学位論文要旨



No 126037
著者(漢字) 本田,紀彦
著者(英字)
著者(カナ) ホンダ,ノリヒコ
標題(和) 再生医療の技法を用いた角膜内皮機能不全治療の追求
標題(洋)
報告番号 126037
報告番号 甲26037
学位授与日 2010.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第3516号
研究科 医学系研究科
専攻 外科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 佐藤,伸一
 東京大学 教授 渡邉,すみ子
 東京大学 准教授 野入,英世
 東京大学 准教授 星,和人
 東京大学 講師 相原,一
内容要旨 要旨を表示する

角膜は眼球の外壁の一部を構成する透明組織である。外界からの光を取り入れる窓として、また同時に眼球光学系の屈折力の約3分の2を担うレンズとして働いている。(図1)

角膜内皮は角膜の裏打ちをする単層扁平上皮であり、角膜の含水率を一定に保つことで、その透明性維持に重要な役割を果たしている。そのためその機能低下は、角膜浮腫を通じて視力低下を起こす。ヒト角膜内皮細胞はきわめて限られた分裂能しか持たないため、細胞数が過度に減少すると角膜浮腫・混濁は不可逆となり、水疱性角膜症に至る。(図2) 我が国における主な病因は内眼・レーザー手術であり、その患者数は増加している。

水疱性角膜症に対する現時点での唯一の治療法は、角膜移植である。その代表格の全層角膜移植術(Penatrating Keratoplasty; PKP)は100年近くの歴史があり有用性も確立しているが、一方でドナー不足、術中術後の合併症のリスクなど多くの問題を抱える。

将来的にこれらを解決しうるのが、再生医療の技法であると私は考えた。つまり培養細胞を生体内に移植し、角膜内皮細胞の機能を補償するという考え方である。実はこういった試みは今までにも報告されてはいるが、既報には臨床応用に向け解決すべき課題が多い。

まず臨床応用へ向けてはin vivoの検討が不可欠であるが、既報ではヒトの水疱性角膜症とかけ離れたモデルが使用されているため、より適切な動物モデル作製を試みた。

次の問題は、既報での種々の技法は、効果や安全性などの問題で、いずれもそのままでは臨床応用不能と考えられることである。そこで今回私は臨床応用可能性を重視し、現在臨床で普及が進んでいるDSAEK(Descemet Stripping Automated Endothelial Keratoplasty)の技法を取り入れることを試みた。DSAEKとはドナー角膜から層状に切り取った内皮+薄い実質のみを前房中に挿入し、レシピエント角膜の裏面に貼り付けるという術式である。(図3) また将来の発展に向けて、培養内皮細胞のみを移植する手法についても検討を行った。

§1 水疱性角膜症動物モデルの作製

水疱性角膜症の動物モデルとして、過去の報告ではウサギ角膜を冷凍凝固することで内皮を脱落させているが、このモデルは二つの重大な問題を抱えている。

まず、ウサギでは内皮機能不全が早期に自然治癒傾向を持つ。さらに冷凍凝固は眼内に強い炎症をもたらす。これらの問題を解決しうる「非炎症、かつ長期に持続する」水疱性角膜症動物モデルの作製を種々の方法で試みた。

(1)サルを用いた水疱性角膜症モデルの作製

ヒトと同様に内皮の分裂能が乏しいとされるサルを用いた検討を行った。まず、内皮細胞を物理的にこすり落として減少させた。(スクレイプモデル) さらに、冷凍凝固を用いる既報の方法も術後に十分な消炎を行った上での利用を試みた。(クライオモデル)

結果、スクレイプモデルでは術後1週間は角膜内皮機能不全の状態となっていた。しかしその後浮腫は減弱し、術後2週の時点では角膜は十分な透明性を回復した。(図4) さらに2回同じ処置を追加したが結果は同じで、最終的に角膜内皮細胞密度の減少すら見られなかった。クライオモデルも、やはり無効であった。

(2)ウサギを用いた水疱性角膜症モデルの作製

ウサギはサルに比べると多症例での検討を行えること、十分な術後処置や観察を行うことができること、といった利点がある。ただし内皮細胞が高い増殖能を持つという欠点があるため、なるべく長期に安定した非炎症モデルの作製を目指した。

サルと同様の処置法を行うクライオモデル(15例15眼)と、内皮細胞に対して毒性のある0.05%塩化ベンザルコニウムを前房内に注入するモデル(10例10眼)の検討を行った。

クライオモデルは、角膜浮腫を保ちながら非炎症の状態に持ちこむことはできなかった。塩化ベンザルコニウムモデルでは、4眼で術後3か月以上にわたって浮腫が継続し、炎症も軽度であった。しかし処置に対する反応が一定でないことや、眼内の他の部位への影響の懸念が残った。ただし成功例の組織は、非炎症の角膜内皮機能不全モデルと呼ぶにふさわしく、何らかの工夫が可能であれば、今後利用できるかもしれない。

考察

今回種々の方法で不可逆、非炎症性の角膜内皮機能不全動物モデルを作ることを試みたが、結論から言えば安定したモデルを作製することはできなかった。しかし検討の中で、いくつかの貴重な知見が得られた。サルの内皮細胞は少なくともある条件下では十分な分裂能を持つと考えられた。またウサギのクライオモデルでは、眼内炎症の強度と内皮機能の障害程度は不可分のものである可能性が示唆された。これらの結果は、まだ完全に解明されていないヒト水疱性角膜症の病態について、さらにヒト角膜内皮細胞の生理について知る端緒となる可能性がある。

現時点で角膜内皮機能不全の治療法をin vivoで検討する際は、コントロールの取り方に注意を払いながら目的に応じたモデルを選択していくことが現実的な解決策と考えられた。

§2 培養ヒト角膜内皮細胞を用いた角膜内皮機能不全治療の試み

今回私は、現在臨床で普及の進んでいるDSAEKの技法を生かした培養HCECの移植(培養細胞DSAEK)を試みた。具体的には、薄い角膜実質片の上に培養ヒト角膜内皮細胞を播種し、DSAEKの手法で眼内へ移植するという方法である。(シェーマ参照)

(1)培養ヒト角膜内皮細胞を用いたDSAEKの試み

1)培養細胞DSAEKグラフトの作製

ヒト角膜内皮細胞(Human Corneal Endothelial Cells; HCEC)は、in vitroでは適切な培養条件において増殖する。今回の検討では分離培養第3~4世代のHCECを使用した。

研究用ヒト強角膜片から厚さ120~150 μm、直径8 mmの角膜実質ディスクを作製し、その上に4.0x105個の培養HCEC(蛍光ラベル済)を播種した。その後28日間培養を行って、「培養細胞DSAEKグラフト」とした。培養終了時のグラフトの透明性は良好で、HCECは生体の角膜内皮と同様の性状を持ち、平均細胞密度は1656 cells/mm2であった。(図5)

2)ex vivoモデルを用いたグラフト挿入法の比較

DSAEKではグラフト挿入時に生じる内皮細胞の損失が、臨床上最大の課題のひとつとなっている。今回ex vivoの新規システムで、折りたたみ法(taco-folding法)、引き込み法(Busin glide法、lens glide法)の3種類の挿入法を比較した。(各群4枚ずつ)

いずれの群でも通常DSAEKと同様の細胞脱落パターンが認められた。脱落面積は図6の通りで、折りたたみ法群では、いずれの引き込み法の群に対しても有意に大きかった。

3)ウサギ眼を用いたin vivoでの培養細胞DSAEKの評価

培養細胞DSAEKのin vivoにおける評価を行うため、実際臨床で行われているDSAEKの技法に準じてウサギ眼へ移植手術を行った。(図7)

培養細胞DSAEK群とコントロール群、それぞれ7匹7眼とした。コントロール群においては、細胞を播種しない角膜実質ディスクを挿入した。手術後は経時的に術眼の観察と検査を行い、手術から28日後にウサギは安楽死させて、組織の評価を行った。

培養細胞DSAEK群では時間経過とともに角膜浮腫は減少し透明性も回復するが、コントロール群では経過観察期間内に強い浮腫が引くことはなかった。(図8) この傾向は中心角膜厚の推移でも確認された。(図9) なお経過中、重大な合併症は認めなかった。

組織切片では、コントロール群に比べて培養細胞DSAEK群では実質浮腫はかなり軽度であった。グラフト裏面はドナー由来の単層細胞層で覆われ、免疫染色ではtight junctionの形成も示唆された。

(2)培養ヒト角膜内皮細胞単独シートの試作

キャリアを用いない培養HCECシートは、より生理的であり、高い視機能や感染症・術後炎症のリスク低下が得られる可能性がある。多孔質の酸化アルミニウム板上にHCECを4×105個を播種し1週間の培養を行った上で、ピペッターの水流を当てて端から細胞を慎重に剥がした結果、EDTAなど細胞間架橋を弱める可能性のある酵素処理を行うことなく、角膜内皮細胞単独シートを作製することができた。顕微鏡所見は正常ヒト角膜内皮の状態に類似しており、細胞密度は約3000~3500 cells/mm2であった。免疫染色にて内皮に発現するタンパクも確認された。

考察

角膜内皮機能不全の治療法として現在行われている角膜移植が持つ様々な問題点を克服するために、今回私は再生医療の技法を用いた治療法の開発を試みた。

検討した培養細胞DSAEKでは、播種、培養を経たHCECは生体の角膜内皮細胞に類似した形態を持っており、ウサギ眼における検討でも一定の有効性が確かめられた。培養HCEC移植は提供角膜をそのまま移植に用いるよりも、はるかに多くの患者の治療を行うことができる。さらに今回私が試みた方法は、現在臨床において市民権を得ている技法の応用であるため、安全性は高い上、手術手技のラーニングカーブを経る必要もない。新規の治療法を臨床に持ち込むに当たり、これは大きな利点といえる。

ただし臨床応用に向けては解決すべき問題もいくつか残っている。たとえば、ウサギ眼での検討にて角膜浮腫の消失までには至らず、この結果は再建角膜内皮の機能が不十分であることを示唆している。より細胞密度を上げるなど、培養細胞DSAEKグラフトの質を向上させることが望ましい。

こういった改善への努力は必要ではあるが、培養細胞DSAEKは、従前の報告に比べると、培養細胞を用いた角膜内皮機能不全の治療という大きな目的へかなり近づくことのできた方法であると考えている。今後も臨床応用へ向けた検討を重ねていきたい。

その上で今後の研究のさらなる発展の方向性を考えると、まずヒト角膜実質片よりも優れたキャリアの探索が挙げられる。そしてキャリアなしの培養HCEC単独シートは、より生理的な状態を達成できる。今回作製したシートは特殊な薬物や処置を必要とせずに作れるため、安全性という点でも優れている。今後移植法の工夫が必要であるが、培養HCEC移植の将来像として価値を持つものと考える。さらに移植用の細胞ソースは、将来的には自己組織から得られるよう、研究を進めていかねばならない。

今回の培養細胞DSAEKを中心とした研究成果が臨床応用へとつながり、再生医療の実用化への突破口のひとつとなれば、望外の喜びである。

図1 眼球水平断面における角膜の位置(左)と角膜の断面構造(右)

図2 水疱性角膜症 角膜浮腫のため角膜厚は増加し、透明性が低下している。

図3 前眼部断面図におけるDSAEKとPKPの図解 (左)DSAEKは幅4 mmほどの狭い切開創からグラフトを挿入して角膜裏面へ接着させる。 (右)PKPでは360°の切開によりレシピエント角膜を打ち抜き、グラフトを全周縫合する。

図4 スクレイプモデル 1週後(左)に見られた角膜浮腫は、2週後(右)には消失した。

図5 培養細胞DSAEKグラフトの組織切片 bar = 100 μm

図6 各挿入法による細胞脱落面積の比較

図7 グラフト挿入後、空気を注入して角膜裏面にグラフトを接着させた状態。

図8 術後28日時点での前眼部所見 (左)培養細胞DSAEK群 (右)コントロール群培養細胞DSAEK群では角膜浮腫の軽減が見られ、眼内の透見性も良い。

図9 術後角膜厚の推移 培養細胞DSAEK群(実線)では術後経過とともに角膜厚が低下し、術後21日、28日の時点ではコントロール群(点線)に比して有意差が見られる。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は、角膜内皮機能不全(水疱性角膜症)の現時点での唯一の治療法である角膜移植の問題点を解決するため、培養ヒト角膜内皮細胞(HCEC)を用いた臨床応用可能な治療法の開発を試みたものであり、下記の結果を得ている。

1. 治療法の検討に先立って行われた、不可逆、非炎症性の角膜内皮機能不全動物モデルを作る試みでは、安定したモデルの完成には至らなかったものの、生体内で分裂しないと従来考えられていたサルの内皮細胞が十分な分裂能を持ちうること、眼内炎症の強度と内皮機能の障害程度は不可分のものである可能性があることなど、水疱性角膜症の病態や角膜内皮細胞の生理について知る端緒になり得る結果が得られた。

2.近年臨床で普及しつつあるDescemet Stripping Automated Endothelial Keratoplasty (DSAEK) の技法を応用し、培養HCECをヒト角膜実質ディスクの上に播種、培養してDSAEKの手法で眼内へ培養HCECを移植する試み(培養細胞DSAEK)では、播種、培養を経たHCECはグラフト完成時の状態で、生体の角膜内皮細胞に類似した形態を持っていることが確かめられた。

3.培養細胞DSAEKにおいて、眼内挿入時の内皮細胞の損失を、新規に開発したex vivoのモデルを用いてシミュレーションし、引き込み法の方が折りたたみ方よりも有意に細胞の損失が少ないことを示した。

4.培養細胞DSAEKをウサギ眼において行い、術後28日間の検討では、重大な合併症はなく、コントロール眼に比して角膜浮腫を軽減させるという一定の有効性が示された。

5.さらに、より生理的で高い視機能が得られる、キャリアを用いない培養HCECシートの作製を試み、培養の足場を工夫することで、培養HCEC単独のシートを作ることに成功した。

以上、本論文は再生医療の技法を用いた角膜内皮機能不全治療法が動物実験レベルで有用であることを示し、その臨床応用の可能性を示唆したものである。現在も患者数が増え続けている角膜内皮機能不全の、より優れた治療法の開発に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

UTokyo Repositoryリンク