学位論文要旨



No 126077
著者(漢字) 山次,健三
著者(英字)
著者(カナ) ヤマツグ,ケンゾウ
標題(和) タミフル(R)の触媒的不斉合成およびタミフル(R)耐性インフルエンザウイルスに対する医薬品候補化合物の探索
標題(洋) Catalytic Asymmetric Synthesis of Tamiflu(R) and Exploration for Drug Candidates against Tamiflu(R)-resistant Influenza Viruses
報告番号 126077
報告番号 甲26077
学位授与日 2010.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第1342号
研究科 薬学系研究科
専攻 分子薬学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 柴,正勝
 東京大学 教授 長野,哲雄
 東京大学 教授 井上,将行
 東京大学 准教授 金井,求
 東京大学 講師 横島,聡
内容要旨 要旨を表示する

タミフル(R)はGilead Science社により開発されRoche社により製造・販売されているノイラミニダーゼ阻害剤であり、1)経口投与可能な抗インフルエンザ薬として広く用いられている。新型インフルエンザのパンデミックおよび、高病原性鳥インフルエンザの世界的な拡大を受けて、タミフルの世界的な安定供給が大きな関心を集めている。タミフル(R)は現在、シキミ酸を出発原料として用いて生産されているが、タミフル(R)の全世界的な安定供給を考えた時、シキミ酸を出発原料として用いていることに不安がある。すなわち、シキミ酸は八角の実からの抽出、あるいは遺伝子組換え大腸菌を用いた発酵によって得られるが、天候等によってその供給量が左右されやすく、またその抽出・精製には時間・コストがかかる。こうした背景からシキミ酸を出発原料として用いない合成法の開発が、近年強く求められている。本論文において、新規のバリウム錯体によって触媒される不斉Diels-Alder反応の開発と本反応を鍵工程とするタミフル(R)の触媒的不斉合成、および確立した合成経路を基盤としたタミフル(R)耐性インフルエンザウイルスに対する新規医薬品候補化合物の探索研究を報告する。

1.逆合成解析

逆合成解析を図1に示す。3―ペンチルオキシ部位はアジリジンの位置選択的開環反応によって導入することとすると、タミフル(R)1はβ一アリルアルコール2へと逆合成される。エステル部位はパラジウム触媒による環状カルバメート4に対するアシルアニオン等価体を求核剤として用いたアリル位置換反応によって構築することとし、2つの窒素官能基は化合物5のCurtius転位反応によって導入することとした。最後に、中心シクロヘキセン骨格を触媒的不斉Diels-Alder反応によって構築することとすると、シロキシジエン6とフマル酸ジメチル7との触媒的不斉Diels-Alder反応を開発することが第一の課題となる。

2.触媒的不斉反応Diels-Alder反応の開発

現在までに非常に多くの酸触媒による触媒的不斉Diels-Alder反応が開発されているが、実際に代表的なルイス酸触媒を用いて反応を行ったところ、主にシロキシジエン6のポリメリ化が進行し、また得られた成績体の不斉誘導も観測されなかった。そのため、既存の触媒とは概念的に異なる、酸触媒を用いない新規の触媒的不斉Diels-Alder反応を開発することとした。具体的には、触媒とシロキシジエンとの高原子価シリケート種の生成あるいはトランスメタル化を期待し、種々の金属アルコキシドあるいはフェノキシドを触媒として用いて検討をおこなった。

種々検討した結果、バリウム―F2-FujiCAPO錯体が共触媒であるフッ化セシウム存在下、シロキシジエン6とフマル酸ジメチル7とのDiels-Alder反応を触媒し、環化体が91%の化学収率、5:1のジアステレオ選択性、95%ee(エンド体)で得られることを見出した(図2)。初期的な反応機構解析の結果、本触媒的不斉Diels-Alder反応は触媒とシロキシジエンとのトランスメタル化によって生じるバリウムジエノラートを反応活性種として進行することが示唆された。また、本反応は58gスケール(シロキシジエン6)で実施可能であった。

3.タミフル(R)の触媒的不斉合成2)

鍵反応である触媒的不斉Diels-Alder反応が開発できたので、タミフル(R)の触媒的不斉合成を行うこととした。確立した合成経路を図3に示す。Diels-Alder反応成績体のメチルエステル部位を加水分解し、生じたジカルボン酸をDPPAによりジアシルアジドへと変換した。生じたヒドロキシジアシルアジド中間体は、tBuOH中にて加熱することにより望みのCurtius転位反応が進行し、生じたイソシアネート中間体が隣接ヒドロキシル基との分子内環化とtBuOHとの分子間付加とを行うことで環状カルバメート中間体を首尾よく与えた。つづいて、環状カルバメート部位のアセチル化を行うことで、中間体9を得た。この段階で再結晶を行うことで光学的に純粋な9を得ることができた。次に、化合物10を求核剤として用いたパラジウム触媒によるアリル位置換反応を行うことで、中間体11を得た。つづいて、立体選択的なエポキシ化を行うことで、中間体12へと導いた。本中間体はエタノール中炭酸カリウムの条件にふすことで、エステル部位の構築と引き続くエポキシドの開環を経てα―アリルアルコール13を与えた。アリルアルコールの反転と光延反応を用いたアジリジンの形成によって中間体14を得たのち、生じたアジリジンの3―ペンタノールによる位置選択的開環反応、TFAによるBoc基の除去、リン酸塩化によってタミフル(R)の合成を達成した。本合成法は容易に入手可能なシロキシジエン6とフマル酸ジメチル7とから全12工程、総収率15%でタミフル。を合成するものであり、確立した合成法を用いてグラムスケールでのタミフル(R)の合成を達成している。

4.代替合成経路の開発3)

本合成経路によってタミフル(R)の触媒的不斉合成を達成できたが、エーテル部位を構築するために工業的にはその使用が望ましくない光延反応を2回用いなければならないという問題点が存在した。そこで、本問題点を回避するため種々検討を行った結果、一つの光延反応を回避する代替合成経路を見出した(図4)。すなわち、先の合成経路の中間体である9に対し、同様に15を求核剤として用いたアリル位置換反応を行うことで16へと導いたのち、ルテニウム触媒によるジヒドロキシル化を行うことでジオール17を合成した。得られた17をアセトナイド18へと変換し、最後にエトキシカルボニル部位の構築とアセトンの脱離をワンポットで行うことで先の合成経路の中間体である19を合成した。本代替合成経路は炭素―炭素二重結合の酸化がβ面から起こるため、光延反応によるアルコールの反転を必要としない合成経路となっている。

5.タミフル(R)耐性インフルエンザウイルスに対する医薬品候補化合物の探索

タミフル(R)耐性インフルエンザウイルスの出現と拡大に伴って、これらのウイルスに対しても効果を示す新規医薬品の開発が緊急の課題となっている。中でも、His274Tyr変異ノイラミニダーゼを持つタミフル(R)耐性インフルエンザウイルスが代表的であり、確立したタミフル(R)の合成法を基盤として、この変異ノイラミニダーゼに対しても効果を示す新規医薬品候補化合物の探索研究を行った。具体的には、報告されているHis274Tyr変異ノイラミニダーゼ-タミフル(R)複合体のX線結晶構造4)を参考に、エーテル側鎖部位に親水性基を持つタミフル誘導体を合成し、そのノイラミニダーゼ阻害活性を評価した(図5)。タミフルは野生型に対して1.2nMのIC50値を示したのに対して、変異ノイラミニダーゼに対してはおよそ150倍弱い184nMのIC50値しか示さなかった。一方、合成した誘導体22は野生型・変異型ともに27nMのIC50値を示し、タミフル(R)耐性変異の影響を受けにくいことがわかった。誘導体22は変異型ノイラミニダーゼに対してタミフル(R)よりも強い阻害活性を示し、さらなる阻害活性の向上に向けて有望な化合物となりうることがわかった。

1) Kim, C. U.; Lew, W.; Williams, M. A.; Liu, H.; Zhang, L.; Swaminathan, S.; Bischofberger, N.; Chen, M. S.; Mendel, D. B.; Tai, C. Y.; Laver, G.; Stevens, R. C. I Am. Chem. Soc. 1997, 119, 681.2) Yamatsugu, K.; Yin, L.; Kamijo, S.; Kimura, Y.; Kanai, M.; Shibasaki, M. Angew. Chem. Int. Ed. 2009, 48, 1070.3) Yamatsugu, K.; Kanai, M.; Shibasaki, M. Tetrahedron 2009, 65, 6017.4) Collins, P. J.; Faire, L. F.; Lin, Y. P.; Liu, J.; Russell, R. J.; Walker, P. A.; Skehel, J. J.; Martin, S. R.; Hay, A. J.; Gamblin, S. J. Nature 2008, 453, 1258.

図1逆合成解析

図2触媒的不斉Diels-Alder反応の開発

図3タミフル(R)の触媒的不斉合成

図4代替合成経路の開発

図5タミフル(R)誘導体の変異ノイラミニダーゼに対する阻害活性

審査要旨 要旨を表示する

タミフル(R)は経口投与可能なノイラミニダーゼ阻害剤であり、抗インフルエンザ薬として現在広く用いられているが、新型インフルエンザのパンデミックおよび、高病原性鳥インフルエンザの世界的な拡大を受けて、タミフルの世界的な安定供給が大きな関心を集めている。タミフル(R)は現在、その供給量が天候等によって左右されやすいシキミ酸を出発原料として用いて生産されており、シキミ酸を出発原料として用いない合成法の開発が、近年強く求められている。山次健三は、新規のバリウム錯体によって触媒される不斉Diels-Alder 反応の開発と本反応を鍵工程とするタミフル(R)の触媒的不斉合成、および確立した合成経路を基盤としたタミフル(R)耐性インフルエンザウイルスに対する新規医薬品候補化合物の探索研究を行った。

1.触媒的不斉反応Diels-Alder 反応の開発

逆合成解析の結果、シロキシジエン1 とフマル酸ジメチル2 とをタミフル(R)の出発原料に設定した。代表的なルイス酸触媒を用いて反応を行ったところ、主にシロキシジエン1 のポリメリ化が進行し、また得られた成績体の不斉誘導も観測されなかったため、山次健三は既存の触媒とは概念的に異なる、酸触媒を用いない新規の触媒的不斉Diels-Alder 反応を開発することとした。検討の結果、バリウム―F2-FujiCAPO 錯体が共触媒であるフッ化セシウム存在下、シロキシジエン1 とフマル酸ジメチル2 とのDiels-Alder 反応を触媒し、環化体3 が91%の化学収率、5:1 のジアステレオ選択性、95% ee(エンド体)で得られることを見出した(Scheme 1)。初期的な反応機構解析の結果、本触媒的不斉Diels-Alder 反応は触媒とシロキシジエンとのトランスメタル化によって生じるバリウムジエノラートを反応活性種として進行することが示唆された。

2.タミフル(R)の触媒的不斉合成

山次健三が確立した合成経路をScheme 2 に示す。開発した触媒的不斉Diels-Alder 反応を鍵工程として中心骨格を形成したのち、Curtius 転位反応によって2つの窒素官能基を導入した。その後、パラジウム触媒によるアリル位置換反応を行うことで1 炭素ユニットを導入し、アジリジン中間体9 を経た3-ペンチルオキシ基の導入を行うことでタミフル(R)の合成を達成した。本合成法は全12 工程、総収率15%であり、山次健三は確立した合成法を用いてグラムスケールでのタミフル(R)の合成を達成している。

また、ルテニウム触媒による中間体6 類縁体のβ選択的ジヒドロキシル化を鍵とする、一回の光延反応を回避した代替合成経路も確立した。

3.タミフル(R)耐性インフルエンザウイルスに対する医薬品候補化合物の探索

タミフル(R)耐性インフルエンザウイルスの出現と拡大に伴って、これらのウイルスに対しても効果を示す新規医薬品の開発が緊急の課題となっている。中でもHis274Tyr 変異ノイラミニダーゼを持つタミフル(R)耐性インフルエンザウイルスが代表的であり、山次健三は確立したタミフル(R)の合成法を基盤として、この変異ノイラミニダーゼに対しても効果を示す新規医薬品候補化合物の探索研究を行った。具体的には、報告されているHis274Tyr 変異ノイラミニダーゼ-タミフル(R)複合体のX線結晶構造を参考に、エーテル側鎖部位に親水性基を持つタミフル(R)誘導体を合成し、そのノイラミニダーゼ阻害活性を評価した(Figure 1)。結果、合成した誘導体12 は野生型・変異型ともに27 nM のIC50 値を示し、タミフル(R)耐性変異の影響を受けにくいことがわかった。誘導体12 は変異型ノイラミニダーゼに対してタミフル(R)よりも強い阻害活性を示し、さらなる阻害活性の向上に向けて有望な化合物となりうることがわかった。

以上の結果は創薬化学研究に対し重要な貢献をすると考え、博士(薬学)に十分相当する研究成果と判断した。

UTokyo Repositoryリンク