学位論文要旨



No 126080
著者(漢字) 今井,駿輔
著者(英字)
著者(カナ) イマイ,シュンスケ
標題(和) 放線菌由来カリウムチャネルKcsAのゲーティング機構の構造生物学的解析
標題(洋)
報告番号 126080
報告番号 甲26080
学位授与日 2010.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第1345号
研究科 薬学系研究科
専攻 機能薬学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 嶋田,一夫
 東京大学 教授 佐藤,能雅
 東京大学 教授 堅田,利明
 東京大学 教授 関水,和久
 東京大学 准教授 楠原,洋之
内容要旨 要旨を表示する

【序】

放線菌由来のカリウムチャネルKcsA は細胞内pH に応答して開閉する。中性では巨視的電流が観測されない閉状態を取るが、pH 5 以下の酸性刺激を与えると、一過性のピーク電流の後1~3 秒にて減衰し、ピーク電流の15 %程度の電流を流す開状態に達する。このKcsA の巨視的電流の特徴は多くのカリウムチャネルに共通し、特に真核生物の電位依存性カリウムチャネル(Kv)では膜電位の制御に関わる必須の性質である。そのため、KcsA をプロトタイプとしてカリウムチャネルの開閉(ゲーティング)の分子機構を理解することは、生命現象の理解だけでなく、チャネル機能を制御する低分子化合物の創製という観点からも重要である。閉状態を取る中性でのKcsA の結晶構造および変異体を用いた電気生理解析から、膜貫通領域に形成されるK+透過路上にK+の透過を阻むhelix bundle crossing とその選択性を担うselectivity filter の2 つのイオンゲートが存在することが示されている (Fig.1)。一方で開状態を反映する立体構造はいまだ得られておらず、酸性刺激に応答してhelix bundle crossing が開くこと、K+を透過する活性化状態と透過しない不活性化状態の間の平衡にあることが示唆されているのみである。刺激によるピーク電流は、活性化状態と不活性化状態の間の平衡が、刺激直後に活性化状態から開始するためであると想定されているが、その機構は未だ不明である。

そこで本研究では、高分子量タンパク質でも高感度かつ高分解なNMR スペクトルが観測可能なメチルTROSY 法を用いて、(1) 活性化状態と不活性化状態を区別する構造的要因は何か、(2) なぜhelix bundle crossing が開いているにもかかわらず不活性化状態においてK+ が透過しないのか、 (3) 刺激直後にピーク電流が流れる分子機構は何か、すなわちなぜ活性化状態と不活性化状態の間の平衡が活性化状態から開始するのか、というカリウムチャネルの動作機構を理解する上で重要なこれら3 つの問題を解明することを目的とした。

【結果】

1. KcsA のメチルTROSY スペクトル測定とシグナルの帰属

本研究では、dodecyl maltoside (DDM)ミセルに再構成したKcsA のメチル基の直接NMR 観測を行った。閉状態に対応するpH 6.7、および開状態に対応する pH 3.2、45°C の条件下にて測定したKcsA のメチルTROSY スペクトルをFig.2 に示す。観測対象となるLeu, Val, Ile のメチル基(計83 個)のうち、変異導入などにより、pH 6.7 では61 個、pH 3.2 では66 個のシグナルを帰属した。開状態に対応するpH 3.2 においては、強弱2 つのシグナルを与えるメチル基が観測され、この事実より、KcsA は開状態にて少なくとも2 種以上の構造をとっていることが明らかとなった(Fig.2B)。これらのメチル基は膜貫通領域の細胞外側に集中しており、特にselectivity filter に存在するV76 において2 つのシグナルの間の化学シフト差が最も大きかった(Fig.2B, inset)。

2. 開状態における構造平衡

開状態にて平衡にある2 種の状態の実体を明らかとするため、酸性で活性化状態のみをとるE71A 変異体、野生型よりも不活性化状態の割合が大きいY82A 変異体のメチルTROSY スペクトルを野生型と比較した。測定条件を電気生理解析の条件と合わせるために、まず野生型のスペクトルの温度依存性を調べた(Fig.3A)。pH 3.2 にて温度を45°C から5°C 刻みで低下させたところ、45°C にて観測された弱いシグナルの強度は温度低下に伴って増大し、強いシグナルの強度は減少した。両者は30°C でほぼ一致し、25°C では逆転した。そこで、電気生理解析が行われる条件に近い25°C にて、野生型とE71A 変異体、Y82A 変異体のシグナル強度を比較した。その結果、selectivity filter に存在するV76 のメチル基の2 つのシグナルのうち1H: -0.13ppm, (13)C: 17.7 ppm に観測されるものの相対強度が、E71A 変異体で1.0, 野生型で0.31, Y82A 変異体で0.17 であり、電気生理解析における活性化状態の割合とそれぞれよく一致した (Fig.3B)。これらの結果から、開状態で観測される2 つのシグナルはそれぞれ活性化状態と不活性化状態由来のものと結論した。また、上記の温度依存性を利用して、pH3.2, K+濃度120 mM の条件下では45°Cで活性化状態が、25°C で不活性化状態が選択的に観測されることが判明した。

3. Selectivity filter とK+, H2O の相互作用

次に、閉状態と開状態におけるselectivity filter とK+との相互作用を解析するため、K+ 滴定実験を行った。その結果、開状態におけるK+との相互作用に伴うスペクトル変化が、不活性化状態から活性化状態への移行に伴うスペクトル変化と一致することが明らかとなった。この結果は、活性化状態がK+結合型、不活性化状態がK+非結合型にそれぞれ対応することを示している。また、V76 γ1 のシグナル強度のK+濃度依存性から、45°C におけるselectivity filter とK+との相互作用の解離定数が閉状態において6 mM,開状態において50 mM であり、開状態においては閉状態と比較して親和性が8 倍程度減少することが明らかとなった。さらに、120 mM K+の存在下、溶媒を100% D2O から10% D2O / 90 %H2O に変更してNOESY 解析を行った結果、負のNOE シグナルが観測されたことから、不活性化状態においてのみ、V76 γ1 の近傍5Å以内に300 ps 以上とどまる水分子が結合することが明らかとなった(Fig.4)。

4. Selectivity filter の構造変化に寄与するプロトン化部位の同定

化学シフト変化およびNOE パターンの変化から、閉状態から開状態への移行時にselectivity filter の構造が変化することが示された。V76 のシグナル強度変化のpH 依存性から、その構造変化の引き金となるプロトン化部位がGlu, Asp, His 残基であることが示唆されたため、膜貫通領域のGlu, Asp, His 残基を1 つずつAla に置換した各種変異体のメチルTROSY スペクトルを解析した。その結果、helix bundle crossing 周辺のH25 をAla に置換した変異体H25A において、selectivity filter 近傍のシグナルのpH 感受性が低下することが明らかとなった。H25のプロトン化がhelix bundle crossing の構造変化の引き金となるという当研究室の先行報告と合わせると、この結果はhelix bundle crossing の開閉がselectivity filter の構造変化と共役していることを示している。

【考察】

本研究の成果を元に、【序】で設定した3 つの問題について順に考察する。

(1) については、活性化状態と不活性化状態の違いがselectivity filter のK+ および水分子との結合様式にあり、酸性条件下においてselectivity filterにK+ が結合した状態が活性化状態、K+ が解離し水分子が強く結合した状態が不活性化状態に対応することが明らかとなった。

(2) については、不活性化状態のみにおいて同定された、selectivity filter に300 ps 以上の間滞在する水分子が、この状態においてK+ が透過しない構造的要因であることが示唆された。分子動力学シミュレーションによると、K+ はselectivity filter 内部に4 つ存在するK+ 結合部位にそれぞれ数10~数100 ps の間滞在しながら透過するため、それと同程度かそれ以上に滞在するこの水分子はK+ の透過を阻むplug となり得る。

(3)のピーク電流の機構に関しては、閉状態と開状態におけるselectivity filter のK+ 親和性の違いから、以下の機構を明らかにした。閉状態ではselectivity filter のK+ 親和性が高く、K+ 濃度が数 mM と低い細胞外側からK+ を捕捉できるため、生理的な条件下においては通常selectivity filter にK+が結合している。酸性刺激によってhelix bundle crossing が開くと、これと共役したselectivity filter の構造変化に伴ってK+ 親和性が低下し、活性化状態と不活性化状態の平衡が開始する。このときselectivity filter がK+ 結合状態にあるために、この平衡はK+ 結合状態である活性化状態から開始する。これがピーク電流が観測される機構である。また、その後の減衰についても、活性化状態から開始したこの平衡が、次第に不活性化状態の割合が大きい定常状態に達するために起こることが明らかとなった。

感受する刺激こそ異なるものの、KcsA の電気生理学的性質およびselectivity filter の配列と構造はKv チャネルとよく類似しており、以上の知見はこれらのチャネルにも適用できると期待される。

Fig.1 閉状態KcsA のモデル構造

脂質膜に平行な向きから見た図。対称な4 量体のうち、向かい合う2 つのサブユニットを2 色のリボン図にて示した。球で表した本研究で観測対象としたメチル基は膜貫通領域全体に広く分布している。Selectivity filter に存在するV76 のメチル基にはラベルを付した。

Fig.2 KcsA のメチルTROSY スペクトル

(A) 閉状態 (pH 6.7)

(B) 開状態 (pH 3.2)

いずれも45°C, 120 mM K+存在下にて測定した。アステリスクはDDM サンプル由来の不純物のシグナルを表す。

2 つのシグナルを与えるメチル基が観測されたことから、開状態における構造平衡が示された(B, inset)。

Fig.3 開状態における構造平衡

(A) 野生型KcsAのメチルTROSYスペクトルの温度依存性。pH は3.2, K+濃度は120 mM とした。

(B) 野生型、E71A、Y82A のpH 3.2, 25°C, 120 mMK+存在下におけるスペクトルの比較。括弧内にはV76γ1 由来のシグナルの強度比を示した。

Fig.4 H2O とV76γ1 とのNOE

120 mM K+, 90% H2O存在下におけるNOESY スペクトル。メチルTROSY のための標識と同時に、Tyr が選択的に1H 化されたサンプルを用いた。pH と温度は図中に示した通り。左から閉状態、活性化状態、不活性化状態に対応する。

審査要旨 要旨を表示する

放線菌由来カリウムチャネルKcsAのゲーティング機構の構造生物学的解析と題する本論文は、放線菌由来のカリウムチャネルであるKcsAの動作機構を溶液NMR法を用いて解析した成果を述べたものである。本論文は全6章から構成されており、第1章に序論、第2章に実験材料および手法が記されている。第3章に実験結果がまとめられ、第4章でその結果に対する考察が述べられている。第5章では全体の総括と今後の展望について記述されている。第6章は補遺であり、メチル基の帰属結果が化学シフト値の表として示されている。

第3章においては、まずKcsAの精製を行っている。KcsAは、界面活性剤ドデシルマルトシド(DDM)のミセル中に再構成した状態として、先行報告に基づいて均一に精製されている。KcsAは細胞内pHが中性のときには閉状態、酸性のときには開状態を取るpH感受性のカリウムチャネルである。そこで、精製されたKcsAのメチルTROSYスペクトルがpHに応答して可逆的に変化することを示し、精製されたKcsAがpH依存的に構造変化することを確認している。さらに、pH 3.2においてKcsAが2つの構造の間の平衡にあることを見出し、これらが活性化状態と不活性化状態に対応することを変異体との比較によって明らかとしている。また、活性化状態と不活性化状態の存在比が温度に依存して変化することを見出し、pH 3.2, 120 mMのK+存在下においては、45°Cで活性化状態が、25°Cで不活性化状態が、それぞれ選択的に観測されることを明らかとしている。以上から、120 mMのK+存在下においてpHと温度を調節することによってKcsAの状態を制御し、閉状態、活性化状態、不活性化状態に対応するNMRスペクトルを観測することに成功している。

次に、メチル基の化学シフトが閉状態と活性化状態の間で変化する領域を解析し、両状態の間で膜貫通領域の構造が全体的に変化することを示している。また同様の解析によって、活性化状態と不活性化状態の間では、K+を選択的に認識するselectivity filter近傍の細胞外側領域の構造が変化することを示している。この構造変化は、selectivity filterに存在するY78とV76の側鎖間に観測されるNOEシグナルのパターンが、活性化状態と不活性化状態で異なることとしても確認されている。

最後に、selectivity filterとK+および水分子との相互作用についての解析結果がまとめられている。Selectivity filterに存在するV76のメチル基のシグナル強度のK+濃度依存性から、selectivity filterとK+との相互作用の見かけの解離定数がpH 6.7, 45°Cにおいて6 mM, pH 3.2, 45°Cにおいて50 mMであり、酸性では中性と比較して約8倍増大することを示している。さらに、メチルTROSYスペクトルの比較から、活性化状態と不活性化状態がそれぞれselectivity filterにK+が結合した状態と解離した状態に対応することを見出している。水分子との相互作用については、V76のメチル基と水分子の間のNOEが不活性化状態においてのみ観測されることを明らかとし、この水分子が不活性化状態においてK+の透過を阻害している可能性を提唱している。

第4章では、以上の結果に基づいてKcsAのゲーティング機構および巨視的電流プロファイルの分子機構について考察している。その内容は従来の電気生理解析の結果を矛盾なく説明する上、selectivity filterのK+親和性および水分子親和性が変化することによる透過活性の制御という新しい概念を提唱するものである。

以上の成果は、これまで不明であったカリウムチャネルの動作機構を立体構造の見地から明らかとしたものであり、これを行った学位申請者は博士(薬学)の学位を得るにふさわしいと判断した。

UTokyo Repositoryリンク