学位論文要旨



No 126098
著者(漢字) 坂本,明彦
著者(英字)
著者(カナ) サカモト,アキヒコ
標題(和) トロンボポエチン初期シグナルの脂質ラフトを介した制御機構の解明
標題(洋)
報告番号 126098
報告番号 甲26098
学位授与日 2010.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第1363号
研究科 薬学系研究科
専攻 統合薬学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 船津,高志
 東京大学 教授 嶋田,一夫
 東京大学 教授 一條,秀憲
 東京大学 教授 三浦,正幸
 東京大学 講師 垣内,力
内容要旨 要旨を表示する

【序論】

血小板は造血幹細胞が巨核球へと分化し,巨核球が断片化することで作られる.巨核球系列の細胞には一回膜貫通型受容体のMpl が特異的に発現していて,そのリガンドがトロンボポエチン(TPO)である.TPO は巨核球系列の細胞の増殖と分化を促進するサイトカインで,血小板産生の主要な制御因子だとされている.

Mpl にはキナーゼ活性を有するドメインがなく,代わりにJAK2 と呼ばれるキナーゼが細胞質側の領域に結合する.TPO がMpl に結合すると,Mpl,JAK2 がリン酸化し,STAT(signal transducers and activators of transcription ), MAPK ( mitogen-activated protein kinase ), PI3K(phosphoinositide 3-kinase)のリン酸化を介して細胞の増殖と分化を促進する(図1).このようなTPO シグナルが不十分だと血小板減少症や再生不良性貧血に,逆に過剰だと骨髄増殖性症候群になると考えられている.そのため,多くの研究者が細胞内におけるTPO シグナルの制御機構を研究してきた.

近年,TPO シグナルを負に制御する分子機構が大きく分けて2 つあることが分かってきた.ひとつはsuppressors of cytokine signaling やLnk,Lyn などTPO シグナルを抑制するタンパク質の誘導で,もうひとつはリソソームやプロテアソームでの分解によるMpl の発現量の低下である.それに比べると,TPO シグナルを正に制御する分子機構はほとんど分かっていない.

ところで,細胞膜上にはコレステロールやスフィンゴ糖脂質に富んだ脂質ラフトと呼ばれる大きさが数十nm の膜ドメインが存在していて,さまざまなタンパク質のシグナル伝達を制御していると考えられている.そこで私はMpl やJAK2のリン酸化が脂質ラフトによって制御されているのではないかと考え,その制御機構を解明することにした(図2).

【TPO の蛍光標識法の開発】

TPO の細胞内分布を蛍光顕微鏡で観察するためには,TPO を蛍光標識する必要がある.タンパク質の蛍光標識によく使われる試薬のひとつにチオール基反応性色素が知られている.だが,TPO にはMplを介して増殖シグナルを伝達するのに必須な2 組のジスルフィド結合が存在する.そこで,後述するピューロマイシンを用いた方法でTPO を蛍光標識することにした.

ピューロマイシンにはタンパク質の翻訳過程において翻訳されたポリペプチド鎖のC 末端に共有結合する性質がある.そこでアフィニティー精製用のデスチオビオチンタグと蛍光色素のCy5x を結合させたピューロマイシンを化学合成し,その存在下で無細胞タンパク質合成系PURESYSTEM S-S を用いてTPO を翻訳した(図3).その結果,C 末端にデスチオビオチンタグとCy5 が共有結合したTPO(TPO-Cy5x)が合成された.デスチオビオチンタグとあらかじめTPO のC 末端に導入しておいたヒスチジンタグを用いて,蛍光標識されたTPO をアフィニティー精製した.TPO-Cy5x にはMpl 発現細胞を増殖させる活性があること,生細胞においてMpl に特異的に結合することが確かめられた.

【Mpl の一部は脂質ラフトと相互作用していた】

Mpl が脂質ラフト上に局在するかを3 つの方法で調べた.脂質ラフトは低温下でTriton X-100 に不溶性の低密度の構造物を形成する.この性質を利用すると,脂質ラフトと相互作用するタンパク質をショ糖密度勾配遠心法により分離することができる.

マウス骨髄球細胞由来の細胞株FDC-P2 はMpl を発現していないが,遺伝子導入によりMpl を強制発現させるとTPO に依存して増殖するようになる.Mpl を発現させたFDC-P2細胞を低温下でTriton X-100 により溶解し,ショ糖密度勾配遠心法により分離した結果,Mpl,JAK2 の一部がTriton X-100 に不溶性の画分(DIM 画分)に検出された.一方,メチル-β-シクロデキストリン(MBCD)により脂質ラフトの形成を阻害するとMpl,JAK2 はDIM 画分に検出されなくなった.

UT-7/TPO 細胞は白血病患者を由来とする細胞株で,Mpl を発現していて,形態が巨核球の特長を有している.前述の結果が内在性のMpl においても得られるかを調べるために,UT-7/TPO 細胞のTriton X-100 に対する溶解性を調べた.その結果,内在性のMpl,JAK2も一部がDIM 画分に検出された.

次に,Mpl の細胞膜上における拡散運動が脂質ラフトの構成因子のひとつであるコレステロールに依存するかを一分子輝点追跡法で調べた.ACP タグを融合したMpl には酵素を用いることで蛍光色素を共有結合させることができる.ACP 融合型Mpl をFDC-P2 細胞に発現させ,蛍光色素のDY-547 で標識した.この細胞を不飽和脂肪酸で修飾したガラス表面に接着させ,ガラス近傍側の細胞膜上におけるMpl を全反射照明により一分子観察した.一分子輝点追跡法により,Mpl が拡散する領域の大きさ,拡散定数の両方がコレステロールに依存することが分かった.

この細胞を化学固定し,Mpl が脂質ラフトマーカーのGM1 と共局在するかを調べた.その結果,Mpl の一部がGM1 と共局在することが分かった.以上3 つの結果により,Mplの一部が一過的に脂質ラフトと相互作用することが分かった.

【TPO は内在化する前に細胞表面でクラスター化する】

Mpl,JAK2 の脂質ラフト親和性のTPO 刺激による影響を,Triton X-100 に対する溶解性を指標にして調べた.その結果,Mpl,JAK2 の脂質ラフト親和性がTPO 刺激に伴い低下することが分かった.

次に,このような変化が培養細胞においてどのように観察されるかを共焦点顕微鏡で調べた.蛍光標識したMpl はTPO 刺激に伴い,内在化する前に細胞表面でクラスター化することが分かった.また,MBCD により脂質ラフトの形成を阻害すると,Mpl のクラスター化が阻害された.このことからMpl のクラスター化は脂質ラフトに依存することが分かった.

Mpl を発現させたFDC-P2 細胞をTPO-Cy5x 存在下で培養し,共焦点顕微鏡でTPO-Cy5xの細胞内分布を観察した.その結果,TPO は細胞表面に一様に結合した後クラスター化し,そのまま内在化することが分かった.MBCD により脂質ラフトの形成を阻害すると,TPOは細胞表面に一様に結合したままでクラスター化せず,内在化もしなかった.この結果から,TPO の結合したMpl は脂質ラフトに依存して細胞表面でクラスター化すると考えられる.

【TPO の細胞内分布がTPO シグナルの初期段階に与える影響】

TPO 刺激に伴いMpl の細胞質内領域のY112 とY117 がリン酸化することが知られている.そこで,これらのリン酸化部位すべてに変異を入れた変異体を用い,TPO のクラスター化がMpl のリン酸化により制御されるかを調べた.このMpl 変異体を発現させたFDC-P2細胞をTPO-Cy5x 存在下で培養しても,TPO が細胞表面でクラスター化することが共焦点顕微鏡により分かった.このことから,TPO のクラスター化はMpl のリン酸化に依存しないことが分かった.

TPO のクラスター化がMpl のリン酸化に依存しなかったことから,逆にMpl のリン酸化がTPO のクラスター化に依存するのかもしれない.そこで,TPO のクラスター化がMpl,JAK2 のリン酸化に与える影響を免疫沈降法により調べた.細胞を低温で培養することでTPO の内在化を抑制しただけだと,Mpl,JAK2 のリン酸化は顕著な影響を受けなかった.一方,MBCD によりTPO の内在化だけでなくクラスター化も抑制すると,Mpl,JAK2 いずれのリン酸化も抑制された.この結果から,TPO の結合したMpl は脂質ラフトに依存して細胞表面でクラスター化し,その結果,Mpl,JAK2 のリン酸化を促進していると考えられる.

【結論】

本研究により,TPO 刺激に伴いMpl は脂質ラフトに依存してクラスター化し,その結果,Mpl やJAK2 のリン酸化が増幅されることが分かった(図4).Mpl の発現量は巨核球系列の細胞が分化するにつれ増加することが分かっている.本研究により明らかになった脂質ラフトを介したTPO シグナルの増幅機構は,巨核球分化の初期段階において,発現量の少ないMpl を介して効率よくTPO シグナルを細胞に伝える上で重要な働きをしているのかもしれない.

Sakamoto A, Yamagishi M, Watanabe T, Aizawa Y, Kato T, Funatsu T. Fluorescence labeling of a cytokine with desthiobiotin-tagged fluorescent puromycin. J Biosci Bioeng. 2008;105(3):238-42.

図1 TPO シグナルの初期段階

図2 脂質ラフトはTPO シグナルの初期段階を制御しているか?

図 3 TPO の蛍光標識

図4 脂質ラフトを介したTPO シグナルの増幅機構

審査要旨 要旨を表示する

血小板は造血幹細胞が巨核球へと分化し、巨核球が断片化することで作られる。巨核球系列の細胞には一回膜貫通型受容体のMplが特異的に発現していて、そのリガンドがトロンボポエチン(TPO)である。TPOは巨核球系列の細胞の増殖と分化を促進するサイトカインで、血小板産生の主要な制御因子だとされている。Mplにはキナーゼ活性を有するドメインがなく、代わりにJAK2と呼ばれるキナーゼが細胞質側の領域に結合する。TPOがMplに結合すると、Mpl、JAK2がリン酸化し、STAT(signal transducers and activators of transcription)、MAPK(mitogen-activated protein kinase)、PI3K(phosphoinositide 3-kinase)のリン酸化を介して細胞の増殖と分化を促進する。このようなTPOシグナルが不十分だと血小板減少症や再生不良性貧血に、逆に過剰だと骨髄増殖性症候群になると考えられている。そのため、多くの研究者が細胞内におけるTPOシグナルの制御機構を研究してきた。近年、TPOシグナルを負に制御する分子機構が大きく分けて2つあることが分かってきた。ひとつはsuppressors of cytokine signalingやLnk、LynなどTPOシグナルを抑制するタンパク質の誘導で、もうひとつはリソソームやプロテアソームでの分解によるMplの発現量の低下である。それに比べると、TPOシグナルを正に制御する分子機構はほとんど分かっていない。ところで、細胞膜上にはコレステロールやスフィンゴ糖脂質に富んだ脂質ラフトと呼ばれる大きさが数十nmの膜ドメインが存在していて、さまざまなタンパク質のシグナル伝達を制御していると考えられている。本論文はTPOの初期シグナルによるMplやJAK2のリン酸化が脂質ラフトによって制御されていることについて述べられている。

まずイントロダクションでは、TPOの機能と本研究の背景が述べられている。

第1章では、TPOの蛍光標識法の開発が述べられている。TPOの細胞内分布を蛍光顕微鏡で観察するためには、TPOを蛍光標識する必要がある。タンパク質の蛍光標識によく使われる試薬のひとつにチオール基反応性色素が知られている。しかし、TPOにはMplを介して増殖シグナルを伝達するのに必須な2組のジスルフィド結合が存在する。そこで、ピューロマイシンを用いた方法でTPOを蛍光標識した。ピューロマイシンにはタンパク質の翻訳過程において翻訳されたポリペプチド鎖のC末端に共有結合する性質がある。そこでアフィニティー精製用のデスチオビオチンタグと蛍光色素のCy5xを結合させたピューロマイシンを化学合成し、その存在下で無細胞タンパク質合成系PURESYSTEM S-Sを用いてTPOを翻訳した。その結果、C末端にデスチオビオチンタグとCy5が共有結合したTPO(TPO-Cy5x)が合成された。デスチオビオチンタグとあらかじめTPOのC末端に導入しておいたヒスチジンタグを用いて、蛍光標識されたTPOをアフィニティー精製した。TPO-Cy5xにはMpl発現細胞を増殖させる活性があること、生細胞においてMplに特異的に結合することが確かめられている。

第2章では、TPO-Mpl複合体の脂質ラフトでのクラスター化がTPOの初期シグナルを増強することが述べられている。まず、筆者は、Mplの一部が脂質ラフトと相互作用していることを明らかにした。Mplが脂質ラフト上に局在するか否かを3つの方法で調べた。脂質ラフトは低温下でTriton X-100に不溶性の低密度の構造物を形成する。この性質を利用すると、脂質ラフトと相互作用するタンパク質をショ糖密度勾配遠心法により分離することができる。マウス骨髄球細胞由来の細胞株FDC-P2はMplを発現していないが、遺伝子導入によりMplを強制発現させるとTPOに依存して増殖するようになる。Mplを発現させたFDC-P2細胞を低温下でTriton X-100により溶解し、ショ糖密度勾配遠心法により分離した結果、Mpl、JAK2の一部がTriton X-100に不溶性の画分(DIM画分)に検出された。一方、メチル-β-シクロデキストリン(MBCD)により脂質ラフトの形成を阻害するとMpl、JAK2はDIM画分に検出されなくなった。また、UT-7/TPO細胞は白血病患者を由来とする細胞株で、Mplを発現していて、形態が巨核球の特長を有している。前述の結果が内在性のMplにおいても得られるかを調べるために、UT-7/TPO細胞のTriton X-100に対する溶解性を調べた。その結果、内在性のMpl、JAK2も一部がDIM画分に検出された。 次に、Mplの細胞膜上における拡散運動が脂質ラフトの構成因子のひとつであるコレステロールに依存するかを一分子輝点追跡法で調べた。ACPタグを融合したMplに酵素を用いることで蛍光色素を共有結合させることができる。ACP融合型MplをFDC-P2細胞に発現させ、蛍光色素のDY-547で標識した。この細胞を不飽和脂肪酸で修飾したガラス表面に接着させ、ガラス近傍側の細胞膜上におけるMplを全反射照明により一分子観察した。一分子輝点追跡法により、Mplが拡散する領域の大きさ、拡散定数の両方がコレステロールに依存することが分かった。 次に、この細胞を化学固定し、Mplが脂質ラフトマーカーのGM1と共局在するかを調べた。その結果、Mplの一部がGM1と共局在することが分かった。以上3つの結果により、Mplの一部が一過的に脂質ラフトと相互作用することが分かった。

次に筆者は、TPOが内在化する前に細胞表面でクラスター化することを明らかにした。Mpl、JAK2の脂質ラフト親和性のTPO刺激による影響を、Triton X-100に対する溶解性を指標にして調べた。その結果、Mpl、JAK2の脂質ラフト親和性がTPO刺激に伴い低下することが分かった。このような変化が培養細胞においてどのように観察されるかを共焦点顕微鏡で調べた。蛍光標識したMplはTPO刺激に伴い、内在化する前に細胞表面でクラスター化することが分かった。また、MBCDにより脂質ラフトの形成を阻害すると、Mplのクラスター化が阻害された。このことからMplのクラスター化は脂質ラフトに依存することが分かった。Mplを発現させたFDC-P2細胞をTPO-Cy5x存在下で培養し、共焦点顕微鏡でTPO-Cy5xの細胞内分布を観察した。その結果、TPOは細胞表面に一様に結合した後クラスター化し、そのまま内在化することが分かった。MBCDにより脂質ラフトの形成を阻害すると、TPOは細胞表面に一様に結合したままでクラスター化せず、内在化もしなかった。この結果から、TPOの結合したMplは脂質ラフトに依存して細胞表面でクラスター化すると考えられる。

さらに筆者は、TPOの細胞内分布がTPOシグナルの初期段階に与える影響について述べている。TPO刺激に伴いMplの細胞質内領域のY112とY117がリン酸化することが知られている。そこで、これらのリン酸化部位すべてに変異を入れた変異体を用い、TPOのクラスター化がMplのリン酸化により制御されるかを調べた。このMpl変異体を発現させたFDC-P2細胞をTPO-Cy5x存在下で培養しても、TPOが細胞表面でクラスター化することが共焦点顕微鏡により分かった。このことから、TPOのクラスター化はMplのリン酸化に依存しないことが分かった。 TPOのクラスター化がMplのリン酸化に依存しなかったことから、逆にMplのリン酸化がTPOのクラスター化に依存する可能性がある。そこで、TPOのクラスター化がMpl、JAK2のリン酸化に与える影響を免疫沈降法により調べた。細胞を低温で培養することでTPOの内在化を抑制しただけではMpl、JAK2のリン酸化は顕著な影響を受けなかった。一方、MBCDによりTPOの内在化だけでなくクラスター化も抑制すると、Mpl、JAK2いずれのリン酸化も抑制された。この結果から、TPOの結合したMplは脂質ラフトに依存して細胞表面でクラスター化し、その結果、Mpl、JAK2のリン酸化を促進していると考えられる。

本研究により、TPO刺激に伴いMplは脂質ラフトに依存してクラスター化し、その結果、MplやJAK2のリン酸化が増幅されることが分かった。Mplの発現量は巨核球系列の細胞が分化するにつれ増加することが分かっている。本研究により明らかになった脂質ラフトを介したTPOシグナルの増幅機構は、巨核球分化の初期段階において、発現量の少ないMplを介して効率よくTPOシグナルを細胞に伝える上で重要な働きをしているのかもしれない。

以上のように、学位申請者は、TPO刺激に伴いMplが脂質ラフトに依存してクラスター化し、その結果、MplやJAK2のリン酸化が増幅されることを明らかにした。Mplの発現量は巨核球系列の細胞が分化するにつれ増加することが分かっている。本研究により明らかになった脂質ラフトを介したTPOシグナルの増幅機構が、巨核球分化の初期段階において、発現量の少ないMplを介して効率よくTPOシグナルを細胞に伝える上で重要な働きをしている可能性を示した。よって、本研究を行った坂本明彦は博士(薬学)の学位を受けるにふさわしいと判断した。

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