学位論文要旨



No 126121
著者(漢字) 栗山,博道
著者(英字)
著者(カナ) クリヤマ,ヒロミチ
標題(和) イリジウム酸化物におけるスピン軌道相互作用と電子間相互作用
標題(洋) Spin-orbit coupling and coulomb interaction in iridium oxides
報告番号 126121
報告番号 甲26121
学位授与日 2010.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(科学)
学位記番号 博創域第538号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 物質系専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 高木,英典
 東京大学 准教授 Mikk,Lippmaa
 東京大学 准教授 溝川,貴司
 東京大学 准教授 有田,亮太郎
 東京大学 准教授 山本,剛久
内容要旨 要旨を表示する

緒言

5d遷移金属酸化物は、空間的に広がった5d軌道を電子が運動するため、電子間に働くクーロン斥力Uは弱まる。このため典型的な5d遷移金属酸化物ルチルIrO2や立方晶ぺロブスカイト ReO3に見られるように、遷移金属あたりに奇数個の電子をもつ場合、よく電気の流れるwide band metalになると考えられている。しかしながら、最近になって5d電子を5個もつIr4+の酸化物Sr2IrO4が、電子相関によってMott絶縁体となることが実験的に示唆された。これは、重い原子核に由来する大きなスピン軌道相互作用(λso)が電子構造に劇的な変化をもたらすことに起因すると考えられている。層状ぺロブスカイトSr2IrO4では、おおよそ縮退したt2g軌道が、スピン軌道相互作用によって実効的全角運動量Jeff=1/2、Jeff=3/2のバンドに分裂する。このときJeff = 1/2のバンドがちょうどhalf filledの状態となる。生成されたJeff = 1/2 バンドのバンド幅(t)が非常に狭く、5d軌道における小さなU(~ 0.5 eV)と同程度であるため、系はUによってギャップの開いたMott絶縁体となる。それゆえSr2IrO4はスピン軌道相互作用誘起のMott絶縁体になっていると提案されている。このようにイリジウム酸化物は、スピン軌道相互作用と電子間相互作用によって新奇な電子状態を生み出す舞台となる。

目的

本研究の目的は、Ir4+をもつイリジウム酸化物におけるスピン軌道相互作用と電子間相互作用の電子状態に与える効果を明らかにし、スピン軌道相互作用誘起Mott絶縁体のような新奇電子状態を探索することである。しかしながらイリジウム酸化物は、これまで精力的に研究されてきた3d遷移金属酸化物に比べ、物質の種類が少ない。このため目的達成にはIr4+をもつイリジウム酸化物の物質探索が重要な鍵となる。

本研究では、物質探索の手段としてパルスレーザー堆積法(Pulse-laser-deposition technique: PLD)による単結晶薄膜のエピタキシャル成長を用いた。単結晶基板上にエピタキシャル成長させることで、電子構造の研究に有利な単結晶が薄膜状で得られる他、狙いの結晶構造を安定化させ、時にはバルクでは安定ではない新物質を得られることが期待できる。

実験結果と考察

物質探索の結果、3つのイリジウム酸化物の単結晶薄膜 (1)斜方晶歪み(GdFeO3歪み)をもつぺロブスカイトCaIrO3、(2)Ir ハニカム格子をもつNa2IrO3、(3)新規スピネル酸化物Ir2O4、の合成に成功した。電気輸送特性、光学特性の測定と第一原理計算との比較を通じてそれぞれがスピン軌道相互作用によって誘起されたユニークな電子状態を持つことを明らかにした。

1.エピタキシャル薄膜成長

ぺロブスカイトCaIrO3[Fig 1(a)]は高温高圧(1.0GPa,1400℃)で安定であり、単結晶の育成の難しい物質である。我々はLaAlO3(001)基板、(LaAlO3)0.3(Sr2AlTaO6)0.7(LSAT) (001) 基板上にぺロブスカイト型CaIrO3を得ることが出来た。新規イリジウムスピネル酸化物Ir2O4はエピタキシャル薄膜成長とソフト化学反応を駆使することにより、LixIr2O4を中間体として合成した。種々のX線回折による結晶構造の解析からMgO(001)とLiNbO3(0001)基板上に成長させたLixIr2O4はスピネル酸化物であることが明らかとなった。LixIr2O4薄膜を酸化剤ヨウ素/アセトニトリル溶液につけることでLiが結晶から取り除かれIr2O4を得ることに成功した。通常のスピネル酸化物AB2O4に対して、Ir2O4はAサイトのイオンを持たない特殊な構造を有し、λMnO2と同じ結晶構造である[Fig. 1(b)]。Na2IrO3はNa層と(Ir2/3Na1/3)層が交互に積層した層状化合物である[Fig.1(c)]。Na2IrO3の格子定数に合う基板がないため、Al2O3基板上にMgO、Mg1-xCaxOの順で二重にバッファ-層を積層させることにより格子定数を調整した。その結果二重バッファ-層上に良質な単結晶薄膜を得た。

2-(1). スピン軌道相互作用誘起半金属 CaIrO3

我々は、ぺロブスカイトCaIrO3がスピン軌道相互作用によって誘起された半金属の状態にあることを見出した。電気抵抗の温度依存性を見てみると、あまり温度変化せず、金属的ではないものの、比較的低い電気抵抗(~ 3mΩcm at 300K)を示している(Fig. 2)。一方でホール係数の温度依存性は大きく、低温で増大する振る舞いを示した。低温での符号が正であることから主なキャリアはホールである。また面白いことに室温(300K)付近でホール係数の符号が正から負へと反転した。このことは主要キャリアがホールから電子へと変化したことを示しており、2キャリアが存在すること示唆している。2キャリアを仮定して、キャリア数を見積もると低温で1×1019cm-3と非常に少なく、半金属の状態にあることを示唆する。より詳しく電子状態を調べるために光学スペクトルの測定を行いバンド計算との比較を行った。Fig. 3に0.13~5.0eVのエネルギー範囲で、室温で測定した光学伝導度スペクトルを示す。外挿して得られる0 frequencyにおける光学伝導度~1200Scm-1は直流電気抵抗率~1mΩrがcmと一致する。特筆すべきは1.0eV以下に特徴的なダブルピーク構造があることであり、0.2eVの構造をα、~0.8eVの構造をβとする。これらのダブルピーク構造はスピン軌道相互作用によって生じた電子構造に対応していると考えられる。Fig. 4に、スピン軌道相互作用を含めない場合と含めた場合で計算した第一原理計算のバンド分散を示す。スピン軌道を含めない場合は金属的な分散が見られる。一方、スピン軌道を含めると、複雑に交差していたバンドが、交差点で割れていることに気づく。その結果、t2gのバンドは6つの要素に分裂していることが状態密度(Fig. 3)に良く見て取れる。フェルミエネルギー(EF)は1番目と2番目の状態密度の間にあるくぼみにかかり、小さなホールポケットとエレクトロンポケットが残った半金属の電子状態を得た。光学スペクトルで見られる、二つのピークα、βはバンド計算との対応から、それぞれ1,2バンド間の遷移、3,4,5,6バンドから1バンドへの遷移であると帰属出来る。以上の結果から、CaIrO3はスピン軌道相互作用によって誘起された半金属であることが分かった。

2-(2) スピン軌道相互作用誘起Mott絶縁体 新規スピネル酸化物Ir2O4、Na2IrO3

Ir2O4、Na2IrO3がSr2IrO4同様スピン軌道相互作用によって誘起されたMott絶縁体であることを提案する。Na2IrO3は磁化測定から反強磁性の絶縁体であることがわかっている。一方Ir2O4も電気抵抗の温度依存性が、絶対値は小さいものの絶縁体的な振る舞いを示す。室温における電子の活性化エネルギーは~36 meVと非常に小さく、ナローギャップ絶縁体であることが示唆される。

このナローギャップの特徴はIr酸化物絶縁体に共通であることが光学伝導度から読み取れ、Ir2O4、Na2IrO3ともにギャップは高々0.5eV程度である。我々はIr2O4、Na2IrO3がSr2IrO4同様、弱いUによってギャップの開いたスピン軌道相互作用誘起Mott絶縁体であると考える。Fig. 5に見られるように、Ir2O4、Na2IrO3のスピン軌道相互作用を含むバンド計算では、非常にバンド幅の狭いJeff = 1/2の状態がEFに出来ており、half filled状態になっていることがわかる。一方、絶縁体の状態を得られておらず、このことはIr2O4やNa2IrO3が絶縁体となるにはUが必要であることを示唆する。注目すべきは、Sr2IrO4でも観測された特徴的なダブルピーク構造が2.5eV以下に観測されていることである。それぞれα、βとすると、Sr2IrO4のアナロジーからαはJeff = 1/2のLHBからUHBへの光学遷移に、βはJeff = 3/2からJeff = 1/2 UHBへの光学遷移に対応すると推察される。αのピーク位置が変わらないことは、物質によらずUの大きさが同程度であることに対応している。ナローギャップの本質は小さなUにあると推察される。一方でβのピーク位置はSr2IrO4とIr2O4, Na2IrO3とでは大きくに異なる。βはλso、U/2と結晶場によるt2gの分裂ΔCFによって決まると考えられる。λso、UはIrに固有であると近似できるため、βはΔCFに大きく依存し、Ir2O4とNa2IrO3では三方晶の結晶場によってJeff = 3/2が低エネルギー側に押し下げられていると推察される。

最後に、Na2IrO3の第一原理計算からt2gがJeff = 2/3が4つ、Jeff = 1/2が2つ、計6つに分かれていることに気づく。CaIrO3でも観測された特徴に似ており、対称性の低下と密接に関連している。

総括 イリジウム酸化物におけるスピン軌道相互作用と電子間相互作用

本研究で対象としたCaIrO3、Ir2O4、Na2IrO3や先行研究にあるSr2IrO4に見て取れるように、スピン軌道相互作用は、大きく電子構造を変化させる。物質固有に見えていたその変化の様子は、本研究によって開拓された物質を概観することで統一的な見方が出来るようになる。すなわち単位胞内にIrが複数個ある場合(ルチルIrO2では1個)、その本質はスピン軌道相互作用がt2gバンドの縮退を6つに解くことにあると我々は考える。このことは対称性の低い場合に顕著であった。斜方晶CaIrO3はtもλsoと同程度となるので、完全なギャップは開かず半金属的となる。実際の物質では見つかっていないが、スピン軌道相互作用によってギャップの開いたspin-orbit絶縁体がtの小さい極限には存在することが予想される。Na2IrO3ではEF付近のバンドも分かれかけているが、大きな状態密度が残り系は不安定である。そこでtが小さいことから、最終的にUによってギャップの開いたMott絶縁体となると考えられる。

一方、結晶の対称性が高い場合、6つに分裂せずにバンドは縮退を残す。これがSr2IrO4やIr2O4で観測されたJeff = 1/2、Jeff = 3/2のバンドの正体である。このためMott絶縁体が安定となる。Ir2O4は結晶構造の3次元性のためSr2IrO4に比べてU/tが小さく、より金属に近い領域にいると考える。

以上のイリジウム酸化物に対する知見は、他の5d遷移金属酸化物に関しても定性的に適応できると考える。今後、本研究で得られた知見がスピン軌道相互作用を応用した無散逸スピンデバイスなどへの、物質設計の一つの指針になることを期待する。

Fig.1 Crystal structures of CaIrO3(a), Ir2O4(b) and Na2IrO3(c)

Fig.2 Temperature dependence of resistiving (a) and Hall coeffcient (b) for CaIrO3

Fig.3 Optical conductivity for CaIrO3.

Fig.4 First principle band calculations of CaIrO3 in (a) FLAPW and (b) FLAPW with SOC

Fig.5 Optical conductivity σ(ω) (a) and DOS of Ir2O4 (b),Na2IrO3(c)

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、題目「イリジウム酸化物におけるスピン軌道相互作用と電子間相互作用(Spin-orbitcouplingandcoulombinteractioniniridiumoxides)」に表現されるように、イリジウム酸化物における強いスピン軌道相互作用とそれと同程度の電子間相互作用が、どのように系の基底状態を決めるかを明らかにした研究である。論文は全六章からなる。

第一章では、研究の背景が述べられている。周期表において3d、4d、5dと下方の元素になるにつれて金属的な電子状態が得られることが単純には期待される。このため、54遷移金属イリジウム酸化物Sr21rO4がMott絶縁体となることの異常性が注視されている。この新奇なMott絶縁体が、スピン軌道相互作用に誘起されたものであるとする最近の研究を紹介し、イリジウム酸化物におけるスピン軌道相互作用の重要性を強調している。スピン軌道相互作用を物質開発に積極的に取り入れることで、3d、44遷移金属酸化物では成しえなかった電子相、機能開拓の可能性が示唆されており、研究の動機につながっている。

第二章では、研究の目的、物質開発の特徴、そして結果の概略が述べられている。Sr21rO4における新奇なMott絶縁体の実現を受けて、イリジウム酸化物においてスピン軌道相互作用と電子間相互作用が、系の基底状態を決定する重要な相互作用であることに着目している。この観点から、結晶構造に依存したスピン軌道相互作用の効果を系統的に理解すること、スピン軌道相互作用に起因した新奇な電子相の実現を研究の目的として掲げている。目的実現のために、基板を鋳型とした薄膜合成によって結晶をデザインし、実験的、第一原理計算のアプローチから電子状態の解明を試みる。結果、三つの物質CaIrO3、Ir204、Na21rO3の開発に成功し、それぞれがスピン軌道相互作用に起因した新奇な基底状態をとることを明らかにした。

第三章では、斜方晶ペロブスカイトCaIrO3がスピン軌道相互作用によって誘起された半金属状態であることが述べられている。まず、薄膜合成によってバルクでは合成の難しいCaIrO3が単結晶薄膜として得られ、精密な物性測定の結果、低キャリアの半金属状態にあることが示されている。さらに、この半金属状態がスピン軌道相互作用によって誘起されることを、光学伝導度の特徴的なピーク構造と第一原理計算との対応から結論付けている。頂点共有で連結されたIrO6八面体のかしぎとスピン軌道相互作用の協奏が半金属の電子構造を生み出す鍵であることを指摘している。さらにその延長上にはスピン軌道相互作用によってエネルギーギャップの開いた絶縁体が期待されることを候補物質とともに示している。

第四章では、新規スピネル型h204がスピン軌道相互作用によって誘起された新奇なMott絶縁体となることが述べられている。まずIr204が薄膜合成とソフト化学的手法を駆使して合成された新物質であり、放射光を用いた振動写真などから、Ir204がスピネル型構造を有することが示されている。Ir204はSr21rO4と同様にスピン軌道相互作用によって誘起されたMott絶縁体であるが、結晶構造の対称性の相違に起因して、Sr2hO4とは異なる基底関数をとることが指摘されている。このようにIr204の発見から、スピン軌道相互作用誘起Mott絶縁体の多様性を見出している。さらにIr204は幾何学的フラストレーションの強い結晶構造を有するため、磁気モーメントのフラストレーションや特異な電子状態`強相関トポロジカル絶縁相'の発現といった、研究の進展が期待される。

第五章では、Na21rO3がスピン軌道相互作用と三方晶の強い結晶場によって特異な基底状態をとることが述べられている。まず、バッファー相の導入によって、単結晶基板とNa21rO3との格子定数の不整合を解消し、結晶性の良い薄膜試料が得られたことが述べられている。結果、Na21rO3はMott絶縁体であるが、スピン軌道相互作用でギャップの開いた絶縁体に程近い状態であることが、他のイリジウム酸化物絶縁体(Sr21rO4、Ir204)の光学伝導度との比較から推察されている。

第六章では、論文のまとめと今後の展望が述べられている。イリジウム酸化物の基底状態が結晶構造、スピン軌道相互作用、電子間相互作用によってどのように決まるかを系統的に理解できることが述べられている。そして今後の展望として、スピン軌道相互作用を活かした機能性材料の開発指針が示されている。

なお、本論文は高木英典、松野丈夫との共同であるが、論文提出者が主体となって分析及び検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分あると判断する。

以上、本研究はイリジウム酸化物における結晶の横断的考察から、スピン軌道相互作用に起因した新奇な基底状態が、結晶構造とスピン軌道相互作用、電子間相互作用の協奏によって発現することを実証した。これらの結果はスピン軌道相互作用の強い5d遷移金属酸化物における物性物理、物質科学に貢献すること大である。したがって、博士(科学)の学位を授与できると認める。

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