学位論文要旨



No 126033
著者(漢字) 橋本,拓弥
著者(英字)
著者(カナ) ハシモト,タクヤ
標題(和) マウス下肢虚血モデルにおけるInt6抑制による下肢血流の改善
標題(洋)
報告番号 126033
報告番号 甲26033
学位授与日 2010.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第3512号
研究科 医学系研究科
専攻 外科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 高橋,孝喜
 東京大学 准教授 中島,敏明
 東京大学 准教授 小出,大介
 東京大学 講師 河野,博隆
 東京大学 講師 張,京浩
内容要旨 要旨を表示する

序論

血管新生治療は,血管新生や側副血行路の発達を刺激して,虚血部の血流回復を促す治療法で,その萌芽はIsnerらが下肢動脈閉塞を対象として血管内皮細胞増殖因子 (vascular endothelial growth factor: VEGF) 発現プラスミドを使用した1996年の非盲検試験に遡る.しかしながら,単独の血管新生因子の投与では,未成熟な血管形成による副作用や,治療効果の限界があることも明らかになってきた.

これに対し,成熟した血管を誘導するために,転写調節因子として複数の血管新生因子をバランスよく発現させる低酸素応答因子(hypoxia inducible transcription factor: HIF)を利用する試みがある.なかでもHIF-2αは,血管のリモデリングにおいて重要な役割を担っており,HIF-1αに比較すると安定性に優れているため,臨床応用により適していると考えた.

HIF-1αおよびHIF-2αは共通して,酸素濃度20%の常酸素条件下では特定のプロリン残基がプロリン水酸化酵素による水酸化を受ける.その部位がユビキチンリガーゼ複合体の一部であるVon Hippel-Lindau蛋白によりユビキチン化されるため,プロテアゾームによる分解を受ける.しかし,酸素濃度5%以下の低酸素条件下ではプロリン水酸化酵素の活性が低下するため,分解を免れたHIF-α蛋白が,ターゲット遺伝子のプロモーター領域に存在するHRE(hypoxia responsive element)に結合することにより,転写調節を行う(図1上の部分).

HIF-2α蛋白に特有の結合因子として,Int6が酵母Two hybrid法によるスクリーニングにより同定された.Int6がHIF-2α蛋白の特定の部位に結合すると,HIF-2α蛋白は常酸素,低酸素のいずれの条件下でも蛋白分解を受ける(図1下の部分).マウスの創傷治癒モデルでは,Int6遺伝子を抑制することにより,HIF-2α蛋白と各種血管新生因子が増加し,創傷治癒と局所の血管新生を増強した.しかし,虚血に陥っている筋組織においてInt6遺伝子の抑制が血管新生に与える影響は明らかになっていない.そこで,本研究では,マウス下肢虚血モデルで筋組織中のInt6を抑制することにより,下肢の血流回復に与える影響を検討した.

I. Int6抑制が筋細胞に与える影響の検討

<方法>

Int6抑制プラスミドベクターの作製

siRNA(small interfering RNA)を発現するプラスミドベクターであるpSilencer(Ambion)を用い,マウスInt6遺伝子の抑制は5-AAgAACCACAgTTgTTgCg-3,ヒトInt6遺伝子の抑制は5-AAgAACCACAgTggTTgCA-3の配列により行った.コントロールとしては,ランダム配列を有するsiRNAプラスミドベクターを用いた.

初代筋芽細胞の培養と遺伝子導入

マウス初代筋芽細胞は,専用培地とともにプライマリーセル社から購入して使用した.ヒト初代筋芽細胞は,10% FBSを含むDMEM中で培養した.ヒト臍帯静脈内皮細胞(human umbilical vein endothelial cells: HUVECs)は,2%FBS,bFGFを含む200S培養液中で培養した.いずれも37℃,5%二酸化炭素の存在下で培養され,遺伝子導入は,プラスミドDNAを用いAMAXA Nucleofectorで行った.

Int6抑制下における初代筋芽細胞の蛋白解析

遺伝子導入後の細胞から溶解抽出し,Laemmliサンプルバッファーを用いて同量,同濃度に調製した蛋白溶液を,電気泳動分離後にセミドライ法で転写した.HIF-2αとInt6に対する一次抗体はポリクローナルで作製した.二次抗体は抗ラビットまたは抗マウスHRPを使用し,化学蛍光法で検出した.

Int6抑制下における初代筋芽細胞のmRNA発現解析

遺伝子導入後にRNAを抽出し,cDNAを合成した.各種血管新生因子の測定はTaqmanを用いたリアルタイムRT-PCR法にて行なった.

HUVECを用いた管腔形成実験

96穴プレート上で固相化したマトリゲル上で1.5 x 104個のHUVEC細胞を12時間培養した.その後,4 x 105個のヒト初代筋芽細胞にInt6抑制プラスミドもしくはコントロールプラスミド4μgを遺伝子導入して24時間後に回収した培養液上清を加えた.経時的にHUVEC細胞の管腔形成を観察し,管腔長を解析した.

免疫PCR法による筋芽細胞培養液上清中の血管新生因子蛋白濃度の測定

上記のHUVECの管腔形成実験で用いた,ヒト初代筋芽細胞にInt6抑制プラスミドもしくはコントロールプラスミドを遺伝子導入して24時間後に回収した培養液上清中に含まれる血管新生因子蛋白の濃度を,免疫PCR法であるMUSTag法(Synthera Technologies Co., Ltd.,東京)により測定した.

統計解析

結果は平均±標準誤差で表した.2群の比較にはMann-Whitneyの順位検定を適用し,p値は0.05を有意水準とした.

<結果>

Int6抑制下における初代筋芽細胞の蛋白解析

Int6抑制プラスミドを導入した24時間後のマウス初代筋芽細胞で,コントロールと比較して,内因性Int6蛋白の減少とともに内因性HIF-2α蛋白が増加していた(図2).

Int6抑制下における初代筋芽細胞の遺伝子解析

マウス初代筋芽細胞にInt6抑制プラスミドを導入した場合には,コントロールと比較して,18時間後において,細胞中のbFGFおよびPDGF-B(platelet-derived growth factor-B)のmRNAがそれぞれ1.8倍,1.9倍と有意に発現が増加していた(n=3).bFGFに関しては42時間後においても有意な発現の亢進が持続していた(図3).

HUVECを用いた管腔形成実験

Int6抑制プラスミドの遺伝子導入後24時間のヒト筋芽細胞培養液上清中で培養したHUVECではコントロールと比べると管腔形成が目立ち,管腔長の計測でも培養開始7時間後においてコントロールの2.2倍,12時間後において2.3倍といずれも管腔長に有意差を認めた.

免疫PCR法によるヒト筋芽細胞培養液上清中の蛋白濃度測定

Int6抑制プラスミドを遺伝子導入したヒト初代筋芽細胞の培養液上清中においては,コントロールプラスミドを遺伝子導入したヒト初代筋芽細胞の培養液上清中と比較して,ヒトbFGF蛋白およびヒトAng-1蛋白が有意に増加していた.

II. Int6抑制が下肢血流回復に与える影響の検討

<方法>

マウス下肢虚血モデルの作製とプラスミドの投与

8週齢のBALB/cマウスの左大腿動脈を結紮切離した後,Int6抑制プラスミドもしくはコントロールプラスミド400 μgを大腿内転筋群に3カ所に分けて筋肉内投与した(図5,各群n=9).

歩行機能障害と組織障害の評価

虚血肢の歩行機能障害と組織障害の2項目を経時的にスコアリングした.歩行機能障害に関しては,正常= 0点,尻尾を引っ張ると足趾は効かないが,足首で踏んばる= 1点,下肢をひきずってはいないが,足首が効かない= 2点,下肢全体をひきずる= 3点で評価し,組織障害に関しては,変化なし= 0点,皮膚色変化= 1点,1-2趾脱落= 2点,3-5趾脱落= 3点,足部以上の肢脱落= 4点,で評価した.

レーザードプラー測定装置を用いた下肢血流量の評価

各マウスにおける足関節以下の血流量を経時的に全麻下で測定し,虚血肢/非虚血肢の相対比を算出した.

統計的解析

結果は平均±標準誤差で表した.Int6抑制群とコントロール群の経時的なデータの比較には2-way ANOVAを適用し,p値は0.05を有意水準とした.

<結果>

肢機能と組織障害の評価

肢機能はInt6抑制群で良好に推移し,7,14,21日後においては,それぞれコントロール群2.17±0.19,1.94±0.23,1.14±0.31に対して,Int6 siRNA群1.67±0.20,0.97±0.23,0.50±0.16と有意に低値であった(図6左).組織障害についても,観察期間中に一貫して症状が悪化したコントロール群に対して,Int6抑制群では7日後以降に症状が回復に転じ,28日後ではコントロール群0.81±0.45に対して,Int6抑制群では0±0と組織障害が完全に消失した(図6右).

レーザードプラー測定装置を用いた下肢血流量の評価

両群とも手術直後が最も血流が乏しく,7日以降は回復傾向にあるのは同様であったが,特にInt6抑制群で回復が良好であり,7日後と14日後において,コントロール群と有意差を認めた(Int6抑制群 vs. コントロール群の血流比:7日後,0.22±0.33 vs. 0.13±0.04;14日後,0.32±0.04 vs. 0.22±0.07)(図7).

考察

本研究では,まず培養筋細胞を用いた蛋白の解析から,Int6依存性のHIF-2α蛋白分解が阻害されると,筋細胞内の内因性HIF-2α蛋白が増加することが示唆された.さらに,筋細胞の遺伝子発現の解析では,Int6の抑制により血管新生因子であるbFGFとPDGF-B遺伝子の発現の増強が認められた.この2つの遺伝子はいずれも血管のリモデリングに関わる血管新生因子であり,筋細胞におけるHIF-2αの増加が血流の回復を促す際に,これらが重要な役割を果たしているものと考えられた.また,ヒトの筋細胞のInt6を抑制することにより,血管内皮細胞の出芽や管腔維持に関わる血管新生因子蛋白の分泌が増強し,筋細胞が血管内皮細胞の管腔形成能に及ぼす傍分泌効果が強まることを明らかにした.この結果から,筋細胞でInt6を抑制するとHIF-2α蛋白が増加し,続いてそのターゲットである血管新生因子群の発現が増強し,それらの一部が分泌されることによって血管内皮細胞の管腔形成が増強している可能性が考えられた.

生体での検討では,Int6抑制プラスミドの筋注は,効果を及ぼす期間が限定的である可能性はあるものの,マウス下肢の血流の回復を促し,臨床症状を改善していた.この血流回復に関して,培養細胞を用いた実験の結果と考え合わせると,次のような機序が想定される.まず,プラスミド筋注によるInt6遺伝子の抑制によって,筋組織中のInt6蛋白が減少し,それまでInt6による分解を受けていたHIF-2α蛋白が増加した.そのようにして増加したHIF-2α蛋白の転写調節作用により,筋細胞内でbFGFとPDGF-Bの発現が誘導された.続いてこれらの血管のリモデリングに関わる血管新生因子が筋細胞から分泌され,近傍の血管構成細胞に働きかけることにより,側副血行路の発達が促され,足部の血流の回復を促した.閉塞性末梢動脈疾患では,側副血行路の発達不良が重症化につながることが多いため,本研究のように側副血行路のリモデリングを狙った戦略は,臨床的に非常に有効であると思われる.

結論

マウス下肢虚血モデルにおけるプラスミド筋注によるInt6の抑制は,下肢血流と症状の改善を促した.その機序の一部として,筋細胞内でのHIF-2αの安定化を介して血管新生因子群が増強し,血管構成細胞への傍分泌効果を及ぼすことが考えられた.Int6抑制による新たな血管新生治療の可能性が示唆された.

図1.HIF-2α蛋白分解のメカニズム

HIF-α蛋白は,酸素濃度20%の常酸素条件下では特定の2カ所のプロリン残基が水酸化酵素(PHD; prolyl hydroxylase)により水酸化される.その部位がE3ユビキチンリガーゼ複合体の一部であるVHL蛋白により認識されるため,プロテアゾーム経路で分解される.酸素濃度5%以下の低酸素条件下ではPHDの活性が低下するため,分解を免れたHIF-α蛋白が核内に移行し,これらがβサブユニットと二量体を形成して標的遺伝子のプロモーター領域に存在するHREに結合することにより,転写調節が行われる.このメカニズムがHIF-1αおよびHIF-2α両方のサブタイプに共通であるのに対し,Int6の結合による分解はHIF-2αに特異的である.Int6がHIF-2α蛋白のIBS(Int6 binding site)に結合すると,HIF-2α蛋白は常酸素,低酸素のいずれの条件下でもプロテアゾームによる蛋白分解を受ける.したがって,RNA干渉を利用してInt6遺伝子を抑制することにより,内因性HIF-2α蛋白の増加が期待できる.

図2.マウス初代筋芽細胞におけるInt6抑制に伴うHIF-2α蛋白の増加

Int6抑制プラスミドを導入後24時間において,コントロールと比較して内因性Int6蛋白(52 kDa)が減少し,内因性HIF-2α蛋白(126 kDa)が増加した.

図3.Int6抑制に伴う各血管新生因子の遺伝子発現相対量の推移

A. マウス初代筋芽細胞へのInt6抑制遺伝子導入後,Int6 mRNAは,コントロールと比較して18時間において19%,42時間後において49%抑制されていた.B. bFGF (basic fibroblast growth factor) mRNA相対量は,コントロールと比較して18時間後において1.8倍,42時間後において1.7倍と有意な発現増加が認められた.C. PDGF-B (platelet-derived growth factor) mRNA相対量は,18時間後において1.9倍と有意な発現増加が認められた.D. VEGF-A (vascular endothelial growth factor-A)のmRNA相対量にはInt6抑制による有意な変化は認められなかった.* : p<0.05.

図4.ヒト初代筋芽細胞の培養液上清中の血管新生因子蛋白濃度

Int6を抑制された筋芽細胞の培養液上清中には,コントロールの筋芽細胞の培養液上清中と比較して,bFGF蛋白(A)およびAng-1蛋白(B)が増加していた.* : p<0.05.

図5.マウス下肢虚血モデル

大腿動脈を結紮切離(両矢印)することにより,足部の血流量は約5%に減少する(レーザードプラー法により測定).×印はプラスミドベクターの筋注部位を示す.

図6.虚血による症状のスコアリングによる評価

それぞれ左が歩行機能,右が虚血による組織障害を評価したもの.左:正常(尻尾を引っ張ると足趾で踏んばる)= 0点,尻尾を引っ張ると足趾は効かないが,足首で踏んばる= 1点,下肢をひきずってはいないが,足首が効かない= 2点,下肢全体をひきずる= 3点.右:変化なし(健常肢と同様)= 0点,皮膚色変化(チアノーゼ, 変色)= 1点,1-2趾脱落= 2点,3-5趾脱落= 3点,足部以上の肢脱落= 4点.いずれも実線(●)がInt6抑制群,点線(■)がコントロール群の平均スコアの推移を示す(各群n=9).* : p<0.05.

図7.レーザードプラー法を用いた足部血流の評価

虚血肢/非虚血肢足部の血流量の比の経時的変化を示した.実線(●)がInt6抑制群,点線(■)はコントロール群(各群n=9).7日後と14日後において有意にInt6抑制群の血流回復が良好であった.* : p<0.05

審査要旨 要旨を表示する

本研究は低酸素応答因子HIF-2αを利用した血管新生治療の可能性を念頭におき,マウス下肢虚血モデルと筋細胞を用いた実験により,HIF-2αの分解に関与するInt6を抑制する方法で血流改善効果の検証と機序の解析を試みたものであり,下記の結果を得ている.

1.Int6抑制プラスミドを導入したマウス初代筋芽細胞では,内因性Int6蛋白が減少するとともに内因性HIF-2α蛋白が増加することがWestern blotにより示された.

2.HIFのターゲット遺伝子となっている各種血管新生因子の発現量の変化については,マウス初代筋芽細胞にInt6抑制プラスミドを導入した場合には,細胞中のbFGFおよびPDGF-BのmRNAの発現が増加していることがリアルタイムRT-PCR法により示された.

3.ヒト初代筋芽細胞にInt6抑制プラスミドを遺伝子導入して24時間後の培養液上清をマトリゲル上のHUVEC細胞に投与した場合では,HUVEC細胞の管腔形成が促進されていた.

4.Int6抑制プラスミドを遺伝子導入したヒト初代筋芽細胞の培養液上清中においては,ヒトbFGF蛋白およびヒトAng-1蛋白が有意に増加していることが免疫PCR法により示された.

5.マウス下肢虚血モデルにおけるレーザードプラー法による血流量測定では,虚血作製手術およびプラスミドの筋注後,有意にInt6抑制群の血流回復が良好であり,歩行機能障害と組織障害に関してもInt6抑制群の方が軽度であった.

以上,本論文はマウス下肢虚血モデルにおいて,Int6の抑制が下肢血流と症状の改善に役立つことを明らかにした.本研究はこれまで未知であった,虚血に陥っている筋組織におけるInt6の抑制の効果を検証するとともに,機序に関する考察を行っており,閉塞性末梢動脈疾患を対象とした血管新生治療の基礎研究に重要な貢献をなすと考えられ,学位の授与に値するものと考えられる.

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