No | 126088 | |
著者(漢字) | 白岩,健 | |
著者(英字) | ||
著者(カナ) | シロイワ,タケル | |
標題(和) | 抗癌剤の医療経済評価とその意思決定方法に関する研究 | |
標題(洋) | ||
報告番号 | 126088 | |
報告番号 | 甲26088 | |
学位授与日 | 2010.03.24 | |
学位種別 | 課程博士 | |
学位種類 | 博士(薬学) | |
学位記番号 | 博薬第1353号 | |
研究科 | 薬学系研究科 | |
専攻 | 生命薬学専攻 | |
論文審査委員 | ||
内容要旨 | 0. 序論 抗癌剤は最もさかんに医薬品開発に取り組まれている分野のひとつである。治療技術の進歩により患者にとっては生命予後やQuality of Life (QoL)の改善も期待できるようになった反面で、分子標的治療薬など高額な薬剤も多く、その医療経済性が諸外国では大きな問題となってきている。そこでまず、(1)「医療経済評価の閾値に関する国際比較研究」によって、医療経済評価における閾値を多国間で測定しその比較を行うと同時に新たな意思決定の枠組みを提案する。次に、(2)「転移性大腸癌患者におけるXELOX 療法の費用効果分析」において、(1)によって得られた成果を応用しつつ日本においてはまれな臨床試験の個票レベルデータを用いた医療経済評価を行いその経済性を明らかにする。 1. 医療経済評価の閾値に関する国際比較研究 【背景】 医療経済評価においてはICER (Incremental Cost-Effectiveness Ratio: 増分費用効果比)と呼ばれる指標を用いて結果をあらわすのが一般的であるが、しかしICER がいくら以下であれば費用対効果に優れるのかその基準(閾値)は日本国内においていまだコンセンサスが得られていない。また諸外国においてもイギリスでは£20,000 から£30,000、アメリカではUS$50,000 からUS$100,000 がおよその基準としてしばしば参照されるが必ずしも明確な根拠のある値ではないことが知られている。そこで本研究においては支払い意思 (Willingness to Pay: WTP)法に基づき、1QALY (Quality AdjustedLife Year, 質調整生存年)あたりの支払い意思額を測定し日本において目安となる閾値と新たな意思決定方法を提案する。 【方法】 調査国は日本、韓国、台湾、イギリス、オーストラリア、アメリカの6 カ国である。インターネットパネルを用いて年齢 (10 才刻み:20代から50 代まで)と性別で層別無作為抽出された各国1000 人(ただし台湾は500 人)に、2 段階2 項選択法 (double-bound dichotomouschoice)で1QALY あたりの支払い意思額を聞いた。2 段階2 項選択法で得られた結果から、ノンパラメトリック法を用いて支払い意思額の平均値 (WTPpar)を推定したが、副次的な解析としてパラメトリック法によって(a) 支払い意思額の中央値 (WTPmed)、(b) 支払い意思額の平均値 (WTPpar)、(c) 支払い意思額の外挿値 (WTPext)も算出した。 【結果】 各国ごとに得られた支払い意思額の結果を表1 に、Purchasing Power Parity(PPP, 購買力平価)ベースの結果を図1 にまとめた。PPP ベースの支払い意思額を国ごとにみると一人あたりGDP とは関係していなかったが、医療費に占める私的支出割合との相関は示唆された。また、WTP と回答者の背景要因との関係を分析すると、6 カ国で共通して「世帯収入」と「教育歴」が高いほど支払い意思額の値も大きくなることが示された。 【結論】 今回の調査結果によれば1QALY あたりの支払い意志額はイギリスでf23,000、アメリカでUS$62,000 であり、慣習的に用いられている閾値にほぼ近い値を示した。これらの値を参照するならば日本の閾値は500 万円から600 万円と設定するのが適切と考えられた。 また、より明確な意思決定を行うためには今回得られた支払い意思額を用いて図2 のように費用効果平面上を6 区分し、その区分ごとに意思決定のルールを定める多段階閾値法を提案した。 2. 転移性大腸癌患者におけるXELOX 療法の費用効果分析 【背景】 転移性大腸癌治療における標準療法としてはoxaliplatin を用いるFOLFOX (l-LV+ 5-FU + oxaliplatin, every 2 weeks)療法が確立している。しかし5-FU の持続静注が不要で通院回数も少ないXELOX (capecitabine + oxaliplatin every 3 weeks)療法がエビデンスの蓄積とともに注目を集めてきた。XELOX 療法はoxaliplatin に経口フッ化ピリミジン系の抗癌剤であるCapecitabine を組み合わせたレジメンであり、NO16966 試験、図1: PPPベースの支払い意志額 (WTPsel) 図2: 多段階閾値法NO16967 試験などによりFOLFOX との非劣性が証明されている。医療費の増大が社会的な課題となっている中で薬剤選択に医療経済性を考慮することはその重要性を増してきており、本研究においては転移性大腸癌のfirst-line やsecond-line としてのXELOX 療法の医療経済性をFOLFOX と比較検討することとした。 本研究の特徴として、NO16966 試験(2008 年)、NO16967 試験(2008 年)に基づいた個票レベルのアウトカムデータ、資源消費量データを用いた解析であり医療経済的モデル(マルコフモデルなど)を用いていないこと、また国内で本研究のために測定した効用値データを用いて医療経済評価を行ったことがあげられる。 【方法】 本研究は費用効果分析の枠組みで行い、結果はcost/QALY で提示する。分析の立場は医療費支払者であり、約2 年と分析期間が短いため割引は行わなかった。原則として医療資源消費量はNO16966 試験, NO16967 試験データから、単価は診療報酬点数表と薬価基準を用いて費用を算定した。l-LV (Isovorin)は後発品が販売されており価格に与える影響が大きいので、後発品を用いた解析も同時に行った。一方のアウトカムは (1) 化学療法(XELOX) (2) 化学療法 (FOLFOX) (3) grade3/4 以上の7 つの副作用 (発熱性好中球減少、悪心・嘔吐、下痢、手足症候群、疲労、末梢神経障害、口内炎) の合計9 つの健康状態を考慮した。 各健康状態の効用値 (Utility score)は、1,500 人を対象として仮想的な健康状態を提示することによりTime Trade-Off (TTO 法)よって測定した。「1. 医療経済評価の閾値に関する国際比較研究」を参照し、閾値の値は500 万円/QALY と設定した。 【結果】 XELOX の効用値はFOLFOX と比べて有意に大きく (p<0.0059)、また多くの副作用は効用値を有意に低下させた(表2)。この値を用いて費用効果分析を行った結果を表3にまとめた。 【結論】 表3 に示したように転移性大腸癌治療におけるXELOX はFOLFOX と比べてfirst-line でもsecond-line 療法でも費用も安く、獲得できるQALY も大きい"dominant"(優位)であった。推計患者数年間40,000 人が新規に再発しうち25%ないし50%がFOLFOX からXELOX に切り替わるとすると日本全体でbudget impact は36億円ないし72 億円の医療費削減効果となる。これらは臨床試験の個票レベルのデータを用いて、医療経済的モデルに依存しない解析を行うことにより得られた頑健な結果であると考えられた。 3. まとめ 日本において医療経済評価は諸外国ほどさかんには意志決定の場で用いられていない。その原因のひとつに日本では得られた結果をどのように解釈してよいかわからないという課題があると考えられる。本研究では、その解決のために日本における閾値と意志決定の方法を提案した。また、医療経済的モデルを用いずに経済評価も行うことも疾患領域によっては可能であり、意志決定のためにより頑健なデータを提供しうることを示した。 図1: PPPベースの支払い意志額 (WTPsel) 図2: 多段階閾値法 表2: Utility score における水準間の差 表3: XELOX の費用効果分析の結果 | |
審査要旨 | 1990 年代以降、多くの先進諸国では高度経済成長の終焉、少子高齢化の進展などに直面し社会保障制度の改革に取り組んできた。しかし、患者意識の高まり、高度な治療への期待、急速な医療技術の発展等により(その是非は問わずとも)必ずしも医療費の制御には成功していない。このような状況の中で有限な医療資源をより効率的に利用するために、医療経済評価は多くの先進諸国において意思決定に用いられるようになってきた。 しかし、世界的には医療経済評価を用いて意思決定を行っていく動きが盛んになってきているにもかかわらず、日本ではほとんど医療経済評価は意思決定に用いられていない。例えば中央社会保険医療協議会(中医協)において2006年改訂時に「ニコチン依存症管理料」が設定される際に、経済評価が用いられた例など存在するもののきわめて限定的である。 そこで、白岩は日本において医療経済評価をどのように用いていくことが可能かを比較制度的研究や実際の医療経済評価を通じて追求し、以下のような成果を上げた。 1. イギリスNICEにおける医療経済評価の現状とその課題を明らかにした 日本において医療経済評価が用いられない理由としては様々なものが考えられるが、そもそも医療経済評価を意思決定に用いることによって、どのようなメリットがありどのような問題点が生じるのかについて先行する諸外国での優れた実例があるにもかかわらず、その状況が詳細には報告されていない。 そこで白岩は医療経済評価を早くからさかんに用いており、他国からも参照されることの多いイギリスThe National Institute for Health and Clinical Excellence (NICE) の現状を現地での聞き取り調査などをもとに、先行事例としてその現状と課題を明らかにした。特に医療技術評価がNational Health Service (NHS) で使用すべきかどうかの判断に利用されていた段階から、(実質的な)価格設定にも利用しようという段階へのシフトが起こっている状況に注目し、医療技術評価を償還の是非に用いるよりも患者の医薬品アクセスの点でより受け入れられやすいと考えられた。 2. 医療経済評価における日本での閾値と新たな意思決定方法を提案した 日本においては医療経済評価を用いて意思決定を行う際の基準となる閾値(threshold)の問題も存在する。医療経済評価においてはICER (Incremental Cost-Effectiveness Ratio: 増分費用効果比)と呼ばれる指標を用いて結果をあらわすのが一般的であるが、しかしICERがいくら以下であれば費用対効果に優れるのかその閾値は日本国内においていまだコンセンサスが得られていない。また諸外国においてもイギリスでは£20,000から£30,000、アメリカではUS$50,000からUS$100,000がおよその基準としてしばしば参照されるが必ずしも明確な根拠のある値ではないことが知られている。 そこで白岩は、韓国、台湾、イギリス、オーストラリア、アメリカの6カ国において支払い意思 (Willingness to Pay; WTP)法に基づき、1QALY (Quality Adjusted Life Year; 質調整生存年)あたりの支払い意思額を測定し、日本において目安となる閾値と新たな意思決定方法を提案した。調査結果によれば1QALYあたりの支払い意志額はイギリスでf23,000、アメリカでUS$62,000であり、慣習的に用いられている閾値にほぼ近い値を示した。これらの値を参照するならば日本の閾値は500万円から600万円と設定するのが適切と考えられた。 また、より明確な意思決定を行うためには今回得られた支払い意思額を用いて費用効果平面上を6区分し、その区分ごとに意思決定のルールを定める多段階閾値法を提案した。 3. trial-basedな医療経済評価を行い転移性大腸癌におけるXELOX療法の経済性を明らかにした 医療経済評価においては、種々の数学的モデルを用いて費用対効果を算出することが多い。しかし、モデルの妥当性等が問題となるため、臨床試験データを個表レベルで用いることにより経済評価を行うtrial-basedな医療経済評価も盛んになってきている。医療経済評価を意思決定に用いる場合、より頑健なデータが求められるためこのようなアプローチは有効であると考えられるが、日本ではデータ入手の困難さ等からほとんど行われていない。そこで、白岩は臨床試験における個表レベルのデータを用いて転移性大腸癌におけるXELOXの医療経済評価を行った。 本研究の特徴として、NO16966試験(2008年)、NO16967試験(2008年)に基づいた個票レベルのアウトカムデータ、資源消費量データを用いた解析であり医療経済的モデル(マルコフモデルなど)を用いていないこと、また国内で本研究のために測定した効用値データを用いて医療経済評価を行ったことがあげられている。 結果としてXELOXの効用値は標準療法であるFOLFOXと比べて有意に大きく、また多くの副作用は効用値を有意に低下させた。この値を用いて費用効果分析を行うと、QAPFSD をアウトカム指標とした際のXELOX 療法の増分効果はfirst-line でもsecond-line でも有意に0 より大きかった。一方で、XELOX 療法はFOLFOX 療法と比べてfirst-line で360,000 円、second-line で270,000 円の統計的に有意な費用削減効果があった。以上より、XELOX 療法はFOLFOX 療法と比較して得られるアウトカムも大きく、費用も安いdominat(優位)であることを明らかにした。医療経済的モデルを用いずに経済評価も行うことも疾患領域によっては可能であり、意志決定のためにより頑健なデータを提供しうることを示した。 以上より、白岩は医療経済評価の意思決定への適用方法を巡る議論に大きく貢献し、また種々の抗癌剤の医療経済性を明らかにすることにも寄与した。よって、本研究結果は博士(薬学)の授与に十分値するものと認められた。 | |
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