学位論文要旨



No 126075
著者(漢字) 松本,拓也
著者(英字)
著者(カナ) マツモト,タクヤ
標題(和) 蛍光プローブを利用したHenry反応触媒のHTS系の構築と応用
標題(洋)
報告番号 126075
報告番号 甲26075
学位授与日 2010.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第1340号
研究科 薬学系研究科
専攻 分子薬学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 長野,哲雄
 東京大学 教授 柴,正勝
 東京大学 教授 井上,将行
 東京大学 講師 松永,茂樹
 東京大学 講師 横島,聡
内容要旨 要旨を表示する

【背景と目的】

優れた化学触媒の開発は、現在の有機化学において最も重要な研究テーマのひとつである。また、コンビナトリアルケミストリーの発展が著しい昨今、活性を評価すべき触媒候補化合物は膨大な数に上る。このような数多くの触媒候補化合物の活性を評価したり、溶媒や添加剤などの反応条件の最適化したりするには、実際に化学反応にかけた後にHPLCやGC などを利用して反応の進行を捉えるという方法が取られる。しかしながら、それらの手法はひとつひとつのサンプルを測定するのに時間や手間がかかってしまうため、この化学反応を評価する段階が触媒開発のボトルネックとなっている。よって化学触媒の開発に適用可能なHigh-Throughput Screening (HTS)系の構築は、触媒開発の分野で大きなパラダイムシフトを起こす、非常に興味深い研究手法を提示するものと考えられる。

当教室ではこれまでに、細胞内で起こる各種イベントを可視化する蛍光プローブを数多く設計・開発してきた。その一連の研究の中で、蛍光プローブの論理的設計法をいくつか確立してきたが、それを簡潔に述べれば、可視化対象分子に特異的な化学反応の、反応前後での電子密度変化を光誘起電子移動(PeT)を利用して蛍光OFF/ON 制御に結びつけるものである。このような蛍光プローブ開発に関する知見を、有機溶媒中での化学反応進行度を検知するプローブの開発へと展開し、化学触媒のHTS 系の構築しようと考えた。本研究では蛍光特性が溶媒やpH に影響されないBODIPY を採用し、化学反応によって蛍光特性の変化する蛍光プローブによって化学触媒のHTS 系を構築する。

【Henry 反応触媒の蛍光HTS 系の構築】

HTS のターゲットにはHenry 反応を選択した。この反応は炭素同士の結合を作る極めて有用な反応であり、反応生成物のnitro alcohol をnitro olefinやnitroketone、amino alcohol など、様々な化合物へと合成展開することが可能である。Henry 反応の蛍光HTS を達成するために、Henry 反応によって蛍光強度が増大するような化合物1 を開発した。1はHenry 反応の反応点となるbenzaldehyde を有しており、この部位は電子受容能が高いために励起された蛍光団からbenzaldehyde 部分へと電子移動が起きるために蛍光が小さくなるがHenry 反応が起きると電子受容能が低くなり、電子移動が起きないために蛍光が回復する。Henry 反応前後での蛍光量子収率の変化をtable 1 にまとめた。当初の分子設計どおりに機能し、Henry 反応によって蛍光が増大することが分かる。

このような蛍光プローブを用いることで、反応液の蛍光強度変化からそのままHenry 反応の収率を求めることが出来る。そこで、1 とnitromethane との反応収率を網羅的に調べることの出来るHTS 系を構築した。その結果をfigure 1 にまとめたが、グラフに示すように触媒としてはimidazole が、溶媒としてはDMF が最も効率よく反応を進行させることが分かった。

【光学分割触媒の蛍光HTS 系の構築】

右のscheme 1に示すように、2のアルコールはアシル化されると7 を経由して容易に脱離反応を起こし、8 を生成する。8 は電子受容能の高いnitro olefin を有しており、励起状態の蛍光団からnitro olefin 部位に対して電子移動が起こるため、蛍光が消光する。

そこで私は、この蛍光強度変化を利用して光学分割触媒のHTS 系を構築した。具体的には左のfigure 2 のように、R 体の2 とS 体の2 をそれぞれ光学分割触媒と反応させる。その後、反応液の蛍光を測定すれば、それぞれのエナンチオマー間の蛍光強度の差がその光学分割触媒のエナンチオ選択性を表すことになる。例えば、S 体のみを選択的に基質として利用可能な光学分割触媒の場合はS 体の蛍光強度は減少するが、R 体の蛍光強度は減少しない。そのため、光学分割触媒のエナンチオ選択性に応じて、蛍光強度に差が生じる。私はこの光学分割触媒の蛍光HTS を利用し、様々な触媒および酸無水物を利用した光学分割に取り組んだ。

様々な触媒、溶媒、酸無水物の組み合わせについて、光学分割の効率を比較したところ、toluene 中でbenzotetramisole とisobutyric anhydride を反応させた場合が最も効率よく光学分割を行うことがわかった。この反応条件でのselectivity は80 程度であり、極めて効率よく光学分割を行うことが可能であった。

【Henry 反応の不斉収率を求めることの出来るHTS 系構築への展開】

続いて、benzotetramisole を用いることで、不斉収率を評価可能なHTS 系を構築することを考えた。(R)-benzotetramisole は(-)-2 を選択的に基質として利用し、蛍光を持たない8 を生成する。一方、鏡像異性体である(S)-benzotetramisole は、当然ながら(+)-2 を選択的に基質として利用し、8 を生成する。そのため、それぞれのbenzotetramisole と不斉収率の分からない2 を反応させ、蛍光強度変化を比較すれば不斉収率を評価することが可能であると思われる。

そこで、-100%ee から+100%ee までの不斉収率を持つ2 と、R 体とS 体のそれぞれのbenzotetramisole を反応させた後、反応液の蛍光強度を調べた結果、右のfigure 3 のように、蛍光強度が不斉収率に比例して変化することがわかった。当初予想した通り、benzotetramisole との反応後の蛍光強度変化から不斉収率を求めることが可能である。

【化学反応のリアルタイムモニタリングへの利用】

蛍光をプローブを化学反応系へと利用するメリットとして、触媒のHTS や反応条件の最適化以外に、反応の進行をリアルタイムでそのままモニタリングできるという点が挙げられる。通常、化学反応の進行を見るにはTLC が最も一般的な手法であるが、定量性が無く、本質的に分離操作を行なっているため、反応系をそのまま見ていることにはならない。しかしながら蛍光プローブを利用すれば、蛍光強度から反応収率を見積もることが出来るため、定量性が確保できるだけでなく、反応の進行をそのまま見ることが可能となる。そこで私は、(+)-2 と(-)-2 に対してそれぞれ(R)-benzotetramisole とisobutyric anhydride を用いて脱離反応を行なった時の反応の進行を蛍光強度変化から捉えた。その結果、figure 4に示すように、(+)-2 と(-)-2 の反応速度に違いが見られた。先のスクリーニングの結果において、(R)-benzotetramisole は(-)-2 を選択的に基質として利用し、脱離反応を触媒して8 を生成することが分かったが、今回の実験においても(-)-2 に対する反応速度は(+)-2 に対する反応速度よりも速いということが示された。

【まとめと今後の展望】

私は、蛍光プローブを利用した化学触媒のHTS 系を構築するという新しいコンセプトの元、Henry 反応によって蛍光強度が上昇する蛍光プローブをデザイン・合成し、Henry 反応の蛍光HTS 系の構築に成功した。また、脱離反応によって2 の蛍光強度が減少する事を利用し、光学分割触媒のエナンチオ選択性を網羅的に調べることが出来るHTS 系を構築し、benzotetramisole が優れた光学分割能を持つことを明らかにした。また、benzotetramisoleのエナンチオ選択性を利用することで、不斉収率を求めることが可能なHTS 系を構築した。そして、蛍光プローブを利用することで、反応の進行をリアルタイムで捉えることが出来ることを示した。

今回、私はHenry 反応をひとつの応用例として示したが、このような蛍光HTS 系の構築は他の反応に対しても利用可能である。既存の蛍光HTS 系は目的に合わせてプローブをデザインするというアプローチは無かったが、今後は必要な反応にあわせて必要なプローブをデザインすることで目的とする触媒活性を持つ化合物の探索や反応条件の最適化のためのHTS 系が構築されることが期待される。

Talbe 1. Henry 反応前後での蛍光量子収率の変化

Figure 1. 蛍光強度変化から求めたHenry 反応収率

Scheme 1. 脱離反応による蛍光強度の減少

Figure 2. 光学分割触媒のHTS 系構築の方針

Scheme 2. (R)-benzotetramisole による光学分割反応と蛍光強度変化

Figure 3. 蛍光強度と不斉収率の関係

Figure 4. 反応の進行とそれに伴う蛍光強度変化。

審査要旨 要旨を表示する

優れた化学触媒の開発は、現在の有機化学において最も重要な研究テーマのひとつである。また、コンビナトリアルケミストリーの発展が著しい昨今、活性を評価すべき触媒候補化合物は膨大な数に上る。このような数多くの触媒候補化合物の活性を評価したり、溶媒や添加剤などの反応条件の最適化するためには、実際に化学反応にかけた後にHPLC やGC などを利用して反応の進行を捉えるという方法が取られている。しかしながら、それらの手法はひとつひとつのサンプルを測定するのに時間や手間がかかってしまうため、この化学反応を評価する段階が触媒開発のボトルネックとなっている。

松本拓也君は、上記問題点を打破し、高効率に化学触媒を開発可能とするHigh-Throughput Screening (HTS)系の構築を実現するべく、各種触媒候補化合物による化学反応進行度をin situ に検知するプローブの開発を目指し、研究に着手した。

まずHTS のターゲットにはHenry 反応を選択した。この反応は炭素同士の結合を作る極めて有用な反応であり、反応生成物のnitro alcohol をnitro olefin やnitroketone、amino alcohol など、様々な化合物へと合成展開することが可能である。そこでHenry 反応の蛍光HTS を達成するために、Henry 反応の反応点となるbenzaldehyde を有しており、この部位にHenry 反応が起きることで分子内光誘起電子移動が起きなくなるために蛍光が回復するプローブを独自に開発した。次に本プローブとnitromethane との反応収率を網羅的に調べることの出来るHTS 系を構築した。各種触媒、溶媒の網羅的な検討を、本HTS 系を活用して実際に行い、その結果触媒としてはimidazole が、溶媒としてはDMF が最も効率よく反応を進行させることを、短時間かつ簡便に明らかにすることに成功した。

さらに上記反応成績体アルコールは、アシル化中間体を経由して容易に分子内脱離反応を起こし、電子受容能の高いnitro olefin 体へと変換され、その蛍光が消光することを見いだした。そこで、この蛍光強度変化を利用して光学分割触媒のHTS 系を構築した。具体的にはアルコール成績体のR 体、S 体をそれぞれ光学分割触媒と反応させ、反応後の蛍光を測定すれば、それぞれのエナンチオマー間の蛍光強度の差がその光学分割触媒のエナンチオ選択性を表すことになる。例えば、S 体のみを選択的に基質として利用可能な光学分割触媒の場合はS 体の蛍光強度は減少するが、R 体の蛍光強度は減少しない。そのため、光学分割触媒のエナンチオ選択性に応じて、蛍光強度に差が生じる。そこでこの光学分割触媒の蛍光HTS を利用し、様々な触媒および酸無水物を利用した光学分割に取り組んだ。様々な触媒、溶媒、酸無水物の組み合わせについて、光学分割の効率を比較したところ、toluene中でbenzotetramisole とisobutyric anhydride を反応させた場合が最も効率よく光学分割を行うことがわかった。この反応条件でのselectivity は80 程度であり、極めて効率よく光学分割を行うことが可能であった。続いて、benzotetramisole を用いることで、不斉収率を評価可能なHTS 系を構築可能かどうか検討した。-100%ee から+100%ee までの不斉収率を持つアルコール成績体と、R体とS体のそれぞれのbenzotetramisole を反応させた後、反応液の蛍光強度を調べた結果、蛍光強度が不斉収率に比例して変化することが明らかとなった。

蛍光プローブを化学反応系へと利用するメリットとして、触媒のHTS や反応条件の最適化以外に、反応の進行をリアルタイムでそのままモニタリングできるという点が挙げられる。すなわち、蛍光プローブを利用すれば、蛍光強度から反応収率を見積もることが出来るため、定量性が確保できるだけでなく、反応の進行をそのまま見ることが可能となる。 そこで、(+)- アルコール成績体と(-)- アルコール成績体に対して、それぞれ(R)-benzotetramisole とisobutyric anhydride を用いて脱離反応を行なった時の反応の進行を、その蛍光強度変化から検討した。その結果、 (+)-体と(-)-体の反応速度に違いが見られ、蛍光プローブを用いたHTS 系にいても、光学異性体に対する反応速度差を評価可能であることが示された。

以上、蛍光プローブを利用した化学触媒のHTS 系を構築するという新しいコンセプトの元、Henry 反応によって蛍光強度が上昇する蛍光プローブをデザイン・合成し、Henry 反応の蛍光HTS 系の構築に成功した。また、脱離反応によってアルコール成績体の蛍光強度が減少する事を利用し、光学分割触媒のエナンチオ選択性を網羅的に調べることが出来るHTS 系を構築し、benzotetramisole が優れた光学分割能を持つことを明らかにした。また、benzotetramisole のエナンチオ選択性を利用することで、不斉収率を求めることが可能なHTS 系を構築した。

本論文では、Henry 反応をひとつの応用例として示しているが、このような新しい蛍光プローブの論理的開発によるHTS 系の構築は、他の反応に対しても十分適用可能な一般性を持つ。すなわち本知見を活用することで、必要な反応にあわせて必要なプローブをデザインし、目的とする触媒活性を持つ化合物の探索や反応条件の最適化のためのHTS 系が構築されることが期待される。以上、新たな光学反応触媒を含む触媒系の高効率開発という、創薬において重要な意義を持つ新たな化学的アプローチを確立した本研究は、博士(薬学)の授与に値するものであると判断された。

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