学位論文要旨



No 126026
著者(漢字) 日下部,将史
著者(英字)
著者(カナ) クサカベ,マサシ
標題(和) ヒト非小細胞肺癌における新規異常メチル化遺伝子の同定と切除標本におけるメチル化プロフィールの解析
標題(洋)
報告番号 126026
報告番号 甲26026
学位授与日 2010.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第3505号
研究科 医学系研究科
専攻 外科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 國土,典宏
 東京大学 講師 福原,浩
 東京大学 准教授 朝蔭,孝宏
 東京大学 教授 油谷,浩幸
 東京大学 講師 幸山,正
内容要旨 要旨を表示する

肺癌は日本において臓器別の癌死亡者数が最も多く、他臓器の癌と比較して治療成績も良好とは言えない。近年、EGFR遺伝子変異を有する肺癌患者に対してチロシンキナーゼ阻害剤が有効であるという報告がなされ、分子生物学的アプローチが肺癌診療において重要な位置を占めるようになってきている。また、発癌にはDNAの異常メチル化をはじめとするエピジェネティクス異常も伴っていることが知られており、肺癌においても複数の異常メチル化遺伝子が報告されてきた。それら異常メチル化遺伝子の中には、CDKN2A ( = p16) 遺伝子のメチル化のように予後と関連のある遺伝子も存在する。そこで、我々は、肺癌診療における新たなバイオマーカーや治療のターゲットとなり得る癌抑制遺伝子を同定できる可能性があると考え、肺癌における新規異常メチル化遺伝子を検索することとした。

肺癌における新規異常メチル化遺伝子の検索を、バイオインフォマティクス的手法と実験的手法を組み合わせて行った。まず、インターネット上に一般公開されているマイクロアレイによる遺伝子発現情報(Gene Expression Omnibus)にアクセスし、正常と比較して肺癌において発現が抑制されている遺伝子を抽出した。次に、遺伝子の機能に着目し、癌と関連が深い機能を有する遺伝子のみをGene Ontologyを利用して選択し、285遺伝子が抽出された。これら285遺伝子の中で、プロモーター領域にCpGアイランドを有していた224遺伝子に対し、後に用いるPCRプライマーの設計を行い、173遺伝子が残った。切除検体における10症例分の肺癌組織、正常組織それぞれの混合DNAに対して、combined bisulfite restriction analysis(COBRA)を行い、肺癌組織でのみメチル化を有する12遺伝子を抽出した。最後に、切除検体98症例・101サンプルに対して、quantitative analysis of methylated alleles(QAMA)を行い、最終的に非小細胞肺癌における異常メチル化遺伝子を9つ同定した。これら9遺伝子のうち、PTENは過去に肺癌でのメチル化の報告があったが、残りの8遺伝子(ARPC1B, DNAH9, FLRT2, G0S2, IRS2, PKP1, SPOCK1, UCHL1)は我々が初めての報告となった。

過去に我々の研究室で報告した10遺伝子(APC, CALCA, DAPK, DBC1, ESR1, MYOD1, p16, RARB2, RASSF1A, TSLC1)における切除肺癌98症例101サンプルのQAMAの結果と、今回我々が同定した9遺伝子(ARPC1B, DNAH9, FLRT2, G0S2, IRS2, PKP1, PTEN, SPOCK1, UCHL1)における同一の切除肺癌98症例101サンプルのQAMAの結果を統合し、19遺伝子101サンプルにおける定量的なメチル化プロフィールに対して解析を行った。各遺伝子におけるメチル化陽性症例の割合を検討したところ、メチル化定量が1%以上の症例の割合が従来最も使用されてきた定性的メチル化検出法であるmethylation-specific PCR(MSP)を用いた過去の報告と合致したことから、MSPではメチル化定量1%以上のサンプルをメチル化陽性と判定していたと推測された。また、メチル化定量30%以上のサンプルの割合は1%以上のサンプルと比較するとかなり減少し、調べた19遺伝子の半数程度の遺伝子においてメチル化陽性サンプルの割合が10%を下回った。これは、メチル化陽性とされる症例においてもメチル化の定量値は比較的低値であることを示しており、癌そしてDNAメチル化における不均一性が示唆された。続いて、階層的クラスター解析を行い、病理病期・組織型・EGFR変異・喫煙歴・予後(平均追跡期間約2年)との関連を検討したが、明らかな関連は認められなかった。また、大腸癌において確立されているCpG island methylator phenotype (CIMP)を肺癌においても検討したが、階層的クラスター解析の結果と同様、明らかな関連は認められなかった。

前述の如く、複数の遺伝子群におけるメチル化プロフィールの解析においては有意な結果が得られなかったが、今回新たに同定された非小細胞肺癌における異常メチル化遺伝子の個々のメチル化プロフィールに対して解析を行ったところ、G0S2遺伝子とSPOCK1遺伝子のメチル化に関して臨床情報との関連を認めた。

肺癌の組織型に着目したところ、G0S2遺伝子のメチル化が非扁平上皮癌(n=83, メチル化定量の平均=2.6%)と比較して扁平上皮癌(n=18, メチル化定量の平均=15%)において有意に高い(p<0.001, Mann-Whitney U test)ことが示された。G0S2遺伝子の扁平上皮癌におけるDNAの異常メチル化が、臓器は異なるが同じ組織型である頭頚部癌においても報告があり、また、上皮系細胞ではないがマウスの3T3-L1細胞株においてG0S2遺伝子の発現が細胞の増殖停止と関連していたという報告も存在したため、G0S2遺伝子の細胞増殖抑制機能が予測された。G0S2遺伝子がメチル化により発現抑制されている肺扁平上皮癌細胞株(LC-1 sq)に、強制発現ベクターであるpcDNA3.1にG0S2遺伝子を組み込んだプラスミドをトランスフェクションし、細胞増殖速度を検討したところ、G0S2遺伝子に明らかな細胞増殖抑制機能がないことが示された。G0S2遺伝子の発現は間質系組織で高く、細胞の増殖停止と関連していたという報告も3T3-L1というマウスの間質系由来の細胞株での結果であり、肺癌という上皮系組織におけるG0S2遺伝子の機能と間質系組織での機能は異なる可能性がある。G0S2遺伝子発現におけるエピジェネティクスの関わりを、肺扁平上皮癌細胞株やnormal human bronchial epithelial cells (NHBE)において調べたところ、DNAメチル化とmRNA発現は逆相関の状態にあった。DNA脱メチル化剤の5-Aza-2'-deoxycytidine・ヒストン脱アセチル化酵素阻害剤であるTrichostatin A・G0S2遺伝子に対する核内転写因子であるAll trans retinoic acid・ PPAR・ agonist・PPAR・ agonistを単独ないしは組み合わせて、G0S2遺伝子がメチル化により発現抑制されている肺扁平上皮癌細胞株(LC-1 sq)に投与して発現の変化を調べたところ、5-Aza-2'-deoxycytidineのみが発現回復に関与していた。Chromatin immunoprecipitationを利用してヒストンメチル化を調べたところ、G0S2遺伝子の発現によらずヒストンH3K9メチル化が存在していた。これらを総合すると、G0S2遺伝子の発現は主にDNAメチル化によって調節されていると考えられる。

SPOCK1遺伝子のメチル化が、病理病期が進行している症例において多いことが示された。平均追跡期間約2年という短い観察期間においてであるが、病理病期という大きな交絡因子を除いた結果、SPOCK1遺伝子のメチル化が再発予後を予測する有意な因子ではないことが示されたが、stage IBに関してはSPOCK1遺伝子のメチル化がある症例群が予後不良である傾向は認められた。

今回DNAメチル化定量に主に用いたQAMAは、MSP・MethyLightと異なり過去に報告が少ないメチル化定量法であったが、複数の濃度が既知のサンプルをQAMAで測定することで、充分な定量の正確さ、再現性を有する方法であることが示された。

本研究は、肺癌という疾患に対して、エピジェネティクスの側面からアプローチした研究である。我々は独自の手法を用いることで、非小細胞肺癌における新規異常メチル化遺伝子を8つ同定した。それら遺伝子の中で、G0S2遺伝子のメチル化が扁平上皮癌において有意に多いこと、SPOCK1遺伝子のメチル化が再発の予測因子である可能性があることが示された。定量的メチル化測定法であるQAMAの良好な再現性も示され、肺癌研究におけるエピジェネティクス異常のさらなる解析が期待される。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は、未だに予後不良の疾患であるヒト非小細胞肺癌の診療において、新たなバイオマーカーや治療のターゲットとなり得る癌抑制遺伝子を同定できる可能性があると考え、肺癌における新規異常メチル化遺伝子の検索と切除標本におけるメチル化プロフィールの解析を試みたものであり、下記の結果を得ている。

1.バイオインフォマティクス的手法と実験的手法を組み合わせることで、非小細胞肺癌における新規異常メチル化遺伝子を8つ(ARPC1B, DNAH9, FLRT2, G0S2, IRS2, PKP1, SPOCK1, UCHL1)同定した。

2.切除標本101サンプルにおける19遺伝子(今回新たに同定された異常メチル化遺伝子に加え、過去に報告のあった肺癌における異常メチル化遺伝子を加えた)の定量的メチル化プロフィールの解析を行い、メチル化陽性とされるサンプルにおいてもメチル化の定量値は比較的低値であることが示された。また、メチル化定量が1%以上のサンプルの割合が従来最も使用されてきた定性的メチル化検出法であるmethylation-specific PCR(MSP)を用いた過去の報告と合致することが示された。一方、階層的クラスター解析や大腸癌において確立されているCpG island methylator phenotype (CIMP)の肺癌における解析においては、病理病期・組織型・EGFR変異・喫煙歴・予後(平均追跡期間約2年)との関連を検討したが、明らかな関連は認められなかった。

3.肺癌の組織型に着目したところ、G0S2遺伝子のメチル化が非扁平上皮癌(n=83, メチル化定量の平均=2.6%)と比較して扁平上皮癌(n=18, メチル化定量の平均=15%)において有意に高い(p<0.001, Mann-Whitney U test)ことが示された。G0S2遺伝子の細胞増殖に与える影響を調べたところ、発現がある系の方が細胞増殖が早いことが示された。

4.G0S2遺伝子のmRNA発現におけるエピジェネティクスの関わりを、肺扁平上皮癌細胞株やnormal human bronchial epithelial cells (NHBE)において調べたところ、DNAメチル化とmRNA発現は逆相関の状態にあることが示された。DNA脱メチル化剤の5-Aza-2'-deoxycytidine・ヒストン脱アセチル化酵素阻害剤であるTrichostatin A・G0S2遺伝子に対する核内転写因子であるAll trans retinoic acid・ PPAR・ agonist・PPAR・agonistを単独ないしは組み合わせて、G0S2遺伝子がメチル化により発現抑制されている肺扁平上皮癌細胞株(LC-1 sq)に投与して発現の変化を調べたところ、5-Aza-2'-deoxycytidineのみが発現回復に関与していた。Chromatin immunoprecipitationを利用してヒストンメチル化を調べたところ、G0S2遺伝子の発現によらずヒストンH3K9メチル化が存在していた。

5.SPOCK1遺伝子のメチル化が、病理病期が進行している症例において多いことが示された。平均追跡期間約2年という短い観察期間においてであるが、病理病期という大きな交絡因子を除いた結果、SPOCK1遺伝子のメチル化が再発予後を予測する有意な因子ではないことが示されたが、stage IBに関してはSPOCK1遺伝子のメチル化がある症例群が予後不良である傾向は認められた。

6.今回の一連の研究においてDNAメチル化定量に主に用いたQAMAは、MSP・MethyLightと異なり過去に報告が少ないメチル化定量法であったが、複数の濃度が既知のサンプルをQAMAで測定することで、充分な定量の正確さ、再現性を有する方法であることが示された。

以上、本論文は肺癌という疾患に対して、エピジェネティクスの側面からアプローチした研究である。独自の手法を用いることで、非小細胞肺癌における新規異常メチル化遺伝子を8つ同定し、それら遺伝子の中で、G0S2遺伝子のメチル化が扁平上皮癌において有意に多いこと、SPOCK1遺伝子のメチル化が再発の予測因子である可能性があることが示された。定量的メチル化測定法であるQAMAの良好な再現性も示され、肺癌研究におけるエピジェネティクス異常のさらなる解析が期待されると考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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