学位論文要旨



No 126069
著者(漢字) 小泉,一二三
著者(英字)
著者(カナ) コイズミ,ヒフミ
標題(和) (-)-モルヒネの合成研究
標題(洋)
報告番号 126069
報告番号 甲26069
学位授与日 2010.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第1334号
研究科 薬学系研究科
専攻 分子薬学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 福山,透
 東京大学 教授 大和田,智彦
 東京大学 教授 長野,哲雄
 東京大学 教授 井上,将行
 東京大学 准教授 金井,求
内容要旨 要旨を表示する

【背景・目的】

モルヒネは1800 年代始めにケシの実より単離され、1925 年に構造決定されたアルカロイドである。オピオイド受容体の作動薬として知られ、癌疼痛の緩和薬として現在でも広く臨床適用されている重要な化合物である。これまでに構造活性相関に関する数多くの研究がなされてきたが、モルヒネの有する強力な鎮痛作用と薬物依存性を完全に分離するには至っておらず、今もなお精力的に研究が行われている。またモルヒネは低分子量でありながら、連続した5 つの不斉中心を有する五環性の複雑な構造であるため、多くの合成化学者の興味を引きつけてきた。それゆえ現在に至るまでにモルヒネ及びその類縁体の合成例は多数報告されているが、C 環上の官能基化および骨格形成において課題を残していた1。すなわち、必要な官能基を全て備えた状態で五環性骨格を構築している例はほとんどなく、多くの場合比較的簡単な基質で骨格を構築した後に官能基を順次導入する手法が採られ、合成終盤での酸化反応を含む多段階の変換を余儀なくされていた。そこで今回我々は、新規モルヒネ様化合物の取得を視野に入れ、これらの合成上の課題を克服する短工程かつ効率的なモルヒネの全合成を目指し、研究に着手した。

【逆合成解析】

モルヒネ(1)の前駆体として、酸化度が一つ高いコデイノン(2)を設定した。コデイノン(2)の五環性骨格は、エノン3 の分子内1,6-共役付加反応により構築できれば、C 環上の煩雑な官能基変換を要さずに天然物へと導ける(Scheme 1)。Fuchs は同様のジエノン3(P = Teoc)を用いて、アミノ基を脱保護することで五環性骨格の構築を行っているが、3 のラセミ体合成に20 工程を要しており、収率の点でも課題を残していた2。そこでこの鍵中間体3 の短工程かつ効率的な不斉合成を目指し、逆合成解析を行った。ジエノン3 は、対応するエノンとアルデヒドを有する化合物4 からの分子内アルドール反応により合成できると考え、E 環構築におけるC-C 結合の形成は分子内Heck 反応により行うとすると、化合物5 となる。ここで5 をエーテル結合部位で切断すると、上部ユニット6 と下部ユニット7 に分解することができる。

【下部ユニットの合成】

まず下部ユニットの合成を行った(Scheme 2)。出発原料として安価に購入可能な2-シクロヘキセン-1-オン(8)を設定し、ケトンα位を四酢酸鉛を用いてアセトキシ化した後に、エノンα位をヨウ素、ピリジンの条件によりヨウ素化することで9 とした。この酢酸エステル9 に対して、リパーゼを用いた光学分割を試みたところ、高い選択性にて望みの立体化学を有するアルコール10 を得ることができた。このアルコール10 はTBS エーテルとして保護した後に、単離精製を行い、2 工程で45%の化学収率、99%以上のエナンチオ過剰率で11 が得られた。続いて、Luche の方法によりエノン11 の1,2-還元を行ったところ、隣接するシロキシ基を避ける側から反応は進行し、単一のジアステレオマーとしてシスアルコール12 を得た。ここで、ビニルカルバミン酸ベンジルと(9-BBN)2 から調製したアルキルボラン試薬を用いた鈴木-宮浦カップリング反応3 を行うことで、2つの炭素原子と窒素原子を一挙に導入し、目的の下部ユニット13 を光学活性体として合成した。

【五環性骨格の構築】

得られた下部ユニット13 を用いて、市販のイソバニリンより6 工程で調製した上部芳香環ユニット6 との連結を行った(Scheme 3)。両ユニットのカップリングには光延反応を選択することで、高収率にてカップリング体14 を得た。続いて分子内Heck 反応を用いて、不斉4級炭素を含むジヒドロフラン環を構築し、15 とした。後の環化反応に備え、Cbz 基の還元および2,4-ジニトロベンゼンスルホニル基(DNs)の導入を行い、さらにTBS 基を除去することで得られるアルコールを酸化し不飽和ケトン16 とした。ここで、エノン16 に対し、トルエン中トリフルオロ酢酸水溶液を作用させ、加熱条件下処理することでアルドール反応が進行し、良好な収率でB 環を含む四環性化合物を与えた。得られた成績体は溶解性の点から単離精製が困難であったため、反応溶媒を留去した後、ワンポットにて水酸基のメシル化を行い、メシラート17 をジアステレオマー混合物として得た。ここで、種々塩基性条件下にてメシルオキシ基の脱離反応の検討を行ったが、エピマー間での反応性の違いにより、収率良くジエノンを得ることは困難であった。しかしながら、メシラート17 を塩基性条件下メルカプト酢酸で処理したところ、DNs 基が除去された後に、生成する2 級アミンが分子内で塩基として作用することで、メシルオキシ基の脱離を促進し、生成するジエノン体に対して1,6-共役付加反応が進行した、望みのモルヒナン骨格を有するネオピノン(18)とコデイノン(2)を得た。得られた混合物は、酸性条件下で二重結合の異性化を行って、コデイノン(2)へ収束させた後、水素化ホウ素ナトリウムを用いてケトン部位を還元し、骨格構築を含めた3 工程において良好な収率にてコデインを合成した。最後に文献既知の方法4 に従い、フェノール性水酸基の脱保護を行って、出発原料の2-シクロヘキセン-1-オン(8)より、16 工程、通算収率5%、平均収率83%にてモルヒネ(1)の不斉全合成を達成した。

【改良法の開発】

また、更なる効率化および短工程化を目指し、以下の合成に着手した(Scheme 4)。出発原料としてγ-ブチロラクトン(19)を設定し、1,4-ジブロモブタンと2 等量のマグネシウムから調製したビスグリニャール試薬と反応させることでジオール20 とした。20 を2 等量のメタンスルホニルクロリドで処理したところ、3 級水酸基の脱水と1 級水酸基のメシル化が同時に進行し、メシラートを与えた。これに対し、メチルアミンの求核置換反応により窒素原子を導入後、スルホンアミドとして保護し、21 とした。ここで、オゾンにより二重結合を酸化的に開裂させ、ケトアルデヒドとした後に、酸性条件下でアルドール反応を行うことで、エノン22 へ導いた。得られたエノン22 をRubottom 酸化の条件に付し、ケトンα位に水酸基を導入後、アセチル化を行い酢酸エステル23 とした。ここで、リパーゼAK を用いた光学分割を試みたところ、高い選択性にて反応は進行し、所望の絶対立体化学を有するアルコールが得られた。このアルコールはTBS エーテルとして保護した後に単離、精製を行って24 とし、Lucheの方法にてエノンの1,2-還元を行うことでシスアルコール25 を99%以上のエナンチオ過剰率で得た。続いて、光延反応により上部ユニット6 とカップリングを行い、26 へ導いた。最後に、分子内Heck 反応によるジヒドロフラン環の構築、水酸基の脱保護および酸化を行うことで、先と同様の中間体16 を合成し、モルヒネ(1)の形式全合成を達成した。

(1) (a) Parker, K. A.; Fokas, D. J. Org. Chem. 2006, 71, 449. (b) Uchida, K.; Yokoshima, S.; Kan, T.; Fukuyama,T. Org. Lett. 2006, 8, 5311. (c) Omori, A. T.; Finn, K. J.; Leisch, H.; Carroll, R. J.; Hudlicky, T. Synlett 2007,2859. (d) Tanimoto, H.; Saito, R.; Chida, N. Tetrahedron Lett. 2008, 49, 358. (e) Varin, M.; Barre, E.; Iorga,B.; Guillou, C. Chem. Eur. J. 2008, 14, 6606. (f) (a) Stork, G.; Yamashita, A.; Adams, J.; Schulte, R. G.;Chesworth, R.; Miyazaki, Y.; Farmer, J. J. J. Am. Chem. Soc. 2009, 131, 11402. (g) Magnus, P.; Sane, N.;Fauber, P. B.; Lynch, V. J. Am. Chem. Soc. 2009, 131, 16045. (h) For a review on synthesis of morphine,see: Zezula, J.; Hudlicky, T. Synlett 2005, 388.(2) Toth, J. E.; Fuchs. P. L. J. Org. Chem. 1986, 51, 2594.(3) Kamatani, A.; Overman, L. E. J. Org. Chem. 1999, 64, 8743.(4) Rice, K. C. J. Med. Chem. 1977, 20, 164.

Scheme 1. Retrosynthetic Analysis

Scheme 2. Preparation of Lower Unit

Reagents and conditions: (a) Pb(OAc)4, toluene, reflux; (b) I2, DMAP, pyridine-CCl4, rt, 70% (2 steps); (c) lipase AK, THF-phosphate buffer (pH 7.41), rt; (d) TBSOTf, 2,6-lutidine, CH2Cl2, 0 ℃, 45% (2 steps), 99% ee;(e) NaBH4, CeCl3, MeOH, 0 ℃, quant.; (f) benzyl vinylcarbamate, (9-BBN)2; PdCl2(dppf), 3 M aq NaOH-THF, rt, 84%.

Scheme 3. Total Synthesis of (-)-Morphine

Reagents and conditions: (a) n-Bu3P, DEAD, THF, rt, 99%; (b) Pd2(dba)3, P(o-tolyl)3, Et3N, MeCN, reflux, 97%; (c) LiAlH4, THF, reflux; aq NaOH; DNsCl, rt; (d) CSA, MeOH, rt, 68% (2 steps); (e) Dess-Martin periodinane, CH2Cl2, 40 ℃, 88%; (f) aq TFA-toluene, 50 ℃; (g) MsCl, i-Pr2NEt, CH2Cl2, 0 ℃, 71% (2 steps); (h) HSCH2CO2H, i-Pr2NEt, CH2Cl2, 0 ℃; (i) HCl in dioxane, CH2Cl2, rt; (j) NaBH4, MeOH, rt, 70% (3 steps);(k) BBr3, CH2Cl2, rt, 63%.

Scheme 4. Alternative Approach

Reagents and conditions: (a) Mg, 1,4-dibromobutane, THF, reflux, 79%; (b) MsCl, Et3N, toluene, 0 ℃,89%; (c) MeNH2, MeOH, reflux; DNsCl, CH2Cl2-aq NaHCO3, rt, 68%; (d) O3, toluene, 0 ℃; Ph3P; aq TFA, 80℃, 85%; (e) TMSOTf, Et3N, CH2Cl2, 0 ℃; mCPBA, rt; 1 M HCl; (f) Ac2O, pyridine, 89% (2 steps); (g) lipaseAK, THF-phosphate buffer (pH 7.41), rt; (h) TBSOTf, 2,6-lutidine, CH2Cl2, 0 ℃, 42% (2 steps); (i) NaBH4,CeCl3, THF, -40 ℃, 97%, >99% ee; (j) 6, n-Bu3P, DEAD, THF, rt, 75%; (k) Pd2(dba)3, P(o-tolyl)3, MeCN,reflux; evap; CSA, MeOH, rt, 91%; (l) Dess-Martin periodinane, CH2Cl2, 40 ℃, 88%.

審査要旨 要旨を表示する

モルヒネは、癌疼痛の緩和薬として現在でも広く臨床適用されている重要な化合物であり、構造活性相関に関する数多くの研究がなされてきたが、モルヒネの有する強力な鎮痛作用と薬物依存性を完全に分離するには至っていない。またモルヒネは低分子量でありながら、連続した5 つの不斉中心を有する五環性の複雑な構造を有するため、現在に至るまでにモルヒネの合成例は多数報告されているが、C 環上の官能基化および骨格形成において課題を残していた。すなわち、必要な官能基を全て備えた状態で五環性骨格を構築している例はほとんどなく、多くの場合比較的簡単な基質で骨格を構築した後に官能基を順次導入し、合成終盤での酸化反応を含む多段階の変換を余儀なくされていた。そこで小泉は、新規モルヒネ類縁体の合成を視野に入れ、短工程かつ効率的なモルヒネの全合成を目指して研究に着手した。

まず、小泉は下部C 環ユニット7 の合成を行った(Scheme 1)。出発原料として安価に購入可能な2-シクロへキセン-1-オン(2)を用い、ケトンα位をアセトキシ化した後に、エノンα位をヨウ素化することで3 とした。この酢酸エステル3 に対して、リパーゼを用いた光学分割を行い、高い選択性にて望みの立体化学を有するアルコール4 を得た。アルコール4 はTBS エーテルとして保護した後に、単離精製を行い、2 工程で45%の化学収率、99%以上のエナンチオ過剰率で5 が得られた。続いて、エノンのLuche 還元によりシスアルコール6 を単一生成物として得た。ここで、ビニルカルバミン酸ベンジルと(9-BBN)2 から調製したアルキルボラン試薬を用いた鈴木-宮浦カップリング反応を行うことで、2つの炭素原子と窒素原子を一挙に導入し、目的の下部ユニット7 を光学活性体として得た。

次に、下部ユニット7 と上部芳香環ユニット8 との連結を光延反応を用いて行い、高収率にてカップリング体9 を得た(Scheme 2)。この9 を分子内Heck 反応を用いて、不斉4 級炭素を含むジヒドロフラン環を有する10 へと変換した。続く3 工程にて、アルドール反応前駆体11 を合成した。ここで、小泉はエノン11 に対して、種々の酸性条件を検討し、トルエン-トリフルオロ酢酸水溶液中で加熱処理を行うことで、良好な収率でB 環を含む四環性化合物を得ることに成功した。得られた成績体の水酸基をメシル化することにより、メシラート12 をジアステレオマー混合物として得た。ここで、種々塩基性条件下にてメシルオキシ基の脱離反応の検討を行ったが、エピマー間での反応性の違いにより、収率良くジエノンを得ることは困難であった。そこで、小泉はメシラート12 に対して、メシルオキシ基を脱離させずに、アミノ基の脱保護反応を行ったところ、良好な収率で所望のネオピノン(15)とコデイノン(16)が得られることを見出した。これは、DNs 基が除去された後に、2 級アミンが分子内で塩基として作用することで、メシルオキシ基の脱離を促進し、生成するジエノンに対して1,6-共役付加反応が進行しているものと考えられる。得られた混合物は、酸性条件下で二重結合の異性化を行って、コデイノン(16)へ収束させた後、ケトン部位を還元し、骨格構築を含めた3 工程において良好な収率にてコデインを合成した。最後に脱メチル化を行って、2-シクロヘキセン-1-オン(2)より16 工程、通算収率5%、平均収率83%にてモルヒネ(1)の不斉全合成を達成した。本合成法は合成特許として報告済である。

また、小泉はモルヒネ合成の更なる効率化および短工程化を目指し、以下の合成に着手した(Scheme3)。出発原料としてγ-ブチロラクトン(17)を設定し、1,4-ジブロモブタンから調製したビスグリニャール試薬と反応させることでジオール18 とした。18 を2 等量のメタンスルホニルクロリドで処理することで、3 級水酸基の脱水と1 級水酸基のメシル化を同時に行い、メシラートを得た。これに対し、メチルアミンによる求核置換反応で窒素原子を導入後、スルホンアミドとして保護し、19 とした。ここで、小泉はオゾンにより二重結合を酸化的に開裂させ、ケトアルデヒドとした後に、酸性条件下でアルドール反応を行うことで、骨格変換を行いエノン20 へ導いた。得られたエノン20 をRubottom 酸化の条件に付し、ケトンα位に水酸基を導入後、アセチル化を行い酢酸エステル21 とした。リパーゼAK を用いた光学分割により得られる所望のアルコールをTBS エーテルとして保護し22 とした後に、Lucheの方法にてエノンの1,2-還元を行うことでシスアルコール23 を99%以上のエナンチオ過剰率で得た。続いて、光延反応により上部ユニット8 とカップリングを行い、24 へ導いた。最後に、分子内Heck反応によるジヒドロフラン環の構築、水酸基の脱保護および酸化を行うことで、先と同様の中間体11を合成し、モルヒネ(1)の形式的全合成を達成した。

以上、小泉は従来法で問題となった合成終盤でのC 環の酸化を回避した、短工程かつ効率的なモルヒネの合成法を確立した。この成果は、薬学研究に寄与するところ大であり、博士(薬学)の学位を授与するに値するものと認めた。

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