学位論文要旨



No 126101
著者(漢字) 古藤,日子
著者(英字)
著者(カナ) コトウ,アキコ
標題(和) IAPタンパク質の時空間的な代謝はカスパーゼの非細胞死機能を制御する
標題(洋)
報告番号 126101
報告番号 甲26101
学位授与日 2010.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第1366号
研究科 薬学系研究科
専攻 統合薬学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 三浦,正幸
 東京大学 教授 新井,洋由
 東京大学 教授 岩坪,威
 東京大学 教授 一條,秀憲
 東京大学 准教授 富田,泰輔
内容要旨 要旨を表示する

【序】

システインプロテアーゼであるcaspaseは線虫からほ乳類まで高く保存されており、細胞死の実行に寄与している。また、近年の研究からcaspaseは細胞死実行のみならず、細胞増殖や細胞移動、細胞骨格の制御などにも関与することが報告されており、その役割は多岐に渡り重要であると考えられる。しかしながら、caspaseの細胞死における役割と、その他の非細胞死機能が生体内においてどのようにして調節され、両立するのかについては未だ明らかではない。本研究では、caspase阻害因子であるDIAP1(Drosophila Inhibitor of Apoptosis Protein1)に着目し、生体内におけるcaspase活性の制御機構、またそのアウトプットとしてどのような生理機能を発揮するのかを明らかにすることを試みた。DIAP1はユビキチンリガーゼ(E3)としての活性を持ちcaspaseに結合、分解することでcaspaseの活性化を阻害する。DIAP1の機能欠失変異体において過剰な細胞死が誘導され、胚性致死の表現型を示すことから、DIAP1はショウジョウバエ細胞においてcaspaseの活性化制御機構の中心的な役割を果たしていると考えられる。そこで、DIAP1のタンパク質動態を検出する蛍光プローブを作成し、ショウジョウバエ中胸背毛の発生における細胞死シグナルの動態を詳細に解析した。その結果、私はDIAP1タンパク質レベルが発生段階依存的に厳密に制御されることが、caspaseの細胞死、非細胞死機能のスイッチングに必須であることを明らかにした。

【方法と結果】

1.DIAP1タンパク質動態可視化プローブPRAPを用いた、ショウジョウバエ外感覚器の発生過程におけるDIAP1タンパク質の動態解析

私は本学修士課程において、DIAPI動態可視化プローブPRAP(PRe-Afpoptosis signal detecting probe based on DIAP1 degradation)の作成を試み、内在性シグナルを乱すことなく、DIAPIタンパク質の動態を高感度に反映するプローブとして完成させた。次に、ショウジョウバエの生きた個体においてPRAPを用いたDIAP1タンパク質の動態解析を試みた。ショウジョウバエ外感覚器中胸背毛(図1A)は蛹期に感覚器前駆細胞(pI細胞)が非対称分裂することで発生することが知られている(図1B)。pI細1包の非対称分裂過程におけるPRAPの動態をライブイメージングにより観察した結果発生段階依存的にIRAI)の発現パターンがダイナミックに変化していく様子が明らかとなった(図1C)。細胞分裂後、毛穴を構成するソケット細抱、及び剛毛えお形成するシャフト細胞こおいてPRAPは特異的に蓄積し、その他細胞においてPRAPの蓄積は観察されなかった。また、シャフト細胞においては後に感覚剛毛が伸長する際、急激にIRAPのシグナルが低下していく様子が観察された。さらに、抗DIAP1抗体を用いた免疫染色を行った結果、内在性DIAP1タンパク質はPRAPと同様に細胞分裂終了後、ソケット細胞シャフト細胞で高く蓄積していることが観察されたことから、PRAPの動態は内在性DIAP1タンパク質の分解を反映していることが示唆された。

2.DIAP1タンパク質レベルは細胞種、及び発生段階依存的に制御される

外感覚器を構成するそれぞれの細胞種において、PRAPは異なる安定化・分解パターンを示したことから、DIAP1のタンパク質レベルが細胞種依存的に決定されている可能性について検討した。Numbはこの細胞系譜外感覚器を構成するそれぞれの細胞種において、PRAPは異なる安定化・分解パターンを示したことから、DIAP1のタンパク質レベルが細胞種依存的に決定されている可能性について検討した。Numbはこの細胞系譜る。numb変異体の細胞系譜は3つのソケット細胞、1つのシャフト細胞から構成される(図2)。PRAPはnumb変異体において細胞分裂終了後、すべての細胞で蓄積し、またシャフト細胞ではその後、急激なPRAPの分解が観察された(図2)。この結果はそれぞれの細胞種ごとに、DIAP1のタンパク質レベルを制御する機構が備わっていることを示唆している。

3.DIAP1タンパク質の分解促進によって引き起こされる細胞死

次に、PRAPの観察から得られたDIAP1タンパク質の動態はどのような生理的意味をもつのか、を明らかにするため、外感覚器細胞系譜におけるDIAP1のタンパク質レベルを遺伝学的手法により操作した細胞系譜の発生過程を詳細に解析した。細胞死誘導因子Reaperを強制発現させると、pl細胞の細胞分裂は正常に進行した。しかしながら、分裂終了後、ソケット細胞、シャフト細胞においてPRAPの蓄積は起こらず、まもなくシャフト細胞のみがcaspaseの活性化、核の断片化を伴って細胞死によって脱落することが明らかとなった(図3)。また、成虫の外感覚器において感覚剛毛のみを欠失する表現型が得られた(図3)。これらの観察は細胞分裂終了後のシャフト細胞において、DIAP1はcaspaseの活性化を抑制しており、細胞の生存維持に必須であることを示唆している。

4.DIAP1の分解抑制によって引き起こされる外感覚器の形態形成異常

DIAP1分解促進因子であるDmIKKεのノックダウンをした細胞系譜では、野生型のシヤフト細胞で観察されていた感覚剛毛の伸長に伴うPRAPの分解が抑制され、感覚剛毛の伸長中にもPRAPのシグナルが高く維持されていた(図4)。また、成虫の外感覚器の形態を観察すると、野生型に比べてDmIKKεのノックダウン細胞系譜では感覚剛毛が著しく短く、太くなり、細胞の形態異常が観察された(図4)。この表現型はショウジョウバエにおけるcaspase-9ホモログであるDroncのドミナントネガティブ型を共発現することによりさらに顕著に現れ、さらに抗活性化型Dronc抗体によりシャフト細胞の細胞質領域に強いDroncの活性化が検出された。一方、capase-3ホモログであるdrICE/DCP-1の活性を抑制するp35を発現させた場合、DmIKKεのノックダウンによる感覚剛毛の表現型において遺伝学的相関が認められなかった。以上の結果は、シャフト細胞において感覚剛毛が伸長する際、DIAP1はDmIKKεによって急激な分解誘導を受け、その結果、Droncが活性化し、細胞の形態形成過程において非細胞死機能を発揮することを示唆している(図5)。

【まとめと考察】

本研究では、caspase阻害因子であるDIAP1のタンパク質動態に着目し、caspaseの活性化調節機構、及び生理機能を、生きた個体において時空間的に解明することを試みた。その結果、中胸背毛の発生過程においてDIAP1のタンパク質レベルは細胞種、及びその分化段階依存的に安定化、または分解促進されることが明らかとなった。さらに野生型で観察されたDIAP1タンパク質の動態を遺伝学的に変化させた個体において、異所的な細胞死の誘導、さらには中胸背毛の形態に異常が観察された。以上の結果は、中胸背毛の発生段階において、DIAP1はcaspaseの活性制御を介して細胞死の制御のみならず、細胞の形態形成に関与することを示している。本研究は、細胞の生存を維持する一方で、caspaseが非細胞死機能を発揮するために、DIAP1タンパク質レベルが細胞種、及び発生段階依存的に厳密に制御されることが必須であることを示唆している。

Koto,A.,Kuranaga,E.,and Miura,M.(2009).Temporal regulation of Drosophila IAP1 determines caspase functions in sensory organ development.J Cell Biol 187,219-231.

図1中胸背毛細胞系譜におけるDIAP1タンパク質の動態。

(A)(B)中胸背毛は毛穴を構成するソケット細胞(so)、感覚剛毛を形成するシャフト細胞(sf)、神経細胞(n}とそれを支持するシース細胞(sh)から構成される。(C)中胸背毛細胞系譜の発生過程においてPRAPのダイナミックなタンパク質動態が観察された。(上段;核ECFR下段;PRAP)

図2numb変異体の細胞系譜では3つのソケット細胞Jつのシャフト細胞が産生される。PRAPは細胞分裂終了後、すべての細胞で蓄積し、シャフト細胞においてのみ、再び急激な分解が誘導された。

図3Reaperの発現によりDIAP1の分解を促進した系統では毛穴の形成は正常であるが、感覚剛毛が欠失する表現系が得られた(矢頭)。またその発生過程をライブイメージングにより観察すると、細胞分裂終了後、シャフト細胞においてPRAPの分解、及びcaspaseの活性化を伴う細胞死が誘導された。

図4DIAP1分解促進因子であるDmIKKεの発現をRNA干渉法(RNAi)によって抑制すると感覚剛毛の伸長時におけるPRAPの分解が抑制され、成虫における感覚剛毛が太く、短くなる形態異常が観察された。感覚剛毛の先端を矢印で示す。

図5感覚剛毛の発生過程におけるDIAP1タンパク質動態の模式図。感覚剛毛の発生は1細胞分裂期、2細胞分化期、及び剛毛の伸長が誘導される、3.細胞成熟期に分けられ、細胞分化期においてDeAP1はカスパーゼの活性化を抑制し、細胞死の抑制機能を担う。しかしながら、細胞成熟期においてDIAP1タンパク質(実線)は急速に分解され、その分解はDroncの活性化を誘導し、感覚剛毛の伸長(点線)に寄与する。

審査要旨 要旨を表示する

システインプロテアーゼであるカスパーゼは線虫からほ乳類まで高く保存されており、細胞死の実行に寄与している。また、近年の研究から、カスパーゼは細胞死の実行のみならず、細胞増殖や細胞移動、細胞骨格の制御などにも関与すること、さらに癌や神経変性、自己免疫といった多くの疾患に関与することが報告されており、その役割は多岐に渡り重要であると考えられてきた。しかしながら、生きた個体においてカスパーゼの活性化が時空間的にどのように調節され、これらの多機能を両立し、発揮することができるのか、については未だ明らかではない。その理由として、発生過程においては細胞死を含め、様々なイベントが時間的・空間的に厳密に制御されていると考えられているため、発生途中の個体を解剖して行う生化学的解析や、別々の個体を発生時間に沿ってそれぞれ固定し、擬似的な経時的観察を行う従来の観察方法では解明が困難とされてきたことが挙げられる。

本研究では、ショウジョウバエをモデル生物として、細胞死シグナルが「どこで」「どのタイミングで」進行し、またそのアウトプットとして「どのような生命現象に結びつくのか」を生きた個体の中において、一連の過程として生体イメージング観察することにより、カスパーゼの多機能がどのように制御されるのかを明らかにすることを試みた。ショウジョウバエにおけるカスパーゼ阻害因子であるDIAP1(Drosophila Inhibitor of Apoptosis Protein 1)は、ユビキチンリガーゼ(E3)としての活性を持ちカスパーゼに結合、分解することでカスパーゼの活性化を阻害する。DIAP1の機能欠失変異体において過剰な細胞死が誘導され、胚性致死の表現型を示すことから、DIAP1はショウジョウバエ細胞においてカスパーゼの活性化制御機構の中心的な役割を果たしていると考えられる。

そこで本研究では、第一に、DIAP1動態可視化プローブPRAP (PRe-Apoptosis signal detecting probe based on DIAP1 degradation) の作成を試み、内在性シグナルを乱すことなく、DIAP1タンパク質の動態を高感度に反映するプローブとして完成させた。次に、ショウジョウバエの生きた個体において、PRAPを用いたDIAP1タンパク質の動態解析を試みた。ショウジョウバエ外感覚器中胸背毛は蛹期に感覚器前駆細胞(pI細胞)が非対称分裂することで発生することが知られている。pI細胞の非対称分裂過程におけるPRAPの動態をライブイメージングにより観察した結果、発生段階依存的にPRAPの発現パターンがダイナミックに変化していく様子が明らかとなった。細胞分裂後、毛穴を構成するソケット細胞、及び剛毛を形成するシャフト細胞においてPRAPは特異的に蓄積し、その他の細胞においてPRAPの蓄積は観察されなかった。また、シャフト細胞においては後に感覚剛毛が伸長する際、急激にPRAPのシグナルが低下していく様子が観察された。さらに、抗DIAP1抗体を用いた免疫染色を行った結果、内在性DIAP1タンパク質はPRAPと同様に細胞分裂終了後、ソケット細胞、シャフト細胞で高く蓄積していることが観察されたことから、PRAPの動態は内在性DIAP1タンパク質の分解を反映していることが示唆された。

外感覚器を構成するそれぞれの細胞種において、PRAPは異なる安定化・分解パターンを示したことから、DIAP1のタンパク質レベルが細胞種依存的に決定されている可能性について検討した。Numbはこの細胞系譜において非対称に局在し、Notchの活性化を阻害することで細胞の運命決定に寄与する。numb変異体の細胞系譜は3つのソケット細胞、1つのシャフト細胞から構成される。PRAPはnumb変異体において細胞分裂終了後、すべての細胞で蓄積し、またシャフト細胞ではその後、急激なPRAPの分解が観察された。この結果はそれぞれの細胞種ごとに、DIAP1のタンパク質レベルを制御する機構が備わっていることを示唆している。

また、このようなダイナミックなDIAP1タンパク質動態はどのような生理的意味をもつのか、を明らかにするため、中胸背毛細胞系譜におけるDIAP1のタンパク質レベルを遺伝学的に変化させることを試みた。細胞死誘導因子ReaperはDIAP1に結合し、その分解を促進する。Reaperの発現下においても、pI細胞の細胞分裂は正常に進行した。しかしながら、分裂終了後、ソケット細胞、シャフト細胞においてPRAPの蓄積は起こらず、まもなくシャフト細胞のみがcaspaseの活性化、核の断片化を伴って細胞死によって脱落することが明らかとなった。また、成虫の外感覚器において感覚剛毛のみを欠失する表現型が得られた。これらの観察は細胞分裂終了後のシャフト細胞において、DIAP1はcaspaseの活性化を抑制しており、細胞の生存維持に必須であることを示唆している。

一方、DIAP1分解促進キナーゼであるDmIKKεのノックダウンをした細胞系譜では、野生型のシャフト細胞で観察されていた感覚剛毛の伸長に伴うPRAPの分解が抑制され、感覚剛毛の伸長中にもPRAPのシグナルが高く維持されていた。また、成虫の外感覚器の形態を観察すると、野生型に比べてDmIKKεのノックダウン細胞系譜では感覚剛毛が著しく短く、太くなり、細胞の形態異常が観察された。この表現型はショウジョウバエにおけるcaspase-9ホモログであるDroncのドミナントネガティブ型を共発現することによりさらに顕著に現れ、さらに抗活性化型Dronc抗体によりシャフト細胞の細胞質領域に強いDroncの活性化が検出された。一方、capase-3ホモログであるdrICE/DCP-1の活性を抑制するp35を発現させた場合、DmIKKεのノックダウンによる感覚剛毛の表現型において遺伝学的相関が認められなかった。以上の結果は、シャフト細胞において感覚剛毛が伸長する際、DIAP1はDmIKKεによって急激な分解誘導を受け、その結果、Droncが活性化し、細胞の形態形成過程において非細胞死機能を発揮することを示唆している。

本研究によって、カスパーゼの発揮する機能は発生段階依存的に変化し、カスパーゼの活性化は全か無かの制御ではなく、時空間的に精緻に調節されることでその細胞死・非細胞死機能を使い分け、制御されることが明らかとなった。特に、最終分化を終えた細胞において、カスパーゼシグナルは細胞の生死を決定する、という役割から解放され、様々な非細胞死機能を発揮する能力を獲得することが予測される。発生の時間軸に沿って、一つのシグナルカスケードが発揮する生理機能が変化し、多様化していく、というメカニズムは今回モデルとして用いた中胸背毛細胞系譜にとどまるものではなく、生物の発生過程において普遍的に利用されていると考えられる。本研究は、時空間的に、単一細胞レベルでシグナル動態を解析することは、その新た生理機能を知る上でも重要な手がかりとなることを強く示唆する研究成果である。以上より、本研究は博士(薬学)の学位に値すると判定した。

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