学位論文要旨



No 126138
著者(漢字) 黒澤,耕介
著者(英字)
著者(カナ) クロサワ,コウスケ
標題(和) 発光分光法を用いた高速度天体衝突に伴う相変化・化学反応に関する実験的研究
標題(洋) An experimental study on phase changes and chemical reactions due to hypervelocity impacts using emission spectroscopy
報告番号 126138
報告番号 甲26138
学位授与日 2010.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(科学)
学位記番号 博創域第555号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 複雑理工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 杉田,精司
 大阪大学 准教授 門野,敏彦
 東京大学 教授 鈴木,宏二郎
 東京大学 教授 岡田,真人
 東京大学 准教授 藤田,和央
内容要旨 要旨を表示する

はじめに

地球をはじめとする太陽系の惑星は互いに衝突を繰り返して成長してきた[1]。アポロ月試料の年代分析から、38 -40億年前の地球-月系には現在の103倍もの頻度で、衝突が起こっていたことがわかっている[e.g., 2]。この時期は地球史を通じて外部からの物質/エネルギー流入率が最も大きく、天体衝突が天体表層環境進化を支配していた可能性が高い。衝突速度が10 km/sを超えると、内惑星を構成するケイ酸塩さえも蒸発する[3]。衝突生成蒸気は (1)月の起源 [4-6], (2) 生命前駆物質の合成 [7,8], (3) 大気吹き飛ばし[9], (4) 恐竜絶滅[e.g.,10]などに重要な役割を果たしたと考えられている。

ところが、個々の衝突で引き起こされる相変化や化学反応はあまり理解されていない。その理由としては、従来広く用いられている2段式軽ガス銃ではケイ酸塩を蒸発させるほどの衝撃加熱を起こせないこと、時間変化の激しい衝突生成蒸気の熱力学量を測定する手法が存在しなかったことがあげられる。

本研究ではこれらの問題を解決し、高速度天体衝突に伴う相変化、化学反応を実験的に測定することを目的とする。本論文は以下に述べる4章構成になっている。前半2章で発光分光法による熱力学量測定法の開発について述べ、後半2章はそれらを衝突現象に適用し、得られた知見を述べる。

第一章: 原子発光輝線幅を用いた圧力測定法の開発

発光分光法は衝突現象の熱力学量測定には最適な手法である[11]。しかし、衝突生成蒸気の圧力測定法は未確立であり、実験から全ての熱力学量を測定することができない。

原子輝線は粒子同士の衝突によって幅を持つ [e.g.,12]。発光原子と最近接粒子との相互作用のみを考慮する"nearest-neighbor approximation"を用いれば、輝線幅は摂動粒子数密度の関数として解析的に与えられる[e.g.,13]。これらの関係式を惑星科学上重要なFe Iの原子輝線に適用したのが図1である。支配的な輝線広がり要因が決まれば、上記関係式を用いて、蒸気内の粒子数密度、圧力を推定することができる。

手法の妥当性を検証するため、Hematite(Fe2O3)へレーザー照射実験を行った。得られた温度圧力は断熱膨張傾向を再現し、比熱比は1.2と妥当な値を示した。この結果は提案手法が適切に高温蒸気の圧力を測定できていることを強く示唆している。

本手法は原理的に全ての発光輝線に適用可能であるため、温度圧力の同時測定を容易に行うことができる。これは繰り返し実験が困難な衝突実験においては重要な特徴である。また鉄は隕石中に豊富な元素であるため、今後の天然試料を用いた実験にも有用である。

第二章 振動非平衡CNラジカルの並進-回転温度測定法の開発 [14]

分子の発光スペクトルは振動-回転の自由度の多さによって狭い波長域に輝線が密集したバンドスペクトルと呼ばれる構造をとる。そのため各自由度の熱平衡を仮定した理論スペクトルをfittingし温度を推定する手法が広く用いられている。ところが、衝突現象のような激しく化学反応が進行している系では、振動非平衡の発光スペクトルが観測される。この場合、熱平衡を仮定する従来の手法は適用できず温度の推定ができない。しかし振動非平衡状態であっても並進-回転状態は熱平衡にあることが期待される。そこで本研究では振動非平衡性によらない並進-回転温度測定法を提案する。

図2にCNの理論スペクトルを示す。389-391.5 nmの"Band-tail"に注目すると、振動状態の影響をうけず、並進-回転温度にのみ依存している。このことから、"band-tail"を用いれば振動非平衡CNの並進-回転温度を推定可能である。提案手法の妥当性検証のため、N2-CO2-H2O-Ar大気中で黒鉛へのレーザー照射実験を行った。得られた並進-回転温度は実験条件の変化に対して,物理的に予測される傾向を示し、本手法の妥当性が示された。

第三章 衝突現象への適用 1 ~衝撃加熱ケイ酸塩の状態方程式~

個々の衝突現象で引き起こされるケイ酸塩の相変化、化学反応が理解されていないのは衝撃圧縮、その後の断熱解放を記述するケイ酸塩のEOSが確立されていないことによる。状態方程式は、衝突時のエネルギー分配を支配し、その後の熱力学/化学状態及び力学運動の進化を決定する。実験でエネルギー分配過程を調べる必要があるが、従来の2段式軽ガス銃ではケイ酸塩を衝突蒸発させることは不可能であった。

ところが近年、大型高強度レーザーを用いて>10km/sを超える天体衝突と同等の衝撃圧縮(0.1 -1 TPa)をおこせるようになってきた[15]。本研究ではこの技術を世界で初めてケイ酸塩の衝撃蒸発実験に適用した。第一章で開発した分光法により、衝撃圧縮ケイ酸塩のその場分光観測を行った。図3にDiopside(CaMgSi2O6)を衝撃圧力 ~1000 GPa(ケイ酸塩同士の~28 km/sの衝突に相当)まで圧縮した際に得られた発光スペクトルを示す。我々は発光スペクトルが強い黒体放射から複数の輝線発光へ移り変わる様子を観測することに成功した。このことは世界で初めてケイ酸塩が蒸発していく様子をその場観測で捉えたことを意味する。第一章で開発した分光解析法を用いて温度、電子密度の変化を計測したところ、電子の電離/再結合に伴う吸熱/発熱が衝撃加熱ケイ酸塩のエネルギー分配過程に大きな役割を果たしうることが明らかとなった。衝撃圧縮時の電離はエントロピー上昇をもたらすため、衝突後のケイ酸塩蒸発率が今まで理論的に予想されていたよりも大幅に高くなる可能性がある。この結果は従来の巨大衝突による月形成シナリオに大きな影響を与えうる。

第四章 衝突現象への適用 2 ~小規模天体衝突によるシアノ化合物合成~

衝突生成蒸気は生命前駆物質合成の場として注目されてきたが[7,16,17]、小規模な天体衝突(衝突天体直径~0.1 - 1 km)はあまり重要視されていない。本章では第二章で開発した分子分光法を用いて小規模衝突の重要性を指摘する。小さい天体が斜め衝突を起こすと、微細破片の飛散、空力加熱により、極めて効率よく周辺大気と化学反応を起こす[8]。このとき衝突天体が炭素を多く含んでいると大量のCNラジカルが生成される。我々は窒素を含んだ大気中での黒鉛へのレーザー照射実験により、レーザーで生成したCNは効率よくHCN(アミノ酸、核酸塩基の材料)に変換されることを示した[18]。ところがレーザー照射が衝突後の空力加熱によるCN生成過程を模擬しているかどうか不明であった。

本研究では大気中での高速度衝突実験を行い、衝突生成CNの高分散発光分光観測を行い、レーザー生成CNとの熱力学状態の比較を行った。図4に両実験によるCNの発光スペクトルを示す。第二章分子分光法による解析を行ったところ、衝突生成/レーザー生成CNの熱力学状態は振動非平衡性をも含めて近い状態にあることが明らかになった。実験結果は我々のレーザー照射実験結果が衝突後の空力加熱現象にも適用できることを強く示唆する。このことは重要視されてこなかった小規模衝突の場合、シアノ化合物合成効率が劇的に高まり、原始地球の生命前駆物質合成過程の有力な候補になり得ることを示唆する。

まとめ

本研究では今まで理解されていなかった個々の天体衝突によって引き起こされる相変化、化学反応を理解するため、原子/分子発光分光法による熱力学量測定手法を開発した。開発手法をケイ酸塩の衝突蒸発現象、小規模天体の大気との空力加熱現象に適用した。その結果, (1)世界で初めてケイ酸塩の衝撃圧縮蒸発過程のその場分光観測に成功し、電子の挙動がエネルギー分配過程において重要な役割を果たしうること、(2)今まで重要視されてこなかった小規模天体(直径~0.1-1 km)の天体衝突ではシアノ化合物合成効率が劇的に高まることを示した。

[1]. Ahrens et al., Origin and evolution of planetary and satellite atmosphere, 328-385, Univ. of Arizona Press, 1989.[2]. Ryder, 1990, EOS Trans. Am. Geophys. Un. 71, 313-323, 1990.[3] ] Ahrens & O'keefe, The Moon, 4, 214 - 249, 1972.[4] Canup and Asphaug, Nature, 412, 708 - 712, 2005.[6] Wada et al., ApJ, 638, 1180-1186, 2006.[7] Muhkin et al., Nature, 340, 46-49, 1989.[8] Sugita & Schultz, GRL, in press, 2009.[9] Melosh and Vickery Nature, 338, 487 - 489, 1989.[10] Ohno et al., EPSL, 218, 347-361, 2004.[11] Sugita et al., JGR, 103, 19427 - 19441, 1998.[12] Griem, Plasma spectroscopy, McGraw-Hill, New York, 1964.[13] Gornushkin et al., Spectrochimica Acta Part B, 54, 1207-1217, 1999.[14] Kurosawa et al., JTHT, 23, 463-472, 2009.[15] Kadono et al., JGR, in press, 2009.[16] Chyba and Sagan, Nature, 355, 125-132, 1992.[17] Furukawa et al., Nature geoscience, 2, 62-66, 2009.[18] Kurosawa et al., LPSC XXXVIII, #1629, 2007.

図1.Fe輝線半値全幅vs摂動粒子密度

図2.CNの理論スペクトルT(vid):振動温度,T(rot):並進-回転温度

図3.Diopsideを衝撃圧縮したときの時間分解発光スペクトル

図4.衝突(a)/レーザー(b)生成のCNの高分散発光スペクトル

審査要旨 要旨を表示する

惑星の起源と進化に天体間の衝突が非常に重要な役割を果たしてきたことは、従来の多くの研究によって明らかにされている。しかし、天体間衝突の物理化学過程の詳細については、未だに未解明の部分が多く、惑星の起源と進化を考える上での大きな障害となっている。特に、衝突速度が10 km/sを超えて地球型惑星の主要構成要素であるケイ酸塩が蒸発する過程や付随して起きる有機物質の化学反応過程に関する実証的研究はほとんどなされてこなかった。

本論文は、4章からなる。前半の2つの章では、天体衝突に伴う相変化・化学反応解明のための基礎技術となる原子/分子発光分光法による熱力学状態測定法の開発について述べられている。発光分光測定は、高時間分解計測可能であるため、衝突蒸気雲の熱力学状態計測には適した手法である。しかし、(1)高温岩石蒸気の圧力の測定法が未確立であり、実験から全熱力学量を推定できないこと、(2)分子分光測定を行うと分子の振動状態の非平衡性が現れ、温度を計測できないという問題点があり、これまでは天体衝突時の相変化・化学反応を議論できるデータを得ることは困難であった。第1章では衝突蒸気雲へ適用可能な発光輝線幅からの圧力測定法の開発を行った。開発手法は分光定数が計測されている全ての発光輝線へ適用可能である。衝突蒸気雲の温度圧力進化の情報は、相変化・化学反応過程に関する理解を飛躍的にすすめるだろうと期待される。第2章では分子の振動状態に影響されない新しい並進-回転温度推定法を開発した。並進-回転温度は、蒸気雲内の粒子同士の衝突確率を支配する重要な熱化学パラメータである。この手法は激しく化学反応を起こし、振動非平衡状態にあるCN, C2といった炭素系ラジカルの並進-回転温度を推定可能であるため、天体中の炭素の化学進化を理解するのに最適な手法である。

後半の2つの章では、新しく開発した原子/分子分光法を天然衝突に適用した例についてまとめている。第3章では世界でも初めてのケイ酸塩鉱物の衝撃蒸発実験を行った。時間分解発光分光観測を行い、衝撃圧縮ケイ酸塩のエネルギー分配過程を議論した。実験の結果、電離/電子再結合に伴う吸熱/発熱がケイ酸塩の熱力学状態、流体運動進化に大きな影響を与える可能性が高いことが明らかとなった。これは現在広く受け入れられている巨大衝突による月形成仮説の成立条件を大きく変化させ得る結果である。第4章では大気中での小規模天体衝突時の生命前駆物質合成過程に関する実験的研究を行った。小規模天体衝突の場合、衝突天体と原始地球大気が非常に効率よく化学反応を起こし、CNを生成する。申請者は以前、レーザー照射実験により原始地球大気中にCNが生成される状況を模擬し、効率よく生命前駆物質(HCN)が合成することを示している。本研究ではレーザー照射実験の結果を衝突現象に適用可能であるかどうかを調べるために、新たに高速度衝突実験を行い、第2章で開発した分子分光解析法を用いて、レーザー/衝突生成CNの熱力学状態を比較した。その結果衝突生成CNはレーザー照射生成CNと近い物理過程で生成されている可能性が高いことが明らかとなった。この結果は小規模天体衝突が非常に効率の良いHCN生成機構となり得ることを示唆している。

このように、本論文では、天体間衝突の解析をする上で重要な2つの新基礎計測技術を提案・開発した上、それらを惑星の起源と進化を探るために意義の高い衝突実験に応用して新しい重要な知見を得ている。このような本格的な取り組みの価値は非常に高く評価できる。

なお、本論文第1章は、指導教員の杉田精司との共同研究の形で国際誌に投稿予定の研究内容であり、第2章は、藤田和央博士、石橋高博士、門野敏彦博士、大野宗祐博士、松井孝典博士、杉田精司との共同研究であり、Journal of Thermophysics and Heat Transfer 誌に発表済みの内容であるが、論文提出者が主体となって実験、解析、解釈を行ったもので、論文提出者の寄与が充分であると判断する。

したがって、博士(科学)の学位を授与できると認める。

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