学位論文要旨



No 126025
著者(漢字) 木下,修
著者(英字)
著者(カナ) キノシタ,オサム
標題(和) 同種大動脈移植後石灰化の抑制法に関する研究
標題(洋)
報告番号 126025
報告番号 甲26025
学位授与日 2010.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第3504号
研究科 医学系研究科
専攻 外科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 國土,典宏
 東京大学 特任准教授 星,和人
 東京大学 講師 師田,哲郎
 東京大学 教授 鄭,雄一
 東京大学 特任准教授 石川,晃
内容要旨 要旨を表示する

同種心臓弁・血管は抗感染性・抗血栓性において人工弁・人工血管より優れ、心臓血管外科領域においては重症感染性心内膜炎・感染性大動脈瘤、人工弁感染症・人工血管感染症、および一部の先天性心疾患で最後の切り札的な使われ方をしている。肝臓外科領域では生体肝移植における静脈系の再建に同種静脈が用いられ、適切な大きさ・形状の静脈片を用いて迅速に再建できることで移植片のうっ血を回避し、また、生体ドナー手術の安全性を高めるのにも貢献している。これら同種心臓弁・血管は心停止後のドナーより提供・摘出され、抗菌処理・トリミングを行った後、液体窒素の気相下で凍結保存して必要時にシッピングされる。

東京大学医学部附属病院(以下、東大病院)では、1998年より心臓外科・呼吸器外科および肝胆膵外科・人工臓器移植外科により心臓弁・血管の組織バンクを設立し運営しており、日本国内最大の心臓弁・血管の組織バンクとなっている。専任の組織移植コーディネーターがおり、ドナー情報が入ると心臓血管外科医・肝臓外科医よりなる摘出チームを編成して提供病院へ向かい、ドナーの心停止後に大動脈弁・僧帽弁・上行弓部大動脈、肺動脈弁・肺動脈、下行大動脈、上大静脈、下大静脈、門脈、腸骨静脈、大腿静脈を摘出する。心停止から摘出までの温阻血時間は6時間以内が目標となっており、摘出した組織は直ちに抗生剤入りのメディウムに浸漬し冷蔵保存される。抗生剤入りメディウムに24~48時間浸漬した後、クリーンベンチ内でトリミングを行い、組織ごとに保存液とともに2重に包装して、プログラムフリーザーでマイナス80℃まで冷却して凍結する。凍結したグラフトは液体窒素の気相(マイナス180℃)で保存し、使用期限は5年としている。

東大病院組織バンクでは1998年から2009年9月までに160名のドナーより組織の提供を頂いた。心臓弁・血管の組織バンクとしては日本国内最大の東大病院組織バンクでもドナー数に限りがあるため、同種心臓弁・血管のシッピングは適応を厳格にしているが、心臓血管外科領域で最も多く適応とされているのは、大動脈弁位の重症感染性心内膜炎および人工弁感染症である。この病態は非常に重篤で致死的なもので、外科治療を要する場合、人工弁や人工血管などの人工物を用いた治療では感染を制御することができない可能性も高く、同種組織を用いた外科治療なくして救命できなかったと考えられるものも少なくない。

私の研究は、まず第1章で、東大病院組織バンクよりシッピングされた同種大動脈弁を用いて大動脈弁位の重症感染性心内膜炎または人工弁感染症に対して大動脈基部置換術を行った症例についてまとめた。術前状態・術後成績を明らかにし、中遠隔期に移植片の機能不全にて再手術となった場合についても検討した。第2章では、移植後中遠隔期に問題となってくる同種大動脈の石灰化に関して、その抑制方法をラットによる動物実験で検討し、今後の臨床応用の可能性について考察を加えた。

第1章

重症感染性心内膜炎・人工弁感染症に対する凍結保存同種大動脈弁を用いた大動脈基部置換術 -東大病院組織バンクからのシッピング症例の検討-

【目的】

弁輪膿瘍を伴う感染性心内膜炎や人工弁感染症は重篤で致死的な病態とされ、人工弁・人工血管を用いた手術治療では感染が制御困難な場合もあり、同種大動脈弁を用いた大動脈基部置換術の良い適応とされている。東大病院組織バンクより同種大動脈弁がシッピングされて感染性疾患に対して大動脈基部置換術が行われた症例について検討し、術前状態・治療成績を明らかにした。

【対象と方法】

1998年12月から2008年12月までに東大病院組織バンクよりシッピングされた同種大動脈弁を用いて大動脈弁位の感染性疾患に対して大動脈基部置換術が行われた52患者・54手術を対象とし、術前状態・術後経過を調査した。生存率はKaplan-Meier法で算出した。

【結果】

平均年齢53.4歳。男性44例。観察期間は4日~122ヵ月(中央値23.9ヶ月)。

手術時の大動脈弁種類は自己弁11例、機械弁33例、生体弁7例、同種大動脈弁2例、自己肺動脈弁(Ross手術後)1例。41例で弁輪膿瘍を認め、自己弁の11例は全て弁輪膿瘍を伴うものであった。

30日死亡が5例(9%)で、入院死亡は9例(17%)。入院死亡9例の死因は、出血が3例、制御不能な感染(縦隔炎または敗血症)が5例、心機能低下から多臓器不全が1例であった。遠隔死亡は7例(13%)。感染再燃による敗血症が1例、弁逆流による心不全が1例、その他5例は他病死。3年生存率72%、5年生存率60%であった。

移植した大動脈基部組織に対して再手術を要したのは10例(19%)。うち5例は死亡。再手術の原因は仮性瘤が9例(うち2例は出血、2例は高度弁逆流)、弁尖の異常による高度弁逆流が1例であった。

【考察】

重症感染性心内膜炎や人工弁感染症に対する外科治療において、東大病院組織バンクの治療成績は、諸外国からの報告と比べ、30日死亡・5年生存率ともに、人工弁を用いた治療より概ね良好で、同種組織を用いた治療では遜色ないものであった。一方で術後に仮性瘤などの問題から再手術を要する例も少なくなく、慎重な経過観察が必要であるとともに、移植片機能不全の原因や再手術の際に支障となるものを制御していく治療法の開発が必要である。

第2章

リン酸バインダーを用いた同種大動脈移植後石灰化の抑制に関する検討

【目的】

第1章で述べた如く、大動脈弁位の重症感染性心内膜炎および人工弁感染症に対する同種大動脈弁を用いた外科治療は概ね妥当な治療成績であった。しかし再手術を要する例も少なくなく、東大病院組織バンクではその原因として仮性瘤が最多であった。同種大動脈移植後、移植片の石灰化が問題となることも多い。この同種大動脈移植後石灰化は若年患者において、より高頻度に、より早期に生じてくることが臨床的に知られているが、若年患者の生理的高リン血症がその一因であるとの報告がある。リン代謝は腸管からの吸収と尿中への排泄が大きな割合を占めるが、尿中へのリン排泄が不十分となる慢性腎不全患者で高リン血症が問題となることが多く、腸管からのリン吸収抑制を目的としたリン酸バインダーが用いられている。

リン酸バインダーが同種大動脈移植後石灰化を抑制するとの仮説を立て、ラットを用いた動物実験にて検討した。リン酸バインダーは、近年臨床使用開始された炭酸ランタンと、古くから使用されている炭酸カルシウムを用いた。

【方法】

4週齢BNラットの大動脈を摘出し、直ちに4週齢LEWラットの腹部皮下に移植した。移植後に与える餌が、通常の餌(ND)、3%の割合で炭酸ランタンを混じた餌(3%La)、3%の割合で炭酸カルシウムを混じた餌(3%Ca)、の3群に分け各群9匹とし、移植14日後に犠牲死として移植片と血清を採取した。移植片の一部はホルマリン固定後、HE染色、EVG染色、Von-Kossa染色を行って病理組織学的に評価した。石灰化の主成分であるリン酸カルシウムを黒染するVon-Kossa染色において、石灰化の程度を4段階のCalcification Score(0:石灰化なし~3:半周以上石灰化あり)を定めて半定量的に比較検討した。石灰化の定量的評価法として、摘出した移植片を過酸化水素水と硝酸で完全に溶解し、原子吸光度分析法によってカルシウム含有量を測定した。また、血清中のリン代謝に関わる諸因子を測定した。数値データは平均±標準誤差で表し、群間の比較にはt検定を用いてp<0.05を有意差ありとした。

【結果】

病理組織学的には、HE染色およびEVG染色において、ND群の多くで中膜弾性板の破壊が見られ、同部位ではVon-Kossa染色で強い石灰化が見られた。一方、リン酸バインダー投与群である3%La群と3%Ca群ではそのような中膜構造の破壊は軽度であった。Von-Kossa染色において定めたCalcification ScoreはND群:2.6±0.2、3%La群:1.2±0.4、3%Ca群:0.8±0.4で、リン酸バインダー投与群で有意に低値であった。移植片の乾燥重量あたりのカルシウム含有量(mg/dry・g)は、ND群:48.9±8.7、3%La群:15.8±3.4、3%Ca群:8.9±3.4で、これも有意にリン酸バインダー投与群で低値であり、リン酸バインダー投与による石灰化の抑制が示唆された。血清P濃度(mg/dl)と血清Ca濃度(mg/dl)は、ND群/3%La群/3%Ca群でそれぞれ、15.4±0.3/12.5±0.5/11.7±0.4、11.5±0.3/12.2±0.2/13.5±0.4であり、ND群と比べ3%La群と3%Ca群では同等の血清P濃度低下がみられ、3%Ca群はND群および3%La群と比べ有意に血清Ca濃度が高値であった。

【考察】

ラット同種異型大動脈皮下移植モデルにおいて、リン酸バインダーである炭酸ランタンおよび炭酸カルシウムは同種大動脈移植後石灰化を抑制した。炭酸カルシウム投与群では有意な血清Ca濃度の上昇があり、高Ca血症による有害事象が危惧され、炭酸ランタンの方が安全に使用できる可能性がある。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は東京大学が日本国内において中心的役割を果たしている同種心臓弁・血管移植に関連し、特に心臓血管外科領域で最も行われている感染性疾患に対する同種組織による大動脈基部置換術の臨床成績を明らかにし、そこから同種大動脈移植後石灰化という術後の問題点を導いて、その問題点をどのように解決するかを動物実験にて検討するという、臨床に即したものである。同種大動脈移植後石灰化が若年患者においてより高頻度・早期に見られることから、若年者の生理的高リン血症との関連に注目し、腎不全患者の臨床において高リン血症治療薬として用いられているリン酸バインダーの応用の可能性を、ラットを用いた動物実験にて検討している。

感染性疾患に対し東京大学医学部附属病院組織バンクより提供された同種組織を用いた大動脈基部置換術の臨床成績に関しては、30日死亡が9%で、5年生存率は60%であった。日本国内では諸外国より同種組織の供給に限りがあり、大動脈弁輪部の膿瘍による高度破壊など、より重症化してから初めて同種組織を用いた治療が考慮される現状だが、それにも関わらず、諸外国からの報告と同等の成績であることが明らかにされた。一方で、主に仮性瘤を原因として19%が再手術を必要としており、術後の同種大動脈組織の変性が一因と考えられるものもあることが疑われた。同種大動脈の変性には石灰化を伴うことが多いとされており、同種大動脈移植後石灰化の抑制法に関する研究が望まれるとしている。

上記をうけ、「同種大動脈移植後石灰化をリン酸バインダーが抑制する」との仮説をたて、健常若年ラットを用いた同種異型大動脈・腹部皮下移植モデルを用いて仮説を検証している。その結果、von Kossa染色による定性的評価においても、原子吸光度分析法を用いたカルシウム含有量測定による定量的評価においても、リン酸バインダー投与群で同種大動脈移植片の石灰化は抑制される結果が得られ、仮説は証明された。リン酸バインダーとしては、炭酸カルシウムおよび炭酸ランタンが実験に用いられ、いずれも同種大動脈移植後石灰化は有意差をもって抑制されたが、炭酸カルシウム投与群では有意な血漿カルシウム濃度の上昇があり、炭酸ランタンの方が安全に臨床応用される可能性があると述べている。

本研究は、腎疾患に関してはホットなトピックスであるリン代謝と血管石灰化および老化に関する研究と、これまでリン代謝にはあまり関心をもってこなかった心臓血管外科領域における臨床を結び付け、将来の心臓血管外科治療の成績向上に寄与する可能性のある研究であり、学位の授与に値するものと考えられる。

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