学位論文要旨



No 126036
著者(漢字) 藤本,千里
著者(英字)
著者(カナ) フジモト,チサト
標題(和) 内耳発生をモニターする新たなレポーターマウスの樹立と、耳胞領域特異的なトランスクリプトーム解析
標題(洋)
報告番号 126036
報告番号 甲26036
学位授与日 2010.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第3515号
研究科 医学系研究科
専攻 外科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 廣瀬,謙造
 東京大学 教授 吉川,雅英
 東京大学 特任准教授 河崎,洋志
 東京大学 講師 相原,一
 東京大学 講師 柿木,章伸
内容要旨 要旨を表示する

これまで、発生期の内耳における、転写因子をはじめとする様々な因子の時空間的発現パターンが報告されてきた。また、その発現パターンと内耳各器官の形態形成・細胞分化との関連についての研究も進められてきた。耳胞における軸に沿ったパターン形成に関連するシグナル、および、引き続いて発生する分子事象や、そこで新たに発現する領域特異的遺伝子の果たす役割を詳細に検討することは、内耳形態形成を理解する上で非常に重要であるといえる。

我々は、Endothelin A receptor (Ednra) 遺伝子のプロモーター領域にEnhanced GFP (EGFP)を連結させたEdnra-EGFP トランスジェニックマウス系統を樹立した。その多くは頭部神経堤細胞など本来のEdnra発現領域に一致するEGFP発現が認められたが、樹立した一系統であるLine 14で内耳発生期にEGFPの異所性発現が見られた。EGFPの発現は、胎生8.5~9.0日胚より耳プラコードに認められた。胎生10.5日胚には、EGFP の発現が耳胞の腹側~背内側領域に認められ、また、神経細胞へと分化し第8脳神経を構成する、耳胞上皮から剥離する細胞群においても発現が認められた。耳胞から蝸牛・前庭の感覚領域を含む迷路器官への形態形成が進行する時期には、EGFP の発現は、蝸牛、球形嚢、内リンパ管において認められた。Pars inferior(蝸牛、球形嚢)におけるEGFP陽性の領域は、Myo7a陽性の有毛細胞を含み、耳胞から有毛細胞にかけて、EGFP発現の時空間的連続性が保たれていた。また、連続しているEGFP陽性の領域から離れて、pars superior(三半規管、卵形嚢)領域の有毛細胞にもEGFP陽性の細胞群が認められたが、耳胞からのEGFP発現の時空間的連続性は認めなかった。内耳感覚領域への分化が進行してからは、EGFPの発現は有毛細胞と一部の支持細胞に限局し、形態学的に成熟するにつれて発現は減少した。成体期には、内耳におけるEGFPの発現は確認されなかった。このような遺伝子の発現パターンを呈するマウスは他に例がなく、その解析は内耳発生研究に関する極めて強力なツールとして期待されると考えられた。

EGFP異所性発現のメカニズムとして、トランスジーン挿入部位に内耳発生および感覚上皮細胞への分化に関連する遺伝子のゲノム配列が存在し、その遺伝子が異所性発現の原因となっている可能性や、その他のトランスジーン挿入部位におけるポジショナルエフェクトが原因となっている可能性が想定された。そこで、Line 14におけるトランスジーンの挿入部位の同定を試みた。Line 14ホモ接合型ゲノムDNAを用いて、サザンブロット法とゲノムウォーキング法の2つの手法を用い、トランスジーンとゲノムの接合部位の同定を試みたところ、第13染色体Mctp1遺伝子の第15, 第17イントロン領域において接合部位の候補を得た。一方、成体Line 14ホモ接合型から肝臓を取り出した後RNAを抽出し、Reverse transcription polymerase chain reaction (RT-PCR) による第15-18エクソンの配列の確認を行った結果、配列は正常であり、トランスジーンの挿入によりMctp1遺伝子の機能が大きな影響を受けていないことが示唆された。

Line 14の聴覚平衡機能をスイムテスト、および、聴性脳幹反応を用いて測定したところ、ホモ接合型、ヘテロ接合型において明らかな異常は認められず、形態学的異常も認めなかった。よって、成体Line 14マウスは、聴覚平衡機能、および、内耳の形態に関しては、トランスジーン挿入によってもたらされる変異による影響は除外されるとみなされ、感覚領域を含むpars inferior、内リンパ管、第8脳神経節への分化をモニターするレポーターマウスとして有用であると考えられた。

内耳形態形成の分子メカニズム解析の一つのアプローチとして、器官内に発現する遺伝子群の時空間的発現プロファイリングを行う手法があげられるが、遺伝子特異的な、あるいは領域特異的でかつ形態学的にも重要な細胞集団を精製しサンプリングすることにより、遺伝子発現のその集団内での挙動を網羅的に解析することが可能となる。我々は、本マウスの胎生10.5日胚耳胞腹側~背内側におけるEGFP発現の領域特異性に着目し、Fluorescence activated cell sorting (FACS)-Array Technologyを用いて、本マウスの耳胞から分取したEGFP陽性細胞群、EGFP陰性細胞群の遺伝子発現プロファイルの作成する目的に、GeneChip Mouse Genome 430 2.0 arrayへのハイブリダイゼーション、およびデータ解析を行った。EGFP陽性細胞においてより高く発現している遺伝子群を、(1) EGFP陽性細胞において有効シグナル強度を有す、(2) change P-valueが0.003以下、(3) signal log ratioが1.5以上、と定義し、EGFP陽性細胞においてより低く発現している遺伝子群を、(1) EGFP陰性細胞において有効シグナル強度を有す、(2) change P-valueが0.997以上、(3) signal log ratioが-1.5以下、と定義し、陰性細胞に比べ、陽性細胞においてより発現が高い186 遺伝子、およびより発現が低い731遺伝子を同定した。陽性細胞においてより発現が高い遺伝子のうち、胎生10.5日胚耳胞に発現が確認されているものは21遺伝子 (11 %) で、このうち14遺伝子は耳胞領域特異的に発現が認められるものであった。これら14遺伝子はすべて、Line 14のEGFP陽性領域である耳胞腹側~背内側にin situ hybridizationの発現を認める傾向が強いものであった。また、陽性細胞においてより発現が高い遺伝子のうち、15遺伝子 (8 %) は、マウスの内耳発生や内耳関連のヒト遺伝性疾患に関係するものであった。

次に、Onto-Express software を用い、EGFP陽性細胞においてより発現が高い遺伝子群、およびより発現が低い遺伝子群のプロファイルに対し、オントロジー解析を行ったところ、陽性細胞にてより多く発現する遺伝子群、より少なく発現する遺伝子群における、生物学的プロセスに関する解析では、両群ともに、多細胞生物の発生に関連する遺伝子が特に多いという結果であった。

我々はRT-PCRを用いて、代表的な耳胞領域特異的なマーカーの発現レベルの変化を調べた。特に、EGFP陽性の領域の境界を定めるべく、主として耳胞領域特異的な転写因子をコードする遺伝子を選択した。マイクロアレイでは、耳胞腹側のマーカーであるOtx1とOtx2が、EGFP陰性細胞に比しての陽性細胞における発現の割合の最も高い遺伝子であったが、RT-PCRにおいても陽性細胞にのみ認められた。Otx1は外側半規管とその膨大部、卵形嚢、pars inferiorへ分化する領域に発現し、Otx2 はpars inferior へ分化する領域に発現すると考えられている。 Gbx2は、耳胞背内側のマーカーであるが、RT-PCRでもEGFP陽性細胞により強く発現が認められた。一方、 Prrx2は耳胞背外側のマーカーであるが、マイクロアレイの結果同様、RT-PCRにおいてもEGFP陽性細胞でより発現が低下していた。次に、マイクロアレイにてEGFP陽性細胞と陰性細胞において発現に大きな差が見られなかった遺伝子に関して、感覚上皮および神経前駆細胞関連マーカーである、Isl1, Bmp4, Jag1, Neurog1に対して、RT-PCRを施行したところ、これらの遺伝子は、陽性領域と陰性領域の両方において同様に発現していた。さらに、内耳関連のヒト疾患原因遺伝子で、マイクロアレイの解析にてEGFP陽性細胞により多く発現が認められた遺伝子のうち、代表的な5遺伝子 (Espn, Myo7a, Eya4, Eya1, Gata3) に関して、RT-PCRを施行したところ、性領域において優位に発現していることが確認された。また、マウス内耳での発現が過去に報告されていない遺伝子に関するRT-PCRを行い、マイクロアレイのデータ解析の信頼性を確かめた。Onto-Express による生物学的プロセスの解析において、multicellular organismal developmentに関連するEGFP陽性細胞でより強く発現する17遺伝子のうち、(1)マウス内耳での発現が過去に報告されていない、(2)シグナル強度が150より大きい、(3) singal log ratioが2.0より大きい、の 3項目を満たすLect1, Tnfrsf12aの2遺伝子に対し検討を行ったところ、EGFP陽性領域において優位に発現していることが確認された。

以上のLine 14のEGFPの発現パターンとRT-PCRの結果から、胎生10.5日胚において、EGFP陽性領域は、外側半規管とその膨大部、卵形嚢とその平衡斑、感覚上皮を含むpars inferiorの領域、内リンパ管、第8脳神経節神経芽細胞、の各領域へ分化する予定領域を含むことが示唆された。また、一部に前・後半規管の感覚領域の原基を含む可能性も考えられた。本研究では、FACS-Arrayにより耳胞領域特異的な遺伝子プロファイリングが可能となった。陽性細胞により多く発現する遺伝子群のうち、既に耳胞に発現することが知られている遺伝子も多数同定されたが、ほとんどの遺伝子は、内耳における発現が過去に報告されていないものであった。今回作成したデータベースをもとに、内耳形態形成や感覚上皮細胞への分化に関し何らかの機能を有する多くの新しい遺伝子の発見につながる可能性、さらに、多くのヒト先天性感音難聴に関連する新しい遺伝子を見だし得る可能性が考えられた。

今回作成したEGFP陽性細胞群における遺伝子発現プロファイルが、耳胞領域特異性を示す新規遺伝子を予測するツールとしての有用性を検討するため、過去にin situ hybridizationにて胎生10.5日胚で、耳胞に発現が報告されている遺伝子の発現領域との整合性を調べた。マイクロアレイでのsignal log ratioによるアウトカム(Line 14においてEGFP陽性を示す腹側~背内側領域に、in situ hybridizationでの発現が強いか否か)の予測能の評価に、受信者動作特性曲線を作成し、その曲線下面積を求めたところ、0.749(95%信頼区間:0.673 - 0.837)であった。さらに、マイクロアレイにてEGFP陽性細胞でより発現が高い遺伝子群を設定するカットオフ値に各signal log ratioの値を用いた場合の、実際にin situ hybridizationにて耳胞腹側~背内側に発現が強い遺伝子の数、実際はin situ hybridizationにて耳胞腹側~背内側に発現が弱い遺伝子の数、アウトカムの陽性的中率 (positive predictive value, PPV)を算出した。Signal log ratioのカットオフ値を1.3以上に設定した場合は、in situ hybridizationにて耳胞腹側~背内側に発現が弱い遺伝子が含まれないことが判明した。EGFP陽性細胞において有効シグナル強度を有す、change P-valueが0.003以下、の2基準と合わせると、signal log ratioのカットオフ値を1.3にした場合のPPVは69%、1.5にした場合のPPVは70%であった。領域特異的な既知発現遺伝子との整合性を示した本研究は、内耳発生生物学の研究領域において、より正確なトランスクリプトーム解析のアルゴリズム作成の手がかりになると期待される。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は、耳プラコード由来の内耳感覚上皮への細胞系譜をモニターするEGFPレポーターマウスを樹立し、その発現パターンの解析、発現調節メカニズムの解析、および、FACSとマイクロアレイによる耳胞領域特異的な遺伝子発現プロファイリングを試みたものであり、下記の結果を得ている。

1. Endothelin A receptor (Ednra) 遺伝子のプロモーター領域にEGFPを連結させたEdnra-EGFP トランスジェニックマウス系統を樹立したところ、樹立した一系統であるLine 14で内耳発生期にEGFPの異所性発現が認められた。EGFPの発現は、内耳発生初期より耳プラコードにおいて確認された。耳胞形成期では、主として、形態学的にpars inferior、内リンパ管の予定領域である、耳胞腹側~背内側で発現していた。さらに、内耳感覚領域に存在する内耳有毛細胞・支持細胞へ至る系譜、第8脳神経の神経芽細胞へ至る系譜が、免疫染色により確認された。

2.EGFP異所性発現のメカニズムの解明目的に、サザンブロット法とゲノムウォーキング法を用い、Line 14におけるトランスジーンとゲノムの接合部位の同定を試みたところ、第13染色体Mctp1遺伝子の第15, 第17イントロン領域において接合部位の候補を得た。一方、成体ホモ接合型から肝臓を取り出した後RNAを抽出し、RT-PCRによる第15-18エクソンの配列の確認を行った結果、配列は正常であり、トランスジーンの挿入によりMctp1遺伝子の機能が大きな影響を受けていないことが示唆された。

3.Line 14の聴覚平衡機能をスイムテスト、および、聴性脳幹反応を用いて測定したところ、ホモ接合型、ヘテロ接合型において明らかな異常は認められず、形態学的異常も認めなかった。よって、成体Line 14マウスは、聴覚平衡機能、および、内耳の形態に関しては、トランスジーン挿入によってもたらされる変異による影響は除外されるとみなされ、感覚領域を含むpars inferior、内リンパ管、第8脳神経節への分化をモニターするレポーターマウスとして有用であると考えられた。

4.耳胞を形成する胎生10.5日胚において、FACS-array technologyを用いて、E10.5耳胞腹側~背内側に発現するEGFP陽性細胞群と、EGFP陰性細胞群の遺伝子発現プロファイルを作成した。既存のin situ hybridizationデータベースにて胎生10.5日胚耳胞に発現が報告されている遺伝子の発現領域と、今回作成したプロファイルのsignal log ratioの結果との関係の強さを評価するため、EGFP陽性領域にて優位に発現する遺伝子群に関するROC解析を行ったところ、曲線下面積は0.749(95%信頼区間:0.666 - 0.832)であった。また、Signal log ratioのカットオフ値を1.3以上にすると、Line 14においてEGFP陽性を示す領域に発現が弱い遺伝子 を分類せず、陽性的中率も比較的高い水準であることが期待された。

以上、本論文は、新たに樹立したEGFPレポーターマウスを用い、耳胞領域特異的な遺伝子発現プロファイルに関する新たな知見を創出した。本研究は、内耳感覚領域への分化制御の解析や、領域特異的遺伝子ネットワーク、新規機能遺伝子の同定に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

UTokyo Repositoryリンク