No | 126087 | |
著者(漢字) | 佐々木,拓哉 | |
著者(英字) | ||
著者(カナ) | ササキ,タクヤ | |
標題(和) | 海馬アストロサイトによる軸索を介したシナプス伝達の遠隔調節 | |
標題(洋) | ||
報告番号 | 126087 | |
報告番号 | 甲26087 | |
学位授与日 | 2010.03.24 | |
学位種別 | 課程博士 | |
学位種類 | 博士(薬学) | |
学位記番号 | 博薬第1352号 | |
研究科 | 薬学系研究科 | |
専攻 | 生命薬学専攻 | |
論文審査委員 | ||
内容要旨 | 【研究背景】 アストロサイトはグリア細胞の1つに分類されご古典的には、周辺のニューロンへのエネルギー供給や物理的支盤、保護作用など、神経活動をサポートする補助的な細胞であると考えられてきた。しかし近年になって、アストロサイトがニューロンの活動を積極的に制御する脳情報処理回路の一員であることが示唆され、その多様な機能がこれまで以上に注目を集めている。 アストロサイトの活動の本体は、ニューロンのような活動電位ではなく、数秒から数十秒持続する細胞内カルシウム活動である。これまでの先行研究では、海馬において、ニューロンの樹状突起近傍に存在するアストロサイトからカルシウム活動依存的に放出されたグルタミン酸が、ニューロンの受容体を介して細胞の興奮性やシナプス伝達を調節するという知見が報告されている。 一方、軸索の周りにも同様の特性をもつアストロサイトは多数存在している。特に本研究で注目している海馬では、軸索のほとんどが無髄神経線維であり、アストロサイトと密接に連絡している。近年、軸索を伝播していく活動電位が形状が何らかの要因で変化すると、軸索終末からの神経伝達物質放出が影響を受けることが報告されている。これは、軸索における活動電位の伝播が、従来まで知られていたようなデジタル的な特性だけでなく、状況に応じて動的に変化しうるアナログ的な特性を含むことを示唆している。軸索と密接にコンタクトをもつアストロサイトは、このような軸索特性に影響を与えることで、活動電位の伝播やシナプス伝達などを制御する可能性が考えられるが、その実態はほとんど明らかになっていない。 本研究ではこの問題に取り組むため、光刺激によってアストロサイトの活動を制御できるカルシウムuncaging法と、細胞体および軸索からのパッチクランプ記録法を行い、軸索近傍に存在するアストロサイトが、活動電位の軸索伝播、および、その下流のシナプス伝達効率をどのように調節するかについて検討した。 [方法と結果】 1.軸索近傍のアストロサイトによるシナプス伝達の調節 生後7日齢のWistar/STラットより作製した海馬培養スライス標本を用いて、海馬CA3野内でシナプス結合を形成している錐体細胞ペアから同時にホールセルパッチクランプ記録を行い、Alexa Fluor 488蛍光色素により細胞形態を可視化した。光毒性および槌色を回避するためにニポウ板型共焦点レーザー顕微鏡により蛍光像を取得した。前シナプス細胞の軸索の走行経路を確認した後、近傍に微小ガラスピペットを刺入し、数十個のアストロサイトに蛍光カルシウム指示薬Oregon Green 488 BAPTA-1AMとcagedカルシウム化合物NP-EGTA AMを負荷した(図1A)。負荷領域に直径200pmの紫外線スポットを照射し、uncagingを行った。これはアストロサイト・アイランドを模した活動を惹起する。 Uncaging前後におけるアストロサイトのカルシウム活動パターンおよび後シナプス細胞から記録した単シナプス電流の時系列変化の代表例を図1B下に示す。平均18.5±19.3%のシナプス電流の増大と10.4±8.8%のペアパルス応答比の減少が観察された(N=15スライス)。このことから、本現象にはシナプス前細胞の軸索終末からの神経伝達物質放出の増大が関与することが示唆された。なお、caged化合物を負荷せず、紫外線照射のみを行った場合には、シナプス電流の変化は観察されなかった。また、各種受容体阻害薬を用いた薬理学的検討から、本現象はグルタミン酸受容体のAMPA型受容体の活性化によって媒介されることが明らかになった。 2.アストロサイトによる軸索内を伝播する活動電位幅の調節 次に、アストロサイトの活性化が軸索を伝播する活動電位に影響を与えるかを検討するため、ニューロンの細胞体からホールセル記録すると同時に、同細胞の軸索から細胞接着パッチクランプ記録を行った(図2A)。細胞接着パッチクランプ記録では、閾値下の膜電位変動は記録できないが、活動電位を反映する細胞外電場変化を捉えることができる。上記と同様のuncaging法を用いて軸索周辺のアストロサイトに活動を誘発したところ、活動電位の幅が17.9±4.3%増大することが明らかになった(図2B)。過去の知見から、軸索を伝播する活動電位の波形が変化すると、その下流の軸索終末において神経伝達物質の放出量が変化することはすでに報告されており、本研究で観察された現象にも、同様のメカニズムが媒介していると考えられる。すなわち、軸索近傍のアストロサイトの活動が、前シナプス細胞の軸索を伝播する活動電位の幅を増大させ、その下流で生じるシナプス伝達を増強させるものと推測される。 3.アストロサイトの自発活動とシナプス伝達の関連 これまでの検討(図2-3)では、uncaging法により人工的に誘発されたアストロサイトのカルシウム活動に着目してきた。しかし、生体内ではアストロサイトは外部からの刺激がなくても自発的にカルシウム活動を生じる。そこで、このような自発的なアストロサイト活動によっても、実際にシナプス伝達の遠隔調節がなされているか検証した。 この間題に取り組むために、これまでと同様に、海馬CA3野の錐体細胞間の単シナプス伝達を記録しながら、周辺のアストロサイトの自発的なカルシウム活動を多細胞カルシウムイメージング法により記録した。その結果、軸索の近傍に存在するアストロサイトの活動パターンには、シナプス伝達と有意な相関が見出されやすいことがわかった。このことは、生理的に生じるアストロサイトの活動によってもシナプス伝達が遠隔調節されうる可能性を示唆している。 【考察】 本研究の結果から推測される概念図を下図に示す。近年、軸索パッチクランプ記録法の開発により、軸索を伝播していく活動電位は、全か無かの法則(all-or-none)に従うデジタル的な性質ではなく、活動履歴や膜電位変化、チャネル特性などに応じてその形状をアナログ的に変化させることが明らかになっている。本研究では、このようなアナログ的な調節を担う新たな因子の1つとして軸索近傍のアストロサイト活動を見出した。アストロサイトからカルシウム活動依存的に放出されたグルタミン酸が、軸索上に分布している受容体に作用し、活動電位の幅を増大させる。これによって、軸索終末に届く電気シグナル量が増大し、プレシナプス末端での電位依存性カルシウムチャネルが通常時より強く活性化されることで、神経伝達物質の放出量の増大、そして次の細胞へのシナプス伝達の上昇へと繋がるものと考えられる。 従来の研究においては、このようなアストロサイト活動の影響は、突起のごく近傍に存在するニューロンやシナプス活動にのみ限局されると考えられてきた。しかし、ニューロンの軸索に情報を載せることで、より遠方で起こるシナプス伝達も調節することが可能となることが明らかになった。これは、アストロサイトが従来考えられていた以上に、神経回路に広範な影響をもたらすことを示唆しており、アストロサイトーニューロン相互作用を介した神経回路の調節メカニズムに関する新たな知見であると考えられる。 海馬CA3野の錐体細胞の軸索は、ほとんどがミエリン化されていない無髄神経線維である。他の多くの脳領域の神経細胞は、オリゴデンドロサイトによってミエリン鞘が形成されている有髄神経線維であり、アストロサイトが同様の作用を有するかについては今後の検討が必要である。なぜ海馬において、軸索の非ミエリン化が顕著であるか、その機能的な意味は完全には明らかになっていないが、無髄線維では有髄線維と比べて、軸索が周辺環境の変化を敏感に感知しやすい(すなわちノイズに対する感受性が強い)状況であると推測される。海馬が記憶や情動に重要な部位であることを考えると、これは回路演算において創発性や偶発性を高めるために重要な特性であるのかもしれない。 また、海馬CA3野は特に再帰性回路(リカレント回路)が密に形成されている領域である。この回路を利用すれば、アストロサイトは遠隔調節したシナプス伝達の結果をフィードバックとして受けることが可能である。つまり、(1)アストロサイトが軸索を介してシナプス伝達を遠隔調節する、(2)増大したシグナルを受け取ったニューロンが活動する、(3)再帰性回路(複数のシナプス)によってアストロサイトへ情報がフィードバックされる、という流れである。アストロサイトのカルシウム活動は数秒から数十秒持続するものであり、ニューロンとは違った時間スケールで、神経回路の記憶保持や情報コーディングに関与すものと考えられる。今後より正確に神経回路の挙動を理解するためには、このようなアストロサイト活動をいかに考慮して、回路演算にアプローチしていくかが重要な課題になると思われる。 図1軸索近傍のアストロサイトuncagingによりシナプス伝達が増大する (A)シナプス結合を形成しているCA3野の錐体細胞ペアと、蛍光カルシウム指示薬OGB-1およびcagedカルシウム化合物 NP-EGTA AMを負荷したアストロサイトの共焦点像。点線の領域は、uncagingをした部位を示す。(B)(上)アストロサイトのカレシウム活動パターンを示すラスタープロット。上部の矢印が紫外線照射を始めたタイミングを示。(下)同時に記録した単シナプス電流の変化。プレシナプス細胞に5秒おきに発火を誘発し、シナプス伝達を記録した。それぞれの時間におけるシナプス電流の代表的な波形を上に示す。 図2軸索パッチクランプ法による活動電位の波形解析 (A)軸索パッチクランプ記録の蛍光写真。初めに細胞体に蛍光色素を注入し、軸索の形態を可視化した後、別の電極を用いて軸索からパッチクランプ記録を行った。四角はuncagingを行った領域を示す。(B)Uncaging前後での活動電位の形状の変化。セルアタッチモードで記録。 | |
審査要旨 | 脳には千億個以上のニューロンと、その十倍程度の多数のグリア細胞が存在する。グリア細胞の役割は、古典的には、周辺のニューロンへのエネルギー供給や物理的支盤、保護作用など、神経活動をサポートする補助的なものであると考えられてきた。しかし近年になって、グリア細胞がニューロンの活動を積極的に制御する脳情報処理回路の一員であることが示唆され、その多様な機能がこれまで以上に注目を集めている。アストロサイトはグリア細胞の1種であり、数秒から数十秒にわたる自発的な細胞内カルシウム活動を示す。これまで当研究室では、大規模なカルシウム画像法を用いて数百個の海馬アストロサイトから自発的な時空間活動を一斉に記録することで、隣接した複数のアストロサイトが局所的に同期したカルシウム上昇を示すことを見出し、「アストロサイト・アイランド」と命名した。アストロサイトのカルシウム上昇は、グルタミン酸などの多種の細胞外因子の放出のトリガーとなることが知られている。このことから、アストロサイト・アイランドは近傍ニューロンの興奮性を制御し、神経回路の情報処理に影響を与えることが推測される。しかし、その詳細な実態については明らかになっていない。 本研究ではこの問題に取り組むため、時空パターン制御しながらアストロサイトのカルシウム活動を誘発できるカルシウムuncaging法を用いて、軸索周辺に存在するアストロサイトが、活動電位の軸索伝播、および、その下流のシナプス伝達効率をどのように調節するかについて検討した。 1.軸索近傍のアストロサイトによるシナプス伝達の調節 生後7日齢のラットより作製した海馬培養スライス標本を用いて、海馬CA3野内でシナプス結合を形成している錐体細胞ペアから同時にホールセルパッチクランプ記録を行い、AlexaFluor488蛍光色素により細胞形態を可視化した。前シナプス細胞軸索の走行経路を確認した後、近傍に微小ガラスピペットを刺入し、数十個のアストロサイトに蛍光カルシウム指示薬OregonGreen488BAPTA-1AMとcagedカルシウム化合物NP-EGTAAMを負荷した。負荷領域に直径200μmの紫外線スポットを照射し、uncagingを行った。これはアストロサイト・アイランドを模した活動を惹起する。 Uncaging前後において、アストロサイトのカルシウム活動パターンおよび後シナプス細胞における単シナプス電流の時系列変化を記録した。平均18.5士19.3%のシナプス電流の増大と10.4土8.8%のペアパルス応答比の減少が観察された。このことから、本現象にはシナプス前細胞の軸索終末からの神経伝達物質放出の増大が関与することが示唆された。なお、caged化合物を負荷せず、紫外線照射のみを行った場合には、シナプス電流の変化は観察されなかった。 上記の実験では、アストロサイトだけでなく神経線維にもcaged化合物が負荷されるため、ニューロンの軸索内でuncageされたカルシウムが、直接的にシナプス電流を増大させるという可能性が排除できない。そこで、パッチクランプ法を用いて軸索近傍のアストロサイトに直接にNP-EGTAを注入し、uncagingを行ったところ、シナプス電流の増大が再現された。このことから、軸索内でuncageされたカルシウムではなく、軸索周辺で活性化されたアストロサイトのカルシウム上昇が、シナプス電流の増大に関与すると考えられる。また、各種受容体阻害薬を用いた薬理学的検討から、本現象はグルタミン酸受容体の活性化によって媒介されることが明らかになった。 2.アストロサイトによる軸索内を伝播する活動電位幅の調節 次に、アストロサイトの活性化が軸索を伝播する活動電位に影響を与えるかを検討するため、ニューロンの細胞体からホールセル記録すると同時に、同細胞の軸索から細胞接着パッチクランプ記録を行った。細胞接着パッチクランプ記録では、閾値下の膜電位変動は記録できないが、活動電位を反映する細胞外電場変化を捉えることができる。上記と同様のuncaging法を用いて軸索周辺のアストロサイトに活動を誘発したところ、活動電位の幅が17.9±4.3%増大することが明らかになった。 過去の知見から、軸索を伝播する活動電位の波形が変化すると、その下流の軸索終末において神経伝達物質の放出量が変化することはすでに報告されており、本研究で観察された現象にも、同様のメカニズムが媒介していると考えられる。すなわち、軸索近傍のアストロサイトの活動が、前シナプス細胞の軸索を伝播する活動電位の幅を増大させ、その下流で生じるシナプス伝達を増強させるものと推測される。 3.アストロサイトの自活動とシナプス耳達の連 以上の検討では、uncaging法により誘発させたアストロサイトの活動の影響を観察してきたが、生体内ではアスト同サイトは外部からの刺激がなくても自発的にカルシウム活動を生じる。そこで、このような生理的な自発活動によってもシナプス伝達が調節されるかを検討した。パッチクランプ記録を行った2つのニューロン間のシナプス伝達を記録しながら、周辺のアストロサイトの自発カルシウム活動を記録した。相関解析の結果、軸索起始部の近傍に存在するアストロサイトにおいて自発活動とシナプス伝達の大きさに有意な相関が見出された。すなわち、生理的に生じるアストロサイトの活動によってもシナプス伝達が調節されること、また、この現象は軸索起始部において特に顕著であることが示唆された。 従来の研究から、アストロサイトがごく狭い範囲内に存在する近傍のニューロンやシナプスの活動を調節することは示されているが、本研究では、アストロサイトが軸索伝導を調節することで、遠方で生じるシナプス伝達も制御することが示された。これは、アストロサイトが従来考えられていた以上に広範な影響を及ぼすことを示唆しており、グリアーニューロン相互作用による神経回路の調節メカニズムにおける新たな知見となり、博士(薬学)の授与に値すると判断した。 | |
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