られる胎生12.5日目のマウス脳および脊髄の免疫組織染色を行い、Olig2陽性early stage OPCでAscl1とHes5が共発現していることを明らかにした。さらにノックアウトマウスの解析では、Ascl1遺伝子欠損によりOPCにおけるHes5の発現が低下することを示した。

以上、本論文ではearly stage OPCにおけるbHLH型転写因子Ascl1の転写ターゲットとして抑制型bHLH転写因子Hes5を同定した。本研究で明らかとなったAscl1-Hes5のシグナル系は、OPCの未分化維持機構として、脊髄損傷治療に向けたオリゴデンドロサイト分化制御メカニズム解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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