学位論文要旨



No 126061
著者(漢字) 原田,倫世
著者(英字)
著者(カナ) ハラダ,ミチヨ
標題(和) クリプトスポリジウムのシアン耐性酸化酵素(AOX)及びマイトソーム呼吸鎖の生化学的解析
標題(洋)
報告番号 126061
報告番号 甲26061
学位授与日 2010.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(保健学)
学位記番号 博医第3540号
研究科 医学系研究科
専攻 国際保健学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 徳永,勝士
 東京大学 教授 吉田,謙一
 東京大学 准教授 梅崎,昌裕
 東京大学 准教授 田中,輝幸
 東京大学 特任教授 野本,明男
内容要旨 要旨を表示する

クリプトスポリジウム症は水様性下痢を主徴とする。後天性免疫不全症候群(AIDS、エイズ)感染の拡大とともに重要性が再認識され、1976年には世界保健機関により新興・再興感染症に指定された日和見感染症である。エイズ患者などの免疫不全者や老人にはしばしば致死的となるが、健常人にとっても自然治癒するまでの10日~2 週間は激しい下痢に襲われる。飲料水やプール利用に起因する水系感染が世界各地で報告されている。また、人畜共通感染症であるため家畜、特に子ウシに対する経済的被害も深刻であるが、現在効果的な薬剤がない。

クリプトスポリジウム症の病原体はクリプトスポリジウムである。クリプトスポリジウム属の研究モデルとしてCryptosporidium parvum が用いられており、腸管微絨毛の上皮細胞に寄生し、同一宿主内で無性生殖と有性生殖を繰り返しながら増殖する。TCA回路及び呼吸鎖複合体をコードする遺伝子がゲノム上に見出されず、解糖系によりATP産生を行うと考えられている。ATP生産を行わず、ゲノムを持たない二重膜オルガネラをマイトソームと呼ぶ。マイトソームはミトコンドリアが縮退したものであり、いくつかの嫌気性微生物に存在するが、クリプトスポリジウムにはマイトソームが存在する。

植物、菌類、緑藻類、原生動物にみられるシアン耐性酸化酵素(Alternative oxidase, AOX)はミトコンドリア呼吸鎖シトクロムc酸化酵素に対する代替末端酸化酵素であり、ミトコンドリア内膜内外のプロトン濃度勾配の形成に関与しない。クリプトスポリジウムはAOX遺伝子をゲノム上にコードし、その組換えタンパク質がシアン耐性ユビキノール酸化酵素活性を持ち、アスコフラノン(ascofuranone, AF)により極めて低濃度(IC50=0.3 nM)で阻害することが私の所属するグループにより報告されてきた。さらに予備的な実験によりAFはC. parvumの増殖抑制及び感染免疫不全マウスに対する治癒効果を示すことから、AFはクリプトスポリジウム症に対する新規薬剤として期待され、AOXは原虫の増殖に必須であると考えられる。

本研究では免疫不全マウスへの感染の条件・細胞破砕法・細胞分画法を検討することによりマイトソーム調製法を確立し、AOXの生化学的解析を行った。また薬剤開発を見据え、AF誘導体の構造活性相関解析を行うことによって、AOXの阻害に必要なAFの構造を検討した。

1.生化学的解析のためのC. parvum実験系の確立

C. parvumはHNJ-1株を用い、免疫不全状態にあるSever combined immunodeficiencyマウス(SCIDマウス)により継代した。感染接合子嚢であるオーシストはマウス糞便を回収し、ショ糖浮遊法及び塩化セシウム密度勾配遠心法により精製した。生化学的解析のために充分な研究試料を得るために、SCIDマウスへのオーシストの感染時期や接種量の最適化を行ったところ、5週齢のマウスに1×105 オーシストを感染させた場合にマウス20匹の糞便から従来の2倍に相当する約2×109個の原虫を得ることが可能となった。マウス一匹あたりのオーシストの回収量が増えたことはSCIDマウスが高価なことに加えて、動物への愛護の観点からも有用である。

続いてC. parvum の細胞破砕法として、以下の5つの方法、すなわち1) 超音波破砕、2) ビーズビーターによるビーズ破砕、3) シリコンカーバイドの粉末によるホモジナイズ、4) ダウンス型ガラスホモジナイザーを用いた破砕、5) ガラスビーズを含む1.7 ml プラスチックチューブ内でのペッスルによるホモジナイズによる方法を検討した。細胞破砕後に900 × g, 10 分、5,000 × g, 10分、12,000 × g, 20 分、200,000 × g, 20 分の遠心操作(4°C)によりオルガネラを大きさと密度により分画した。光学顕微鏡観察により、900 × g 沈殿画分のみに未破砕の原虫が含まれていたことから900 × g 沈殿画分を未破壊画分とした。その他の画分についてはC. parvum マイトソームに局在するHsp70を指標としてウエスタンブロット解析により評価した。ミトコンドリア型Hsp70 は可溶性タンパク質であるが、マイトソームに局在するため遠心後は沈殿画分に観察されると考えられる。1)~4) の方法で破砕したときにはHsp70は 200,000 × g 上清画分に多く観察され、5)の方法の時のみ、Hsp70 は5,000 × g 沈殿画分に多く観察された(図1)。よって、5,000 × g 沈殿画分を粗マイトソーム画分とし、以上の方法によりC. parvum 粗マイトソームの調製法を確立した。

2.C. parvum 粗マイトソーム画分を用いたAOXの解析

C. parvum AOXの翻訳産物の発現と局在、活性に注目して解析を行った。組換え酵素の未変性及び変性ペプチドを抗原としてC. parvum AOX 特異的な抗A抗体, 抗B抗体を作製したところ、抗A抗体により28 kDa、抗B抗体により39 kDa・46 kDa・65 kDa のタンパク質を再現よく検出した。さらに局在解析を目的として細胞分画後の標品によるウエスタンブロット解析を行った結果、28 kDa及び65 kDa のタンパク質は5,000 × g 沈殿画分に、39 kDa及び46 kDa のタンパク質は200,000 × g 上清画分に存在した(図2)。続いて、C. parvumからAOXの活性であるユビキノール酸化酵素活性を測定したところ、粗マイトソーム画分より活性を検出し(比活性; 50 nmol/min/mg)、AFにより阻害された。AOXは39 kDa と予測されるが、ウエスタンブロットの解析と比較すると、28 kDa、65 kDa のタンパク質がAOXである可能性が示唆された。sliding window iteration of TargetP(SWIT)解析によりN末端側から150アミノ酸をTargetPでシグナル予測を行い、その操作を1アミノ酸ずつスライドさせて解析した結果、N末端側から14, 50, 131 アミノ酸のいずれかの部位で切断される可能性が予測された。N末端側から50アミノ酸で切断された場合の予想分子量は32 kDaであるが、AOXは疎水性が高く、実際の分子量より早くSDS-PAGEで泳動される傾向があることから、28 kDa のタンパク質がAOXである可能性が高いと考えている。

本研究はAOXがC. parvumのマイトソームに存在する酵素の生理活性として初めての報告になると同時に、AOXがマイトソームに局在する生物として初めての報告である。C. parvum 自身からもAF感受性のシアン耐性ユビキノール酸化酵素活性が検出されたことにより、大腸菌での組換えC. parvum AOX発現系がC. parvum における反応を反映することを示している。

3.組換えC. parvum AOXに対するアスコフラノン誘導体の構造活性相関解析

抗クリプトスポリジウム症新規薬剤として有望なAFはヒト及び家畜の両方に対して需要が見込まれ、普及するにはコストの低い薬が望まれる。AFは全合成が可能となったものの、反応ステップ数が多く収率が悪いため工業化の難易度が高い。AOXの阻害に必要な構造に関する情報基盤を整える必要があり、組換えC. parvum AOXを用いた構造活性相関解析を行った。これまでに45化合物による構造活性相関解析が行われていたが、より効果の強い阻害効果を示す化合物を見出し、酵素と阻害剤の関係の結合様式の理解を深める目的で、さらに66のAF誘導体の構造活性相関解析を行った。

構造活性相関解析にはC. parvum 発現大腸菌膜画分を用い、一次スクリーニングとして50%阻害濃度(IC50)が5 nM 以下と考えられる化合物を選出し、35化合物のIC50を決定した。AFは芳香環とゲラニル構造を持つリンカー部位、そして不斉炭素を持つフラノン環の3つの部分から構成されているが(図3)、リンカー構造とフラノン環が必須ではなく、芳香環の構造が最も重要であることがわかった。AFの芳香環置換基の全て(ホルミル基・メチル基・クロロ基・ヒドロキシ基)を持つことが望ましいが、特にクロロ基が必須であり、ホルミル基はアセチル基に置換可能であることがわかった。ホルミル基が哺乳類体内において非常に代謝されやすく、薬剤開発において除くべき官能基である点を考慮すると有用な知見である。

アフリカ睡眠病の病原体であるトリパノソーマのAOX(TAO)とC. parvum AOXは49%のアミノ酸配列の相同性を持つ。TAOに対するAF 誘導体の構造活性相関解析との比較から、両者に対するAF誘導体のAOX阻害活性はほぼ同じ傾向を示した。一部、クロロ基の重要性に差があることが示されたが、基本的にはAFをリード化合物とした薬剤はクリプトスポリジウム症とアフリカトリパノソーマ症の両方に効果を持つことが示された。今後、原虫を用いたin vitro実験においてAF誘導体の構造活性相関を調べる必要がある。

今後、これまで薬剤のなかったクリプトスポリジウム症に対する新規薬剤としてのAFの実用化のみならず、アピコンプレックス門におけるAOXやマイトソームの生理的意義の解明など基礎・臨床の両者に関わる重要な成果が期待される。

図1 細胞分画後の各画分に含まれるタンパク質とHsp70の局在

C. parvum スポロゾイトをガラスビーズ及びペッスルを用いて穏やかに破砕した時の細胞分画後の画分を用いた。a) SDS-PAGE後の銀染色、b) 抗C. parvum Hsp70血清を用いたウエスタンブロット。レーン1: 1×106 オーシスト、レーン2: 1×106 ライセート、レーン3: 900 × g 沈殿画分、レーン4: 5,000 × g 沈殿画分、レーン5: 12,000 × g 沈殿画分、レーン6: 200,000 × g 沈殿画分、レーン7: 200,000 × g 上清画分。200,000 × g 上清画分はアセトン沈殿で濃縮した。レーン3~7は1×107のオーシストに相当する試料を泳動した。オーシスト、900 × g 沈殿画分、5,000 × g 沈殿画分に抗Hsp70 抗体と交差反応する70 kDa のタンパク質が観察された。

図2 抗C. parvum AOX 抗体の発現と局在(ウエスタンブロット)

AOXの局在を解析するために細胞分画後の画分を用いてウエスタンブロットを行った。a) 抗体Aを用いたウエスタンブロット。b) 抗体Bを用いたウエスタンブロット。レーン1: 1×106 オーシスト、レーン2: 1×106 ライセート、レーン3: 900 × g 沈殿画分、レーン4: 5,000 × g 沈殿画分レーン5: 12,000 × g 沈殿画分、レーン6: 200,000 × g 沈殿画分、レーン7: 200,000 × g 上清画分。200,000 × g 上清画分はアセトン沈殿で濃縮した。レーン3~7は1×107のオーシストに相当する試料を泳動した。抗体Aでは28 kDa のタンパク質と、抗体Bでは39 kDa・46 kDa・65 kDa のタンパク質と反応した。

図3 AFの構造

AFは芳香環、リンカー、フラノン環から構成される。芳香環にはヒドロキシ基・ホルミル基・メチル基・クロロ基の官能基が存在し、リンカーはゲラニル構造を有す。フラノン環には不斉炭素が存在している。

審査要旨 要旨を表示する

本研究はクリプトスポリジウム症に対する薬剤標的であるシアン耐性酸化酵素(Alternative oxidase, AOX)の機能解析を目的として、その病原体 Cryptosporidium parvum AOXの局在が予測される縮退したミトコンドリア(マイトソーム)の調製法を検討し、AOXの局在・発現・活性について解析した。さらに、AOX特異的阻害剤アスコフラノン(AF)の誘導体を用いた構造活性相関解析を行い、下記の結果を得た。

1.生化学的な解析に充分な研究試料を得るために、SCIDマウスへのオーシストの感染時期や接種量の最適化を行った。その結果、5週齢のマウスに1×105 オーシストを感染させた場合にマウス20匹の糞便から従来の2倍に相当する約2×109個の原虫を得ることが可能となった。

2.C. parvum の細胞破砕法を検討し、C. parvum のマイトソームタンパク質であるHsp70を指標にしてウエスタンブロットにより評価した。細胞をガラスビーズとペッスルで穏やかに破砕した時のみ、Hsp70 は5,000 × g 沈殿画分に多く観察されたことから、この5,000 × g 沈殿画分をC. parvum 粗マイトソーム画分とする調製法を確立した。

3.未変性組換えC. parvum AOXを抗原とした抗体(抗A抗体)を作製し、細胞分画後の標品を用いたウエスタンブロット解析を行った結果、28 kDaのタンパク質と反応し、この抗原は5,000 × g 沈殿画分に存在した。また、粗マイトソーム画分よりAOXの活性を検出し(比活性; 50 nmol/min/mg)、この活性はAFにより阻害された。以上の様にAOXが粗マイトソーム画分に存在することを同定した。

4.AFは芳香環とゲラニル構造を持つリンカー部位、フラノン環の3つの部分から構成されているが、構造活性相関解析からリンカー構造とフラノン環が必須ではなく、芳香環の構造が最も重要であることを示した。さらにAFの芳香環置換基の全て(ホルミル基・メチル基・クロロ基・水酸基)を持つことが望ましいが、特にクロロ基が必須であり、ホルミル基はアセチル基に置換可能であることを示した。

以上、本論文はC. parvum においてAOXが粗マイトソーム画分に存在していることを明らかにし、AOXの阻害剤であるAFの阻害に関わる構造を同定した。これらの結果はこれまで効果的な薬剤のなかったクリプトスポリジウム症に対してAFを新規薬剤とする上での基盤となる知見となるだけではなく、マイトソームにAOXが局在する生物として初めての実験的な報告である。基礎・臨床の両者に関わる重要な貢献となることから、学位の授与に値するものと考えられる。

UTokyo Repositoryリンク