学位論文要旨



No 126124
著者(漢字) 田尾,祥一
著者(英字)
著者(カナ) タオ,ショウイチ
標題(和) 有機半導体における超高速光学応答と光キャリアダイナミクスに関する研究
標題(洋)
報告番号 126124
報告番号 甲26124
学位授与日 2010.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(科学)
学位記番号 博創域第541号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 物質系専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 岡本,博
 東京大学 教授 吉澤,英樹
 東京大学 准教授 森,初果
 東京大学 准教授 田島,裕之
 産業技術総合研究所 研究グループ長 長谷川,達生
内容要旨 要旨を表示する

背景

【有機半導体における励起子・光キャリアの生成緩和過程】

近年、新たなエレクトロニクス材料としての有機半導体の研究が活発に行われている。有機半導体を用いたデバイスは、有機ELや有機FET (Oraganic FET:OFET) など電子デバイスのみならず、光デバイスにも広がりをみせている。OFETでは、一般にキャリアの移動度がSiや化合物半導体と比較して非常に小さく、10 cm2/Vs程度である。しかし、OFET中のキャリア移動度は薄膜試料の結晶粒界、結晶中の格子欠陥、不純物、また電極や絶縁膜との界面といった様々な要因によって抑制され、有機半導体の本質的な伝導特性を反映していない。そのため、本質的な伝導特性を調べるために、高純度単結晶を用いたOFETの研究も盛んに行われている。

その中で特に注目を集めている物質が、芳香族炭化水素の一種であるルブレンである。高純度単結晶および高移動度といった特徴から、ルブレンは有機半導体の本質的な特性を探るためには最適な材料であると言える。2003年には単結晶FET構造を用いた新たな発光素子も開発されており、電子・光機能材料としての重要性が増している。

本研究では、光励起による励起子や光キャリアの生成過程、また、伝導機構を理解するためには、高い時間分解能でのダイナミクスの測定が有効であると考え、サブピコ秒での吸収変化ダイナミクスとピコ秒での発光ダイナミクスの詳細な測定を行った。

【単層カーボンナノチューブにおけるコヒーレント非線形光学応答】

単層カーボンナノチューブ(SWNT)をはじめとする一次元電子系では、バンド端への状態密度の集中や励起子準位への振動子強度の集中、励起子結合エネルギーの増大により、非線形光学応答が増大することが知られている。これまでに多くの研究により、光励起により励起子吸収の吸収飽和(光励起に関係する終状態の占有数の増加による吸収強度の減少)が起こり、バンドルチューブではチューブ間の電荷・エネルギー移動によって1 ps程度で回復するのに対し、孤立チューブでは10 ps以上の緩和時間を有することが知られている。このように吸収飽和による吸収変調は、励起子の緩和時間によって応答時間が決定される。一方、2005年に励起子の寿命に律速されない非線形光学応答が観測され、励起子系と光子系の相互作用によって励起子準位が瞬間的にシフトする現象(光Starkシフト)として理解できることが指摘された。このような応答は、分極の位相が保たれている間のみ観測され、コヒーレント非線形光学応答と呼ばれている。しかしながら、これまでの光Starkシフトの研究はバンドルチューブで行われており、その解釈の妥当性は必ずしも明確でない。また、励起子―光子相互作用以外の機構でのコヒーレント非線形光学応答の可能性も考えられる。

以上を踏まえ、本研究では、光Starkシフトをはじめとした励起子寿命に依存しない非線形光学応答に注目し、SWNTを用いて一次元電子系に特徴的な非線形光学応答を観測するとともに、その機構を解明することを目的とした。そのためにカイラリティ分布が小さく、吸収の不均一幅の小さい試料を産業総合技術研究所ナノテクノロジー研究部門の片浦グループに作製していただいた。試料は、CoMoCAT法で作製したSWNTを超音波処理で凝集をほどいたものを、界面活性剤(sodium deoxycholate)でミセル化しgelatin中に分散させたもので、おおよそ一本一本のチューブが孤立してマトリックス中でランダムに配向している。

実験方法

時間分解吸収スペクトルは、130 fsパルスレーザーを用いたpump-probe分光法によって測定した。Pump、probe光の波長はOptical Parametric Amplifierを用いて10 μm-300 nmの範囲で連続的に波長変換が可能である。時間分解発光は、ストリークカメラを用いて測定した。ストリークカメラは、試料からの発光を波長と時間の二軸に分解して測定可能で、時間分解能は30 ps程度である。

結果と考察

【有機半導体における励起子・光キャリアの生成緩和過程】

試料には、主に大阪大学竹谷グループによってPhysical Vapor Transport (PVT) 法で作製された高純度のルブレン単結晶を用いた。また、大阪大学森研究室で作製された液相成長単結晶(溶媒: p-xylene)を比較のために用いた。

Fig. 2にルブレン結晶の吸収端付近で励起した際の、遠赤外-可視域での過渡吸収スペクトルの時間発展を示す。0.4 eVに現れる鋭いピーク(PA1)は、励起子準位からの誘導吸収である。また、100 ps後に現れる1.5 eV付近の吸収構造(PA2)は、ルブレンのアニオンとカチオンの吸収スペクトルと一致している。中赤外域のスペクトルに注目すると、Fig. 3(a,b)に示すように、励起直後の励起子吸収(PA1)から新たな吸収構造(PA3)が数百 ps以降に観測される。PA3はポーラロン形成に伴うmid-gap吸収である考えられる。PA1の減少と、PA2及びPA3の増加のダイナミクスが一致しており、光励起によって生成した励起子が解離し、ポーラロン的な光キャリアが生成したことを示している。Fig. 2の結果は、ルブレンにおいては励起子吸収より低いエネルギーで励起した際にも励起子から光キャリアが生じることを示している。光学ギャップより十分高エネルギーで励起すると、中赤外領域で緩和時定数1 ps以下の高速緩和成分が観測される。Fig. 4(a, b)にprobe光0.12 eVとPA1のダイナミクスの励起エネルギー依存性を示した。低エネルギーの2.23 eV励起では、二つのダイナミクスはほぼ一致しており、0.12 eVではPA1ピークの裾を観測している。一方、高エネルギーの3.16 eV励起では、0 ps付近に鋭い吸収変化が観測される。この高速応答のスペクトルは低エネルギーに向かって増大しており、伝導的なキャリアの生成を示しており、光励起による電子・正孔の直接生成及びエネルギー緩和による励起子形成の過程を観測している。Fig. 4(c)に、PA2と高速応答の大きさを励起エネルギーに対してプロットした。PA2は励起エネルギーに依存しないが、高速応答は約2.7 eVから立ち上がる依存性を示している。この依存性の違いは、光キャリアを直接生成するには、励起子結合エネルギーを上回る余剰光子エネルギーが必要なのに対して、励起子解離による光キャリア生成には励起子を生成のエネルギー、つまり、光学ギャップ以上の光子エネルギーで十分であることを示している。高速応答が現れる2.7 eVと励起子準位2.32 eVの差の約0.4 eVがおおよそ励起子結合エネルギーに相当し、理論的に予想されている0.5 eVと同程度の値となっている。一方、20 psレーザーを照射したときの光電流量はPA2と同様に励起エネルギーに対して変化しない特徴が報告されており、光電流には、励起子が解離して生成される光キャリアが寄与していることがわかる。

不純物の存在による励起子解離ダイナミクス(PA1)の変化を調べるために、真空アニール前後や成長条件の異なる試料でダイナミクスを測定した。PVT法で作製した試料と液相成長試料での発光スペクトル形状には顕著な差異が観測され、二つの試料での不純物の種類や密度が大きく異なることを示している。このような不純物環境の差異は、励起子解離過程に大きな影響を与えることが予想されるが、PA1のダイナミクスは試料に依らないことが分かった。この結果は、励起子解離が酸素由来の不純物サイトで起こるという従来の考えと矛盾するもので、ルブレンに内在する励起子解離過程の存在を示唆するものである。

ルブレンに固有の現象を理解する上で重要なのが、フェニル側基の存在である。低温でのPA1のダイナミクスの初期過程に周期0.43 ps (78 cm-1)のcos型の振動が観測された。この低波数の振動はテトラセン骨格ではなく、フェニル基の振動に由来する。一方で、PA1の長時間領域でのダイナミクスは、低温では室温と比較して緩和時間が増大しており、励起子解離確率が減少していることを示している。緩和時間は熱活性型の温度変化を示し、活性化エネルギーは38 meVと見積もられた。これらの結果は、励起子の安定化にフェニル基の歪みが大きく寄与していることを示している。

【単層カーボンナノチューブにおけるコヒーレント非線形光学応答】

孤立度が高く、カイラリティ分布の小さいSWNTを用いて、光学ギャップ以下のエネルギーで光励起した際に現れるコヒーレント非線形光学応答を測定した。励起エネルギー1.14 eVにおける(6, 5)のカイラルチューブの吸収スペクトル変化ダイナミクス(〓Abs)をFig. 5(a-c)に示す。0 ps付近に鋭いスパイク応答が現れていることがわかる。本研究では、吸収飽和とは異なる起源をもつこれらのスパイク応答に注目した。スパイク応答の大きさ(〓Abs)の時間発展をFig. 5(d)に示した。スペクトル形状は、-0.1 psでは吸収スペクトルの一次微分、0.1 psでは二次微分と一致している。励起後0 psでのスペクトル形状は吸収スペクトルの一次微分と二次微分形状の足し合わせでよく再現される。これら結果は、コヒーレント光学応答が二つの応答の重ね合わせであることを示している。一次微分形状は励起子準位のブルーシフト、二次微分形状は励起子準位のブロードニングに由来する。ブルーシフトは、半導体量子井戸やバンドルSWNTで過去に観測されている光Starkシフトによるものと考えられるが、吸収ブロードニングによるスペクトル変調は過去に報告例がない。吸収スペクトルの線幅は主に位相緩和時間で決まっており、SWNTでは高強度励起下では励起子間散乱による位相緩和時間の減少に伴う線幅の増加が報告されている。本研究で観測された吸収ブロードニングを伴うコヒーレント非線形光学応答も同様に励起子間散乱の効果によるものであると考えられる。SWNTにおける電子の一次元閉じ込め効果と大きな励起子結合エネルギーが、励起子間散乱確率の増大の原因である。スペクトルの不均一幅の小さい試料を用いることで、チューブ間相互作用を排除したSWNTに本質的な非線形光学応答の存在とその機構が明らかになった。

Fig. 1 (a)rubrene、(b)SWNTの分子構造

Fig. 2吸収端付近を励起した際の過渡吸収スペクトル。(inset) 100 ps後のスペクトルと、ルブレンアニオンとカチオンの吸収スペクトル。

Fig. 3 (a,b)中赤外領域の0 psと400 psでのスペクトル。(c)各吸収構造の時間発展。

Fig. 4(a-b)各励起エネルギーにおける0.12 eV(実線)とPA1(破線)のダイナミクスの比較。(c) 0.12 eVでの高速応答とPA2の大きさの励起エネルギー依存性。灰実線は光電流スペクトル。

Fig. 5 (a-c)1.14 eV励起による吸収変化ダイナミクス。(d)コヒーレント応答スペクトルの時間発展。破線は吸収スペクトルの一次微分、実線は二次微分形状。点線は一次微分と二次微分の足し合わせでデータを再現した。(e-f)スペクトル変調による吸収変化。

審査要旨 要旨を表示する

近年、シリコンや化合物半導体に替わり得る新規半導体の研究が盛んに行われている。新規材料を用いることで、1)デバイスの性能を向上させる、2)環境に対する負荷を軽減する、3)コストを下げる、4)フレキシブル素子や大面積素子の作成を可能にする、といった様々な観点から研究が進められている。その中で、2)-4)の観点から特に重要と考えられている材料が、炭素系半導体材料(以下有機半導体と呼ぶ)である。本論文は、有機半導体材料の中で、現在最も注目を集めているカーボンナノチューブと分子性半導体ルブレンに注目し、それらの励起子やキャリアのダイナミクスを過渡分光法で調べた研究の成果をまとめたものである。

カーボンナノチューブは、ナノテクノロジーの代表的な物質として盛んに研究が行われているが、新規光機能性に関する研究は必ずしも多くなく、その中でも全光型超高速スイッチングを念頭に置いた研究は極めて少ない。本研究では、超高速レーザー分光法を用いて、半導体カーボンナノチューブの励起子に関し、光スイッチングの起源となるコヒーレント非線形光学応答の詳細な研究を行った。一方、ルブレンは、有機半導体を用いた電界効果トランジスタにおいて、最大の移動度を示すことで注目されており、発光トランジスタも実現している。しかし、そのキャリアや励起子の性質については、十分な理解が進んでいない。本研究では、過渡吸収分光と過渡発光分光を用い、キャリアと励起子の性質、および、そのダイナミクスを詳細に調べた。

本論文は、5章からなる。第1章には、序論として、研究全体の背景、研究目的と論文の概要が述べられている。第2章には実験方法が記載されている。第3章、第4章は、それぞれ、単層カーボンナノチューブにおけるコヒーレント非線形光学応答、および、有機半導体単結晶における光励起状態の生成緩和ダイナミクスに関するものであり、第5章が総括である。

第3章では、まず、本章の研究の概要が述べられた後、単層カーボンナノチューブの構造と電子状態が解説され、その光物性と非線形光学応答に関するこれまでの研究がまとめられた。そして、それを踏まえた本研究の目的、および、本研究において用いられた試料の説明が記されている。その後、実験結果と考察が述べられている。まず、高度に孤立分散された単層カーボンナノチューブにおいて、半導体チューブを共鳴励起、および、近共鳴励起した場合の吸収変化スペクトルが示され、近共鳴励起の場合の半導体チューブの吸収変化が、二種類のコヒーレント非線形光学応答によるものであることが明らかにされた。これまでの研究では、この吸収変化は、励起子と光子の相互作用に基づく光シュタルク効果によるものとされてきた。本研究において、このような通常の光シュタルク効果に加え、励起子―励起子散乱による非線形光学応答が超高速の吸収変化を支配していることが初めて明らかにされた。

第4章では、研究の概要が述べられた後、本研究で対象とするルブレンの結晶構造と電子構造、および、トランジスタや光物性に関するこれまでの研究がまとめられた。そして、それを踏まえた本研究の目的、および、本研究で用いられた試料の説明が記されている。その後、実験結果と考察が述べられている。まず、可視から近赤外にわたる広帯域の過渡吸収スペクトルとその時間変化が示され、励起子、自由キャリア、ポーラロンキャリアのそれぞれによる誘導吸収のスペクトルが明らかにされた。これらの吸収の励起光子エネルギー依存性を測定することにより、ポーラロンが光伝導特性を支配していることが示された。次に、ポーラロンは、励起子を共鳴励起した場合にも生成することが示され、その機構が議論された。最後に、ポーラロンによる誘導吸収の時間変化、温度変化、励起強度依存性等から、ポーラロンの性質とその伝導機構が詳細に議論された。伝導特性を支配しているポーラロンは、強く格子に束縛されたものではなく、比較的高温ではバンド的に振る舞うが、低温では格子欠陥等によって容易にトラップされることが明らかにされた。

なお、本論文第3章は、岡本博、松崎弘幸、片浦政道、宮田耕充各氏との共同研究、第4章は、岡本博、川村元秀、朴 仁用、大谷直也、上村紘崇、松崎弘幸、竹谷純一、三輪一元、植村隆文各氏との共同研究によるが、論文提出者が主体となって実験、解析を行ったものであり、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

以上から、本論文は、有機半導体(カーボンナノチューブおよびルブレン)における超高速光学応答と光キャリアダイナミクスの解明とそれらの機能性材料としての発展に大きく貢献するものであると考えられ、博士(科学)の学位を授与できると認める。

UTokyo Repositoryリンク