学位論文要旨



No 126054
著者(漢字) 粟野,睦美
著者(英字)
著者(カナ) アワノ,ムツミ
標題(和) 線虫コハク酸-ユビキノン酸化還元酵素(複合体II)シトクロムb変異株mev-1の生化学的解析
標題(洋)
報告番号 126054
報告番号 甲26054
学位授与日 2010.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(保健学)
学位記番号 博医第3533号
研究科 医学系研究科
専攻 国際保健学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 徳永,勝士
 東京大学 准教授 大海,忍
 東京大学 准教授 大迫,誠一郎
 東京大学 准教授 田中,輝幸
 東京大学 准教授 馬淵,昭彦
内容要旨 要旨を表示する

線虫Caenorabditis elegans (C.elegans) 変異株mev-1はミトコンドリア電子伝達系に存在するコハク酸-ユビキノン酸化還元酵素(複合体II)のシトクロムb大サブユニットに点変異を持つ変異体である。mev-1は短寿命、酸素高感受性、ミトコンドリアにおける活性酸素種(Reactive oxygen species, ROS)の過剰産生を示し、酸素により早期から老化が進行する変異体である。最近、線虫mev-1と同様の部位に変異を導入したトランスジェニックマウス細胞株、酵母およびショウジョウバエが作成され、これらの変異体もmev-1と同様に酸素ストレス高感受性、ROS過剰発生を表現形として示すことが報告されている。さらにトランスジェニックマウスの細胞株の解析ではアポトーシスの増加、腫瘍の形成が報告されており、C. elegansだけではなく、哺乳類においても活性酸素種の増大、老化の加速さらにアポトーシスや腫瘍形成における複合体IIの重要性が確認されている。現在、これら変異体の解析は表現形の解析が主であり、変異が存在する複合体II自体の生化学的解析は殆ど行われていない。mev-1の複合体IIの生化学的特徴を明らかにすることは複合体IIの変異が表現型に至る分子機構を解析するために重要であると考えられる。そこで本研究ではmev-1複合体IIの生化学的特徴に焦点を絞り解析を行った。

1. mev-1複合体IIのサブユニット構成およびヘムの解析

mev-1複合体IIのサブユニット構成およびヘムの結合を解析するため、C. elegansから複合体IIの精製を試みた。

C. elegans野生型複合体IIの精製ではDEAE-sepharose FF 、SOURCE 15Q を用いた2段階のクロマトグラフィーにより、1回の精製で約200 mgのミトコンドリアから0.5 mgの部分精製された試料を得る事ができる。精製試料中の複合体IIの活性はSDH活性で16.2倍、SQR活性で11.5倍上昇し、比活性はSQR活性で3.6 (μmol/min/mg)まで上昇した。また、得られた標品を用いて、C. elegansでは初めて複合体IIの4つのサブユニットに対応したバンドをSDS-PAGEで同定した。得られた部分精製標品の酸化還元差スペクトルにおいてシトクロムb に特徴的なα、β、γの3つのピークがそれぞれ561.8 nm、530 nm、426.6 nm に観察され、C. elegansの複合体IIはbタイプのヘムを持つことが明らかになった。

mev-1の複合体IIの精製では一段階目のDEAE-sepharose FFを用いたクロマトグラフィーにおいてFp、IpサブユニットとCybLサブユニットが異なる画分に回収され、さらにSQR活性の殆ど全てが失われ、以後の精製を断念した。この結果からmev-1の変異がこれらのサブユニット間の相互作用に影響を及ぼしている可能性が示された。

mev-1複合体IIサブユニット構成およびヘムの結合については、高解像度クリアネイティブ電気泳動法 (high-resolution clear native electrophoresis: hrCNE)を用いて解析を継続した。hrCNE後のSDH活性染色の結果、高分子側と低分子側に2つの複合体IIが検出された(図1A)。二次元電気泳動後の銀染色とウェスタンブロッティングの結果から、これら2つのバンドから複合体IIの4つのスポットが同定され、mev-1の複合体IIがミトコンドリア内において4つのサブユニットが複合体を形成していることが示された(図1C)。

複合体IIに対するヘムの結合をhrCNE後のヘム染色にて解析したところ、高分子側の複合体IIについては野生型およびmev-1でヘムのシグナルが検出されmev-1複合体IIはヘムを保持していることが示された(図1B)。一方、低分子側の複合体IIについてはmev-1変異体のヘムのシグナルが検出されなかった。二次元電気泳動後のウェスタンブロッティングの結果より、野生型と比較し、mev-1では低分子側の位置に存在するCybLサブユニットのスポットの量が少ないことから、サブユニットの解離とともにヘムも遊離した可能性が考えられる(図1C)。

これらの結果よりmev-1複合体IIはミトコンドリア内では4つのサブユニットを持ち、補欠分子族のヘムを保持していることが示された。また、精製およびhrCNEの解析を通してmev-1複合体IIはサブユニット間の相互作用が不安定であり、解離し易い性質を持つことが示された。

2. mev-1複合体IIのキノン結合に関する生化学的解析

最近、大腸菌およびブタにおいて複合体IIの結晶構造解析が報告され、複合体IIの電子受容体であるユビキノンの結合部位に関与する残基が特定された。キノン結合部位の配列は種を通じて保存されており、配列の比較からmev-1の点変異はユビキノンの結合および還元に直接関与するセリン残基の隣に存在するグリシンがグルタミン酸に変化していることが報告されている。これらのことからmev-1の変異がSQRの電子受容体であるユビキノンの結合部位に影響を及ぼしていることが推測される。mev-1の変異が複合体IIのユビキノン結合部位に与える影響を調べるため、複合体IIのキノン結合部位特異的な阻害剤であるアトペニンA5およびフルトラニルを用いた阻害実験と、ユビキノンに対する親和性の解析を行った。

UQ1を用いた速度論的解析を行いKm値を求めたところ、mev-1では野生型と比較し2.5倍上昇していることから、基質であるUQ1 に対する親和性が低下していることが示された(表1)。アトペニンA5およびフルトラニルによるSQR活性の阻害を解析したところ、mev-1ではIC50の値が野生型と比較しそれぞれ53倍と22倍の上昇がみられた(表1)。この様にキノン結合部位に結合する阻害剤に対するmev-1複合体IIの親和性が野生型と比較し非常に低下していることが示された。これらの結果から、mev-1の変異がキノン結合部位の立体構造を変化させることでユビキノンの結合および還元を阻害していることが示された。

3. mev-1変異体電子伝達系におけるROS発生機構の解析

mev-1変異体では電子伝達系からのROSの発生が増大していることが報告されており、ROSが変異型複合体IIから産生されている可能性が強く示唆されている。しかし、実際に変異型複合体IIからROSの発生が増大していることを示した報告はなく、ROS発生機構については明らかにされていない。また、mev-1変異体では抗酸化物質の濃度が低下していることから、検出されたROS発生量の増大は、発生量の増加によるものか、抗酸化能の低下による見かけ上の増加によるものか不明であった。そこで、凍結融解によりROS消去活性を除去したミトコンドリア膜画分を調製し、コハク酸濃度依存的なスーパーオキシドの発生量を解析した。

その結果、野生型およびmev-1においてコハク酸濃度依存的なスーパーオキシドの発生量には差が見られずmev-1の電子伝達系は野生型と同等のROSの発生を行うことが示された(図2)。また、スーパーオキシドの発生量はコハク酸濃度が0.02 mMから0.2 mMと増加するにしたがって増加が見られ、0.5 mMより高濃度のコハク酸を加えると抑制された。この結果は大腸菌FRDにおけるFADからのスーパーオキシドの発生モデルと一致しており、C. elegans複合体IIにおけるROS発生部位がFADである可能性が示唆された。今回の結果はin vitroにおいて変異型酵素を含む電子伝達系からのROS発生量が野生型と差がないことを示している。この結果から、mev-1でのROS発生量の増加は変異型酵素からの過剰産生によるものではなく、複合体IIの機能低下により引き起こされた代謝系の異常や細胞内環境の変化により誘導された結果である可能性が示唆された。

結語

本研究ではmev-1複合体IIの生化学的特性に焦点を絞り解析を行った。まず、mev-1変異体の複合体IIがミトコンドリア中では酵素として基本的なサブユニット構成およびヘムを持つものの、複合体として不安定な性状であることを明らかにした。また、基質であるユビキノンとユビキノン結合部位特異的な阻害剤に対する親和性が低下しSQR活性の低下を引き起こしていることを示した。さらにmev-1の電子伝達系におけるROS産生量は野生型と同等であった。この結果から、複合体IIの変異により引き起こされる代謝系の変化や細胞内環境の変化によりROS産生が誘導されている可能性を示唆した。図3に、本研究で明らかにしたmev-1複合体IIの生化学的な特性をまとめた。

図1. 高解像度クリアネイティブ電気泳動法(hrCNE)によるサブユニット構成およびヘムの解析

hrCNEを行ったゲルをA.SDH活性染色、B.ヘム染色によりそれぞれ染色した。Purified N2: SOUCE 15Q 精製画分、N2、 mev-1: ミトコンドリア可溶化画分、IIH:複合体II高分子側、 IIL:複合体II低分子側、III:複合体III。C.二次元電気泳動(一次元目:hrCNE、二次元目:SDS-PAGE)を行った後、複合体IIのサブユニットをウェスタンブロッティングにより検出した。SDH act: 一次元目のhrCNEのゲルをSDH活性染色したもの。矢頭にて示したCybLはFp,Ipサブユニットから乖離したものと考えられる。

表1. mev-1複合体IIのユビキノンに対するKm値および、ユビキノン結合部位特異的阻害剤に対するIC50値。

図2. コハク酸濃度依存的なミドコンドリア電子伝達系からのスーパーオキシドの発生

○mev-1変異体。●野生型

図3. mev-1 複合体IIの生化学的特性

審査要旨 要旨を表示する

本研究は短寿命、酸素高感受性、活性酸素種過剰産生などの様々な表現型を持つ線虫変異株mev-1を用い、原因遺伝子より生合成される変異型複合体IIの生化学的解析を行い、以下の結果を得ている。

1.mev-1複合体IIのサブユニット構成および補欠分子族であるヘムの結合を解析するため、C. elegansから野生型および変異型の複合体IIの精製を試みた。野生型ではC. elegansで初めてSDS-PAGE後のCBB染色にて複合体IIの4つのサブユニットに対応したバンドを検出した。さらにスペクトル解析からC. elegansの複合体IIにbタイプのヘムの結合を検出した。mev-1複合体IIは可溶化および精製の過程においてFp、Ipサブユニットとアンカーサブユニット間の解離がおこり4つのサブユニットを保持する複合体IIを精製することはできなかった。高解像度クリアネイティブ電気泳動法とSDS-PAGEを用いた二次元電気泳動およびウェスタンブロッティングによる解析から、野生型およびmev-1変異体の複合体IIのサブユニットの検出を行い、4つのサブユニットを保持したmev-1複合体IIの検出に成功した。さらに高解像度クリアネイティブ電気泳動後のヘム染色によりmev-1複合体IIに結合したヘムを検出した。これらの結果から、mev-1複合体IIはミトコンドリア内において4つのサブユニットと補欠分子族であるヘムを保持し、複合体IIの基本的な構成を持つことを明らかにした。

2.mev-1の変異がキノン結合部位に与える影響を調べるため、ミトコンドリア試料を用いてUQ1を用いた速度論的解析を行いKm値を求めたところ、mev-1では野生型と比較し2.5倍上昇していることから、基質であるUQ1 に対する親和性が低下していることが示された。アトペニンA5およびフルトラニルによるSQR活性の阻害を解析したところ、mev-1ではIC50の値が野生型と比較しそれぞれ53倍と22倍の上昇がみられ、キノン結合部位に結合する阻害剤に対するmev-1複合体IIの親和性が野生型と比較し非常に低下していることが示された。これらの結果から、mev-1の変異がキノン結合部位の立体構造を変化させることでユビキノンの結合および還元を阻害していることが示された。

3.mev-1複合体IIからのコハク酸濃度依存的なスーパーオキシドの発生を解析したところ、mev-1複合体IIは野生型複合体IIとほぼ同じプロファイルを示し、mev-1複合体IIではin vitroにおいてROS過剰産生が起きないことが示された。さらに高濃度のコハク酸によりスーパーオキシドの発生が抑制されたことから、FADがC. elegans複合体IIの主要なスーパーオキシド発生部位であることが強く示唆された。

以上、本論文はmev-1複合体IIの生化学的特性を明らかにした。本研究で明らかにした変異型複合体IIの生化学的特性は複合体IIの変異により引き起こされるヒトの腫瘍形成やミトコンドリア病などの解明に応用することが可能であり、学位の授与に値するものと考えられる。

UTokyo Repositoryリンク