学位論文要旨



No 126019
著者(漢字) 大谷,研介
著者(英字)
著者(カナ) オオタニ,ケンスケ
標題(和) 消化管癌の発生・進展に関わるアディポネクチンおよびその受容体についての検討
標題(洋)
報告番号 126019
報告番号 甲26019
学位授与日 2010.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第3498号
研究科 医学系研究科
専攻 外科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 矢冨,裕
 東京大学 准教授 宮田,哲郎
 東京大学 准教授 野村,幸世
 東京大学 教授 小池,和彦
 東京大学 准教授 植木,浩二郎
内容要旨 要旨を表示する

序文

従来、脂肪組織とは体内の余分なエネルギーを中性脂肪として貯蔵する臓器と考えられていたが、近年、脂肪組織はadipocytokine (adipokine) と総称される種々の生理活性物質を分泌していることが明らかとなり、肥満や生活習慣病などの病態における内分泌器官としての脂肪組織の役割が注目されるようになった。adipocytokineとしてはLeptin, Adiponectin, 腫瘍壊死因子(TNF)-α, インターロイキン-6(IL-6), Plasminogen activator inhibitor-1(PAI-1), Resistin, 血管内皮増殖因子(VEGF), 肝細胞増殖因子(HGF), 脂肪酸、グリセロール、アンジオテンシノーゲン、ステロイドなどが挙げられる。adipocytokineと癌との関係において、adipocytokineは血液中に分泌されて全身的にも作用しているが、癌組織に存在する間質細胞としての脂肪細胞からのparacrine的な作用もあり、局所での内分泌環境を形成して癌の発生や促進に影響を与えていると考えられている。また、肥満症における内臓脂肪組織には炎症性サイトカインの分泌、マクロファージの浸潤が認められ、いわゆる慢性炎症の状態となっていることも明らかになってきた。一方、疫学的研究により肥満では正常人と比較して33%も癌の頻度が高く、大腸癌、乳癌、子宮癌、前立腺癌などは肥満によりそのリスクが1.1~2.5倍と高くなることが示されている。

Adiponectinは他のadipocytokineとは性質が異なり、肥満者においてその血中濃度が低下し、耐糖能改善作用、抗動脈硬化作用、抗炎症作用をもつという特徴を有している。血中adiponectin濃度の低下は、肥満やインスリン耐性と相関があるとされているが、いくつかのケース・コントロール研究により乳癌、前立腺癌、子宮内膜癌、結腸癌、胃癌、白血病、腎癌の患者でもその血中レベルの低下が認められており、低adiponectin血症はこれらの癌の発生の危険因子であることが示されている。これより、肥満に付随した発癌のメカニズムにadiponectinが深く関与している可能性が推測される。

Adiponectinの癌抑制作用については精力的に研究が行われており、癌細胞の増殖を抑制することや血管新生を抑制することなどが報告されているが、いまだに十分には解明されていない。特に、生体内でのadiponectinの癌抑制作用については今後解明されていくべき課題である。

目的

本研究では、第1章において大腸癌の実験モデル動物として頻用されているMinマウスを用いて、腺腫の発生・増大に及ぼすadiponectinの影響を明らかにする目的で検討を行った。また、第2章において胃癌切除標本での癌組織および非癌組織のadiponectin受容体発現を評価して、胃癌組織におけるadiponectin受容体発現の特徴を明らかにする目的で検討を行った。

第1章 Minマウスにおけるadiponectinのポリープ抑制作用についての検討

背景:Adiponectinは癌抑制作用を持ち、低adiponectin血症は乳癌・子宮内膜癌・前立腺癌などのリスクとなる疫学的調査結果が報告されているが、大腸癌に関しては統一した結果が得られていない。そこで、adiponectinと大腸癌との関連を検討する目的で、Apc遺伝子に変異を持ち、大腸癌のモデルマウスとして頻用されているMinマウスに対してadiponectinを投与して腸管ポリープの発生個数、大きさについて検討した。

方法:Minマウスに対して6週齢から15週齢にかけて週1回の計10回、1.5mg/kg(体重)のrecombinant adiponectinを腹腔内投与し、16週齢で解剖して発生した小腸ポリープの大きさと個数を測定した。

結果:小腸に発生したポリープの総数はPBSを投与したcontrol群で46.2±17.3個であったのに対してadiponectin投与群では33.8±8.7個と有意に減少していた(p=0.02)。ポリープ径の平均もcontrol群で1.76±0.30mmであったのに対してadiponectin投与群では1.39±0.13mmと有意に低値であった(p<0.01)。特に、2mm以上の大きさを有するポリープの個数はadiponectin投与群で有意に低値となっていた(p<0.01)。

考察:大腸癌多段階発癌におけるApc変異後の一時点での検討ではあるが、adiponectin投与により腺腫の発生・増大が抑制されることが明らかとなった。逆に、肥満に伴う低adiponectin血症はApc変異後の段階の大腸粘膜における癌の発生を促進している可能性があり、運動やカロリー制限による血中adiponectin濃度の改善が大腸癌の予防に効果を示す可能性があると考えられる。

第2章 胃癌組織におけるadiponectin受容体発現の検討

背景:Adiponectinが癌抑制作用を有することは多く報告されているが、癌組織におけるadiponectin受容体発現についての量的解析はまだほとんど行われていない。そこで、adiponectinの癌抑制作用におけるその受容体発現の意義について検討する目的で、胃癌組織におけるadiponectin受容体発現について検討した。

方法:手術的に摘出された標本67症例より、胃癌組織と非癌組織の粘膜をそれぞれ採取し、mRNAを抽出して定量的RT-PCR法を行って、adiponectin受容体であるAdipoR1,R2のmRNA発現量を定量した。また、これら受容体のタンパク発現についてもポリクローナル抗体を用いた組織切片の免疫染色を行って検討した。次に、in vitroでヒト胃癌細胞株(NUGC-3、MKN-74)にTNF-α、IL1-β、TGF-βを反応させ、AdipoR1,R2のmRNA発現量におよぼすサイトカインの影響について検討した。

結果:定量的RT-PCR法の結果、mRNA発現はAdipoR1,R2とも癌部では非癌部より発現量が低値となる傾向にあり、AdipoR2に関しては有意に癌部で低値であった(AdipoR1 癌部:0.488±0.039、非癌部:0.955±0.281、p=0.0726、AdipoR2 癌部:0.818±0.081、非癌部:1.500±0.222、p=0.0035)。免疫染色によるタンパク発現の検討でもこれと合致する結果が得られた。しかし、adiponectin受容体発現量と臨床病理学的因子との間に有意な相関は認められなかった。In vitroの実験で、胃癌細胞ではTGF-β投与により、濃度依存性にAdipoR1,R2ともmRNA発現量が減少した。

考察:Adiponectin受容体は胃非癌部の組織と比較して胃癌組織で発現が低下しており、TGF-βがこの発現低下に関与している可能性が示唆された。癌組織からも分泌されるTGF-βによりadiponectin受容体の発現が低下することにより、adiponectinによる増殖抑制作用からの逃避が可能となり、癌にとっては有利な環境が形成されていることが推測された。

結論

1.大腸癌多段階発癌の過程における初期の段階であるApc変異を持つMinマウスにおいてadiponectinは腺腫の発生・増大に対して抑制的に作用する。

2.胃癌組織、胃非癌組織ともにadiponectin受容体であるAdipoR1,R2を発現しており、癌組織では非癌組織と比較してAdipoR1,R2の発現が低下している。

3.TGF-βはヒト胃癌細胞におけるAdipoR1,R2のmRNA発現低下を誘導し、胃癌細胞でのadiponectin受容体発現低下の一因となっていることが推測された。

Adiponectinは生体内の脂肪組織で産生・分泌され、多彩な生理活性を有する物質である。その中でも、癌に対する抑制効果は今後のoncologyにおいて注目すべき分野であり、その機序を明らかにしていくことにより発癌予防や癌治療の面での臨床的応用につながることが期待される。また、その受容体であるAdipoR1,R2についてもその動態を明らかにし、発現を制御することによってadiponectinの抗腫瘍作用をより効果的に発揮させることが可能になると考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は、脂肪組織から分泌されているadipocytokineの1種であるadiponectinの消化管癌に対する抑制作用について明らかにするため、第1章で大腸癌の実験モデルマウスであるMinマウスにおけるadiponectinのポリープ抑制作用について検討し、第2章でヒト胃癌切除標本において癌組織と非癌組織でのadiponectin受容体の発現について検討したものであり、下記の結果を得ている。

1.大腸癌多段階発癌の過程における初期の段階であるApc変異を持つMinマウスにおいてadiponectinは腺腫の発生・増大に対して抑制的に作用する。

2.胃癌組織、胃非癌組織ともにadiponectin受容体であるAdipoR1,R2を発現しており、癌組織では非癌組織と比較してAdipoR1,R2の発現が低下している。

3.TGF-βはヒト胃癌細胞におけるAdipoR1,R2のmRNA発現低下を誘導し、胃癌細胞でのadiponectin受容体発現低下の一因となっていることが推測された。

以上、本研究ではadiponectinが胃癌・大腸癌と密接な関連性を持つことを改めて指摘し、まだ十分に解明されていないadiponectinの癌抑制作用の機序の解明・臨床応用への重要な手掛かりとなると考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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