学位論文要旨



No 126052
著者(漢字) 藤屋,リカ
著者(英字)
著者(カナ) フジヤ,リカ
標題(和) 占領地パレスチナ・ヨルダン川西岸地区において、紛争、経済的要因が出産場所に及ぼした影響
標題(洋) The influence of conflict and economic factors on the place of birth in the West Bank of the occupied Palestinian territory
報告番号 126052
報告番号 甲26052
学位授与日 2010.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(保健学)
学位記番号 博医第3531号
研究科 医学系研究科
専攻 国際保健学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 北,潔
 東京大学 教授 甲斐,一郎
 東京大学 教授 水口,雅
 東京大学 教授 村嶋,幸代
 東京大学 准教授 梅崎,昌裕
内容要旨 要旨を表示する

背景

占領地パレスチナでは、人々は人間の安全保障への脅威に曝されている。特に2000年9月に勃発した第2次パレスチナ民衆蜂起以降、パレスチナは経済危機に陥り、その結果として、人々の健康は、紛争による直接被害と経済悪化などの間接被害の双方の影響を受けてきた。

占領地パレスチナにおいて、自宅出産は可能ではあるが安全でない選択である。そこでパレスチナ保健省は病院出産を推進してきた。ところが、第2次パレスチナ民衆蜂起以降、ヨルダン川西岸地区(以下、西岸地区)での自宅出産の増加が国際機関の報告書や医学雑誌に報告されるようになった。理由としてはイスラエル軍による西岸地区内での移動封鎖が指摘されている。しかし、出産場所の決定は様々な要因による影響を受け、移動封鎖だけで説明できるものではない。例えば、経済危機下においてパレスチナ保健省は2001年から新健康保険制度を導入し、この保険によって女性は公立病院では無料で出産できるようになった。これまでの私たちの研究では、紛争下の西岸地区の一都市ベツレヘムにおいて、パレスチナ人女性の出産場所に経済的要因が影響を与えることがわかっている。しかし、西岸地区全域を対象として出産場所と経済的要因や紛争の関係について調べられた量的な先行研究はほとんどされていない。

本研究では、西岸地区において、経済的要因:地域経済状況、出産費負担の軽減という経済的支援、経済ボイコットによる影響と、イスラエル軍による侵攻や移動制限が、出産場所に与えた影響について検討した。

方法

本研究は、西岸地区を対象とした。ただし、保健制度や医療アクセスの異なる東エルサレム地区は対象地区から除外した。パレスチナ保健省(The Palestinian Ministry of Health、以下 MOH)年次データ、パレスチナ人口保健調査2004(The Demographic and Heath Survey 2004、以下パレスチナDHS)、ベツレヘム聖家族病院(The Holy Family Hospital Bethlehem、以下HFH)月次データ、イスラエル軍の軍事侵攻に関して収集したデータを用いた。

MOHデータは、1999年から2005年のMOH年次報告書から収集した。出産場所別出産数(公立病院、私立病院、自宅)について、西岸地区全域及び地区別数を収集し、割合を計算した。独立変数としての経済指標は、世界銀行データから1999年から2005年の一人当たり国民総所得を収集した。収集したデータは以下の方法で分析した。(1)MOHが第2次パレスチナ民衆蜂起に伴い悪化した経済状況への対応として新健康保険システムを導入した2001年前後の公立病院での出産割合を比較分析した。(2)第2次パレスチナ民衆蜂起開始に伴いイスラエル軍による軍事移動封鎖の強化された2001年以降、特に都市部への大規模軍事侵攻のあった2002年前後の自宅出産割合を比較分析した。(3)1999年から2005年の一人当たり国民総所得と同期間の出産割合との相関関係を、公立病院、私立病院、自宅のそれぞれについて分析した。検定には、スピアマンの順位相関係数を用いた。

パレスチナDHSデータの内、本研究では、エルサレム地区を除く西岸地区在住の15-49歳の既婚女性であり、かつ過去3年間に出産歴のある者、さらに出産場所が不明な者を除いた1,144人を対象とした。

従属変数は、出産場所(公立病院、私立病院、自宅)とした。

まず、年齢、対象出産の年度、出産回数、重婚、教育、居住地域と、出産場所の関係を検討した。統計解析には、カイ二乗検定、数が少ないものはフィッシャーの直接法(Fisher's exact test)を用い、関係を検討した。

次に、出産場所の選択理由を検討した。パレスチナDHSは、出産場所を選択した理由を7つ挙げている。「イスラエルの影響で他の場所に到着することが困難」、「突然の出産」、「健康保険の所有あるいは安価」、「良質のサービス」、「医師の存在」、「他の場所では無理だった」、「その他」である。そしてこれらのなかから一つを選ぶ形式になっている。本研究では、出産場所ごとに出産を選択した理由について分析した。

HFHはベツレヘム市に位置し、ベツレヘム地区内で最大の産科サービスを提供する病院である。HFHデータは、対象地域は限定されている。しかし、イスラエル軍の侵攻や外出禁止令などの詳細な分析が可能である。そこでMOHデータやDHSデータの結果を、より詳細な証拠によって補完するためにHFHデータを分析した。HFHデータの収集は、1996年1月-2007年12月とし、月間出産数を求めた。

イスラエル軍の侵攻・外出禁止令に関するデータは、イスラエルの英字新聞ハーレツ紙及びパレスチナ赤新月社の報告から収集した。また、イスラエル及び欧米を中心とするパレスチナ支援国によるパレスチナ自治政府への経済ボイコットがもたらした公立病院職員のストライキのデータは、国連人道問題調整事務所の報告から収集した。

収集したデータは、以下の方法で分析した。(1) 2002年12月に開始した出産費の減額開始による出産数の変化について線形回帰モデルを用いて分析した。(2)2002年4月のイスラエル軍による侵攻・外出禁止令と出産数の変化の関係を変化の規模を用いて分析した。(3)イスラエル及び支援国によるパレスチナ自治政府への経済ボイコットによって引き起こされた公立病院職員のストライキとHFHでの出産数との関係をストライキ時期と通常期に分けて分析した。統計解析には、T検定を用い、平均差について分析した。

結果

MOH年次データ分析の結果、公立病院での出産割合は、MOHが紛争下の経済危機への対策として新健康保険制度の導入した後、西岸地区全域で上昇した(2000年導入前36.6%、2001年導入後45.6%)。

自宅出産の割合の年次推移については、軍事移動封鎖が厳しくなった2001年の西岸地区全域での自宅出産の割合は8.2%で、2000年の8.3%からほとんど変化はなかった。しかし、2001年の地区別の自宅出産の割合は、全9地区の内3地区において2000年に比べ増加した。イスラエル軍の大規模軍事侵攻があった2002年の西岸地区全域における自宅出産の割合は14.6%で、2001年に比べ著しく上昇した。その後、2003年は8.1%に減少した。

1999年から2005年における、経済指標である一人当たり国民総所得と出産場所別の出産割合の年次推移について比較したところ、一人当たり国民所得の減少は、私立病院での出産割合の減少と相関した(rs=0.79, P=0.04)。

パレスチナDHSデータ分析で対象とする1,144人の内、公立病院での出産は 571 人(49.9%) 、私立病院での出産は457人(40.0%)、自宅出産は71 人(6.2%)であった。公立病院で出産した女性 (571人)の内、389 人(68.1%) が 公立病院の選択理由として健康保険の所有あるいは安価を挙げていた。私立病院で出産した女性(457人) の内、 298 人(65.2%) は選択理由として良質のサービスを挙げた。自宅出産した女性(71人)の内、31人(43.7%)がイスラエルの影響で他の場所に到着することが困難を選択理由として挙げた。

HFHでの月次出産数は、出産費用を減額した2002年12月直後から増加した(Slope=15.61, 95%CI 12.76 to 18.45)。

イスラエル軍によりベツレヘム市内に外出禁止令が出された時期とHFHでの月次出産数との関連を分析した結果、HFHでの月次出産数に大幅な減少がみられたのは、イスラエル軍の大規模侵攻があった2002月4月のみであった。大規模軍事侵攻が終結した2002年5月は、HFHでの出産数は2002年4月以前とほぼ同様に戻った。他の外出禁止令の時期では大きな減少はみられなかった。また、出産費用の減額開始以降については、不定期に外出禁止令が続いていたにもかかわらず、出産数は増加した。

公立病院においてストライキがあった期間は、他の期間に比べて、HFHでの月次出産数は有意に多かった(Mean Difference=65.44, 95% CI 30.99-99.89)。

考察

本研究は、占領地パレスチナ・西岸地区では経済的要因や紛争によって、出産場所が変化することを指摘した。出産場所と出産場所の選択理由との関係において、自宅出産においては「イスラエルの影響で他の場所に到着することが困難」が、公立病院での出産に関しては「健康保険の所有あるいは安価」ということが、出産場所選択の決定因子であることが示唆された。また直接的な軍事攻撃下においては、その規模が大きい時のみ、病院へのアクセスが阻害され自宅出産は増加することが指摘された。

従来の報告では、イスラエル軍による移動制限によって自宅出産が増加するとされてきた。軍事移動封鎖が厳しくなった2001年に自宅出産の増加は一部の地域でのみ見られた。しかし、西岸地区全域ではほぼ同様であり、移動制限のみが出産場所を決める因子ではないことが示唆された。さらに、私立病院であるHFHのデータ分析の結果、外出禁止令が出されていたとしてもHFHが出産費を軽減することにより出産数は増加した。移動制限のなかにあっても、私立病院が出産を可能にする経済的な支援をすることによって、自宅に比べ安全な病院での出産を選択することが示唆された。

紛争による爆撃、銃撃戦といった直接的な人間の安全保障の脅威下において、その規模が大きい時に病院での出産は確かに阻害された。一方、移動制限、経済危機などの間接的な人間の安全保障の脅威下では、出産場所は、より安全な病院へと移った。これは脅威の影響が少ないのではなく、人々、地域社会、保健政策の努力によって、予測可能な悪い結果を回避するように判断された結果であると示唆された。

結論

病院出産から自宅出産への移行は安全とはいえない。しかし、紛争の規模が大きい時には出産そのような移行が生じた。また、予測できる危機下において、出産場所は、適切な手段を講じることによって安全な場所へと移行しうるものであることも示唆された。例えば新しい保険制度の導入や出産費の減額という経済的支援は、紛争による経済危機にある母子の健康を守る可能性があることがわかった。紛争地での研究は限られるなか、本研究の結果は、他の紛争地における出産に関する保健政策にも適用できる可能性がある。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は、2000年9月に始まった第2次パレスチナ民衆蜂起以降、イスラエルによる軍事封鎖による移動困難のため軍事検問所での出産や自宅出産の増加が報告されていた占領地パレスチナ・ヨルダン川西岸地区(以下、西岸地区)において、紛争や経済的な要因がパレスチナ人女性の出産場所に与えた影響を知ることを目的とした。そのために、1999 年から2005年のパレスチナ保健省(以下、MOH)の年次データ、2004年のパレスチナ自治区における人口保健調査(以下、パレスチナDHS)データ、1996年1月から2007年12月までのベツレヘム市にある私立産科病院の聖家族病院(以下、HFH)の月次データを分析して、以下の結果を得ている。

1. MOH年次データにおける公立病院の出産割合を分析した結果、2000年9月の第2次パレスチナ民衆蜂起勃発による経済悪化に伴いMOHが新健康保険制度を導入した後、公立病院での出産割合は、西岸地区全域で上昇した(2000年導入前36.6%、2001年導入後45.6%)。

2. MOH年次データにおける自宅出産の割合について分析した結果、軍事移動封鎖が厳しくなった2001年の西岸地区全域での自宅出産の割合は8.2%で、2000年の8.3%からほとんど変化はなかった。しかし、2001年の地区別の自宅出産の割合は、全9地区の内3地区において2000年に比べ増加した。イスラエル軍の大規模軍事侵攻があった2002年の西岸地区全域における自宅出産の割合は14.6%で2001年に比べ著しく上昇した。その後、2003年は8.1%に減少した。

3. 1999年から2005年における、経済指標である一人当たり国民総所得と出産場所別の出産割合の年次推移について比較したところ、一人当たり国民所得の減少は私立病院での出産割合の減少と相関した(rs=0.79, P=0.04)。

4. パレスチナDHSデータ分析で対象とする1,144人の内、公立病院での出産は 571 人(49.9%) 、私立病院での出産は457人(40.0%)、自宅出産は71 人(6.2%)だった。公立病院で出産した女性 (571人)の内、389 人(68.1%) が 公立病院の選択理由として「健康保険の所有あるいは安価」を挙げていた。私立病院で出産した女性(457人) の内、 298 人(65.2%) は選択理由として「良質のサービス」を挙げた。自宅出産した女性(71人)の内、31人(43.7%)が「イスラエルの影響で他の場所に到着することが困難」を選択理由として挙げた。

5. HFHでの月次出産数は、出産費用を減額した2002年12月直後から増加した(Slope=15.61, 95%CI 12.76 to 18.45)。

6. イスラエル軍によりベツレヘム市内に外出禁止令が出された時期とHFHでの月次出産数との関連を分析した結果、HFHでの月次出産数に大幅な減少がみられたのは、イスラエル軍の大規模侵攻があった2002月4月のみであった。大規模軍事侵攻が終結した2002年5月は、HFHでの出産数は2002年4月以前とほぼ同様に戻った。他の外出禁止令の時期では大きな減少はみられなかった。また、出産費用の減額開始以降については、不定期に外出禁止令が続いていたにもかかわらず、出産数は増加した。

7. 国際社会によるパレスチナ自治政府に対するボイコットにより自治政府は経済危機に陥り、公務員の給与未払いのため公立病院においても職員のストライキが発生した。HFHの月次出産数を分析したところ、ストライキのあった期間は、他の期間に比べて、有意に出産数が多かった (Mean Difference=65.44, 95% CI 30.99-99.89)。

以上、本論文では、病院出産から安全な出産とはいえない自宅出産への移行が、紛争の規模が大きい時には生じていたことを示した。また、予測できる危機下において、出産場所は、適切な手段を講じることによって安全な場所へと移行しうるものであることも示唆された。本研究の結果は、他の紛争地における出産に関する保健政策にも貢献できる可能性があり、学位授与に値すると考えられる。

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