学位論文要旨



No 126092
著者(漢字) 田村,誠
著者(英字)
著者(カナ) タムラ,マコト
標題(和) 胎生期ストレスによる歯状回顆粒細胞の成熟阻害
標題(洋)
報告番号 126092
報告番号 甲26092
学位授与日 2010.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第1357号
研究科 薬学系研究科
専攻 生命薬学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 松木,則夫
 東京大学 教授 岩坪,威
 東京大学 准教授 紺谷,圏二
 東京大学 准教授 八代田,英樹
 東京大学 講師 垣内,力
内容要旨 要旨を表示する

【序論】

胎生期の環境は成体期における行動や生活に影響を与える。特に、胎生期に母体がストレス環境におかれることで、子がうつ病を含む様々な精神疾患を発症しやすくなる。このことから、胎生期ストレスの影響が成体期になっても残存していることが推察できるが、そのメカニズムについては未だ不明な点が多い。私は、胎生期における母体ストレスの影響が細胞形態異常として脳内に刻印され、将来的に脳機能の異常につながるとの仮説を立てた。そして、ストレスに脆弱な部位である海馬体に着目し、胎生期ストレスが海馬体の成熟過程に与える影響について検証した。また、海馬体の中でも、特に歯状回に存在する顆粒細胞に注目して研究を遂行した。これは、現在までの報告から、顆粒細胞がうつ様行動に何らかの役割を有すると推察されるためである。例えば、様々なストレスにより顆粒細胞の増殖・分裂が抑制されること、また、抗うつ薬の投与により顆粒細胞の増殖・分裂が増強し、一部のげつ歯目では、この増強が抗うつ薬の効果に必要であることが示唆されている。そこで、本研究では、胎生期ストレスが顆粒細胞の形態形成およびシナプス伝達に与える影響と、これに関与するメカニズムを検証した。

【本論】

胎生期ストレスによる顆粒細胞樹状突起の成熟阻害

妊娠中の母親ラットに、妊娠後期の一週間、拘束ストレスを与えた。まず、この胎生期ストレスが顆粒細胞の形態的成熟に与える影響を検証するため、レトロウイルス媒介遺伝子導入法を用いて、膜標的化黄色蛍光タンパク質(mYFP)発現ベクターを、仔ラットの顆粒細胞に導入した。レトロウイルスは、主に分裂期の細胞に感染するウイルスである。そこで、顆粒細胞の新生が活発な生後0日目(PO)のラット歯状回ヘレトロウイルスを注入し、顆粒細胞を可視化した。

レトロウイルス感染から60日後(P60)に、mYFP発現顆粒細胞の樹状突起の形態を解析した結果、胎生期ストレス群において、樹状突起の分枝数および全長が有意に低下していた(図1A℃)。また、ストレス群では、樹状突起のスパイン密度の低下も確認された(図1D,E)。

さらに、胎生期ストレスが顆粒細胞におけるシナプス伝達に与える影響を検証するため、invivo電気生理学的解析を行った。記録電極を顆粒細胞層に、そして刺激電極を顆粒細胞への入力線維が存在する内側貫通路に刺入した。刺激強度を段階的に増強し、興奮性シナプス後場電位(fEPSP)slopeの大きさを指標に出入力曲線を描いた(図1F)。その結果、ストレス群では顆粒細胞におけるシナプス応答が減弱していることが確認された。以上の結果は、胎生期ストレスの影響が顆粒細胞の形態異常として成体期まで残存し、同細胞のシナプス伝達能を減弱させることを示している。

次に、胎生期ストレスが樹状突起の成熟過程に与える影響を詳細に検証するため、切片培養系を用いて顆粒細胞の成熟を経時的に観察した。POのラットから海馬切片を作成し、mYFP発現レトロウイルスにより、新生顆粒細胞を可視化した(図2A)。顆粒細胞を24時間ごとに観察した結果、発達早期(培養5-7日目)では、ストレス群において、樹状突起形態のダイナミクスの変化は確認されなかった(図2B,C)。一方、発達後期(培養12-14日目)においては、ストレス群で、付加突起数が有意に減少し、消失突起数が有意に増加した(図2D,E)。このことから、胎生期ストレスは発達後期の顆粒細胞樹状突起のダイナミクスに影響を与え、その成熟を阻害することが示唆された。

胎生期ストレスによるミネラルコルチコイド受容体の発現抑制

胎生期ストレスによる顆粒細胞の成熟阻害のメカニズムを追究する上で、ストレスホルモンであるコルチコステロイドホルモンに注目した。これまでに、ストレス反応により血中コルチコステロイドホルモン濃度が上昇することが知られている。したがって、妊娠ラットへの拘束ストレスにより慢性的に上昇した血中コルチコステロイドホルモンが胎仔へ移行し、歯状回における同ホルモンの受容体の発現や機能に影響を与えた可能性が考察できる。コルチコステロイドホルモンの受容体には、高親和性受容体であるミネラルコルチコイド受容体および低親和性であるグルココルチコイド受容体がある。そこで、まず顆粒細胞における両受容体の発現を、免疫組織化学法を利用して検証した。

ストレス群では、P7およびP14の両時期におけるミネラルコルチコイド受容体の免疫染色強度が低下した(図3A)。一方、グルココルチコイド受容体の免疫染色強度に関しては、コントロール群とストレス群の間に有意な差は検出されなかった(図3B)。これらのことから、胎生期ストレスがミネラルコルチコイド受容体の発現を選択的に抑制することが示された。

ミネラルコルチコイド受容体ノックダウンによる顆粒細胞樹状突起の成熟阻害

ミネラルコルチコイド受容体が顆粒細胞樹状突起の成熟に影響を与える可能性を、レトロウイルス媒介RNA干渉法を用いて、単一細胞レベルで同分子をノックダウンすることで検証した。ミネラルコルチコイド受容体shorthairpinRNA(MRshRNA)と蛍光タンパク質であるZsGreenを共発現するベクターを、POのラットの歯状回領域に注入した(図4A)。コントロール群としてはスクランブルshRNAを発現するレトロウイルスを用いた。Pl4における代表的なZsGreen発現細胞を図4Bに示す。スクランブルshRNAおよびMRshRNAを導入した顆粒細胞の形態を比較したところ、MRshRNAにより樹状突起の分枝数および全長が有意に低下していた(図4C)。この結果から、ミネラルコルチコイド受容体が顆粒細胞樹状突起の正常な成熟に必要であることが明らかになった。

【結論】

本研究により、胎生期ストレスが、歯状回顆粒細胞におけるミネラルコルチコイド受容体の発現を抑制することで、同細胞の樹状突起の成熟を阻害することが明らかになった。さらに、この影響は成体期まで残存し、スパイン密度の低下を伴う顆粒細胞のシナプス伝達機能の低下を惹起することが初めて明らかとなった。本研究は、胎生期ストレスの影響が顆粒細胞の形態および機能の異常として生涯にわたって残存する可能性を示唆しており、胎生期環境による脳内プログラミングのメカニズムを理解する上で重要な知見となる。また、胎生期ストレスが様々な精神疾患の発症率を上昇させることや記憶学習能力を低下させることを踏まえると、本研究で得られた結果は、情動機能や学習機能の発現における顆粒細胞の役割を明らかにするための重要な可能性を秘めている。

図1.胎生期ストレスによる歯状回顆粒細胞の成熟阻害

(A)成体ラット(P60)のmYFP発現顆粒細胞。(B)トレース像。(C)樹状突起形態の定量グラフ。(D)樹状突起部位の拡大図。矢印:スパイン。(E)スパイン密度の定量グラフ。(F)貫通線維-顆粒細胞間シナプス応答の出入力曲線。挿入図は代表的な記録波形(左:コントロール、右:胎生期ストレス)。*P<0.05 versus control.

図2.切片培養系を用いた顆粒細胞の経時観察

(A)実験手順。DIV:days in vitro.E:embryonic day. P:postnatal day(B)発達早期において、24時間ごとに観察された顆粒細胞。錺i=消失樹状突起、矢印:付加樹状突起。(C)発達早期における樹状突起動態の定量グラフ。(D)発達後期における顆粒細胞。錺i:消失樹状突起、矢印:付加樹状突起。(E)発達後期における樹状突起動態の定量グラフ。*P<0.05,versus control.

図3胎生期ストレスのコルチコステロイドホルモン受容体発現への影響

(A)ミネラルコルチコイド受容体(MR)の発現に対する胎生期ストレスの影響。(B)グルココルチコイド受容体(GR)の発現に対する胎生期ストレスの影響。gcl:顆粒細胞層。*P<0.05,versus control.

図4.顆粒細胞成熟に対するミネラルコルチコイド受容体ノックダウンの影響

(A)レトロウイルス媒介遺伝子導入法により導入したDNAのコンストラクト。(B)生後14日齢ラットのZsGreen発現顆粒細胞の代表例。(C)ZsGreen発現顆粒細胞の樹状突起形態の定量グラフ。**P<0.01,versus control.

審査要旨 要旨を表示する

胎生期の環境は成体期における行動や生活に影響を与える。特に、胎生期に母体がストレス環境におかれることで、子がうつ病を含む様々な精神疾患を発症しやすくなる。このことから、胎生期ストレスの影響が成体期になっても残存していることが推察できるが、そのメカニズムについては未だ不明な点が多い。海馬体の中で歯状回はストレスに脆弱であり、先行研究により歯状回顆粒細胞の新生がうつ様行動に何らかの役割を有すると推察されている。様々なストレスにより顆粒細胞の増殖・分裂が抑制されること、また、抗うつ薬の投与により顆粒細胞の増殖・分裂が増強され、抗うつ作用に必須であることが報告されている。本研究では、「胎生期における母体ストレスの影響が細胞形態異常として脳内に刻印され、将来的に脳機能の異常につながる」との仮説を立て、胎生期ストレスが歯状回顆粒細胞の形態形成およびシナプス伝達に与える影響と、これに関与するメカニズムを検証した。

1.胎生期ストレスによる顆粒細胞樹状突起の成熟阻害

妊娠中の母親ラットに、妊娠後期の一週間、拘束ストレスを与え続けた。この胎生期ストレスが顆粒細胞の形態的成熟に与える影響を検証するため、レトロウイルス媒介遺伝子導入法を用いて、膜標的化黄色蛍光タンパク質(mYFP)発現ベクターを、仔ラットの顆粒細胞に導入した。レトロウイルスは、主に分裂期の細胞に感染するウイルスである。そこで、顆粒細胞の新生が活発な生後0日目のラット歯状回ヘレトロウイルスを注入し、顆粒細胞を可視化した。レトロウイルス感染から60日後に、mYFP発現顆粒細胞の樹状突起の形態を解析した結果、胎生期ストレス群において、樹状突起の分枝数および全長が有意に低下していた。また、ストレス群では、樹状突起のスパイン密度の低下も確認された。さらに、胎生期ストレスが顆粒細胞におけるシナプス伝達に与える影響を検証するため、invivo電気生理学的解析を行った。その結果、ストレス群では顆粒細胞におけるシナプス応答が減弱していることが確認された。これらの結果は、胎生期ストレスの影響が顆粒細胞の形態異常として成体期まで残存し、同細胞のシナプス伝達能を減弱させることを示している。

次に、胎生期ストレスが樹状突起の成熟過程に与える影響を詳細に検証するため、切片培養系を用いて顆粒細胞の成熟を経時的に観察した。新生ラットから海馬切片を作成し、mYFP発現レトロウイルスにより、新生顆粒細胞を可視化した。顆粒細胞を24時間ごとに観察した結果、発達早期(培養5-7日目)では、ストレス群において、樹状突起形態のダイナミクスの変化は確認されなかった。一方、発達後期(培養12-14日目)においては、ストレス群で、付加突起数が有意に減少し、消失突起数が有意に増加した。このことから、胎生期ストレスは発達後期の顆粒細胞樹状突起のダイナミクスに影響を与え、その成熟を阻害することが示唆された。

2.胎生期ストレスによるミネラルコルチコイド画容体の発現抑制

胎生期ストレスが顆粒細胞の成熟に影響する因子としてコルチコステロイドホルモンに注目した。ストレス反応により、血中コルチコステロイドホルモン濃度が上昇することが知られている。。コルチコステロイドホルモンの受容体には、高親和性受容体であるミネラルコルチコイド受容体および低親和性であるグルココルチコイド受容体がある。そこで、顆粒細胞における両受容体の発現を、免疫組織化学法を利用して検証した。ストレス群では、ミネラルコルチコイド受容体の免疫染色強度が低下していた。一方、グルココルチコイド受容体の免疫染色強度に関しては、コントロール群とストレス群の間に有意な差は検出されなかった。これらのことからぐ胎生期ストレスがミネラルコルチコイド受容体の発現を選択的に抑制することが示された。妊娠ラットへの拘束ストレスにより慢性的に上昇した血中コルチコステロイドホルモンが胎仔へ移行し、歯状回における同ホルモンの受容体の発現や機能に影響を与えたことが示唆された

3.ミネラルコルチコイド受体ノックダウンによる顆粒細胞樹'突起の成熟阻害

ミネラルコルチコイド受容体が顆粒細胞樹状突起の成熟に影響を与える可能性を、レトロウイルス媒介RNA干渉法を用いて、単一細胞レベルで同分子をノックダウンすることで検証した。ミネラルコルチコイド受容体shorthairpinRNA(MRshRNA)と蛍光タンパク質であるZsGreenを共発現するベクターを、新生ラットの歯状回領域に注入した。コントロール群としてはスクランブルshRNAを発現するレトロウイルスを用いた。スクランブルshRNAおよびMRshRNAを導入した顆粒細胞の形態を比較したところ、MRshRNAにより樹状突起の分枝数および全長が有意に低下していた。この結果から、ミネラルコルチコイド受容体が顆粒細胞樹状突起の正常な成熟に必要であることが明らかになった。

本研究により、胎生期ストレスが、歯状回顆粒細胞におけるミネラルコルチコイド受容体の発現を抑制することで、同細胞の樹状突起の成熟を阻害することが明らかになった。さらに、この影響は成体期まで残存し、スパイン密度の低下を伴う顆粒細胞のシナプス伝達機能の低下を惹起することが初めて明らかとなった。本研究は、胎生期ストレスの影響が顆粒細胞の形態および機能の異常として生涯にわたって残存する可能性を示唆しており、胎生期環境による脳内プログラミングのメカニズムを理解する上で重要な知見となる。また、胎生期ストレスが様々な精神疾患の発症率を上昇させることや記憶学習能力を低下させることを踏まえると、本研究で得られた結果は、情動機能や学習機能の発現における顆粒細胞の役割を明らかにするための重要な可能性を秘めている。従って、博士(薬学)の授与に値すると判断した。

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