学位論文要旨



No 126060
著者(漢字) 新倉,保
著者(英字)
著者(カナ) ニイクラ,マモル
標題(和) マラリアにおける病態重症化の抑制に関する研究
標題(洋) Coinfection with nonlethal malaria parasites suppresses pathogenesis caused by lethal parasites.
報告番号 126060
報告番号 甲26060
学位授与日 2010.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(保健学)
学位記番号 博医第3539号
研究科 医学系研究科
専攻 国際保健学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 徳永,勝士
 東京大学 教授 岩本,愛吉
 東京大学 准教授 馬淵,昭彦
 東京大学 准教授 田中,輝幸
 東京大学 教授 岩倉,洋一郎
内容要旨 要旨を表示する

[序論]

マラリアは、熱帯病の中で最大の感染者を有する原虫感染症であり、小児を中心に年間100万人以上がその犠牲となっている。ヒトに感染するマラリア原虫には悪性の熱帯熱マラリア原虫と、比較的良好な経過をたどる三日熱、四日熱、卵形マラリア原虫の4種類が存在する。熱帯熱マラリア原虫は病態の重症化(脳マラリア、急性腎不全、重症貧血及び肝傷害などの発症)を引き起こすことによって宿主に致命的な障害を与える。特に脳マラリアは致死率が高く、マラリアにおける主な死亡原因の一つとなっている。熱帯熱マラリア原虫による病態の重症化は、マラリア原虫に対する免疫を有しない生後5歳以下の小児及び非流行地からの旅行者で起こりやすい。

以前より流行地では熱帯熱マラリア原虫と三日熱マラリア原虫との複合感染が報告されており、この複合感染では熱帯熱マラリア原虫が引き起こす病態の重症化が抑制されることがあると報告されている(Maitland et al. Parasitol. Today 1997)。しかし、この抑制機構は解明されていない。そこで本研究では、この複合感染による病態重症化の抑制機構を解析するにあたり、異種のマラリア原虫が存在することによって宿主免疫反応が変化し、病態を抑制していると推測した。

脳マラリアの発症には、TNF-αやIFN-γなどの炎症性サイトカインやCD8T細胞が関与することが広く知られている (Hunt et al. Trends Immunol. 2003)。このことから複合感染では、発症に関わるIFN-γやTNF-αなどの炎症性サイトカイン産生が抑制されることによって、脳マラリアの発症が抑制されているのではないかと推測した。そこで、この宿主免疫反応の変化による抑制機構についてマウスマラリア原虫を用いて解析することを試みた。

[材料と方法(1) 供試原虫Plasmodium berghei (Pb) ANKA、Pb NK65、Pb XATについて]

マウスマラリア原虫のうちPlasmodium berghei (Pb) ANKA は致死性株であり、宿主であるマウスに感染するとヒト脳マラリアと類似する症状を引き起こすことから、ヒト脳マラリア研究のモデルとして多用されている。これまでに、様々なKOマウスを用いた研究成果からマウス脳マラリアの発症にはIFN-γおよびCD8陽性 T細胞などが関与することが明らかにされている(Grau et al. Proc. Natl. Acad. Sci. U. S. A. 1989; Rudin et al. Am. J. Pathol. 1997)。

Pb NK65はマウスに感染すると重度の原虫血症、重症貧血、体重減少および肝傷害を引き起こす致死性株である。Pb NK65が引き起こす肝傷害にはToll Like Receptor 9、 IL-12、IFN-γ、CD8陽性 T細胞が関与することが明らかとなっている (Yoshimoto et al. J. Immunol. 1998; Adachi et al. J. Immunol. 2001)。Pb ANKAが引き起こす脳マラリア同様、 Pb NK65感染宿主体内でも過剰炎症が誘導され、病態発症に関与していると推測される。

Pb XATは、Pb NK65に放射線照射して分離された非致死性株で、マウスに感染するとは非常に低レベルの原虫血症を引き起こすが、感染4週後には自然治癒する。Pb XAT感染の間、脳マラリアなどの病態は引き起こさない。

[材料と方法(2) 原虫接種法]

これらの原虫を、単独感染ではそれぞれ1×104の感染赤血球を感染させた。複合感染では致死性株と非致死性株をそれぞれ1×104ずつ、計2×104の感染赤血球を感染させた。

[結果1:マウスマラリア原虫非致死性株との複合感染は、Pb NK65致死性株感染による肝傷害を抑制する]

Pb NK65単独感染マウスは急激な原虫血症の上昇と体重減少を引き起こし、早期に死亡した。一方、Pb NK65とPb XATとの複合感染マウスでは、Pb NK65単独感染マウスで認められた急激な原虫血症の上昇が抑制され、生存期間が延長した。これらの感染マウスの感染後9日目の肝臓を解析した結果、Pb NK65単独感染マウスでは肝細胞の壊死と白血球の浸潤が認められた。血清中では肝傷害の指標であるASTおよびALTが著しく増加しており、IFN-γの著しい産生増加が認められた。これに対して、複合感染マウスでは肝組織への白血球の浸潤が認められたが、肝細胞の壊死は抑制されていた。また、複合感染マウスではPb NK65単独感染マウスと比較して血清中ALTの増加は抑制され、IFN-γの産生も抑制されていた。さらに、脾臓中のCD4陽性T細胞について解析した結果、Pb NK65単独感染マウスの脾臓中ではCD4陽性T細胞の増加が認められなかった。一方、複合感染マウスの脾臓中ではCD4陽性T細胞の増加が認められ、Pb XAT単独感染マウスとほぼ同程度のCD4陽性T細胞の増加を示した。

IL-10はIFN-γなどの炎症性サイトカインの産生を抑制することが報告されている (Mosmann et al. Immunol. Today 1991, Xu et al. J. Immunol. 2001)。そこで、感染後9日目の脾臓におけるIL-10 mRNAの解析を行った。解析の結果、Pb NK65単独感染マウスと比較して、複合感染マウスで炎症抑制性サイトカインであるIL-10が有意に増加していたことから、IL-10が肝傷害の抑制に関与していると推測された。この推測をIL-10KOマウスで検証した結果、WTで認められた複合感染による生存期間の延長効果はIL-10 KOマウスでは認められなかった。また、WTマウスでの複合感染では肝組織の傷害が抑制されていたのに対して、IL-10 KOマウスでの複合感染では広範囲な肝組織の壊死を伴う肝傷害を引き起こした。これらの結果から、マウスマラリア原虫複合感染による肝傷害抑制効果にはIL-10が関与することが示唆された (Niikura et al. J. Immunol., 2008.)。

[結果2:Pb ANKAが引き起こす脳マラリアは、非致死性株マラリア原虫との複合感染によって抑制される]

Pb ANKA単独感染マウスでは感染初期に原虫血症が増悪し、マウスは早期に死亡した。一方で、Pb ANKAとPb XATとの複合感染マウスでは感染初期の原虫血症の増悪が抑制され、生存期間が大幅に延長した。これらのマウスについて脳の病理解析を行った結果、Pb ANKA単独感染マウスでは典型的な脳マラリアの症状である脳出血が認められ、血管内には感染赤血球が観察されたが、複合感染マウスでは脳マラリアの症状は全く認められず、発症することはなかった。脳マラリアの発症に関わるサイトカインであるTNF-αやIFN-γについて解析したところ、Pb ANKA単独感染後6日目の血清中で高レベルのTNF-αとIFN-γの産生が認められた。一方、複合感染後6日目の血清中ではこれらのサイトカイン産生が抑制されており、弱毒株であるPb XATと同様のレベルを示した。

マウスマラリア原虫複合感染による肝傷害抑制効果にはIL-10が関与することから (Niikura et al. J. Immunol., 2008.)、複合感染による脳マラリアの抑制にも同様にIL-10が関与している可能性があると推測し、IL-10KOマウスを用いて解析した。その結果、複合感染させたWTマウスで認められる生存期間延長効果は、IL-10KOマウスで消失し、マウスは早期に死亡した。これらの複合感染させたマウスについて脳の病理解析を行ったところ、複合感染させたIL-10KOマウスで、典型的な脳マラリアの症状である脳出血が認められ、血管内には感染赤血球が観察された。また、感染後6日目の血清中TNF-α、IFN-γの産生はWTマウスと比較して高レベルであることが示された。これらのことからマラリア原虫複合感染による脳マラリアの抑制にもIL-10が非常に重要な役割を果たしていることが示唆された (Niikura et al. I. J. P., 2009.)。

[考察]

致死性株単独感染では炎症性サイトカインが過剰に誘導されることによって脳マラリアや肝傷害を引き起こし、マウスは死亡する。一方で、致死性株と非致死性株との複合感染マウスでは、炎症性サイトカインの産生が抑制され、その結果、脳マラリアや肝傷害の発症は抑制された。しかし、IL-10KOマウスでは炎症性サイトカインの産生を抑制できず、脳マラリアや肝傷害を発症した。以上の結果から、マウスマラリア原虫複合感染による病態抑制効果は、非致死性株が宿主免疫応答を修飾させることによって誘導されることが示唆された。

世界各地で報告されている多剤耐性熱帯熱マラリア原虫の存在と拡散は、致死的な経過をたどる熱帯熱マラリア原虫感染に対して治療を行う際に非常に深刻な問題となってきている。一方で、最も致死性の高い脳マラリアの発症には免疫学的機構が関わることから、宿主免疫応答を修飾させることによって脳マラリアの発症を抑制できる可能性がある。申請者のこれまでの実験により、マウスマラリア原虫複合感染モデルは、熱帯熱マラリア原虫が引き起こす脳マラリアを抑制する機構の解析に適した実験モデルであると考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

熱帯熱マラリア原虫は、ヒトに感染すると脳マラリア、急性腎不全、重症貧血及び肝傷害などを引き起こし、宿主に致命的な障害を与えることから悪性のマラリア原虫と呼ばれている。一方で、三日熱マラリア原虫は、その感染によって病態が重症化することは稀であることから、良性のマラリア原虫と呼ばれている。悪性マラリア原虫と良性マラリア原虫が複合感染している場合、病態の重症化が抑制されることが知られている。しかし、その抑制機序や抑制に関わる因子については殆ど解明されていない。

そこで申請者は、まず、悪性マラリア原虫と良性マラリア原虫が複合感染している場合、良性のマラリア原虫は脳マラリアおよび肝傷害の発症に関わる宿主免疫反応を変化させるという仮説をたて、マウスマラリア原虫を用いて複合感染における宿主免疫反応の変化について解析した。

ヒトの脳マラリアは抗炎症性サイトカインであるIL-10によって抑制される。一方、マラリア原虫複合感染による脳マラリアおよび肝傷害の抑制にIL-10が関与しているかどうかは明らかではない。そこで申請者は、次に、マラリア原虫複合感染による病態重症化の抑制にはIL-10が関与するとの仮説をたて、マウスマラリア原虫を用いて解析した。その結果、下記の結果が示された。

1. 宿主に肝傷害を引き起こす致死性のPb NK65と、Pb NK65に放射線照射して分離された非致死性のPb XATを用いて、マウスマラリア原虫複合感染による肝傷害抑制モデルの確立を試みた。Pb NK65単独感染マウスは急激な原虫血症の上昇と体重減少を引き起こし、早期に死亡した。一方、Pb NK65とPb XATとの複合感染マウスでは、Pb NK65単独感染マウスで認められた急激な原虫血症の上昇が抑制され、生存期間が延長することが示された。

2. Pb NK65とPb XATとの複合感染における肝傷害の抑制効果について解析を行った。その結果、Pb NK65単独感染マウスでは肝細胞の壊死と白血球の浸潤が認められ、血清中では肝傷害の指標であるASTおよびALTが著しい増加が認められた。これに対して、複合感染マウスでは肝組織への白血球の浸潤が認められたが、肝細胞の壊死は抑制されていた。また、複合感染マウスではPb NK65単独感染マウスと比較して血清中ALTの増加は抑制されていた。この結果から、マウスマラリア原虫複合感染によって肝傷害が完全に抑制されることが示され、肝傷害抑制モデルが確立された。

3. これらの複合感染マウスについて肝傷害の発症に関わるサイトカインであるIFN-γについて解析したところ、Pb NK65単独感染マウスの血清中で高レベルのIFN-γの産生が認められたが、複合感染マウスの血清中ではIFN-γの産生が抑制されており、Pb XAT単独感染マウスと同レベルであることが示された。

4. 脾臓中のCD4陽性T細胞について解析した結果、Pb NK65単独感染マウスの脾臓中ではCD4陽性T細胞の増加が認められなかった。一方、複合感染マウスの脾臓中ではCD4陽性T細胞の増加が認められ、その増加はPb XAT単独感染マウスとほぼ同程度であることが示された。また、Pb NK65単独感染マウスと比較して、複合感染マウスの脾臓中で炎症抑制性サイトカインであるIL-10が有意に増加しており、Pb XAT単独感染マウスと同レベルであることが示された。これらの結果から、IL-10はPb XATが宿主免疫応答を修飾させることによって誘導されることが示唆された。

5. 複合感染させたWTマウスで認められた生存期間の延長効果は、複合感染させたIL-10 KOマウスでは認められなかった。また、複合感染させたWTマウスでは肝傷害が抑制されていたのに対し、複合感染させたIL-10 KOマウスでは肝傷害を引き起こした。これらの結果から、マウスマラリア原虫複合感染による肝傷害抑制効果にはIL-10が関与することが示された。

6. 複合感染させたWTマウスは感染後期に原虫血症の増悪と重症貧血を引き起こし、感染後24日以内に全てのマウスが死亡した。一方で、Pb XAT単独感染マウスは自然治癒し、全てのPb XAT単独感染マウスは生存した。感染後期において、複合感染させたWTマウスの血清中で高レベルのIL-10の産生が認められたが、Pb XAT単独感染マウスの血清中ではIL-10の増加は認められなかった。複合感染させたIL-10KOマウスは、WTマウスと比較して感染後期の原虫血症が軽快していたことから、感染後期でIL-10はマラリア原虫の排除に関わる防御免疫を抑制する可能性があることが示された。

7. 宿主に脳マラリアを引き起こす致死性のPb ANKAと、非致死性のPb XATを用いて、マウスマラリア原虫複合感染による脳マラリア抑制モデルの確立を試みた。Pb ANKA単独感染マウスでは感染初期に原虫血症が増悪し、マウスは早期に死亡した。一方で、Pb ANKAとPb XATとの複合感染マウスでは感染初期の原虫血症の増悪が抑制され、生存期間が大幅に延長することが示された。

8. Pb ANKA単独感染マウスでは典型的な脳マラリアの症状である脳出血が認められ、血管内には感染赤血球が観察されたが、複合感染マウスでは脳マラリアの症状は全く認められず、発症することはなかった。この結果から、マウスマラリア原虫複合感染によって完全に脳マラリアが抑制されることが示され、脳マラリア抑制モデルが確立された。

9. 脳マラリアの発症に関わるサイトカインであるIFN-γについて解析したところ、Pb ANKA単独感染マウスの血清中で高レベルのIFN-γの産生が認められた。一方、複合感染マウスの血清中ではIFN-γの産生が抑制されており、Pb XAT単独感染マウスと同レベルであることが示された。

10. 複合感染させたWTマウスで認められる生存期間延長効果は、複合感染させたIL-10KOマウスで消失し、マウスは早期に死亡した。これらの複合感染させたマウスについて脳の病理解析を行ったところ、複合感染させたIL-10KOマウスで、典型的な脳マラリアの症状である脳出血が認められ、血管内には感染赤血球が観察された。また、血清中のTNF-α、IFN-γの産生はWTマウスと比較して高レベルであることが示された。これらのことからマラリア原虫複合感染による脳マラリアの抑制にIL-10が重要な役割を果たしていることが示された。

以上、本論文は、マウスマラリア原虫複合感染による脳マラリアおよび肝傷害抑制モデルを用いることによって、マラリア原虫複合感染による脳マラリアおよび肝傷害の抑制効果には抗炎症性サイトカインであるIL-10が非常に重要な役割を果たしていることを明らかにした。また、IL-10は良性のマラリア原虫が宿主免疫応答を変化させることによって誘導されることが示唆された。一方で、本論文はIL-10がマラリア原虫の排除に関わる防御免疫も抑制することを示唆している。これらの成果は、マラリア原虫防御免疫における抗炎症性サイトカインの意義と役割の理解に寄与すると考えられる。

マラリア原虫複合感染による脳マラリアおよび肝傷害抑制効果に関与する因子は、これまで特定されていない。マラリア原虫複合感染による脳マラリアおよび肝傷害抑制効果にIL-10が関与することを明確に示したのは本論文が初めてであり、本研究の成果は学位の授与に値するものと考えられる。

UTokyo Repositoryリンク