学位論文要旨



No 126102
著者(漢字) 新澤,直明
著者(英字)
著者(カナ) シンザワ,ナオアキ
標題(和) 宿主感染防御応答におけるp38マップキナーゼ誘導性トレランス機構の解析
標題(洋)
報告番号 126102
報告番号 甲26102
学位授与日 2010.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第1367号
研究科 薬学系研究科
専攻 統合薬学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 三浦,正幸
 東京大学 教授 関水,和久
 東京大学 教授 一條,秀憲
 東京大学 教授 入村,達郎
 東京大学 教授 村田,茂穂
内容要旨 要旨を表示する

【序】

感染という生命現象は、宿主と寄生体という異なる生物間で成立する生物学的相互作用である。宿主の感染防御応答は大きく2種類の異なる性質に分類される。一つは、病原体を宿主個体内から積極的に排除するための「レジスタンス(resistance)」、もう一方は、宿主に与えられる病原体によるダメージを制御するための「トレランス(tolerance)」である。従来の免疫学・感染症学では、レジスタンス機構の解明に重点が置かれていたが、近年、種々の動物における感染応答において、トレランス機構が存在することが示唆されている。病原体感染時の宿主における健康状態は、レジスタンスとトレランスの協調作用により決定されると考えられ、トレランスが不顕性感染など臨床的に症状を示さない状況に強く貢献していると予想されていた。しかしながら、トレランスを制御する生命現象及びその分子メカニズムはほとんど明らかになっていない。

自然免疫を司るToll様受容体がショウジョウバエから発見されたことは記憶に新しく、節足動物は我々哺乳類とよく似た分子機構により、感染防御に対する応答をしていることが明らかになった。ショウジョウバエは獲得性免疫のようなメモリー式の免疫システムを持ち合わせておらず,AMP発現制御を行う自然免疫経路や血球系細胞による貧食機能などを擁した自然免疫の一次的防御的役割によって,感染時に常に「未知の病原体」と対峙していると考えてよいetこれはいわば,新興感染症に感染した場合とよく似ている.つまり,ショウジョウバエに対しヒト病原体を人為的に感染させるという行為は,獲得性免疫が機能しにくい新興感染症や再興感染症を模していると考えることが可能である.近年、ショウジョウバエをヒト感染症モデルとして用いている研究が数多く成されており、哺乳類を用いた研究では困難であった宿主側因子の網羅的解析等が可能となった。本研究では,特に感染防御応答におけるトレランスを制御する生命現象および宿主側因子の解明を目的として研究を進めた.その結果,貧食細胞の新たな機能として,レジスタンスではなくトレランスを制御する新しい生命現象を発見した.トレランス制御因子の同定が可能になるように設計した遺伝学的スクリーニングを行い,ショウジョウバエのp38 MAPキナーゼ(mitogen-activated protein kinase)であるDmp38bによるS.typhimurium感染に対するトレランス制御機構を明らかにした.p38の機能により,貧食細胞は細胞内に大量の菌体を隔離することが可能になり,宿主体内の生菌数を減少させることなく宿主の感染抵抗性を増強することが明らかになった(Shinzawa et al,2009).本研究で得られた結果は,宿主防御応答におけるトレランスを制御する貧食細胞の新たな役割について強く示唆するものである.

【方法と結果】

1.Dmp38bはサルモネラ感染に対するトレランスを制御する

本研究では,感染におけるトレランスに対する新たな知見を得る目的で,キイロショウジョウバエ(Drosophila melanogaster)を感染モデルとして遺伝学的スクリーニングを試みた.ショウジョウバエ病原性細菌感染モデルでは,感染が成立した宿主個体は致死性を示す。そこで,感染個体の生存率と感染個体内に存在する病原体数の相互関係に注目した.生存率は,病原体感染時における宿主の健康状態を表していると考えられ,病原体数は,宿主のレジスタンスを反映していると考えることができる.トレランスを制御する宿主因子を同定するために,GSシステムという機能獲得型の系統ライブラリーを用いて,食中毒の原因菌の一つであるサルモネラ(Salmonella typhimurium)感染に対する宿主因子の機能を評価した.その結果、Dmp38bが宿主に対する致死性を抑制する機能を持つことを明らかにした(Fig.1A)。また、Dmp38bは菌体増殖を抑制しないことを見出した(Fig.1B)。つまり、Dmp38bはレジスタンスではなく、トレランスを制御することが強く示唆された。

2.サルモネラ感染はDmp38bのリン酸化を誘導する

p38マップキナーゼは細胞増殖や細胞死など、様々な生命現象に関わるリン酸化酵素であり、自身がリン酸化されることで活性化し下流の分子にシグナルを伝達する。抗リン酸化p38抗体及び抗p38抗体を用いたウェスタンブロッティングの結果、ショウジョウバエ個体及び貧食細胞を起源とする培養細胞(S2細胞)において、サルモネラ感染がp38のリン酸化を誘導することが明らかになった(Fig.2)。

3.食食細胞はp38誘導性トレランスを制御する責任組織である

サルモネラはマクロファージ内で増殖を行うことが可能であり、細胞内寄生細菌として知られている。貧食細胞内で特異的にGFPを発現するpMIG1レポータープラスミドを持つサルモネラを用いた結果、ショウジョウバエに対する感染においそも同様に貧食細胞に感染することが判明した(Fig.3A)。また、感染宿主内におけるサルモネラの大部分は細胞内に存在していることがわかった(Fig.3B)。そこで、微細ビーズを用いた貧食阻害後のサルモネラ感染実験を行った結果、感染抵抗性が減弱した。つまり、サルモネラ感染による致死性における食食細胞の重要性が見出された。次に、Dmp38bをショウジョウバエ貧食細胞特異的に強制発現(pxn>Dmp38b)し、サルモネラ感染を行った。その結果、貧食細胞特異的強制発現により感染抵抗性は増強した。さらに、貧食細胞特異的p38強制発現系統では、体液中に存在している菌体数が少ないことが明らかとなった(Fig.3B)。以上の結果から、p38が誘導するトレランスにおいて貧食細胞が重要な役割を担うことが示された。

4.p38誘導性貧食性囲い込みは細菌感染に対するトレランスを制御する

前述のpMIG1レポーターを組み込んだサルモネラを用いた感染実験において、その蛍光の大きさを菌体を含んでいる貧食細胞の大きさであると考えた。Dmp38b強制発現個体、Dmp38b機能欠損型変異体及び野生型個体間で、その大きさと個数を定量した結果、Dmp38b依存的に貧食細胞が肥大化することが明らかになった(Fig.4A)。次に、pMIG1による蛍光シグナルの詳細を観察するために、ショウジョウバエ貧食細胞(プラズマトサイト)特異的抗体を用いて免疫染色を行ったところ、p38が活性化している貧食細胞は、その大きさを3-4倍にも肥大させ、細胞内に多くの増殖した菌体を含むことが明らかになった(Fig.4B)。この膨張した貧食細胞が大量の菌体を細胞内に封じ込める現象を「貧食性囲い込み(phagocytic encapsulation)」と名付けた。貧食性囲い込みによる宿主の生存への影響を解析する目的で、SPI-2変異体サルモネラを用いた。SPI-2変異体はショウジョウバエ体内で通常どおり増殖を行うが、致死性はほとんど誘導しない。SPI-2にpMIG1を組み込み、感染実験を行った結果、より顕著な貧食細胞の肥大化が観察された(Fig.4A,B)。微細ビーズを用いた貧食阻害後のサルモネラ感染実験では、肥大化した貧食細胞は観察されず、p38誘導性トレランスは解消された(Fig.4c)。以上の結果から、貧食性囲い込み作用は体液中への菌体の脱出を阻害することにより、宿主個体へのトレランスを付与していることが示唆された(Fig5)。

【まとめと考察】

本研究で私は、ショウジョウバエp38マップキナーゼであるDmp38bを細菌感染に対するトレランス制御因子として同定することに成功した。さらに、Dmp38bによるトレランスは貧食細胞による菌体の「囲い込み」によることが示された。貧食性囲い込みは、体内に侵入した病原体を隔離するという極めて原始的な防御応答であることが考えられる。貧食作用は、脊椎動物では抗原提示のための消化やオートファジーによる細胞質に存在する病原体の消化など様々な生命現象に関わっているが、元々の機能は単純に「他から隔離する」という現象であったことが示唆される。これは、獲得性免疫が備わる以前の原始的な生物が身に付けた「食べる」ことによる感染防御応答の痕跡である可能性が高い。今後、宿主感染応答におけるトレランス機構の意義について議論が行われ、分子レベルでの制御機構のさらなる知見が得られることが期待される。

【謝辞】

本研究は帯広畜産大学原虫病研究センター原虫進化生物学研究分野(嘉糠洋陸教授)との共同研究により行われました。関係各位に深く感謝致します。

Shinzawa N.,Nelson B.,Aonuma H.,Okado K.,Fukumoto S.,Miura M.,Kanuka H(2009)Cell Host & Microbe 6,244・252

Fig.1(A)Dmp38b強制発現系統及び機能欠損型変異体のサルモネラ感染に対する生存率。(B)Dmp38b強制発現系統及び機能欠損型変異体におけるサルモネラ増殖曲線。

Fig.2(A)サルモネラ感染個体におけるリン酸化p38の検出。(B)サルモネラ感染S2細胞におけるリン酸化p38及び内在性Dmp38bの検出。

Fig.3(A)pMIG1を用いた細胞内寄生の検討。(B}サルモネラ感染個体における全身(左)及び体液中(右)に含まれる菌体数。+p38はp38強制発現個体、+GFPはコントロール。

Fig.4(A)pMIG1による貧食細胞内に存在するサルモネラの検出。但)貧食細胞特異的抗体を用いた貧食細胞の大きさの検討。Ba:サルモネラ(GFP)、Bb:貧食細胞(anti-P1)、Bc:BaとBbの重ね合わせ、Bd:SPI2変異体感染貧食細胞、Be:非感染貧食細胞

Fig.5p38依存的貧食性囲い込みによる細菌感染に対するトレランス機構のモデル図

審査要旨 要旨を表示する

感染という生命現象は,宿主と寄生体という異なる生物間で成立する生物学的相互作用である.宿主の感染防御応答は大きく2種類の異なる性質に分類される.一つは,病原体を宿主個体内から積極的に排除するための「レジスタンス(resistance)」,もう一方は,宿主に与えられる病原体によるダメージを制御するための「トレランス(tolerance)」である.従来の免疫学・感染症学では,レジスタンス機構の解明に重点が置かれていたが,近年,種々の動物における感染応答において,トレランス機構が存在することが示唆されている.病原体感染時の宿主における健康状態は,レジスタンスとトレランスの協調作用により決定されると考えられ,トレランスが不顕性感染など臨床的に症状を示さない状況に強く貢献していると予想されていた.しかしながら,トレランスを制御する生命現象及びその分子メカニズムはほとんど明らかになっていなかった.

自然免疫を司るToll様受容体がショウジョウバエから発見されたことは記憶に新しく,節足動物は我々哺乳類とよく似た分子機構により,感染防御に対する応答をしていることが明らかになった.ショウジョウバエは獲得性免疫のようなメモリー式の免疫システムを持ち合わせておらず,AMP発現制御を行う自然免疫経路や血球系細胞による貪食機能などを擁した自然免疫の一次的防御的役割によって,感染時に常に「未知の病原体」と対峙していると考えてよい.これはいわば,新興感染症に感染した場合とよく似ている.つまり,ショウジョウバエに対しヒト病原体を人為的に感染させるという行為は,獲得性免疫が機能しにくい新興感染症や再興感染症を模していると考えることが可能である.近年,ショウジョウバエをヒト感染症モデルとして用いている研究が数多く成されており,哺乳類を用いた研究では困難であった宿主側因子の網羅的解析等が可能となった.本研究では,特に感染防御応答におけるトレランスを制御する生命現象および宿主側因子の解明を目的として研究に着手した.

本研究では,感染におけるトレランスに対する新たな知見を得る目的で,キイロショウジョウバエ(Drosophila melanogaster)を感染モデルとして遺伝学的スクリーニングを試みた.ショウジョウバエ病原性細菌感染モデルでは,感染が成立した宿主個体は致死性を示す.そこで,感染個体の生存率と感染個体内に存在する病原体数の相互関係に注目した.生存率は,病原体感染時における宿主の健康状態を表していると考えられ,病原体数は,宿主のレジスタンスを反映していると考えることができる.トレランスを制御する宿主因子を同定するために,GSシステムという機能獲得型の系統ライブラリーを用いて,食中毒の原因菌の一つであるサルモネラ(Salmonella typhimurium)感染に対する宿主因子の機能を評価した.その結果,Dmp38bが宿主に対する致死性を抑制する機能を持つことを明らかにした.また,Dmp38bは菌体増殖を抑制しないことを見出した.つまり,Dmp38bはレジスタンスではなく,トレランスを制御することが強く示唆された.

さらに,抗リン酸化p38抗体及び抗p38抗体を用いたウェスタンブロッティングの結果,ショウジョウバエ個体及び貪食細胞を起源とする培養細胞(S2細胞)において,サルモネラ感染がp38のリン酸化を誘導することが明らかになった.

本研究において,貪食細胞内で特異的にGFPを発現するpMIG1レポータープラスミドを持つサルモネラを用いた結果,ショウジョウバエに対する感染においても同様に貪食細胞に感染することを明らかにした.また,感染宿主内におけるサルモネラの大部分は細胞内に存在していることがわかった.そこで,微細ビーズを用いた貪食阻害後のサルモネラ感染実験を行った結果,感染抵抗性が減弱した.つまり,サルモネラ感染による致死性における貪食細胞の重要性が見出された.次に,Dmp38bをショウジョウバエ貪食細胞特異的に強制発現し,サルモネラ感染を行った結果,貪食細胞特異的強制発現により感染抵抗性は増強することを示した.さらに,貪食細胞特異的p38強制発現系統では,体液中に存在している菌体数が少ないことが明らかとなった.以上の結果から,p38が誘導するトレランスにおいて貪食細胞が重要な役割を担うことが示された.

さらに,本研究において,Dmp38b強制発現個体,Dmp38b機能欠損型変異体および野生型個体間で,サルモネラに感染している貪食細胞の大きさと個数を定量した結果,Dmp38b依存的に貪食細胞が肥大化することが明らかになった.次に,p38が活性化している貪食細胞は,その大きさを3-4倍にも肥大させ,細胞内に多くの増殖した菌体を含むことが明らかになった.この膨張した貪食細胞が大量の菌体を細胞内に封じ込める現象を「貪食性囲い込み(phagocytic encapsulation)」と名付けた.貪食性囲い込みによる宿主の生存への影響を解析する目的で,非致死性変異体株であるSPI-2変異体サルモネラを用いた結果,より顕著な貪食細胞の肥大化が誘導された.微細ビーズを用いた貪食阻害後のサルモネラ感染実験では,肥大化した貪食細胞は観察されず,p38誘導性トレランスは解消された.以上の結果は,貪食性囲い込み作用は体液中への菌体の脱出を阻害することにより,宿主個体へのトレランスを付与していることを強く示唆するものである.

本研究で,ショウジョウバエp38マップキナーゼであるDmp38bを細菌感染に対するトレランス制御因子として同定することに成功した.さらに,Dmp38bによるトレランスは貪食細胞による菌体の「囲い込み」によることが示された.これまでトレランスを制御する具体的な宿主応答は不明であったことから、貪食性囲い込みというトレランスを制御する新たな生命現象を明らかにした本研究は新規性が高いと考えられる.一方で,貪食性囲い込みを制御するDmp38bによる細胞生物学的分子メカニズムは不明であり,今後明らかにすべき重要な課題であろう.

今後,宿主感染応答におけるトレランス機構の意義について議論が行われ,分子レベルでの制御機構のさらなる知見が得られることにより,例えば,不顕性感染を伴う感染症に対する新規の治療法・治療薬が開発されることが期待される.感染症の治療法に対する新たなアプローチ方法が望まれる現代において,宿主動物におけるトレランス機構を制御する生命現象の発見を果たした本研究は,医療薬学の分野へ多大なる貢献をしたと見なされる.以上により,本研究は博士(薬学)の学位に値すると判定した.

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