学位論文要旨



No 126137
著者(漢字) 片岡,隆史
著者(英字)
著者(カナ) カタオカ,タカシ
標題(和) 酸化亜鉛および金属フタロシアニンにおける希薄磁性のX線磁気円二色性による研究
標題(洋) X-ray Magnetic Circular Dichroism Study of Dilute Magnetism in Zinc Oxide and Metal Phthalocyanine
報告番号 126137
報告番号 甲26137
学位授与日 2010.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(科学)
学位記番号 博創域第554号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 複雑理工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 藤森,淳
 東京大学 教授 上田,寛
 東京大学 准教授 江尻,晶
 東京大学 准教授 佐々木,岳彦
 東京大学 准教授 溝川,貴司
内容要旨 要旨を表示する

希薄磁性半導体(DMS)は、半導体に少量の磁性イオンを添加して得られる磁性体であり、スピントロニクス材料として期待されている[1]。DMSは半導体と磁性体との双方の機能を備えた特異な磁気的・電気的性質を示すため、不揮発性メモリなどへの応用が期待されているが、実用化のためにはDMSが室温以上の高温で強磁性を示すことが必須である。この観点から、ZnOを母体としたDMS(ZnO-DMS)の研究が盛んに行われるようになった。なぜなら第一原理計算やZenerのp-d交換相互作用モデルを用いた理論計算によれば[2]、ZnO-DMSは室温以上のキュリー温度(Tc)を示すと予測されているからである。実際に室温強磁性を示すZnO-DMSが報告されているが[3]、それらの磁性現象に関連した電子状態、電子的相互作用は明らかになっていない。ZnO-DMS中の磁性イオンの電子状態と磁性状態を元素選択的に調べることのできるX線磁気円二色性(XMCD)は、希薄に磁性イオンが存在する物質であるZnO-DMSの電子状態研究に有用な手段である。

我々は、ZnO-DMSにおける磁性現象の発現機構の解明を目指し、ZnO:Mn, ZnO:Fe, ZnO:(Mn,Co), ZnO:Cuの電子構造を主にXMCDをはじめ、X線吸収分光(XAS), 共鳴光電子分光(RPES)により詳細に調べた。また、XMCDのもつ元素選択性を活かし、有機スピントロニクス材料として注目されているマンガンフタロシアニン(MnPc)の電子状態についても調べた。MnPcはπ共役系金属錯体で、希薄に磁性イオンを内包する磁性体であり、磁性現象の解明が望まれている。

1.ZnO:Mnの強磁性に与えるNドーピングの効果

MnをドープしたZnOの室温強磁性が報告されて以来、ZnO:Mnは室温強磁性を示すDMSとして注目を集めている。Wangら[3]は、O原子をN原子に置き換えることでホールキャリアが生成され、ホールを介したMn2+同士(Znサイトに置換されたMn)の交換相互作用(p-d交換相互作用)が生じ、ZnO:Mnの強磁性状態が実現されるという理論予測をしている。しかしながら、最近では、ZnO:Mnにおける強磁性がMn3O4、MnO2によるものだという報告[4]もあり、ZNO:Mnの強磁性の原因は実験的に明らかにされていない。そこで我々はNによりホールをドープしたZnO:Mn薄膜に対しXMCD測定を行い、強磁性状態とMnの電子状態との関連を調べた。

図1(a)はNのドーピングによりホールをドープしたZnO:Mn薄膜(Mn = 2 %)のSQUID測定の結果である。試料 A, Bはそれぞれ薄膜作製時の窒素分圧を変化させたもので、A:PN2 = 4.0×10-5, B:1.5×10-5 mbarで、両者とも室温強磁性を示すことが確認された。図1(b)はXMCDの磁場依存の結果で、H = 0においてXMCDが有限である[強磁性(FM)成分をもつ]ことが確認された。NをドープしないZnO:MnにおいてFM成分は観測されなかったことから、MnとNの同時ドーピングがZnO:Mnの強磁性を発現させることが示唆される。しかしながら、過剰NドープはFM状態を抑制する可能性がある。

2.ZnO:Feナノ粒子の電子状態と磁性状態の関連

ZnO:Feナノ粒子は室温強磁性を示すDMSナノ粒子であり、新規物質DMSとして報告されている[5]。この物質の強磁性の起源は明らかではないが、粒子内部にFe2+が存在し、粒子表面にFe3+が存在するというコア-シェルモデルに基づいたFe3+-Fe2+の二重交換相互作用の存在が提唱されている[5]。Fe3+がナノ粒子表面のZn欠損により、生成されるという理論予測から[6]、この物質の強磁性は、欠損から誘起されたものであると考えられている。しかし、ZnO:Feの電子状態は調べられていない。そこで我々はZnO:Feの強磁性とFeの電子状態との関連を理解するために、XMCDおよびRPES測定を行った。

図2(a)はZnO:Feナノ粒子のXASとXMCDの結果である。比較のために、図中には金属FeのXMCDも示している。図2(b)はZnO:FeとFe酸化物[Fe2O3 (Fe3+), Fe3O4 (Fe2+, Fe3+)]のXMCD形状を比較したもので[7,8]、ZnO:FeとFe2O3のXMCD形状は似ていることが分かる。このことから、ZnO:Feの強磁性、常磁性成分はFe3+による寄与が大きいことが分かった。

3.遷移金属を同時ドーピングしたZnOナノ粒子の電子状態

ZnOナノ粒子はバルクや薄膜と異なる磁気物性を示すことから注目を集めてきた。特にナノ粒子表面に生成される欠損と磁性の関係が重要とされており、Ganguliら[6]は、ZnOナノ粒子DMSの表面欠損が強磁性発現には不可欠であるという報告をしている。しかしながら、ZnOナノ粒子DMSにおける磁性と電子状態の関連は明らかにされておらず、ZnOナノ粒子DMSの表面、内部の電子状態が、それぞれ磁性に与える影響について実験的に調べる必要がある。我々はZnO:(Mn,Co)ナノ粒子、ZnO(Fe,Co)ナノ粒子の表面/コアにおける遷移金属イオンの電子状態についてXASを用いて調べた。

図3(a),(b)はそれぞれMn, Co 2p→3d XASの結果で、表面敏感なTEYモードとバルク敏感なTFYモードで得られたものである(スペクトルを○印で示す)。また、様々な価数の理論スペクトル(計算はクラスターモデル)を図の下方に破線で示してある。実験的に得られたスペクトルは理論スペクトルの足し合わせ(実線)によって再現できることがわかる。

図4は実験スペクトルを理論スペクトルの足し合せで再現する際に得られた、各価数の存在比を示したものである。3+、4+のMn,Coイオンの存在比はTEYモードによってより多く検出され、2+のMn, Coイオンは、TFYモードによってより多く検出される。このことは3+、4+のMn,Coイオンがナノ粒子表面により多く存在していることを示す。XASの結果から、ZnO:(Mn,Co)ナノ粒子において、Mn,Coイオンは混合原子価(2+、3+、4+)状態であることが明らかになった。さらに表面敏感なXASとバルク敏感なXASの結果を比較、検討した結果、3+、4+のMn,Coイオンはナノ粒子表面で粒子内部より多く観測されることが分かった。

4. マンガンフタロシアニンにおけるMn3dの電子配置

分子磁性体MnPcは、分子間相互作用に由来する強磁性を示すという報告がされており[9]、Mnの電子状態に関する多くの理論研究や磁化測定が行われてきた[9,10]。MnPcのMn 3d電子配置として、4A2g [(dxy,yz)2(dxy)2(dz2)1]と4Eg[(dxy,yz)3(dxy)1(dz2)1]が先行研究から提案されているが[9,10]、どちらの電子状態が強磁性に寄与しているかは明らかにされておらず、強磁性に関与するMnの3d 電子状態を実験的に調べる研究が望まれていた。我々は、強磁性を示すMnPc多結晶に対しXMCD測定を行い、Mnの電子状態と磁性の関連を探った。

図5(a)はMnPcのXMCDの磁場依存の結果である。XMCD強度はH = 0.1 Tの低磁場においても微弱ながら観測されることから、この物質における強磁性はMnイオンに起因すると考えられる [図5(c)参照]。磁場依存の結果から強磁性成分を抜き出してクラスターモデルを使った計算結果との比較を図6に示す。計算結果と実験結果の比較から、MnPcの強磁性成分は主にMn2+(4Eg)に由来することが明らかになった。

[1] J. K. Furdyna, J. Appl. Phys. 64, R29 (1988).[2] T. Dietl, H. Ohno, F. Matsukura, J. Cibert and D. Ferrand, Science 287, 1019 (2000).[3] Q. Wang, Q. Sun, P. Jena, and Y. Kawazoe, Phys. Rev. B 70, 052408 (2004).[4] M. A. Garcia, M. L. Ruiz-Gonzalez, A. Quesada, J. L. Costa-Kramer, J. F. Fernandez, S. J. Khatib, A. Wennberg, A. C. Caballero, M. S. Martin-Gonzalez, M. Villegas, F. Briones, J. M. Gonzalez-Calbet and A. Hernando, Phys. Rev. Lett. 94, 217206 (2005).[5] D. Karmakar, S. K. Mandal, R. M. Kadam, P. L. Paulose, A. K. Rajarajan, T. K. Nath, A. K. Das, I. Dasgupta, and G. P. Das, Phys. Rev. B. 75, 144404 (2007).[6] N. Ganguli, I. Dasgupta, and B. Sanyal, Appl. Phys. Lett. 94, 192503 (2009).[7] S. B. Profeta, M. A. Arrio, E. Tronc, I. Letard, C. C. D. Moulin, and P. Sainctavit, Phys. Scripta. 115, 626 (2005).[8] J. Chen, D. J. Huang, A. Tanaka, C. F. Chang, S. C. Chung, W. B. Wu, and C. T. Chen, Phys. Rev. B 69, 085107 (2004).[9] M.-S. Liao, J. D. Watts, and M.-J. Huang, Inorg. Chem. 44, 1941 (2005).[10] P. A. Reynolds, B. N. Figgis, Inorg. Chem. 30, 2294 (1991).

図1: ZnO:MnのSQUID(a)とMn 2p→3d XMCD強度の磁場依存性

図2: (a) ZnO:FeのFe 2p→3d XASとXMCD. Fe金属のXMCDを図下方に示す. (b) ZnO:FeとFe2O3 [7], Fe3O4 [8]とのXMCD形状の比較.

図3: ZnO:(Mn,Co)のMn (a),Co (b) 2p→3d XAS. XASはTEYとTFYモードの両方を示す(丸印). クラスターモデルによる理論スペクトル(2+, 3+, 4+)を破線でそれぞれの図の下方に示す. 実験結果を再現するように理論スペクトルを足し合わせたものを実線で示す.

図4: ZnO:(Mn,Co)における2+, 3+, 4+のMn (a), Co(b)イオンの存在比. 存在比はクラスターモデル計算と実験XASスペクトル形状から見積もられた.

図5: MnPcのMn 2p→3d XMCDの磁場依存(a). (b) MnPcの分子構造. (c) Mn 2p→3d XMCD強度の磁場依存性.

図6: 実験的に得られたMnPcの強磁性成分とクラスターモデル計算結果との比較.

審査要旨 要旨を表示する

半導体に磁性イオンを少量添加して得られる希薄磁性半導体は,将来のスピントロニクス材料として期待されているが,実用化のためには室温以上で強磁性を示すことが必須である.ZnOをべースとした希薄磁性半導体は,室温で強磁性を示すことが理論的に予言されているために注目され,多くの研究がなされてきた,また,金属フタロシアニンも有機スピントロニクス材料として検討されている.本論文では,局所的な電子状態・磁性のプローブであるX線磁気円二色性測定と関連する放射光分光法を用いてこれらの物質を調べ,新たな知見を得ている.

本論文は7章よりなる.第1章ではまず本論文への導入として,ZnOをべースとした希薄磁性半導体および金属フタロシアニンの合成・物性についての先行研究を紹介し,問題となっている点を挙げている.続く第2章では,本論文で用いる測定手段である軟X線吸収分光,軟X線磁気円二色性,共鳴光電子分光の原理,スペクトルの解析方法およびスペクトルから得られる情報,測定装置について述べている.

第3章では,マンガンをドープしたZnO薄膜について測定を行い,窒素の同時ドープにより酸素バンドにホールがドープされること,強磁性が強められることを見出し,この系の強磁性がホールに誘起された強磁性であることを示している.マンガンの価数は,2価の亜鉛を置換したときに期待される通り,2価であることを確認している.

続く第4章で,鉄をドープしたZnOナノ粒子について同様な測定を行い,鉄の価数が単純な期待と異なり大部分3価であること,反強磁性的に結合した鉄の磁気モーメントがフェリ磁性の機構により小さな磁化をもつ強磁性を与えていることを見出している.ここで提案される強磁性発現機構は,先行研究で提唱された2価と3価の二重交換相互作用に代わるものである.

第5章では,2種の遷移金属原子を同時にドープしたZnOナノ粒子の軟X線吸収分光,軟X線磁気円二色性測定を行い,ドープした遷移金属原子の価数と磁性を調べている.コバルトとマンガンを同時ドープした試料では常磁性しか観測されないが,コバルトと鉄を同時ドープした試料では強磁性が発現する.本論文では,この強磁性を担うのが鉄原子であり,コバルト原子は強磁性に関与しないことを見出している.また,表面敏感な全電子収量測定とバルク敏感な蛍光測定を組み合わせることによって,ナノ粒子表面で遷移金属原子の価数が高くなる傾向を見出している.

第6章では,有機強磁性体として注目されているマンガン・フタロシアニンの電子状態・磁気状態を調べている.これまで2つの電子配置モデルが提案され,議論があったが,軟X線吸収分光,軟X線磁気円二色性の測定と解析から,どちらのモデルが正しいか明確な答えを与えている.

最後の第7章では,本論文で得られた知見をまとめ,それらが希薄磁性半導体の研究に対してどのような寄与をするかを述べ,今後の展望を述べている.

以上のように本論文は,希薄磁性半導体として重要なZnOをべースとした物質のナノ粒子化による変化を系統的に調べ,薄膜に比べナノ粒子の表面で価数が増加すること,強磁性を担う元素と常磁性のみ示す元素が共存することなど,いくつかの重要な知見を得たことで高く評価された.従って,論文審査委員会は全員一致で博士(科学)の学位を授与できると認めた.

なお,本論文の一部は,坂本勇太,藤森淳,小出常晴,朝倉大輔,岡根哲夫,竹田幸治,田中新,山崎陽,藤森伸一,大河内拓雄,斎藤祐児,宋敬錫,小林正起,山上浩志,Vijay Raj Singh,Fan-Hsiu Chang,Chen-Te Chen,Di-Jing Huang,Hong-JiLin,Debjani Karmakar,L.Belova,Mukesh Kapilashrami,Indra Dasgupta,K.V.Rao,Sanjay Kumar Mandalの各氏との共同研究であるが,論文提出者が主体となって実験,解析,考察を行なったもので,論文提出者の寄与が十分であると判断する.

したがって,博士(科学)の学位を授与できると認める.

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