学位論文要旨



No 126031
著者(漢字) 西川,武司
著者(英字)
著者(カナ) ニシカワ,タケシ
標題(和) 植物抽出物(スルフォラファン)の大腸癌及び血管内皮細胞に及ぼす影響に関する研究
標題(洋)
報告番号 126031
報告番号 甲26031
学位授与日 2010.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第3510号
研究科 医学系研究科
専攻 外科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 鈴木,洋史
 東京大学 准教授 宮田,哲郎
 東京大学 准教授 長谷川,潔
 東京大学 特任准教授 樋坂,章博
 東京大学 准教授 渡部,徹郎
内容要旨 要旨を表示する

研究の背景と目的

ブロッコリーやキャベツなどのアブラナ科野菜に豊富に含まれるイソチオシアネートの一種であるスルフォラファン(SUL)は、Glutathione S-transferase(GST)、quinine reductase(QR)、UDP-glucuronosyltransferase (UGT) などの第II相解毒酵素群を強く誘導し、発癌物質をより毒性の低い、排泄されやすいものへと変換し、発癌物質によるDNA損傷から細胞を守る役割を持つことが知られている。また、様々な癌種(大腸癌、前立腺癌、膀胱癌、Jurkat T-細胞白血病など)に対するSULの増殖抑制効果が注目されており、そのメカニズムとして、アポトーシス誘導や細胞周期の停止が報告されている。さらに、SULの抗血管新生作用、すなわち腫瘍の増殖・進展に必要不可欠である血管新生の阻害作用も確認されており、我々の研究室もSULの血管内皮細胞、血管内皮前駆細胞のアポトーシス誘導作用について報告してきた。以上のように、SULは、癌細胞に対する直接作用と抗血管新生作用を併せ持つ物質として癌治療への応用が期待されている。しかし、SUL単独で抗がん作用や抗血管新生作用を発揮するためには、食餌から摂取し、吸収される量の数倍以上の比較的高濃度のSULが必要という問題がある。臨床応用の実現には、副作用などの出現し難い、より低濃度での有効性を発揮する方策が重要であると考える。

そこで、本研究では、SULの抗がん作用および抗血管新生作用を増強する方法として、癌細胞のオートファジー誘導に着目した検討を行った。オートファジー(自食作用)は、細胞が様々なストレス(アミノ酸飢餓の状態や、異常タンパク質の蓄積)に曝された際に誘導され、細胞内の一部のタンパク質が分解され、より重要性の高いタンパク質合成に用い、細胞の生命活動を維持しようとするメカニズムである。しかし、オートファジーによる上記のストレス回避はあくまでも一時的なものであり、オートファジーが長く続いた場合、または過度に進行した場合は、細胞が自分自身を「食べ尽くし」てしまい、細胞が死に至ると考えられている。

癌細胞におけるオートファジー誘導が抗癌剤などへの暴露に対する防御反応として働くと仮定すれば、オートファジー誘導阻害により抗癌剤などの抗腫瘍効果を増強できると考え、以下の研究を行った。すなわち、各濃度のSULを大腸癌細胞株および血管内皮細胞に作用させ、オートファジー誘導の有無を確認し、次いで、オートファジー阻害によるアポトーシス誘導の増強効果について検討した。

方法・結果

1) 大腸癌細胞株に及ぼすSULの影響

SULは、ヒト大腸癌細胞株WiDr細胞の増殖を濃度依存的に抑制した。今回使用した最高濃度(80・M)のSUL処理ではアポトーシスが強く誘導されたが、より低濃度(20-40・M)ではアポトーシス誘導をほとんど認めず、オートファジーの特徴的な所見、すなわちacidic vesicular organelles(AVOs)形成およびlight chain 3(LC3)局在を認めた。Western blotにてLC3-IIおよびLC3-Iの発現が、SULの濃度依存的に増加することを確認した。また、Bcl-2の発現はSULの濃度依存的に低下した。SUL処理による細胞の生死の影響をコロニー形成能で評価すると、SUL20・M処理細胞は、培養4日目のコロニー形成能がコントロール細胞の約10%と低下していたが、培養8日目には約75%と回復していた。以上の結果は、癌細胞の多くがオートファジー誘導により静止状態になり、細胞増殖が遅延することを意味すると考えられた。次いで、オートファジーの特異的阻害剤である3-methyladenine(3-MA)を併用した系で、SULによるアポトーシス誘導を検討した。3-MA併用の系では、SULによるAVOs形成は抑制され、SULによるアポトーシス誘導作用が増強した。同アポトーシス誘導にはcapase-8の活性化、cytochrome-cの放出、caspase-9の活性化、caspase-3の活性化を伴っていた。さらに、オートファジー阻害により、より低濃度のSUL処理によってもコロニー形成能が著明に抑制されたが、その効果はアポトーシス誘導による細胞増殖抑制によるものと考えられた。

2) 血管内皮細胞に及ぼすSULの影響

腫瘍新生血管のモデルとしてヒト臍帯静脈内皮細胞(HUVECs)を用いて実験を行った。SULは、濃度依存的にHUVECの増殖を抑制した。大腸癌細胞に比べHUVECsでは、より低濃度のSULで抑制効果が認められた。今回使用した最高濃度(80・M)のSUL処理細胞では、アポトーシスが強く誘導され、より低濃度(20-40・M)のSUL処理では大腸癌同様に、AVOs形成およびLC3局在を特徴とするオートファジーの誘導を認めた。Western blotにて、LC3-IIの発現増加が確認された。細胞の生死をコロニー形成能で評価したところ、SUL20・M処理した細胞は、培養4日目にはコントロール未処理細胞の約30%のコロニー形成能と低下していたが、培養8日目には約80%に回復していた。このことは大腸癌細胞同様、血管内皮細胞もオートファジー誘導により静止状態に陥り、その結果として増殖遅延を示したと考えられた。次いで、オートファジー特異的阻害剤である3-MAを併用し、SULの効果を検討したところ、血管内皮細胞のアポトーシス誘導作用の増強が認められた。そのアポトーシス誘導は同様にcapase-8の活性化、cytochrome-cのミトコンドリアからの放出そしてcaspase-9の活性化、caspase-3の活性化を伴っていた。3-MAの併用により血管内皮細胞のコロニー形成能は有意に低下し、それはアポトーシス誘導による増殖抑制効果によるものと考えられた。さらに、血管内皮細胞の機能に及ぼすオートファジー阻害およびSUL処理の影響について検討したところ、Matrigel上での管腔形成能は、SULの単独処理でも濃度依存的に抑制されたが、オートファジー阻害により、より低濃度のSULにおいて同様の抑制作用を示すことが確認された。

考察

本研究は、大腸癌細胞におけるオートファジー誘導が、抗腫瘍薬に対する治療耐性を獲得するメカニズムの一つであるという仮説に基づいて以下の検討を行った。

先ず、種々のSUL濃度および作用時間におけるオートファジー誘導とアポトーシスの有無、程度を確認し、アポトーシスを起こさない条件を予め確認した。そして同条件下におけるSULの濃度依存的なヒト大腸癌細胞株(WiDr)のオートファジー誘導を確認した。SUL処理(20-40・M)によって、AVOsの発現は増加し、さらにはLC3-IIの発現も増強した。また、SULの単独作用では、コロニー形成能が一時的に抑制されるものの、多くの細胞がコロニー形成能を回復することから、SUL処理により細胞は死滅したのではなく、静止状態に陥ったのみであることが示唆された。

次に、オートファジーの特異的阻害剤である3-MAによりWiDrのオートファジーを阻害したところ、アポトーシスが強く誘導され、結果としてコロニー形成能も抑制された。SULによるオートファジー誘導に関する報告は、前立腺癌細胞株(PC-3, LNCaP)でのみ認められる。私の大腸癌に関する検討結果と同様、比較的高濃度のSUL(40・M)を16時間処理することによって前立腺癌でオートファジーの典型的な変化が確認されている。SULによるアポトーシス誘導、そして細胞周期の停止は、様々な癌種において確認され、癌種などとともにSULの濃度や作用時間によって得られる効果が異なると報告されている。以上より、SULの濃度および作用時間は重要な因子であり、今回検討した濃度(20-40・M)および作用時間(16時間)は、オートファジー誘導の制御という本研究の目的を達成するために適切なものと考えられた。

本研究結果と同様、抗HER-2モノクローナル抗体(Trastuzumab, Tzb)に曝されたHER-2高発現乳癌細胞がオートファジーを誘導し、Tzbの増殖抑制効果に対する抵抗性が出現することが報告されている。悪性神経膠腫の前駆細胞(CD133+細胞)における、オートファジー誘導が放射線耐性に関与しているという報告もある。また、オートファジー阻害剤であるクロロキンの作用により、大腸癌のvorinostat (histone deacetylase (HDAC)の阻害物質)誘発アポトーシスが増強されることが確認されるとのオートファジー阻害によるアポトーシス誘発物の増強効果を示唆する報告もみられる。一方、オートファジー誘導により放射線増感効果が期待できるという報告もあり、vitamin Dまたは類似物質の処理によって乳癌細胞はオートファジーを誘導し、その結果として放射線増感効果が得られると報告している。坪井らの報告によると、電離放射線照射した神経膠腫細胞株はアポトーシスでなく、オートファジーを誘導し、オートファジー阻害剤である3-MAの処理によって放射線増感効果は低下すると報告している。以上より、癌細胞におけるオートファジー誘導は治療に対する防御反応であるとする説とともに、逆に、オートファジーにより細胞が死滅するという説も存在しており、オートファジーが細胞死あるいは細胞生存のいずれのメカニズムであるかについては、結論が出ていない。

本研究の結果は、前者、すなわち、オートファジーの誘導は癌細胞の治療に対する防御反応であるという仮説を強く支持するものである。そして癌細胞のみならず、血管内皮細胞でも同様の現象が確認されたことから、オートファジー阻害薬の抗がん治療あるいは抗血管新生療法への併用の有用性が示唆されたと考える。特にSULのような癌および癌の栄養血管の両方に作用する物質との併用は極めて理想的であると考えられる。さらに、細胞の防御機構を選択的に阻害し得る薬物(3-MA)の併用により必要な薬剤(SUL)の濃度を低減化すれば、臨床応用の重大な阻害要因となる重篤な副作用予防につながるものと考えられた。今後、癌細胞や腫瘍新生血管内皮細胞に対するより特異性の高いオートファジー阻害剤が開発され、臨床応用への道が開かれることを期待している。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は、抗癌剤などの治療耐性のメカニズムの一つとして癌細胞や血管内皮細胞によるオートファジー誘導に注目し、イソチオシアネートの一種であるスルフォラファン(SUL)の効果を検討したものである。癌細胞および腫瘍血管内皮細胞に対して抑制作用を有することが確認されているSULを作用する際に、オートファジーの特異的阻害剤を併用することにより、SULの抗腫瘍作用および抗血管新生作用の増強が得られるかについて検討し、下記の結果を得ている。

1. ヒト大腸癌細胞株(WiDr)に対するSULの効果およびオートファジー阻害剤併用の影響

(1) SUL単独処理にて、WiDrの増殖は濃度依存的に抑制された。高濃度のSUL(80・M)処理では、アポトーシスが強く誘導されたが、より低濃度のSUL(40・M)では、増殖抑制は認められたものの、アポトーシスの誘導は認めなかった。

(2) SUL処理(20-40・M)において、オートファジーの特徴的な所見、すなわちacidic vesicular organelles(AVOs)形成およびlight chain 3(LC3)局在を認めた。Western blotにてLC3-IIの発現が確認され、SULの濃度依存的に増加した。

(3)オートファジーの特異的阻害剤である3-methyladenine(3-MA)の併用により、SULのアポトーシス誘導作用が増強した。アポトーシス誘導はcapase-8の活性化、ミトコンドリアよりのcytochrome-cの放出、caspase-9の活性化、caspase-3の活性化を伴っていた。

(4)コロニー形成能評価では、SULを単独処理細胞の多くは、オートファジー誘導により一時的なコロニー形成能の抑制がみられるものの、その後、回復することが確認された。一方、3-MAを併用した細胞は、より低濃度のSULでも、著明なコロニー形成能の抑制が認められ、アポトーシスが誘導されたと考えられた。

2. 血管内皮細胞(HUVECs)に対するSULの効果およびオートファジー阻害剤併用の影響

(1) 大腸癌細胞(WiDr)同様、血管内皮細胞の増殖は高濃度SULの処理によって抑制され、アポトーシス誘導によるものであった。より低濃度SULの処理では、増殖は抑制されたものの、アポトーシスは誘導されていなかった。

(2) 低濃度SUL処理では、AVOs形成およびLC3局在を特徴とするオートファジーの誘導を認めた。Western blotにてLC3-IIの発現が確認された。

(3) オートファジー阻害剤(3-MA)の併用により、SULのアポトーシス誘導作用は増強した。WiDrと同様、caspase-8, -9, -3の活性化およびcytochrome-cの放出を伴うものであった。

(4) コロニー形成能の評価では、低濃度SULでも一時的なコロニー形成能の抑制がみられるものの、その後回復することから、オートファジー誘導により多くの細胞は静止状態にあったと考えられた。3-MAを併用することにより、低濃度SUL処理でも著明なコロニー形成能の抑制が認められ、アポトーシスが誘導されたと考えられた。

(5) Matrigel上での血管内皮細胞による管腔形成は、SULの単独処理でも濃度依存的に抑制されたが、オートファジー阻害により抑制が増強することが確認された。

以上、本論文は大腸癌細胞および血管内皮細胞がSULの作用に対する防御機構としてオートファジーを誘導することを確認し、オートファジー阻害剤との併用によりSULの抗腫瘍および抗血管新生作用が増強することを明らかにした。本研究は、現在、癌治療の分野において最も重要な課題である抗癌剤に対する治療耐性克服のための新たな戦略を提唱する重要な研究であると考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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