学位論文要旨



No 126125
著者(漢字) 鶴巻,厚
著者(英字)
著者(カナ) ツルマキ,アツシ
標題(和) ステップ基板上に作製したYBa2Cu3O7-δ超薄膜の超伝導特性
標題(洋) Superconducting properties of YBa2Cu3O7-δ ultrathin films grown on substrates with the step and terrace structure
報告番号 126125
報告番号 甲26125
学位授与日 2010.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(科学)
学位記番号 博創域第542号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 物質系専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 廣井,善二
 東京大学 教授 高木,英典
 東京大学 准教授 Mikk,Lippmaa
 東京大学 教授 上田,寛
 東京大学 教授 上田,和夫
内容要旨 要旨を表示する

遷移金属酸化物は、高温超伝導をはじめとした多彩な物性を示しうる物質群であり、また多様な用途に対して高い応用可能性を持っている。そのため遷移金属酸化物薄膜の研究は近年盛んに行われており、その結果、バルク体とは異なる薄膜形態に特有な興味深い現象がこれまでに数多く見出されてきた。また良質な薄膜を得るためには、基板物質の表面構造が極めて重要であることが知られている。最も代表的な基板物質であるSrTiO3 (STO)の(001)表面に関してはこれまでに、NH4-HF (BHF)エッチングや高温アニーリングという表面処理法が報告されており、現在では原子平坦テラスと1単位格子高さのステップが周期的に繰り返した、ほぼ理想的に平坦な表面構造を得ることが可能である。しかしながらそのようなステップアンドテラス基板においても1単位格子高さのステップは依然として存在しており、基板ステップが薄膜物性に対してもたらす影響についてはこれまでほぼ議論がなされたことが無かった。

本研究では遷移金属酸化物の中でも、二次元的な電子状態を持つ銅酸化物超伝導体であるYBa2Cu3O7-8 (YBCO)に着目した。YBCOのc軸長は1.17 nmはSTOの単位格子長0.39 nmのおよそ3倍である。そのため図 1に示したようにSTO基板上のステップは、YBCOのc軸配向膜中には1/3 単位格子分の"fault"を作ることとなる。この"1/3 fault"においてYBCOの超伝導CuO2面のうち1面は必ず切断され、もう1面にも大きなミスマッチが生じる。そのため基板ステップの存在はYBCO膜の超伝導特性には必ず影響を及ぼすはずである。

本研究ではこのような着眼点に基き、基板ステップの影響の評価、および周期的ステップ構造がもたらす新規現象の探索を主な目的として、STO (001)ステップアンドテラス基板上へのYBCOの良質な超薄膜の作製および超伝導特性の評価を行った。

ステップの影響を評価するための試料としては、Pr1.1Ba1.9Cu3O7-8 (PBCO) / YBCO / PBCO / STO (001)という構成の3層膜を、パルスレーザー蒸着法によって作製した。PBCO、YBCO各層の厚さはそれぞれ3単位格子分である。PBCOはYBCOと同構造の非超伝導体であり、表面保護のためのキャップ層および格子歪み緩和のためのバッファ層として使用している。使用したSTO (001)基板は(001)面からあるミスカット角度〓を持って[100]方向に向かって研磨されたものであり、〓 = 0.1 ~ 0.5°である。STO基板には製膜前にBHFエッチングおよびアニーリングを施しており、平坦性の高い周期的ステップアンドテラス構造を形成させている。電気抵抗測定は、ステップラインと水平なlongitudinal (L)方向およびステップを垂直に横切るtransverse (T)方向という2方向に対して行った(図 3.(b)の挿入図)。測定法は四端子法であり、長辺をLおよびT方向に対応させる形で、試料を~0.7 〓 3.3 mmの短冊状に切り出して測定を行っている。

図 2に示したように、表面処理後のSTO基板の表面には1単位格子高さのステップが周期的に並んでおり、ほぼ理想的なステップアンドテラス表面が得られている。ステップの平均間隔lは、〓 = 0.1 ~ 0.5° に対して277 ~ 42 nmの範囲である。このような0.4 nmの高さのステップは、3単位格子厚さのPBCO膜を成長させた後の表面にもほぼ同一の周期で存在している(図 2.(a) )。この観察されたステップの高さは明らかにPBCOの単位格子長(~1.2 nm)よりも小さく、STO基板上に存在していたステップの高さに等しい。したがってこの表面構造から、このPBCO膜中には図 1に示したような"1/3 fault"が存在していることが分かる。さらにこの0.4 nmの高さのステップは、PBCO / YBCO / PBCOという3層構造の計9単位格子分の厚さの膜の表面においても観察された(図 2.(c))。一方でこちらの表面では、YBCOおよびPBCOの単位格子に相当する1.2 nmの高さを持つステップや、ステップバンチングを起こしている部分も見ることが出来る。~10単位格子以上の厚さを持ったより厚い膜の表面においてはこれらの、基板ステップと対応しないステップ構造が支配的に観測された。このことは、周期的な"1/3 fault"は膜厚の上昇に伴って余分な原子面の挿入(YBCO中の積層欠陥)によって消失するものであることを示している。したがってこのような"1/3 fault"は、YBCOの超薄膜においてのみ存在しうると言える。

図 3は、〓 = 0.5° (l = 48 nm)の基板上に作製したYBCO超薄膜のLおよびT方向における電気抵抗率の温度依存性である。超伝導転移のオンセットはいずれの方向においても約93 Kであり、転移の中点はL方向において85.2 K、T方向において84.8 Kである。したがって超伝導転移温度Tcは両方向でほぼ同一である。

一方でゼロ抵抗温度Tc0の付近においては、両方向間で明確な差異を見ることができる(図 3.(b))。L方向においては81 K でゼロ抵抗に到達するのに対し、T方向では66 Kまで抵抗率の裾引きが発生し、Tc0には15 Kの差が存在する。本研究ではこのような"resistivity tail"の存在を再現性良く、T方向においてのみ観察している。このTc0の差異は明らかに基板ステップに起因したものである。基板ステップによって形成された"fault"は、超伝導電流に対してはウィークリンクとして働き、そのために周期的な"fault"を横切るT方向においてのみTc0が減少しているものと考えられる。

YBCOにおいては1単位格子までの超薄膜の作製例が過去に報告されており、膜厚の減少とともにTc0も減少することが報告されている。その理由は多くの場合でKosterlitz-Thouless (KT)転移の影響によるものと解釈されており、基板ステップの影響は過去のいずれの例においても考慮されていなかった。本研究においては新たに基板ステップによるTc0の減少が示されたので、YBCO超薄膜におけるKT相の振る舞いについても今後、再考するべきであると言える。

またL方向とT方向との間には、正常状態の抵抗率にも異方性が存在している(図 3 .(a))。その大きさは100 Kにおいて、約2倍である。この異方性の比はステップ間隔に対する依存性をほぼ示さない。そのためこの異方性の起源は、YBCOの一次元CuO鎖のステップに対する選択的配向であることが示唆されている。CuO鎖がステップラインと平行に並ぶことで、L方向により小さな正常状態抵抗率を与えているものと予想される。

さらに磁場印加下の抵抗率には、両方向間で興味深い差異を見ることができる。図 4は、〓 = 0.5°(l = 48 nm)の基板上に作製したYBCO超薄膜のLおよびT方向における抵抗率の温度依存性である。測定はT方向のTc0直下の70 Kで行っており、印加磁場方向は膜表面に垂直である。L方向では2 Tの磁場値までゼロ抵抗が維持されるのに対し、T方向では0.1 Tという小さな磁場の印加によって有限の抵抗が発生する。測定温度がTc0付近であり印加磁場値が小さいことから、この有限の抵抗は磁束フロー抵抗であると判断される。L方向とT方向との間で観測された磁気抵抗の差異は、基板ステップによる"fault"が一次元的な磁束ピン止め中心として働くことを示したものであると言える。図 4.(a)中の挿入図に示したように、量子化磁束に働くローレンツ力の方向はL方向ではステップラインと垂直、T方向ではステップラインと平行となる。その結果L方向においては、相対的に強い磁束ピン止め力が得られているものと判断される。

さらに注目すべきことに、T方向の磁束フロー抵抗には、特定の磁場値において特異なディップが数多く発生する(図 4.(b)および図 5.(b))。本研究の測定におけるノイズレベル(5 〓 10-4 〓 cm)は、これらの抵抗ディップよりも十分に小さい値である。また磁場上昇、磁場減少の両方の過程で測定された抵抗プロファイルは完全に一致しており、さらに抵抗プロファイルは磁場方向の正負反転に対しても完全に対称である。

抵抗ディップは63 ~ 73 Kでは温度依存性を示さずに特定の磁場値で発生し、より高温の78 K以上では見られなくなっている。そのため抵抗ディップは磁束フロー領域においてのみ観測されていると言え、抵抗ディップでは何らかの理由で磁束ピン止め力が上昇していると言える。そしてディップの位置が温度依存を示さないことからこれらの抵抗ディップの起源は、磁束格子とピン止め中心との間のマッチング効果であると考えられる。マッチング効果は、これまで主に超伝導体中に正三角格子等の形状で人工的なピン止め中心を導入することによって観測されており、本研究のように人工的ピン止め中心以外に対して観測されたことは、非常に興味深いと言える。

そもそも、「周期的な一次元ピン止め中心の存在する二次元超伝導体」に対しては、実験的にマッチング効果が観測された例自体がこれまでに存在していない。しかしながら理論的には、正三角形の磁束格子に対して既に発生が指摘されており、48 nm という周期のピン止め中心に対しては111, 194, 259, 345, 444, 777および1036 mTというマッチング磁場値を想定することが出来る。一方でこの試料で観測された抵抗ディップの位置は100, 200, 240, 320, 380, 480, 580, 760, 870, 1075 および 1265 mTである。したがって大半の抵抗ディップはこのマッチング効果によって説明可能である。しかしながら本研究の測定結果には、この正三角格子との単純なマッチングでは説明出来ない抵抗ディップも存在しており、異なるマッチング機構の存在も示唆されている。周期的な一次元"1/3 fault"中における磁束格子の振る舞いは、人工的な規則正しいピン止め中心とは異なり非常に複雑であると予想されるが、試料を微細加工した上での測定を行えば、その振る舞いがより明らかなものとなることが期待される。

遷移金属酸化物薄膜において基板ステップは、その影響評価の困難さからこれまで研究対象にはならずにいたが、本研究ではあえてその点に着目したことでいくつかの新たな現象を見出すことが出来た。本研究では良質なYBCO超薄膜の作製によって、膜中への基板ステップによる周期的な"1/3 fault"の形成およびその観察に成功している。また基板ステップが膜中に超伝導ウィークリンクを形成していることが明らかとなり、さらに基板ステップに対するCuO鎖の配向も示唆されている。磁場印加下では"1/3 fault"が一次元的な磁束ピン止め中心として働くことが示されており、周期的"1/3 fault"と磁束格子の間にはマッチング効果が発生していると考えられる。

図 1 STO (001)ステップ基板上に作製した3単位格子厚さYBCO超薄膜 (3単位格子厚さのPBCOバッファ層およびキャップ層を含む)、および"1/3 fault"の模式図。

図 2 (a) 3単位格子厚さ膜(PBCO)および(b) 9単位格子厚さ膜(PBCO / YBCO / PBCO)のAFM像。下段がそれぞれに使用したSTO基板(〓= 0.1 および 0.3°)のAFM像ある。(b)および(d)は、それぞれ(a)と(c)の画像に対応する、T方向での表面プロファイルである。上段が膜表面、下段が基板表面に対応する。0.4 nmのステップを白丸、1.2 nmのステップを白四角、ステップバンチングしている部分を黒丸によって示している。

図 3 3単位格子厚さYBCO超薄膜の、LおよびT方向における抵抗率の温度依存性(〓 = 0.5°)。(b)はゼロ抵抗温度付近の拡大図である。

図 4 3単位格子厚さYBCO超薄膜の、T =70 Kにおける抵抗率の磁場依存性。(b) は低磁場領域の拡大図である。LおよびT方向における実験配置を(a)中の挿入図に模式的に示しており、図中のI, B およびFはそれぞれ電流、磁場およびローレンツ力である。

図 5 図4と同一の試料に対する、(a) 73, 78および80 K、(b) 67, 70, 71, 72および73 KにおけるT方向での抵抗率の磁場依存性。(b)中の縦線は代表的な抵抗ディップの位置である。

図 6 各磁場値における、正三角形の磁束格子と周期的な一次元ピン止め中心との間のマッチング配置

審査要旨 要旨を表示する

本論文は4章からなり、第1章は本論文の基礎となる概念とこれまでの関連する研究について、第2章は実験方法について、第3章は作製されたYBCO薄膜の構造と物性について、第4章は研究のまとめと今後の展望について述べている。

第1章では、まず銅酸化物の全般的な物性についてまとめ、その代表的な物質であるYBa2Cu3O7-δ(YBCO)の結晶構造、化学的性質、物理的性質について述べられている。次に基板物質であるSrTiO3(STO)を表面処理することで得られるステップ基板の特徴に触れている。さらにステップ基板を用いた薄膜研究の例をあげ、これまでに行われてきたYBCO薄膜に関する研究について概観されている。特に、基板ステップの薄膜物性に与える影響に着目した研究例がほとんどないことが強調されている。最後に本論文の目的として、YBCO超薄膜における基板ステップの影響について期待される効果が述べられている。

第2章では、本論文においてなされた実験の手法について述べられている。

第3章では、まず良質な薄膜成長のためのSTOステップ基板作製について述べられている。様々な条件を最適化した結果、40-300nmの間隔で周期的に並んだ原子ステップ線をSTO表面に作製した。この上にYBCO薄膜を形成し、基板ステップの影響が薄膜表面にまで現れることを原子間力顕微鏡観察から示した。表面でのステップの高さはもとのSTOの単位胞に対応し、膜中にステップの上で「1/3 fault」が形成されることを明らかにした。ただし、これは膜厚が10nm以下の場合であり、これより厚くなると緩和されて見えなくなる。YBCOと同じ結晶構造を有し、超伝導を示さないPrBa2Cu3O7-δをバッファーおよびカバー層として用いることでYBCO3単位胞厚さの極めて良質な超伝導薄膜を作製した。

得られた薄膜の面内電気抵抗を測定し、ステップ線に平行と垂直方向で大きな異方性が存在することを明らかにした。超伝導転移温度以上では、常伝導状態の抵抗に約2倍の異方性を見出し、これがステップの効果によりYBC構造中に含まれるCu-O鎖がステップ線に平行に秩序化したためであること示唆した。

同じく電気抵抗測定により、超伝導転移の様子にステップに平行、垂直方向で大きな違いがあることを見つけた。平行方向ではシャープな電気抵抗の落ちを観測し、転移温度が80K以上であるのに対して、垂直方向では転移の裾が現れ、ゼロ抵抗温度は約15K低いことが分かった。これは、1/3 faultが超伝導弱結合として働いていることを強く示唆する。一方、磁場中電気抵抗測定実験から、ステップ線に垂直に電流を流したときにのみ、電気抵抗の磁場依存性に多くのディップを発見した。これは、ある特定の磁場で磁束流抵抗が低く抑えられることを意味し、何らかの磁束ピニング機構が働いていることを示している。ディップの磁場値から、周期的1/3 fault構造が特異な一次元ピニングセンターとして機能することを結論した。これまで、人工的に導入された三角格子状の欠陥などにより、同様のマッチング効果が観測されているが、このような基板ステップ由来のピニングセンターは初めての例である。さらに1次元磁束ピニングに関しては30年前に理論的に研究されたことがあるが、実験的に観測されたのは極めて珍しい。高温超伝導における磁束ピニングの物理を研究する上で非常に興味深い試料を提供した。また、臨界電流密度の向上に向けた基礎研究としても注目される。

第4章では、以上の結果をまとめるとともに、今後の展望について述べられている。

なお、本論文の全ての結果は、論文提出者が実験および解析を行ったものである。

以上のSTOステップ基板上に作製したYBCO超薄膜に関する研究は、学位申請者が世界で初めて行ったものであり、極めてオリジナリティーの高い研究である。また、得られた成果も物性物理学の新たな展開に結びつくものであり、高く評価される。

したがって、博士( 科学 )の学位を授与できると認める。

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