学位論文要旨



No 126093
著者(漢字) 早河,輝幸
著者(英字)
著者(カナ) ハヤカワ,テルユキ
標題(和) 線虫C.elegansの無酸素応答におけるASK-p38 MAPK経路の機能解析
標題(洋)
報告番号 126093
報告番号 甲26093
学位授与日 2010.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第1358号
研究科 薬学系研究科
専攻 生命薬学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 一條,秀憲
 東京大学 教授 新井,洋由
 東京大学 教授 松木,則夫
 東京大学 教授 入村,達郎
 東京大学 講師 垣内,力
内容要旨 要旨を表示する

【序論】

さまざまな環境因子の変動に応答して活性化される細胞内シグナル伝達経路の1つにmitogen-activated protein kinase (MAPK)経路がある。その中でc-Jun N-terminal kinase (JNK)およびp38 MAPK経路はストレス応答性MAPK経路として知られている。Apoptosis signal-regulating kinase (ASK)ファミリーはJNKおよびp38経路の最上流に位置するMAP3Kであり,その制御メカニズムや生理機能が明らかにされつつある。しかし,個体レベルでの役割については未解明な部分も多い。私は本研究科において修士課程より,ASKファミリーの新たな役割を解明するため,モデル生物である線虫Caenorhabditis elegansにおけるASKオルソログ(NSY-1)の解析,とくにnsy-1機能欠失変異体の表現型解析を行ってきた。さまざまなストレスへの感受性を検討したところ,nsy-1変異体は無酸素における生存率が野生型N2と比べて高いことが明らかとなった(図1)。

線虫C. elegansの低酸素応答に関しては,哺乳類まで保存された転写因子HIF-1 (hypoxia inducible factor)により,その生存が制御されていることが知られている。対して無酸素は,細胞周期が停止するなど低酸素とは個体の応答も異なり,また生存に寄与するシグナル経路も多くは未解明であった。本研究ではNSY-1の無酸素における機能を解析することで,ASKファミリーの担う新たな生理機能へのアプローチを試みた。

【結果】

(1) NSY-1経路は無酸素応答においてMAPK経路を介して機能する

無酸素における生存率が高いという表現型がMAPK経路に依存したものかを検討するため,MAPK経路の各変異体の無酸素刺激における生存率を検討した。p38経路のMAP2Kであるsek-1およびMAPKであるpmk-1の各変異体では,いずれも無酸素における生存率の上昇が確認された(図2A)。対してJNK経路のMAPKであるkgb-1およびjnk-1の各変異体ではそのような生存率の変化は確認されなかった(図2B)。このことから,NSY-1下流のMAPK経路ではPMK-1経路が主に無酸素における個体の応答に寄与すると考えられる。

また無酸素に抵抗性を示す変異体としてInsulin経路の変異体(daf-2変異体)が単離された(Scott et al. Science 2002)。そこで,nsy-1とInsulin経路との遺伝学的関係を二重変異体作製により検討した。nsy-1;daf-2二重変異体はそれぞれの単独変異体より高い生存率を示した(図3A)。またdaf-2変異体の表現型を抑制するdaf-16変異は,nsy-1変異体の表現型は抑制しなかった(図3B)。これらのことからNSY-1経路とInsulin経路は無酸素における生存制御において独立して機能することが分かった。

(2) NSY-1は細胞非自律的に無酸素における生存を制御する

nsy-1変異体の表現型がどの組織におけるどのような機能によるものかを明らかとするため,各種細胞特異た。その結果,NSY-1が発現していると報告されている表皮・腸・神経いずれの組織にNSY-1を発現させた場合においても,nsy-1変異体における生存率上昇の表現型が抑れることを見いだした(図4)。この結果より,NSY-1は分泌タンパク質の合成,細胞からの二次代謝物の分泌などを介した細胞非自律的な機構で,無酸素における生存を制御すると予想した。

(3)無酸素によるNSY-1依存的な遺伝子発現の解析

NSY-1下流で生存率を制御する因子を探索するためた遺伝子発現量の網羅的解析を行った。野生型において無酸素により発現量が2倍以上に増加し,かつ無酸素条件における発現量がnsy-1変異体において野生型の2分の1以下となる遺伝子を抽出した結果,13遺伝子が得られた。定量的PCRにより結果を再確認し,さらにその中でPMK-1経路に依存した発現パターンを示した遺伝子を7つ候補遺伝子として得た(図5)。実際にこれらの候補遺伝子が無酸素における生存を制御するかを検討するため,soaking RNAi法により各遺伝子の発現を抑制した状態で無酸素における生存率を検討した。その結果7つ中4つの遺伝子(C17H12.8, C32H11.4, Y40B10A.6, nlp-29)の発現抑制により,nsy-1を発現抑制したときと同様に生存率の上昇が認められた(図6)。このことから,nsy-1変異体の無酸素における表現型の一部は,無酸素依存的かつnsy-1依存的な遺伝子発現を介していることが推察される。興味深いことにこれら4つの遺伝子のうちY40B10A.6以外の3つはsignal sequenceと予想される配列を有しており,組織別レスキュー実験より示唆される細胞非自律的な生存の制御に分泌タンパク質の合成という形で関与することが想定された。

【まとめ】

本研究において私は,線虫におけるASKファミリーであるNSY-1が無酸素における生存を制御すること,およびそれがMAPK経路の活性化とその下流遺伝子の発現を介していることを明らかにした。無酸素における生存を制御する因子は,daf-2をはじめとしていくつかの報告はあるものの全体像は明らかとなっておらず,NSY-1をはじめとするMAPK経路の関与は,新たな知見としてその全体像の理解に寄与するものである。

無酸素状態はヒトの体内においても,がん組織など病変部において観察されうる現象である。ASKファミリーの活性を特異的阻害剤などにより調節することで病変組織の応答を調節しうることを今回の結果は示唆している。実際,心臓や網膜神経節における虚血および虚血後再灌流による細胞死がASK1欠損マウスにおいて減少していることが報告されているが,その機構として遺伝子発現を介した調節が行われていることも考えられる。今後の課題として,ASKファミリーが無酸素における細胞や個体の生存を制御する機構を,今回得られた知見をもとにさらに解析したい。

図1.nsy-1変異体は無酸素における生存率が野生型より高い

図2.(A)p38経路の変異体は無酸素における生存率が上昇したが(B)JNK経路の変異体では上舞しなかった(無酸素:72時間)

図3.(A)nsy-1;daf-2二重変異体は各単独変異体より高い生存率を示した(無酸素=96時間)。(B)daf-76変異はnsy-1変異体の表現型は抑制しなかった(無酸素:72時間)。

図4.nsy-1変異体に対して表皮組織腸組織,神経組織のいずれにNSY-1を発現させても表現型は回復した(無酸素:84時間)。

図5.無酸素においてNSY-1下流で発現制御される候補7遺伝子の発現量(定蓋PCRによる)。無酸素(24時間)での発現量を野生型・定常状態との相対値で示した。

図6.NSY-1下流で発現調節される因子をRNAiにより発現抑制すると,無酸素における生存率が上昇する(無酸素:84時間)。

審査要旨 要旨を表示する

Apoptosis signal-regulating kinase (ASK)ファミリーはJNKおよびp38経路の最上流に位置するMAP3Kであり,その制御メカニズムや生理機能が明らかにされつつある。しかし,個体レベルでの役割については未解明な部分も多い。申請者である早河は本研究科において修士課程より,ASKファミリーの新たな役割を解明するため,モデル生物である線虫Caenorhabditis elegansにおけるASKオルソログ(NSY-1)の解析,とくにnsy-1機能欠失変異体の表現型解析を行ってきた。さまざまなストレスへの感受性を検討したところ,nsy-1変異体は無酸素における生存率が野生型N2と比べて高いことが明らかとなった。

線虫C. elegansの低酸素応答に関しては,哺乳類まで保存された転写因子HIF-1 (hypoxia inducible factor)により,その生存が制御されていることが知られている。対して無酸素は,細胞周期が停止するなど低酸素とは個体の応答も異なり,また生存に寄与するシグナル経路も多くは未解明であった。本研究で申請者はNSY-1の無酸素における機能を解析することで,ASKファミリーの担う新たな生理機能へのアプローチを試みた。

無酸素における生存率が高いという表現型がMAPK経路に依存したものかを検討するため,MAPK経路の各変異体の無酸素刺激における生存率を検討した。p38経路のMAP2Kであるsek-1およびMAPKであるpmk-1の各変異体では,いずれも無酸素における生存率の上昇が確認された。対してJNK経路のMAPKであるkgb-1およびjnk-1の各変異体ではそのような生存率の変化は確認されなかった。このことから,NSY-1下流のMAPK経路ではPMK-1経路が主に無酸素における個体の応答に寄与すると考えられる。

また無酸素に抵抗性を示す変異体としてInsulin経路の変異体(daf-2変異体)が単離された。そこで,nsy-1とInsulin経路との遺伝学的関係を二重変異体作製により検討した。nsy-1;daf-2二重変異体はそれぞれの単独変異体より高い生存率を示した。またdaf-2変異体の表現型を抑制するdaf-16変異は,nsy-1変異体の表現型は抑制しなかった。これらのことからNSY-1経路とInsulin経路は無酸素における生存制御において独立して機能することが分かった。

nsy-1変異体の表現型がどの組織におけるどのような機能によるものかを明らかとするため,各種細胞特異的プロモーターを用いたレスキュー実験を行った。その結果,NSY-1が発現していると報告されている表皮・腸・神経いずれの組織にNSY-1を発現させた場合においても,nsy-1変異体における生存率上昇の表現型が抑制されることを見いだした。この結果より,NSY-1は分泌タンパク質の合成,細胞からの二次代謝物の分泌などを介した細胞非自律的な機構で,無酸素における生存を制御すると予想した。

NSY-1下流で生存率を制御する因子を探索するため,マイクロアレイを用いた遺伝子発現量の網羅的解析を行った。野生型において無酸素により発現量が2倍以上に増加し,かつ無酸素条件における発現量がnsy-1変異体において野生型の2分の1以下となる遺伝子を抽出した結果,13の遺伝子が得られた。定量的PCRにより結果を再確認し,さらにその中でPMK-1経路に依存した発現パターンを示した遺伝子を7つ候補遺伝子として得た。実際にこれらの候補遺伝子が無酸素における生存を制御するかを検討するため,soaking RNAi法により各遺伝子の発現を抑制した状態で無酸素における生存率を検討した。その結果7つ中4つの遺伝子(C17H12.8, C32H11.4, Y40B10A.6, nlp-29)の発現抑制により,nsy-1を発現抑制したときと同様に生存率の上昇が認められた。このことから,nsy-1変異体の無酸素における表現型の一部は,無酸素依存的かつnsy-1依存的な遺伝子発現を介していることが推察される。興味深いことにこれら4つの遺伝子のうちY40B10A.6以外の3つはsignal sequenceと予想される配列を有しており,組織別レスキュー実験より示唆される細胞非自律的な生存の制御に分泌タンパク質の合成という形で関与することが想定された。

以上の通り,申請者は,線虫におけるASKファミリーであるNSY-1が無酸素における生存を制御すること,およびそれがMAPK経路の活性化とその下流遺伝子の発現を介していることを明らかにした。無酸素における生存を制御する因子は,daf-2をはじめとしていくつかの報告はあるものの全体像は明らかとなっておらず,NSY-1をはじめとするMAPK経路の関与は,新たな知見としてその全体像の理解に寄与するものである。

無酸素状態はヒトの体内においても,がん組織など病変部において観察されうる現象である。ASKファミリーの活性を特異的阻害剤などにより調節することで病変組織の応答を調節しうることを今回の結果は示唆している。実際,心臓や網膜神経節における虚血および虚血後再灌流による細胞死がASK1欠損マウスにおいて減少していることが報告されているが,その機構として遺伝子発現を介した調節が行われていることも考えられる。本研究における発見は無酸素応答に新たな知見をもたらすものでり,申請者は博士(薬学)の学位授与に値するものと判断した。

UTokyo Repositoryリンク